数年前まで、海を訪れると、たくさんの海藻が見られました。赤いのやら緑のやら。ところが海藻の茂る藻場(もば)がここ数年、急速に消えつつあるといいます。
温暖化は着実に進んでいて、海にもその影響が及んでいる。「海に潜ると数年前まで一面に海藻が生えていた場所に海藻が一本もなく、砂漠のような海底が広がっている」と海の中を知る人たちが教えてくれました。
海藻がなくなれば、藻場を隠れ家や住処にしていた小魚やエビが減り、それを食べていた大きな魚も減る——。海藻は海の生態系のピラミッドを下層で支える大切な生き物の一つです。
であれば、海に海藻を取り戻すために養殖で増やすのはどうだろう?トライを始めているのが「合同会社シーベジタブル」です。なぜ海藻が減っているのか。どんなふうに海藻を育てているのか。熊本県天草市へ見に行ってきました。
海から海藻が減っている理由
7月上旬のよく晴れた暑い日。天草の小さな浜から船に乗せてもらいました。ゆっくり船は進み、数百メートルも沖へ出るとロープがはってあります。このロープの先で育てられているのがいく種類もの海藻。ここはいわば海藻の栽培試験場です。
案内してくださったシーベジタブルの中村智史(なかむら・さとし)さんが、一つひとつ海藻の入ったカゴを引き上げて教えてくれます。
中村さん これはトサカノリという海藻です。このあたりではよく採れて食べていたものですね。こちらはミリン。かじってみてください。美味しいんですよ。この珊瑚のようなのも海藻です。
ミリン、トサカノリ、ミル、カタメンキリンサイ…と見たことのない海藻も多々。
天然の海藻だけでなく、養殖されていた海藻も減っています。
中村さん もともと天草では、ヒジキや昆布、ワカメなどがたくさん養殖されてきました。10年ほど前まで、種付けをしておけば立派な海藻が育ちました。それがどんどん減って、今年ワカメはついに収穫ゼロ。海藻が芽吹かないわけではなく、これまで冬の間は冬眠していたウニや魚のイスズミやアイゴが温暖化で水温が高くなったために活発に動き、海藻を食べ尽くしてしまうのです。
食害によって、絶妙に保たれていた生態系がバランスを崩し始めています。
そこでシーベジタブルでは、海藻をロープに直接種付けしたり、カゴに入れて魚から食べられるのを防ぎ、育てています。一本のロープの先に、何種類もの海藻が繁茂しているイメージ。
水中にゆらぐ栽培中の海藻のかたまりから、ぱっと散る小魚の影が見えました。養殖の海藻にも魚は群がるようです。
ふと顔を上げると、海面は変わらず美しく凪いでいて、海の中で起きている変化は想像もできませんでした。
海藻は育てるものではなく、採ってくるものだった
ウニや小魚に海藻が食べ尽くされてしまう「磯焼け」と呼ばれる被害は、ここ数年、日本中の海で広がっています。共同代表の友廣裕一(ともひろ・ゆういち)さんが教えてくれました。
友廣さん コロナ禍になった頃、日本中の海に潜ってまわりました。共同代表の蜂谷潤(はちや・じゅん)と、海藻研究者の新井章吾(あらい・しょうご)さんという海の中に詳しい方と一緒に。すると、新井さんが海藻がきれいだからと連れていってくれた場所に一本も海藻がなくなっていたり、1〜2時間泳いでもまったく見つけられなかったりして、これは厳しいなと。
いきついた答えは「全国の海で、養殖で海藻を育てて増やすしかない」ということ。それによって海に魚も戻ってくる。
友廣さん たとえば、北海道のある海ではワカメがびっしり育てられていますが、その近くにあるワカメに向いていない海域はまったく使われていません。環境ごとに適した海藻を育てる技術があれば、日本中の海で海藻を増やせますよね。売れれば漁師さんの仕事にもなる。この海域はワカメはダメだけど、ヒジキなら育つとか、トサカノリなら育つとか。
これまで多くの海藻は採取してくるものであって、育てるものではなかったのです。
もともと日本には約1500種類の海藻があり、そのうち50種類ほどを各地で食する文化がありました。ですが産業として養殖生産されてきた海藻は、ほぼ4種類のみ。海苔、ワカメ、昆布、沖縄モズクです。これらも年々生産量が減っています。
そこでシーベジタブルでは、陸上と海面の両方で海藻の栽培を行っています。そのために柱となるのは、大きく三つ。
一つは、海藻の研究。野菜と同じように、海藻を育てるとなれば、種の保存をはじめ、育成に適した環境の調査、収量を増やすための技術開発など研究すべきことがあります。全国30箇所ほどで、各海の漁業権をもつ漁師さんや漁協などとパートナーシップを組んで、試験栽培を始めています。
二つ目に、栽培方法がある程度確立した海藻の生産と販売。高知の四万十川で採れなくなったスジアオノリの陸上栽培が起業のきっかけでもあり、今では国内で高いシェア率を誇ります。
そして三つ目に、海藻の食べ方、レシピの開発。いくら海藻を生産しても、食べてもらえなければビジネスにならず循環しない。デンマークのレストラン「noma(*)」の姉妹店で、ミシュラン2つ星を獲得した「INUA」のスーシェフ(副料理長)をつとめた石坂秀威さんが参画し、海藻を用いたレシピの開発や、スイーツや発酵調味料づくりを行っています。
(*)nomaは、地産の食材を使った新北欧料理に率先して取り組みミシュラン3つ星を獲得したデンマークのレストラン。ローカルフードに着目し、ファームトゥテーブルの料理スタイルを先駆けて提案した。
企業からの依頼で始まった、スジアオノリの陸上栽培
シーベジタブルは2016年に、友廣さんと蜂谷さんが共同創業した会社です。年々水揚げ量が減っていたスジアオノリの陸上栽培から始まりました。
スジアオノリとは、高知の四万十川や徳島の吉野川で採れていた、香りの高い海藻。お好み焼きやポテトチップスなどにも用いられます。
1980年頃は60トンもの量が採れていた四万十川の天然のスジアオノリが、水温上昇により繁茂しなくなったことで年々水揚げ量が減り、ついに2020年にはゼロに。
スジアオノリを使っていた企業は困り、当時、高知大学で海藻やアワビの養殖栽培の研究をしていた蜂谷さんのところに、養殖してほしいと依頼が入るようになります。そこで蜂谷さんは友廣さんと共に会社を立ち上げ、スジアオノリの陸上栽培を始めます。
友廣さん オタフクソースなどの大手企業が、5年間の長期買取を約束してくれました。陸上栽培にはかなりの設備投資が必要ですが、その金額の一部を前払いしてくれて。
需要があって始めた事業だったため、好条件でスタートを切ります。現在、陸上と海面での研究・栽培拠点は30箇所以上。岩手、愛媛、三重、高知、熊本などにあります。
天草市牛深の生産拠点を訪れると、海のそばの敷地に直径1〜20メートルの大小さまざまな円形の水槽がずらりと並んでいました。
海の近くで井戸を掘ると得られる、ミネラル豊富で水温の安定した地下海水を用いて、スジアオノリが育てられています。
種からひと月ほどは室内の水槽で育てられ、ある程度大きくなると、こうした屋外の水槽に移されます。海藻が沈んでしまわぬよう、水槽にはたえず空気が送り込まれ、攪拌しています。
この栽培施設で乾燥までを行い、各地に出荷されます。
乾燥室に入ると、スジアオノリのいい香りが満ちていました。
スジアオノリは季節を問わず、わずか2〜3ヶ月ほどで成長するため安定供給が可能ですが、設備にはかなりの投資コストがかかる上に、陸上栽培だけでは海の中の環境は改善されません。
友廣さん 海をよくすることを考えると、海で育てられるものは海で。難しいものは陸上と両方をうまく活用して。よりみなさんに食べてもらって、海に海藻を増やす循環をつくりたいと考えています。
海藻を栽培する事業として、海へのインパクトはどれほど期待できるものなのでしょうか。
友廣さん あるコンビニで売られている沖縄モズクは、年間1,000トンほど消費されているといいます。沖縄モズク以外にも日本にモズクは10種類以上あって、より美味しい品種で同じくらいのヒット商品をつくれると仮定すると、海に2,000ヘクタールの海藻の畑をつくることができる。2,000ヘクタールという数字は、いま一年間に減っている藻場の減少量と一致します。
日本ほど海藻を食べてきた国はない
目下、一番の課題は育てた海藻の出口、つまり販売先です。
中村さん たとえばこのミリンという海藻。すでに量産できる技術はありますが、いまは何トンとつくっても、まだ売り先が多くないんですよね。
ローカルで食されてきた海藻は、全国流通できる量を生産しても一般的に食べる習慣がありません。食文化を新たにつくっていく必要があり、食べ方の提案が求められます。
友廣さん 海藻って、じつはタンパク質が多くて栄養価の高い食べ物なんです。大豆のタンパク質含有比が34%だとすると、海苔は40%で青のりは30%ほど。栄養価も高くて育てやすくてサステナブル。そんないいもの、他にないですよね。
ちなみにヨーロッパではそうした海藻の価値が評価され、国が産業化の後押しを始めているのだとか。
友廣さん 海藻を扱うスタートアップ企業が飛躍的に増えています。彼らがまず言うのは、日本に学びたいと。もともと日本には約1,500種類の海藻があり、そのうち50種類ほどを各地で食べてきました。日本ほど海藻を食べてきた国は他にない。日本は、海藻食文化の最先端の国とみなされているんです。
ところが期待に反して、国内の海藻の消費量は減るいっぽう。1人あたりの1日の海藻消費量は、この22年間でおよそ40パーセント減っています。
日本では海藻を食べる文化が変化していないからではないかと、友廣さんは言います。
友廣さん たとえばワカメは、味噌汁に入れるか酢の物が定番。食べ方が進化していないんです。ニンジンは、和食にも中華にもイタリアンにも使われます。海藻をあらゆる料理に使えれば、可能性が広がります。
先述のシーベジタブルのシェフ、石坂秀威さんは、食材としての海藻に可能性を感じ、シーベジタブルに参画。東京のテストキッチンで、日々送られてくる海藻でレシピ開発に取り組んでいます。これまで未開の分野だけに、スイーツやドリンク、調味料など、開拓のし甲斐があって面白いのだそう。
友廣さん 伊勢丹新宿店で行われた『サロン・デュ・ショコラ』という日本最大のチョコレートのイベントに、2022年から2年連続で出店して、カカオと海藻でつくったスイーツを提供しました。これまで誰もやってこなかった海藻の発酵にもチャレンジして、生のスジアオノリを発酵させて醤油を開発しています。
2024年9〜10月には、三越伊勢丹とのコラボレーションで、伊勢丹新宿店と日本橋三越本店の食品売り場で海藻フェア『EAT&MEET SEAVEGETABLE』を開催。デパ地下に入る有名店がこぞって海藻を用いた商品をつくるなど、シーベジタブルでなければ実現しなかったのではないでしょうか。さらに近く、海藻をふんだんに取り入れたレストランもオープンする予定。この先、新しい海藻料理がどんどん誕生していくのでしょう。
海藻を食べることで、経済も環境もいい方にまわる
シーベジタブルの強みは、海藻の研究から食卓に届けるまでに、一貫して携わっているところにあるのではないかと思います。さらに全国にその協力者がいること。
手つかずだった分野だけに開拓しがいのある領域で、とくに「食文化として発展させていく」ことに大きな可能性を感じるという友廣さん。
まず、食材としての高いポテンシャル。低カロリーでありながら身体に必要なミネラルやビタミン、食物繊維が豊富に含まれています。また、すじ青のりをnomaのシェフに食べてもらったところ「海のトリュフ」と表現したのだそう。高級食材にもなり得るし、惣菜や家庭料理の材料として、ますます用途が広がりそうです。
そして海藻を扱う面白さは、海藻が売れるほど海にいい影響を及ぼすことができること。
友廣さん 海藻を海で栽培すると、生態系の回復や光合成による二酸化炭素削減に寄与できるので、砂漠に植林しているのと同じです。でも植林はボランティアや寄付、社会貢献で成り立っていて、経済価値は回っていないことが多いですよね。その点海藻は、みんなが食べることで経済も環境もいい方にまわる。誰もが関わる余地があるから、面白いムーブメントになるんじゃないかなと思うんです。
いま、養殖であっても海藻が増えれば小型の生き物が増えて、魚が増えるといったデータを取得中(12月18日には海藻の海面栽培による生態系への定量調査の報告会を開催予定)。これをエビデンスとして示すことができれば、海藻を消費することと、海がよくなることの相関関係を明示できます。
友廣さん 企業の社員食堂で年間10トンのひじきを使ってもらうと、社員の健康にもよくて、これだけ海の生態系を復活することができますと言えるようになれば、企業のSDGsとして、もっと広がるかもしれないですよね。
シーベジタブルは、海藻を食べることで、海に生き物を取り戻す手段を、私たちに与えてくれていると言えるかもしれません。
美味しくて栄養価も高く、消費するほどに海がよくなっていく。海藻が今以上に食卓にのぼる日も近そうです。
(取材時撮影:柚上顕次郎)
(編集:村崎恭子、増村江利子)