”パレスチナ”と聞いたら、あなたはどんなことを思い浮かべましたか? イスラエルによる軍事占領と、それに対抗する暴力を伴った抵抗のイメージ。あるいは、1948年のイスラエル建国とともに多くのパレスチナ難民が生まれていること。今ではその数が500万人に達すると言われています。(出典元: https://ccp-ngo.jp/palestine/)
そんな終わりが見えない紛争の舞台であることから、もしかしたら物騒な場所で、日本人は近づくべきでないと考える方もいらっしゃるかもしれません。実際僕は、そう考えていた一人です。
しかし、今回の記事の主人公、Sami Awad(サミ・アワッド、以下、アワッド氏)と出会い、彼の講演を聞いて、パレスチナという場所、そしてそこに暮らす人々のイメージがガラリと変わりました。
多くのパレスチナ人は、イスラエルによるコミュニティの分断、入植による土地の強奪、そして入植地との間につくられた高い壁に悲しみつつも、暴力でなく、平和な考え方で乗り越えていこうとしているのです。「Impossible is nothing.(不可能なんてありえない)」、そう信じて、自国で平和に暮らせる未来をつくるべく奔走しています。
この度、アワッド氏は「しあわせの経済」国際フォーラム 2019に登壇するべく来日。フォーラム以外にも、「ゆっくり小学校」が日本各地で主催するイベントにも出演し、非暴力な社会活動による平和実現を訴えました。
「ほしい未来は自分でつくる」
「断絶された関係から、いかしあうつながりを取り戻し、暮らしを紡いでいく」
これから紹介するアワッド氏の話は、グリーンズのビジョンとも多く重なります。「パレスチナのガンディー」と呼ばれる彼が話す、平和な未来のつくり方。ぜひ「遠い国のこと」と思わずに読んでください。
非暴力活動家。叔父に影響を受け、非暴力活動に携わる。「Holy Land Trust」を1998年に設立。パレスチナのガンディーと呼ばれる。数々のワークショップやサマーキャンプを主催するなかで、イスラエル占領下での非暴力抵抗の思想と実践をパレスチナ人に伝え続けている。https://holylandtrust.org
ゆっくり小学校は東日本大震災をきっかけに、サティシュ・クマール氏の教育運動に倣い立ち上げた、大人のための小さい学校。経済大国に生まれ育った私たちがこれまで信じてきたような価値観を、一度“アンラーン(学びほぐし)” し、新しい人生観やライフスタイルを“リラーン(編みなおす)”する、学びなおしのプロセスであり、遊び場です。http://yukkuri-web.com/smallschool
パレスチナ人の多くは平和な暮らしを望んでいる
今日は、「来てくださって、ありがとう」。毎度日本に来るたびになにか言葉を覚えて帰るのですが、今回の来日ではこの日本語を覚えました。
最初に、私がどのような活動をしているか、その一部をご紹介したいと思います。まず、私たちパレスチナ人はイスラエルの占領下に生きているわけです。検問や、入植、地域を分断する壁といった不自由を解決しなければいけません。私たちは、そのために抵抗をします。
今回一緒に来日したアグロエコロジストのSaad Dagher(サアド・ダゲール)は、農薬や化学肥料を使わない農法で、パレスチナの休耕地を美しい畑にしていき、ローカルフードを住民が手にできる暮らしをつくりました。それも、彼の抵抗です。
私たちは様々な抵抗活動をしていますが。ほとんどの住民は平和を望み、平和な暮らしをしたいと考えています。パレスチナは、3つの大きな宗教の聖地ですが、紛争が起こる前は、信仰の違う人々も共存し平和に暮らしていたのです。
パレスチナ人に直面する3つの大きな問題
しかし、ユダヤ人がパレスチナに民族国家を目指す動き「シオニズム」が生まれ、1948年にはイスラエルという国家がつくられました。そして対立や軍事占領がすすむなか、1993年、パレスチナとイスラエルは「オスロ合意」に至ります。(*)
(*)オスロ合意で確認されたのは、イスラエルが国家であること、パレスチナ解放機構(PLO)がパレスチナの自治政府であること。そしてイスラエルが占領した地域から、段階的に撤退をしていき、以降の自治はPLOが行うということでした。(参照元: https://ja.wikipedia.org/wiki/オスロ合意)
この「オスロ合意」がなされたとき、私は留学生としてアメリカで暮らしていました。そして、これで世界中の多くの人がパレスチナとイスラエルに平和が訪れると思っていたのです。国家による国際的約束がされ、ふたつの国家の共存が約束されました。そのことに喜びを感じながら、私は平和学の修士号を得て、母国で活躍しようとパレスチナに戻ったのです。
しかし、帰ってみて驚きました。現実世界は全然違ったのです。3つの大きな問題がパレスチナ人の暮らしに直面していました。
1つ目であり、この中で最大の問題が入植です。イスラエルのユダヤ人たちは、入植地をつくるためにパレスチナ人を追い込んで、自然を壊して土地開発を進めていきました。それによって、我々の暮らしと経済を成り立たせていた何千、何万ものオリーブの木が伐採されたのです。そして一度入植されてしまったら、そこに暮らせるのはユダヤ人だけ。私たちパレスチナ人は、足を踏み入れることさえもできません。(*)
(*)占領下のパレスチナへのユダヤ人の入植は国際法違反とされています。しかし、2019年11月19日、米国のポンペオ国務長官は「国際法に違反していない」と発言。トランプ政権がイスラエル寄りの立場を示したことが、現在波紋を呼んでいます。(出典元: https://www.fnn.jp/posts/00427506CX/201911191241_CX_CX)
2つ目は、検問所。私たちの日々の暮らしは、検問とともにあります。昨日、私たちは京都と神戸を車で行き来しました。片道1時間半ぐらいの間、私たちが検問にあうことはありませんでした。しかし、パレスチナではそれはありえないことです。
3つ目の障害は、入植地との間につくられる高い壁です。イスラエルは、治安のために分離壁をつくっているといいます。ここでみなさんに知ってほしいのは、これらの壁の95%が国境の境目でなく、境界の内側につくられているということです。そして私たちは水が貴重な地域に住んでいますが、分離壁の地下にある水はすべてイスラエルに奪われてしまいます。
この3つの問題は、すべて「オスロ合意」の後に起きたことです。私たちは、この20年もの間、何度も交渉しようとしてきました。
分断じゃない、平和で良好な関係をつくりたい。
現在のパレスチナとイスラエルは、同じ対立行動を繰り返しています。毎度、どちらも「今度こそは違う結果が生まれるのでないか」と期待しながら。
政治家たちは、それぞれの国に住む人々の平和をもたらそうと働いています。しかし彼らは、両国を分断することで平和をつくろうとしているのです。
それは私の考える平和とは異なります。私たちは分断して対立するのでなく、お互い良好な関係となった末に生まれる平和こそ目指すべきだと思っているのです。
そのために非暴力活動家として活動しているわけですが、私の活動には3つの柱があります。
第一は非暴力。占領している者、占領されている者。抑圧者と被抑圧者。そして、巨大な権力を持っている人と無力な庶民。この違いを解決するために、世界中で暴力が使われてきました。でも暴力は暴力を生むだけ。だから、私は非暴力を掲げます。
非暴力は手段ではなく、古代から培われてきた叡智です。非暴力はホリスティックな、人間の生活の全体を覆う思想でもあります。
この聖地と呼ばれる地域で、すべての人々が同じ平等な権利を有する。そして国家に関わりなく、ここに暮らす人々が大地からの収穫を受け取る権利を保障する。そして非暴力は、人間がすべての植物・動物と調和した関係をつくりだすことをも目指しています。
非暴力というのは、愛し愛されるコミュニティの創造。恐怖や憎しみではなく、愛によって育まれる、愛を基盤とした生き方。それが非暴力の定義です。
第二は、恐怖にどう立ち向かうか。平和交渉のテーブルにつくリーダーたちも、相手に対する恐怖や不信がもとにあります。
しかし恐怖に基づいて、どうやって平和解決をつくりだせるのでしょう? それは平和ではなく、単なる自分の身を守るための治安でしかないのではないでしょうか。私はここに「オスロ合意」の失敗があると思っているのです。
我々パレスチナ人、そしてイスラエルに住むユダヤ人たちは、ともに大きな傷を負って生きてきた民族です。ユダヤ人はホロコーストと、それに至る長い迫害を受けてきました。そしてパレスチナ人も、1948年以来、迫害と戦争状態を経験してきました。
そんな傷がもとになって、恐怖へと変容しているのです。しかし、恐怖にかられている人が大きな権力を手にしたとき、何をするでしょう。破壊です。イスラエルはその典型なんですね。とても大きな恐怖のうえにつくられた、さらに恐怖を強めるように運営された国家です。だから私の活動の柱は、両国家の恐怖と傷を癒やすことにあります。
イスラエルは恐怖にかられているために、自分たちがパレスチナに何をしているか見えない状態なのです。だからこそ、イスラエルのトラウマを癒やすことが自由への道だと考えています。
第三は、人々の意識を変えること。本当に未来をどうしたいのかというビジョンをつくりだす、そんな指導者たちに変えていくことです。そもそも平和を実現しようとしたら、当事者が平和を望む必要がありますからね。
あなたの決定はどこからやってくるのか?
もしも今、パレスチナの人たちにどんな平和がほしいかと聞いたら、何と答えると思いますか?
どうして、こんな状態になってしまうのだ。
この状況が好転して平和になるのは、不可能だ。
そう絶望している人も多いかと思います。そんな彼らを、どう変えていくか。必要なのは「非直線型思考」です。それを知ってもらうために、みなさんにいくつかの質問を投げかけ、対話したいと思います。
答えは、実は、人間は1日に7万から8万の考えや思いが浮かぶのだそうです。
答えは、いつも何かを決めている。私たちは喋ることを考えながら、次に何を喋るか考えているといいます。
人間の思考と決定について考えてみましょう。私たちはなぜ決定しようとするかというと、何らかの結果を求めているからです。今日一緒に来ているサアド・ダゲールも、結果を導き出すために、アグロエコロジーということを熱心に考えました。その結果、大変な成果を生み出したわけです。こうして、私たちは1日の大半を小さな、大きな決定をしながら生きています。
経験? 心地よさ? メディアからの影響? 親? 文化? コミュニティ? 教育?
なるほど。答えは過去です。たとえばレストランで美味しい料理に出会ったら、また行こうとなりますよね。過去にどんな経験をしたかを判断材料に私たちは、日々の決定をしています。
過去ではなく未来を思い浮かべて、自分の選択肢を見つけよう。
では、ここで考えたいことがあります。
それは過去にあまりにも暗く嫌な経験をしているからです。単に1948年にイスラエルが建国されたことだけではありません、昨日経験した分離壁のある、入植に怯える暮らしもそうです。そういった過去の経験の蓄積が、「平和は不可能」という否定的な眼差しを生み出してしまいます。
私とは過去です。すべての判断と決定は過去に基づいています。しかし、違う可能性もあります。
これまで私たちが繰り返してきた思考は、「直線型」だったのです。過去があって、現在の判断で決定し、それが未来になる。これが悪いと言ってるわけではありません。問題は、この過去があまりにも悲惨で暗いものだとしたらどうかということです。暗い悲惨な過去によって現在が決定されると、その結果、未来も同じことになってしまいます。
でも、私たちがそのことに気づけたらどうでしょう? 私は、そう気づくことがマインドフルだと思うのです。過去を振り返って無意識的に動かされる代わりに、未来を思い浮かべて、自分の選択肢を見つけ出してくる。それがマインドフルで、「非直線型思考」であると思うのです。
過去に敬意を持って向き合う。それによってただ動かされるのでなく、選択の余地を見出して、学んで、現在の判断に活かす。未来とはどうなるかわからないとはいえ、もしマインドフルな思考がなかったら、未来はひらけてきません。
サアド・ダゲールの活動には非直線型思考があります。すべてのパレスチナ人が、彼の推進する、農薬や化学肥料を使わない農業なんて、できるわけがないと思っていました。「絶対にできない」、それが過去からの教えだったのです。だから、彼は決定を過去に流されず未来のために判断する、という決定をしたわけです。
パレスチナに限ったことじゃない。世界中でどんな未来に生きていたいのか。どう次の世代に生きてほしいのか。その未来のビジョンを共につくりだしていく必要があります。このために私たちは、国境を超えて協力をしなきゃいけません。
夢を持ってください。
そしてそれを実現させてください。
高い分離壁によって地域を分断し、コミュニティを、自然を破壊する暮らしは、もう終わりにしよう。お互いが良好な関係を取り戻し、暴力を伴わないコミュニケーションで、平和な未来を自分たちの手でつくっていこう。
そんなアワッド氏のメッセージ、あなたはどのように受け取りましたか? きっと単に「遠い国のヒーローの話」とは思わなかったはずです。
僕はまず、過去から現在の判断を決めるところから、どのように未来を見据えた決定ができるようになるか、思考のトレーニングを始めたいですね。アワッド氏が教えてくれたことは、パレスチナだけでなく、「日本の地域をコミュニティという単位でどう良くしていくか」という話にも有効なはず。そして僕が素晴らしいと思うのは、彼のメソッドは、単に”平和な未来”をつくるだけでなく、自然と人が共存できる持続可能な未来をもつくりだせるということでした。
過去を胸に秘めつつ、自分の身の回りのヒト・モノ・コトとどんな未来を共に見れるだろう。その未来を実現するために、日々の小さな決めごとを観察し直してみる。そんなことから始めてみませんか?
(編集協力・写真提供: ゆっくり小学校・上野宗則)
(写真提供: 奥留遥樹/Haruki Okutome)
(通訳: 辻信一)
(編集: やなぎさわまどか)