多くの人は「モンゴル」と聞くと、草原で羊を飼い、馬に乗り、青々しく雄大な自然に囲まれて暮らす人々の様子を思い出すのではないでしょうか。
しかし、モンゴルにはそういったイメージとはほど遠い生活をしている子どもたちがいます。モンゴルは、真冬には気温が−30℃にまで下がる極寒の地。さまざまな理由から、行き場を失った子ども達が暖をとるために行きついたのがマンホールでした。
マンホールの中には温水供給パイプが通っていて地上よりも暖かくはあるのですが、汚水が漏れていたり、虫が湧いていたりして感染病や皮膚病の恐れのある劣悪な環境です。6歳になるのに1歳程度にしか見えない、皮膚病で禿げあがり顔が爛れて歩くこともできない子どもがいることも…。
こういったマンホールチルドレンを孤児院で保護し、子どもを1人の人間として敬い、子ども達の可能性を拡げる活動を行っている「NGOゆいまーるハミングバーズ」の取り組みを紹介します。
過酷な社会環境が生む「貧困のサイクル」
子どもたちにとって過酷なのは、生活環境だけではありません。「孤児院の行き届かなさ」「就職難」「周囲の冷たい目」といった社会環境も、子どもたちを苦しめ、「貧困のサイクル」を生み出しています。
実は、モンゴルにマンホールチルドレンがたくさんいるのは、特殊な経済的理由があります。モンゴルは、1924年から70年間、社会主義国でした。その間、モンゴルはCOMECON(社会主義国の経済協力機構)に加入し、ソ連からGDP比の30%にも上る支援を受けていました。
その後、ソ連が崩壊し、ソ連からの支援も途絶えたため、モンゴル国内の経済は崩壊。一時期、失業率は60%を超えたと言われています。
そして急激な経済の悪化により、親が急に貧しくなったり、心が荒んだりして、捨てられる子どもやアルコール中毒による虐待などを避けて家から逃げ出す子どもが増えたのだそうです。一時期は、そういったマンホールチルドレンの数が数千人にも上ったといわれています。
もちろん、政府も孤児院を作り、マンホールチルドレンを保護しています。しかし、法律の未整備や財政的理由から、必要なケアを子どもたちに与えているとは決して言えません。200人が暮らす孤児院がたった2人の先生で運営されていることも。
こういった状態では到底手が回らないため、先生が諦めきってしまい、年長の子どもが年少の子どもに絶対服従をさせたり、暴力やレイプが起こったりといった無秩序状態になることもあります。マンホール生活よりも苦しい孤児院の状況に堪え兼ねて、マンホールに戻る子どももたくさんいます。
加えて、マンホールチルドレンに対する人々の目も、決して優しいものではありません。食堂に入ろうとすると、臭くもないのに「臭い!」とか「出て行け!」などと言われたり、物を投げつけられたり。
そもそも、親に捨てられたり虐待を受けたりしている上に、こういったひどい仕打ちを受け、学校にも行かず、少人数のグループで物乞いをしてその日暮らしの生活しているうちに、たくさんの子どもたちが自己否定感を強く持ち、いろいろなことをすぐに諦め、挑戦するのを怖がるようになってしまっているといいます。
また、法律により孤児院には18歳までしかいられません。しかし、モンゴルは就職先の絶対数が足りておらず、職に就くには専門的な知識や技術を大学や専門学校で身につけるか、コネを頼るしかないのが現状。孤児院を出てそのまま働ける人はほとんどいないのです。実際、孤児院卒業生の98%がまた路上生活に戻っているという悲惨な現状があります。マンホール生活に戻り、マンホールで子どもが生まれるような、「貧困のサイクル」が発生してきているのです。
心のケアも考えたNGOゆいまーるの取り組み
こういった、どうにも抜け出せないような「貧困のサイクル」からマンホールチルドレンを救う取り組みを、「ゆいまーる」は
1.「太陽の子ども達」という優良な孤児院を支援する事業
2.「太陽の子ども達」によるコンサート事業
3.孤児院卒業生に大学進学の奨学金支援事業
という3つの事業を通して行っています。
芸術学校で子どもの心のケアをする孤児院
「ゆいまーる」は、モンゴル国ダルハン市にある「太陽の子ども達」という孤児院の運営を、いくつかの日本の団体の共同で支援しています。この孤児院に生活している子どもたちは6歳から18歳までの40人。昼間は公立の学校に孤児院から通っているのですが、特にユニークなのは放課後の活動です。
なんと「太陽の子ども達」は、部活のように参加する「芸術学校」を孤児院の中に持っているのです。その芸術学校で教える先生は、もともとはプロの演奏家たち。その先生のもとで、子どもたちは放課後、歌や踊り、馬頭琴、琴、軟体芸、切り絵の中から自分の好きなものを選択して芸能を学んでいます。
この取り組み、「専門性がないと就職できない」というモンゴルの現状に合わせて、就職支援として行っていると思いきや、実はもっと深い考えがありました。「ゆいまーる」代表の照屋朋子さんは、
子ども達が将来、どの様な職に就きたいのか、どの様な大人になりたいのかは子ども自身が決めることです。音楽学校の目的は、「豊かな感性を育むこと」「成功体験を得る経験をすること」にあります。
「1つの曲が覚えられた」とか、「こんな楽器が演奏できるようになった」とか、小さな成功体験を積み重ねていくうちに、いろんなことに諦めずに取り組み、自己肯定感を養えるのです。
と教えてくれました。
孤児に家族のぬくもりを
成功体験を持たせる最たるものが、40人のうちから15人ほどが選抜されて行われる日本での「太陽のコンサート」です。多くのモンゴルの子ども達にとって日本は「行ってみたい先進国」です。自分の芸術学校での取り組みの結果、自分が選抜されたら、大きな成功体験となります。
そして、この「太陽のコンサート」は成功体験の積み重ねや、「ゆいまーる」の支援者との顔が見える交流、収益を増やすといった目的の他に、子ども達の心のケアに大きな意味をもつ目的があります。それは日本で孤児院の子ども達に「家族のぬくもり」を与えること。日本に滞在する間、子ども達はホームステイをするのですが、そのホストファミリーとの交流が大きな意味を持つのです。
ある16歳の男の子は、ホームステイをする前は声をかけても返事をしてくれないし、 人の目を見て話せない、何を考えているのかわからない子でした。
その子がホームステイ先でお風呂に入った後、髪の毛がよく乾かさないまま遊んでいたら、滞在先のお母さんが「風邪をひかないように」とタオルで頭を拭いてくれたそうです。それまで感情を表に出さなかった彼が、「お母さんが僕の体を心配してくれた」と、感極まって大泣き。お母さんと手を繋いで寝ることも出来て、彼は変わりました。それまでとは別人の様によく笑い、明るくなりました。
と、照屋さんは言います。このホストファミリーの交流は何年も続くこともあるそう。「自分のことを気にかけてくれる親がいる」といった想いは、親の愛情を受けていない子ども達の心に大きな影響を与えるのだそうです。
「なりたい自分」になることを応援するための奨学金支援事業
孤児院で少しずつ成功体験を重ね、自分を肯定できるようになった子ども達は勉強にも意欲的になり、将来の夢を自分で考えるようになります。
しかし、コネクションのない孤児たちは大学や専門学校に進学し、専門性を身に着けない限り就職は出来ません。そこで「ゆいまーる」は、大学進学のために、学費、生活費、寮費の支援を行っています。
すでに奨学金を受けて大学卒業した人は二人おり、一人は音楽の教師として、もう一人は発電所のエンジニアになったそう。
奨学金支援の対象は、今までは「太陽の子ども達」の卒業生だけでしたが、昨年度からトライアルとして、他の施設の子どもにも支援を始めました。他の孤児院は「自己肯定感を養うような取り組み」をしていないため、資金の援助だけではないケアが必要になるかもしれない、と考えているそうです。
心のケアから職を得るための学業の支援まで行えば、「貧困のサイクル」から抜けだせる支援が行えます。こういった壮大な支援を始めたきっかけを、照屋さんに聞いてみました。
「自分はずいぶん幸せに長生きしたな」と思った16歳のときの衝撃
「ゆいまーる」代表の照屋朋子さん
きっかけは、16歳のときに高校の校内で見たモンゴルのマンホールチルドレンの写真だったそうです。写真の子どもは6歳。皮膚病ではげてしまい、栄養が足りなくて1、2歳に見え、ねずみやゴキブリに齧られて顔中腫れている姿。
写真を見た瞬間、体に稲妻が走りました。沖縄戦中に伯父が4歳で亡くなっていたり、沖縄戦の映像を小さな頃から見ていたりしたので、16歳の自分のことを「ずいぶん幸せに長生きしたな。」と思ったのです。
そして、ちょうど将来の夢を探していた頃だったので、「これだけ長生きしたのだから、今後の人生はこういう子を幸せにするために使っていかなくちゃ」と思いました。
「ユイマール」の精神での支援
しかし、実際にモンゴルを訪れてみて、「かわいそうだから支援しよう」という気持ちはなくなったそう。それは、孤児院の子ども達がすごく純粋で優しく、「人のために何かをするのが自分の幸せだ」という気持ちにあふれているからだと照屋さんは言います。
例えば板ガムを一人の子にあげたとします。すると、その子はその場にいる人数を数えて、5人いたら5等分にしてみんなに分け与えるのです。
この姿勢、沖縄出身の照屋さんにはピンと来るものがありました。それは、沖縄の相互扶助の考え方である「ユイマール」の精神です。
この「ユイマール」、単なる助け合いではありません。自分のものを自分だけのものとして欲張らずに余裕がある人が分けます。「みんなで分けたら楽しいし、おいしいよね」「一人でお仕事すると疲れるよね。みんなでやると楽しいよね」という見返りを期待しない、自分が楽しいからやるという姿勢のシステムなのだそう。
照屋さんは「ゆいまーる」の活動を、「自分が得るものが大きい。彼らと一緒にいると楽しいからやっている」と言い切っています。
東日本大震災のときの、モンゴルの子ども達の「ユイマール」
「ユイマール」精神で活動を続けていた照屋さんは、東日本大震災のときに、驚く体験をしました。「太陽の子ども達」の子ども達が、自ら募金活動を行ってくれたのです。
「支援してくれた日本を今度は自分たちが助けたい」という一心で、チャリティコンサートをやったり、メディアを使って訴えたり。なんと、自分たちの生活費となる児童手当まで全額寄付してくれたそう。集まった寄付金額はなんと600万円。大学生の1年の学費・寮費・生活費すべてが13万円くらいでまかなえるモンゴルで、驚異的な額です。
自分の生活すら顧みずに私たちを助けようとする姿勢に、学ばされました。
今後の取り組み
現在の取り組みはモンゴルの一つの孤児院を対象にしていますが、将来的には国を広げて「子どもが自分自身を誇ることができ、自分の夢を目指せる環境を整える」活動をしていきたいと語る照屋さん。
今後5年間の目標は、現在芸術を通してやっている、自己肯定感を持てる教育方法のノウハウを他の孤児院にも広げていく活動を行いたいそうです。また、奨学生に海外留学のチャンスを提供することも考えているそうです。
そのためには、資金が必要になります。
「ゆいまーる」では、
・会員制度を使って定期的に寄付をする
・Just Givingを使って500円からの寄付をする
・太陽の子ども達コンサートを見に行く
・コンサート運営などのボランティアスタッフになる
といった支援の他に、「ブックレイジング」という支援の仕方を用意しています。
これは、背表紙にISBNがついた古本を寄贈すると、株式会社バリューブックスが集荷・仕分け・査定を行い、その買い取り相当額を寄付として、「ゆいまーる」に支払うというシステムです。古本が5冊あれば、送料無料で自宅に集荷に来てくれるそう。
モンゴルのマンホールチルドレンの生活を支援するのって、とっても楽しそう!まずは古本を送って、「ユイマール」に参加してみたくなりました。
モンゴルの子ども達と楽しく学び合いながら、マンホール生活から完全に抜け出すための支援を続けている「ゆいまーる」の活動から、今後も目が離せません。
他にもこんなプロジェクトがあります。