「働く」で社会を変える求人サイト「WORK for GOOD」

greenz people ロゴ

あの時メディアに感じた不信感、それを解きほぐし観客に自らを省みさせる映画『311』[映画で考える311]

「3.11」からまもなく1年。復興、原発などまだまだ解決すべき問題が山積し、とても1年も前のこととは思えませんが、このひとつの節目に向けて、「3.11」をテーマにした映画が次々公開されます。

3月3日から公開されるのは、『A』などのドキュメンタリー作品の監督・森達也さんが映像ジャーナリストの綿井健陽さん、同じく映画監督の松林要樹さん、映画プロデューサーの安岡卓治と震災から2週間後に福島、岩手、宮城を訪れた際に記録した映像による映画『311』です。

そもそもは映画にする目的ではなかった映像

映画の冒頭で説明されるのはこの映像がそもそも映画にする目的で撮られたのではなく、現場に赴き、現状を把握し、それを記録するためのものだということ。最初に訪れるのは福島、ガイガーカウンターを持ってはいるものの、計り方の知識も定かではなく、何が待ち受けるのかもわからないからか、不安あるいは恐怖によって変にテンションが高い。

そして、いよいよ20km圏内に入ろうという前夜などははしゃいでいるようにさえ見えます。しかし、避難区域の中でちょっとしたアクシデントに襲われ、彼らは自分たちの「曖昧な取材姿勢、不十分な装備」を省み、福島を離れます。

多くの人はここまでの展開に嫌な感じを受け、さらにはこの4人に不信感をも抱くのではないでしょうか。自ら暴露しているとはいえ、彼らの態度は被災地と被災者に対して誠実なものとは見えないからです。

4人はここから津波の被災地へと向かいます。圧倒的な瓦礫の山を目にした彼らの口から出るのは「うわー」や「うぉー」という唸りばかり。自衛隊員に話を聞いたり、避難所を訪れたりしながら、ついに彼らは多くの児童が亡くなったという大川小学校にやって来ます。ここで森さんは、見つからない子どもの遺体を探す親たちに遠慮がちに、申し訳なさそうに声をかけます。



© 森達也・綿井健陽・松林要樹・安岡卓治

© 森達也・綿井健陽・松林要樹・安岡卓治

“野次馬根性”なのは誰?

観客はここで彼らの態度が変化していることに気づきます。それは彼ら自身が自分たちのこの訪問が野次馬根性によるものであり、メディアといういわば特権的な立場にあるために他の人達が入れない場所に入り、その様子を記録できるということにある種の優越感を感じていたということに気づいたことによるのではないでしょうか。

そして、彼らの態度が変化することで今度は観客が自分の不誠実さに気付かされます。そのメディアの特権の恩恵にあずかり、避難区域内の集会所で誰かに出会ったり、遺体が発見される場に居合わせたりということになるのではないかという野次馬根性によって被災地の映像に引きつけられていたことに気づくのです。

1年前のあの日、私たちは報道のヘリコプターやぎりぎりの所で助かった一般の人達の撮った津波の映像を食い入る様に見つめていました。それは「情報」を求めていると同時にどこかで「スペクタクル」を求める気持ちもあったのではないでしょうか?何十キロにも渡る波頭が陸地に向かっている映像、車や船や家が陸へと流される映像、その映像に恐怖を覚えながらもどこかでワクワク感も感じていた、そうではなかったでしょうか?

そのワクワク感は決して悪いことだとは思いません。しかし、どこまでをスペクタクルと考えてその快楽を享受していいのか、それは各々が考えなければならないことです。もし小学校の近くで遺体が発見され、それを自分の子供だと認識した親が泣き崩れたとします。そのような場面はドラマティックな場面であり、スペクタクルになり得ます。しかし私たちはそのような場面をスペクタクルととっていいのでしょうか? この映画の最後に彼らは遺族の怒りを買い、角材を投げつけられます。その角材はわれわれ観客にも投げつけられているのです。

しかし、このシーンをみて「森さんはあえて遺族の怒りを買ったではないか」とも思いました。この直前の場面で、森さんは子どもの遺体を探す母親の「怒りをぶつける先がない」という発言に、「言葉にできるなら僕にぶつけてください。そういう役割ですから」と答えています。森さんのこの発言は彼らの遭遇している悲劇をスペクタクルとして切り取るのではなく、生身の人間として彼らの辛さを少しでも引き受けようとしているという姿勢を示そうとしたのではないでしょうか。

あれから1年。私はこの映画を観て、この1年間本当に震災のことを考え続けてきたのに、あの時の衝撃、あの時の感情、あの時の印象がいかに薄れてしまっていのかということに気付かされました。この映画を見ることはほんとうに辛いし、気持ちも沈みます。でも、だからこそ見なければいけない。そして、いま自分が「311」に対して取っている姿勢を省み、改めてこれから何をすべきかを考えなければいけない、そう思い知らされたのです。

『311』
2011年/日本/92分
共同監督:森達也、綿井健陽、松井要樹、安岡卓治
3/3(土)よりユーロスペース、オーディトリウム渋谷にて公開、ほか全国順次