あなたは子どもの頃、どんなまちで育ちましたか?
私の幼少期は、近所に「いつも声をかけてくれるおばちゃん」や「強面だけど優しいおじいちゃん」がいて、かわいがってもらったり、たまに叱られたり。果物畑が多い村だったから、収穫したての果実をもたせてくれる、ということもありました。
ところが子どもを取り巻く環境はこの数年で大きく変わり、私がしてもらったような、昔ながらの「ちょっとおせっかい」な関わりあいの中で子どもが育つ環境は少なくなっているように思います。
そんな中、私が4年前まで所属していたNPO法人シミンズシーズ(以下、シーズ)が、まちのみんなで子どもを育てる“まち保育”を通じ人と地域をつなぐ拠点「かわのまちほいくえん」をスタートしました。入居するのは「かわのまちビルディング」。兵庫県加古川市の古い商店街の一角のビルをリノベーションしたこの建物では、保育園だけでなくコワーキングスペースも営業しています。
シーズは「シミンの自律と自立を支援する」をミッションに兵庫県東播磨地域で活動する中間支援組織です。私がいたころは、公共施設の運営をメインにシミン(市民)主体のまちづくりの機会を提案していましたが、なぜ今、まちの中に新たな活動拠点をつくることになったのでしょうか。運営する阪口努(さかぐち・つとむ)さんと柏木輝恵(かしわぎ・きえ)さんにお話を聞いてきました。
兵庫県加古川市出身。NPO法人シミンズシーズ常務理事。法人全体のマネジメント、人材育成、地域組織の運営支援、事業企画などに従事。数年前から寺家町商店街でコミュニティスペース「00」を運営するなど、ローカルなまちづくり事業を模索。商店街の役員も務め、まちの人たちとの信頼関係を築いてきた。
兵庫県明石市出身。NPO法人シミンズシーズ事務局長。大学休学中にフランスに留学したことをきっかけに、自身のアイデンティティやその源泉としての地元を見直すように。企業での就職を経て地元のまちづくりに関わるシミンズシーズに転職。団体の運営支援、各種事業の企画実施、学校等での講師等幅広く従事。「かわのまちほいくえん」のマネジメントも担当。
かわのまちビルディングをのぞいてみよう!
兵庫県加古川市は、一級河川「加古川」が流れるまちです。「かわのまちビルディング」は、加古川駅の近く、かつて西国街道の宿場町として栄えた寺家町商店街の一角にあります。
この商店街の入り口から3分ほど歩いたところに2021年オープンしたのが、かわのまちビルディング。1階は企業主導型保育園「かわのまちほいくえん」、2階はコワーキングスペース兼レンタルスペース「かわのまちリビング」です。
保育園の扉の向こう側には、子どもたちの姿が見え、笑い声が聞こえます。中に入ってみると、給食室の窓もガラス。建物の中も外も、壁がほとんどありません。
柏木さん 普通、保育園は不審者対策や安全対策で、ここまで中が丸見えになるつくりにしないと思うんですけど、オープンになっているから「子どもたちがいる場所だ」と地域のみなさんが気にかけてくれます。
保育園の横にある階段を上がると、2階にはコワーキングスペース「かわのまちリビング」があります。
入ってすぐ正面には、むかし懐かしい駄菓子コーナー。その隣に、誰でも本棚オーナーになれる私設図書館や、カフェスペースがつづきます。
コワーキングスペースとしての利用以外にも、図書コーナーの本を読んだり、親子が保育園のお迎え後の時間を過ごしたり。夏休みには、宿題をする学生の姿も見られるそうです。
阪口さん コワーキングスペースだけど、あまり静かじゃないんです。イベントがあったり、地元のアーティストが歌を歌ったりしてね。人の空気を感じながら過ごせる、みんなの“リビング”になっていけばいいなと思っています。
商店街の中に、子どもが日常をすごす「くらしの場」を
2002年、市民による主体的な活動のネットワークや活動支援の必要性を感じて加古川市で設立されたのがシーズの始まり。様々な課題があふれる地域社会において、市民一人ひとりが社会に対し「責任」ではなく「たのしい」と感じて主体的に関わることが、社会を変える大きなエネルギーをつくり出すと考え、活動しています。
これまで、寺家町商店街からも近い場所にある公共施設「東播磨生活創造センター『かこむ』(以下、かこむ)」の運営や、地域の学校との協働、市民参加の企画・プロデュースなど、「誰もが『市民』という役割を楽しめる社会」を目指し、まちの人たちが地域や社会を「自分でつくる」ことを大切にしながら社会参画をサポートしてきました。
数年前からは、阪口さんを中心によりローカルに踏み込んだまちづくり事業もスタート。商店街の空き店舗を借りてコミュニティスペース「00」を運営し、商店街運営メンバーに加わりまちの活性化について考えてきました。
スペースには「まちに関わりたい」人が集うようになりましたが、運営から3年が過ぎたころ、店舗を借り続けることが難しくなり、移転がきまったそう。
阪口さん そのとき、移転後の新たな展開にむけて、まちづくり事業をシーズから分社化することにしました。不動産取得など、まちづくりのハード面を担うのが「株式会社加古川まちづくり舎」。人材育成や中間支援などのソフト面をするのがNPO法人シミンズシーズ。両輪ですすめよう、と動き出したのが2019年のことです。
移転先として見つかった物件は、商店街の店構えに多い“間口が狭く、奥行きが広い”店舗。「まちづくりの拠点」として何ができるかを考え、保育園という視点が生まれたそう。
阪口さん 加古川駅前は、病院・学校・商業施設が集まり、コンパクトシティのようなつくりをしているけれど、子どもの姿が少ないんです。まちの人たちのコミュニケーションの活性化を考えると、商店街に子どもが集まる機能を整備するのがいいな、と。
柏木さん 法人内でもちょうど活動支援の在り方として裾野を広げよう、という話をしていて。今まで公共施設やコミュニティスペースの運営を通して、すでに活動している人たちが集まる場所はつくれていました。ただ、法人のビジョン「誰もが市民という役割を楽しめる社会」のためには、まだ活動していない人たちとのつながりも持っていかないといけない。
まちと関わる活動は基本的に非日常なものだと思うんですが、日常の延長線上にある活動の支援が必要だと思っていて。保育園は、子どもにとっては「くらしの場」。そこからつながりをつくっていくことが必要だな、と。
商店街の人たちからは「子どもが来るのはええこっちゃ!」と歓迎してもらえたそう。構想から約2年。2021年6月にかわのまちビルディングがスタートしました。
まちの人と、毎日をつくる保育園
かわのまちほいくえんの理念は「まちの人と毎日をつくる保育園」。子どもたちのくらしには、人との関わりがあふれています。凧づくりや折り紙を教えてもらったり、近くの製麺所に給食の材料を買いに行ったり。まちの人たちも、子どもたちの姿を見かけると声をかけにきてくれるそう。
柏木さん 子どもが日常にいるということで、周りの商店街のみなさんが気にかけてくれます。この間も近所の方が「ザクロなんか最近の子はみたことないやろ〜」と持ってきてくれて。子どもたちも、お散歩中に立ち寄ったりおつかいにいったりしています。
かわのまちほいくえんでは、子どもたちが社会とつながる中で育つことを大切に考えています。
柏木さん 変化の激しいこれからの社会で、人とのつながりが子どもたちの頼りになっていくと思うんです。核家族化している今、知っている大人が両親と先生だけということも多いですが、自立していくためには“依存先を増やしていく”ことが大切。子どもたちには、人生の土台である0歳〜6歳の間に、色んな人に頼っていい、聞いていいという経験をしてもらいたいと思っています。
だからこそ、子どもたちにもまちの人にも、お互いの姿が「見える」ことを大事にしているそう。
柏木さん 子どもたちを狭い空間に閉じ込めていちゃだめだって思うんです。「閉ざす=分断する」から、人が見えなくなって問題が起こる。プロセスや人が見えることを大事にしたいんです。
ごはんだって、子どもたちにとってはつくってくれる人がいていただく、ということが大切で。つくる人も、日々笑ったり泣いたりしている「あの子」のためにつくることや、顔をみて「おいしかった」と言ってくれることが嬉しかったりします。
そういうプロセスが見えることで、子どもたちは社会とのつながりや人の関わりを感じて「自分がどう生きていくか」を早くから感じられると思うんです。そのつながりが、まちにとっても、子どもたちにとっても大切だと思っています。
“コーディネーター”の力をいかす
普段の生活も、季節の行事も、大事にするのは「まちの人たちと一緒にしていく」こと。昨年の夏には、コロナ禍でなくなってしまった縁日を子どもたちに体験させてあげたい、と保育士から声があがり、「かわのまち夏祭り」を開催したそうです。一般的に保育園の行事は、保育士たちが必死に頑張るイメージがありますが、かわのまち夏祭りの場合は逆だったといいます。
柏木さん 小学生から大学生までのお兄ちゃんお姉ちゃんたちが、お手伝いにきてくれて、縁日の出し物や片付けを楽しんでやってくれました。商店街の縁日でつかう予定だった出し物をご近所のお店から貸してもらって、子どもたちはリサイクル着物店の方が寄付してくれた浴衣を着て楽しみました。
たくさんのボランティアスタッフと一緒につくった夏祭り。終わってからは「こんなに普通に行事を楽しめたのは、はじめてです」という声が先生から聞かれたといいます。
柏木さん 私が保護者として子どもを認可外保育園にあずけていたときに、先生たちがすごく大変そうだったんです。大変なのに助けを求められなくて、必死で…という状況が感じられて。
でも、「かこむ」には、「子どものためにできることをやりたい!」と言ってくれる地域の人がたくさんいる。外から人に入ってもらっちゃいけない、みたいな空気感が、すごくもったいないと保護者として思っていました。本来、できる人がやりたいときにやったら上手くまわっていくと思うんです。その機会を調整していくのが、私達の役割だと思っています。
シーズが運営する「かこむ」は、「つながる施設」がコンセプト。窓口のスタッフみんなが“コーディネーター”として、傾聴やコミュニケーションスキルを学び、利用者の「こんなことしたい」「こんな人知らない?」という相談に耳を傾け、人と地域をつないできました。
柏木さん 保育園でも、保育士や事務スタッフ一人ひとりが“コーディネーター”として地域とつながっています。元々保育士さんってコミュニケーション能力が高い方たちなので、地域の方とも上手にコミュニケーションをとってくれています。
子どもたちに必要な体験や、こんなことをしたいというアイデアは、「かこむ」で働くスタッフと相談すると、やってくれそうなまちの人の名前がすぐにあがります。シーズのこれまでのネットワークがあってこその保育園だということをスタッフも先生たちも感じています。
子どもたちの園での暮らしも、もうすぐ1年。保育士の先生たちにとっても「まち保育」は初めての経験で、試行錯誤しながらの運営だったそうですが、だんだんと子どもたちからの「こんなことしたい!」という声が増えてきたのだとか。最近は、子どもたちからゴミ拾いがしたい、という声があがり、お散歩にトングを持って行くこともあるといいます。
柏木さん 1年目は、何ができるのかを大人も子どもも知るための時間だったと思います。インプットがあるからアウトプットできると思うので、これからは、子どもたちの興味から地域資源につながっていくことを増やしていけるといいな、と思います。
自分たちのまちを楽しむ橋渡しを
今後、かわのまちリビングでは、商店街〜加古川河川敷エリアの活性化を考えていくそう。その一環として、まちの人と一緒につくる「コミュニティ農園」づくりがスタートしました。商店街のすこし先、重機も入らない・建て替えもできない路地裏の空き地を、誰でも使える「コミュニティ農園」として活用するプロジェクトです。
阪口さん ここら辺には、空き地や、持ち主も持て余している場所、空き店舗が結構あります。そんな場所の有効活用の一例として、保育園の子どもたちもまちの人も使える農園づくりをはじめました。かわのまちリビングの利用者さんも運営に加わったり、植木鉢や栽培用の袋なんかも近くのお店の方が資材を寄付してくれたり。みんなでつくっています。
阪口さん まだ、一気に空き店舗活用がすすんだり、お店が増えたり、というわかりやすい変化はありません。けど、まちの人が子どもの存在を気にかける空気や、まちと大人が接点をもつ機会はうまれています。いろんな人が交わって、まちでの暮らしを楽しむ橋渡しをしていきたいですね。
取材のあと、農園まで案内してもらいました。商店街を覆うアーケードを抜けて、おとな1人が通れるほどの路地を進むと、コンクリートの空き地が。鉢からはチューリップやレタスが顔を出しています。
農園からの帰り道、柏木さんが自身の体験を話してくれました。
柏木さん フランスに留学したとき、海外の人は自分が生まれ育ったまちのことを自信満々に話しているのに、自分も含め日本人はどうだろう? と感じたんです。
生まれ育ったまちも自分をつくるアイデンティティの一部で、「私の大事な場所だ」と思えると、自分をも大事にする気持ちや自信につながるのかも、と思うようになりました。まちの人とのつながりの中で育つことは、子どもたちの生きる土台になっていくと思うんです。
私がシーズのスタッフとしてコミュニティスペース「00」の運営に関わっていた4年前。手探りだったまちづくり拠点の運営は、1人も人が来ない日もあったし、していることがまちの活性化につながるのか半信半疑になるときもありました。
ところが今、あの頃「00」で出会った人たちは、まちの一画でスペース運営をはじめたり、イベントを主催したりしてまちに関わっています。
一人ひとりの「したい!」「たのしい!」という気持ちを大切に、シーズがまちの人や場所をつなぎながら長年まいてきた「シミンのタネ」は、すぐに変化が見えなくても、人の視点をかえ、まちや社会を自分たちで楽しむ風土をたしかに育てていると、久しぶりに商店街をゆっくり歩きながら感じました。
まちの人たちに愛でられながら育った子どもたちは将来きっと、この商店街を誇りに思い、アーティストと絵を描いたこと、まちの人と野菜を育てたことを自慢げに語るのでしょう。そして、まちの子どもたちの暮らしに関わっていくのでしょう。
子どもたちと一緒にまちが育っていく過程には、自分にも関わる余地がある気がしています。
(Text: 佐伯桂子)
(編集: 村崎恭子、スズキコウタ)