2012年6月19日に公開になった映画『あんてるさんの花』。じつはこの映画、「ムサシノ吉祥寺で映画を撮ろう」プロジェクトの3作目、オール武蔵野市ロケで撮影された、いわゆる“地域映画”なんです。地元にあたる吉祥寺バウスシアターでは、3週間で、なんと1600人の動員を記録しました!
このプロジェクトの発起人であり、株式会社 武蔵野映画社の代表でもある松江勇武さんは、じつは現在も東京・吉祥寺のハモニカ横丁で小さな居酒屋を経営しています。映像関係の仕事の経験は多少あったものの、映画制作に関してはまったくの素人…。
そんな“居酒屋のにいちゃん”が、勢いで映画を作り始め、いつのまにか映画を通したまちの活性化までを考えるようになった、まるで映画のような物語をご紹介します!
武蔵野映画社、その取り組みの3つの柱とは?
2012年10月に設立されたばかりの株式会社 武蔵野映画社は「ムサシノ吉祥寺で映画を撮ろう」プロジェクトから生まれた地域密着の映像制作会社です。事業には大きく3つの柱があります。
ひとつめはこれまでも行なってきた劇映画の制作、ふたつめは市民向けのワークショップの取り組み、3つめは『むさしのアーカイブ』という記録映画の制作です。
映画制作は、これまでとおり、武蔵野市を舞台にした商業映画の制作になります。いずれは武蔵野市を拠点にしながらも、多摩地域全体に地域映画の輪を広げていくことや地方都市と協力して2点間を結んだ地域映画を作ることなどもビジョンとして掲げています。
ワークショップは、市民に映画を身近に感じてもらうこと、興味のある人が映画作りに入っていけるルートを作ること(人材育成)、そして、商業映画としてのクオリティはそのままに、まちの人に映画制作に参加してもらえる道筋を作ることを目的にしています。
映画は、エキストラやロケ場所提供、ケータリングなど、さまざまな形で参加することができます。まちの人に映画作りに参加してもらうことで、その映画がまちの人にとっても財産になる、そのためにも、ワークショップをやることでまちの人が映画作りを支えられる状況を作りたいと思っています。
現在は聴覚障害者向けの字幕をつけるバリアフリー映画の制作ワークショップの開催が決定していて、武蔵野映画社が手がける映画の監督やスタッフを交えた、実践的なワークショップも計画しているそう。
そして松江さんがのちにすごい威力を発揮するのではないかと感じているのが記録映画『むさしのアーカイブ』です。
これは、松江さんの故郷が再開発によってすっかり様子が変わってしまったことをきっかけに、武蔵野のまちの様子を記録しておこうと始めたものだそうです。吉祥寺に拠点を置く株式会社テッセラクトという映像会社と共同で制作していて、現在はウェブ上で吉祥寺を中心としたさまざまなまちの映像を見ることができます。
きっかけはライブハウスの店長から映画作りを頼まれたこと
それにしてもなぜ、それまで映画の制作経験がなかった松江さんが映画を作ることになったのでしょうか。
正直、最初は流れで始めたんです。こんなに大きなプロジェクトになってしまって、自分でも驚いています…。
当時、都内ライブハウスを中心に活動していたミュージシャンでもあった松江さんは、仲の良かったライブハウスの店長から、吉祥寺の4つのライブハウスで同時開催される音楽の祭典「インディペンデンス・ディ」の時に映画館でライブをやりたいと相談されました。
頼まれるとついつい引き受けてしまう性格の松江さん。それならばと、地元の映画館、吉祥寺バウスシアターに話をしにいきました。“ライブは基本的にダメですが、映画上映のイベントの一環だったらやることもあります”。そこでその旨を店長に伝えたところ“そうか! それなら松江くん、映画を作ってくれるか!”と頼まれたのだそうです。…これは、嘘のような本当の話。
1作で終わらなかった映画作り。規模もどんどん大きく!
以前に映像関係のアルバイトをしていた松江さんには、幸い、映像関係の人脈がありました。知り合いの監督に話をもちかけるとぜひやりましょうと話が進み、予算として50万円をかき集めて制作にとりかかりました。こうして完成したのが吉祥寺の外れにある中華料理屋を舞台にした1作目『セバスチャン』です。
しかし、完成したころにはすでに映画館でのライブ開催という話は立ち消えており(!)、バウスシアターで1夜限りのレイトショーでの上映となりました。これがなんと、地元の映画ということで、いちばん広い200席の会場が満席に!映画館の人も驚いて“次回の作品は通常のレイトショーでやりましょう”と声をかけてくれました。
「今思えば社交辞令だったのかも」というその言葉を真に受けた松江さんは、1作目を上映したその日のうちに2作目の制作を決め、すぐに動き出しました。
2作目の『あまっちょろいラブソング』はレイトショーでの興行上映。予算300万円の低予算映画が興行上映に名を連ねたことで業界内でも注目が集まり、映画の制作会社から“いったいどうやって作っているのか”と、問い合わせが入るようになりました。
その中のある会社から次回作を一緒に作りませんかという申し出があって実現したのが、現在上映中の『あんてるさんの花』です。
そして『あんてるさんの花』の制作前に、武蔵野市フィルムコミッションが立ち上がったことが、映画とまちの繋がりを考える上で、松江さんにとって、大きな転機になりました。
武蔵野フィルムコミッションとの出会いで再確認したコンセプト
バウスシアターの社長が「今度の制作はフィルムコミッションと一緒にやりなさい」って紹介してくれたんです。
それまではなんとなく流れでオール吉祥寺ロケでやっていて、結果的にまちの活性化みたいなところに繋がっていたんだけど、フィルムコミッションの方にお会いしてどう考えているのかということを聞かれて、そこでまちに対する気もちを改めて定位づけました。
今後は範囲を広げてオール武蔵野市ロケにし、まちの人に見てもらえたり、参加してもらえるような映画を作っていきたい、そう提案すると「そういうことなら一緒にやりましょう!」と『あんてるさんの花』にはフィルムコミッションの後援がつくことになりました。
このとき考えた“まちの人に見てもらえたり参加してもらえるような映画作り”というのは、現在の事業計画のベースにもなっているコンセプトです。
映画を作ったら朝市が始まった!? 映画がまちに貢献できること
映画というと一見華やかな印象がありますが、まちで映画の撮影をして上映するだけでは、経済効果は正直大したことはない、と松江さんは言います。
でも、映画作りがまちに貢献できることって、経済の活性化だけじゃなくて、コミュニケーションのツールにもなり得るってことだったんです。
それを実感したのが、フィルムコミッションとの提携を機に行なった、ロケに関する説明会の時のことでした。
『あんてるさんの花』はハモニカ横丁が舞台だったため、横丁のお店を集めてロケの説明会を開きました。そうしたら「そんなことはどうでもいいから朝市やりたい」とか言い出す人がいて(笑)。
それまでって、横丁のお店同士ってあんまり繋がりがなかったんですよ。でもそれをきっかけに、本当に朝市が始まったんです。映画作りができることってこういうことなんだなって思いました。
映画作りというのは、関わる人すべてにとって、非日常の一大イベントです。その一大イベントをきっかけに連帯感のようなものが生まれ、新しい自発的な取り組みが自然と誕生しました。
映画は直接、ハモニカ横丁に経済効果はもたらしていないのかもしれません。でも、朝市が始まったことで横の繋がりができ、まちには新しい活気が生まれました。朝市が賑わえば、当然お客さんも増え、お金も落ちていきます。
『あんてるさんの花』はそういう意味での第1歩でした。この作品で市役所や地元の信用金庫の人、各商店街の人、たくさんの人が活動のことを知ってくれました。名刺交換した人がまた別の人を紹介してくれて、その人がまた別の人を紹介してくれてってどんどん広がっていって、結局『あんてるさんの花』が公開されたあと、僕、名刺を1300枚ぐらい配りました。
その過程で知り合った手話教室の人から“教室にきている人にも映画を見てもらいたい”と言われたことでバリアフリー映画の制作が始まったように、人と人の繋がりによって、さまざまなアイデアやインスピレーションをもらい、松江さんの映画への取り組みはより広がりを見せ始めます。
加えて『あんてるさんの花』が通常のロードショーで上映され、それまでとは利益が桁違いに大きくなったこと、今後の展開を考えた時に法人格の必要性を感じたことで、いよいよ2012年10月、株式会社武蔵野映画社を立ち上げました。
1億円あったら1000万円の映画を10本つくる
こういった地域に根ざした活動の場合、非営利団体として法人格を取得する場合が多いのですが、松江さんは株式会社にしました。そこには、松江さんの決意とこだわりがあります。
あえて営利団体にしました。補助金や援助がなくなった時に活動を続けていけないなんて嫌だと思ったからです。
地域映画ってたくさん作られていて、いろいろな規模のものがあります。そこで自分はどう舵を取ろうかと思った時に、やっぱり劇場で興行上映されるものを作りたいと思ったんです。普通の映画と同じようにスポンサーや出資者を募って、そのお金がまちに落ちたり、まちの人に商業映画の制作に参加してもらうことに意味があると考えました。
あくまで利益を追求するし、予算を回収することは常に考えていく、会社としても大きくしていきたい、でも意識としてはまちに根付いた会社だし、まちに対して愛をもってやっていく。そのへんのバランス感覚は大事にしたいですね。
たとえば1億円あったら? あなただったら、会社をどのように回していくでしょうか?
たとえば自分に1億円の予算が与えられた時に何をやるかって考えたら、映画人だと1億円の作品をひとつ、ボンッと作ると思うんですよね。でも自分は、1000万円の作品を2年に1本のペースで作りたいと思う。
説明会で集まったりロケに使わせてもらうことが、1億円あれば10回繰り返されるわけです。売上が全てではなくて、作る過程の中にまちの人がどれだけ参加するか。参加だけじゃなくて参画してくる人が出てきて、こういうことをやったらどうかって提案してくる人もきっと出てくると思います。
自分がやりたいのはそっちなんだっていうことがフィルムコミッションの人と話したり、朝市が始まったことを通して、やっと固まってきたんです。
映像は、何かと何かを結びつけることができるもの
ライブハウスの店長からのなにげないひとことで始まった地域映画の制作。流れに逆らわず一生懸命に取り組んだ結果、2作目、3作目と規模が大きくなり、多くの人との関わりが生まれました。その中で改めて考えるに至ったまちへの気もちが、まちと人、そして映画をしっかりと結びつけました。
バンド時代に音楽とアートと映像をリンクさせたイベントをやっていて、その時から何かと何かを結びつけるのは映像なんだっていうのはじつは思っていたんです。今は、その何かがまちと人になったのかなと思っています。
住みたい街ナンバーワンと言われている吉祥寺で“居酒屋のにいちゃん”が巻き起こした地域映画のムーブメントは、まちの人々にさまざまな繋がりのきっかけを与え、ムサシノ吉祥寺に活気と文化をもたらしています。
映画が身近に存在するまちだからこそ、映画の中でも映画の外でも、きっとたくさんの物語が生まれていくことでしょう! これからのムサシノが楽しみです!
『あんてるさんの花』を見に行こう!