「いま、子どもたちの放課後には、大人の見守りが必要です」
とある記事で目にした、放課後NPOアフタースクール(以下、アフタースクール)の代表・平岩国泰さんの言葉に、私はハッとさせられました。
いわゆる“昭和の放課後”は、大人なんて関係なく、子どもたちが公園などに集まって自由に遊んでいるのが当たり前でした。それがいまは、子どもに対する犯罪が多発する“魔の時間”になってしまった……。
その記事を通して、小学生の親としても、子どもの育つ環境を取材するライターとしても、看過できない現実を思い知らされたのです。
しかし、放課後の最大の価値は、子どもが自己決定できる“ゴールデンタイム”であること。大人の見守りは、子どもたちの「自由」を奪うことになるかもしれません。さらにいまは、地域に公園や広場といった子どもの居場所が減り、感染症対策も欠かせなくなり、子どもにとっては制約だらけの社会。大人の見守りと子どもの自由を両立することは可能なのでしょうか。
そんな問いを携えて私はアフタースクールの現場を取材し、代表・平岩国泰さんへのインタビューも行いました。
去る2月26日には、平岩さんに加え、神奈川県逗子市で子どもたちとともに足下の自然を遊びぬく地域コミュニティづくりを行う「そっか」の小野寺愛さんをゲストに迎え、本テーマを掲げたオンラインイベントも開催。海外からの参加も含めた100人以上の方々とともに、“放課後”をテーマに語り合いました。
実践者の声を聞き、現場を体感した私がいま、確信している結論のようなもの。それは、
どんな制約の中でも、子どもの自由な放課後はつくれる。
ということです。この記事では、数々の取材から私が受け取った「自分のまちで放課後づくりを始めるための5つの実践的ヒント」を、みなさんに共有します。
ヒント1: 子どもの声を起点にする
「子どものために何かしたい」と思っているのに、大人だけで会議室にこもって話し合っている……。これ、笑い話のようで、実はありがちな光景だったりします。「子どもが喜ぶだろう」と大人が思い込んでいるだけで、本当は的外れなこともあるかもしれません。何を始めるにしても、まずは子どもの声に耳を傾けることがとても重要です。
全国の小学校を舞台に放課後のプログラムを展開しているアフタースクールでは、子どもへのアンケートや「放課後子ども会議」を不定期で実施し、子どもの声を直接聞いているのだとか。
また、プログラムづくりにおいても、子どもの「やりたい!」という声から“市民先生”(放課後にプログラムを提供するまちの大人を指す、アフタースクールによる造語)を探すというプロセスを大事にしています。「子どもがこんなことをやりたいと言っている」と伝えると、市民先生になることを快諾してくださることが多いそう。
平岩さん まずは子どもたちに「何したい?」って聞いてみる。そしてそれを、子どもたちも一緒になってつくっていくことをお勧めします。何かを動かすとき、大人がいくら言っても二項対立になることもありますが、子どもの声には敵いません。
子どものための活動の始まりは、「子どもの声を起点にする」こと。いまの放課後活動を変えたい人も、これから始めたい人も、まず心に留めておきたい、当たり前のようで忘れがちなヒントです。
ヒント2: 小さく踏み出す
子どもの声を聞き、「子どもと一緒にやってみよう!」と思えたなら。まずは欲張らず、小さく始めてみましょう。「自分の子ども」から少しだけ視野を広げて、仲のいいお友達と一緒に楽しむことを考えてみる。小野寺さんは「3家族から」というヒントを教えてくれました。
小野寺さん 「うちの子にだけは良い体験を」と思っているうちは、広まりません。まずは自分が、「私の子ども」から「私たちの子どもたち」を育てよう、と2文字加えて、自分の子どもの仲良し数人に声をかけてみる。ちょっと多めに夕飯をつくって「食べてく?」と誘ってみる。雪山や海に行くなら、「一緒に行く? 数人なら車に乗るよ!」って声をかけてみる。
そんな小さなことからはじめて、お互いに「私たちの子どもたち」って思える親子仲間がまずは3組できたら、何か始められますよね。
いまや子ども大人合わせて500〜600人のコミュニティにまで育った「そっか」の活動も、11年前に海遊びの好きなお父さんが子どもたち8人と始めた活動でした。そう思うと、なんだか勇気が湧いてきます。
また、平岩さんは、こんなはじめの一歩を教えてくれました。
平岩さん 実際にアフタースクールを始めようと思うと、教育委員会や自治体との交渉や予算も必要です。だからまずは地域で、1年に1回でいいから地域の子どもたちを「自分たちの子ども」と見て、何か始めてみるというのが最初のステップになると思います。
平岩さんも15年前、公民館でのプログラムからアフタースクールを始めました。ふたりに共通する「私たちの子どもたち」というフレーズを胸に、まずは3家族で、1年に1回から。そのときのポイントは、「1家族じゃできないことがいい」と小野寺さんは教えてくれました。
小野寺さん 子ども会が日本中どの地域でも活発に機能していた頃に活動していた先輩方に話を聞くと、「自分の家だけじゃできないことができたから、人が集まっていたんだよ」って。バーベキューだったり、餅つきだったり、最初は「1家族ではできなかったことが、あそこに行けばみんなでできる」というきっかけで動き出した。そして楽しい時間と場を共有していくうちに、自然と「私たちの子どもたちをみんなで育てている」感覚も育まれていった。
ところが、いまバーベキューは一家に一台の時代になってしまった(笑) ならば、「じゃあ、いま1家族だけではできないことってなんだろう?」って考えてみる。味噌仕込みや醤油しぼりなんて最高に盛り上がりますし、海が得意な人がいたらサーフィンやカヌーもいいですよね。最初から「子どもたちのために」だとちょっと重いけど、大人もワクワクする楽しみが真ん中にあると、人は自然と集まってくるのかな、と思います。
子どもが「やりたい!」と言っても、自分の家族だけではできないこと、ありますよね。そんな子どもの声が実は、子育て仲間をつくるチャンスなのかもしれません。友達と声をかけあって、「みんなとだからできた」をひとつ体験すると、世界が違って見えてきそうです。
ヒント3: 教えない、与えない、余白をつくる
さて、実際に子どもたちと活動を始めてみたところ、「あれ? 子どもたち、いまいち楽しめていないかも…」と感じることがあるかもしれません。そんなときは、大人が手を出しすぎていないか見返してみてください。
平岩さんは活動開始当時の失敗談として、こんなエピソードを語ってくださいました。
平岩さん お菓子づくりが上手な市民先生とのプログラムで、先生がすごく準備をしてきてしまいまして。子どもはレンジのボタンを押すだけ、混ぜるだけ、みたいな感じでした。
そうしたらだんだん来る子が減ってきて、子どもに聞いたら「簡単すぎてつまらない」と言われました。段取りしすぎたんですね。私たちはこの経験を「3分クッキングの失敗」と呼んでいるのですが、それ以来、黒焦げになるのも放課後の良さだと思ってやっています。
小野寺さんも大人が手を出すことについて、「余白」という言葉で想いを表現してくださいました。
小野寺さん できるだけ参加の余白をつくること。ニュートンだって、暇で寝転がっていたときにりんごが落ちてきて万有引力を発見したといいます。
どれだけ先生が素晴らしくても、教えてもらってばかりいたら、子どもはインプットだけでいっぱいになっちゃいますよね。「暇だな」「次は何しようかな?」っていう余白の中にこそ気づきがあるし、ひらめきがある。休校になったときも、大人が与えようとしすぎていたことに気づきました。
平岩さん 私も子どもの生活や学校に余白がないのを感じます。学校は、自分で決めることが何もないまま1日が終わることができるシステムなので、私たちの活動では、余白があって選択ができることを大事にしています。
「余白」は、大人にとっても大事なキーワード。何か活動を始めるには、まず大人が日々の暮らしの中に余白をつくる必要があるからです。余白のつくりかたについておふたりにヒントを尋ねると、「毎日が余白」という答えが返ってきました。
平岩さん 私の場合は仕事が趣味みたいなもので、そういう意味では毎日が余白とも言えます。いまは在宅で仕事をする方も多いですし、「暮らしと仕事のバランスが取れるようになった」という声もよく聞きます。時代はまさに余白に向かっていると思います。
小野寺さん 私も同じで、毎日の仕事が余白なのかな(笑) なかでも特に、身体を使うことをもっと大事にしなきゃと思っています。子どもたちは身体を動かして、身体からいろいろなことに気づき、学んでいる。そこには大きなヒントがあるはずです。忙しくても、朝カヌーを少し漕いでみるとか、森の中を歩いてみるとか、子どもと一緒に身体を動かすようにしています。
「毎日が余白」は、ある意味究極ではありますが、最初はふたりもそうじゃなかったはず。平岩さんは、会社員でありながら会社の定休日だった水曜日に活動を始めましたし、小野寺さんも、環境や食に関する世界的なムーブメントを日本に紹介する仕事で活躍していた当時、子育て仲間だった方が始めた「黒門とびうおクラブ」の活動に心惹かれ、保護者として活動を手伝ったことが最初の一歩となりました。
自分が苦しくなってしまっては、本末転倒。いきなり仕事をやめてしまうなど無理をするのではなく、まずは「自分が苦しくならないように」と小野寺さんは言います。
小野寺さん 「そっか」の母体となったのは、放課後の小学生たちの「黒門とびうおクラブ」でした。その発起人・永井巧さんも、とびうおを始めた当初はアフタースクールの職員でもあったんですよね。生きがいとなるライフワークと、生きていくのに必要なライスワークと、最初は両方やって、苦しくならないことが一番大事で。
いま「そっか」は、受益者負担をできるだけ少なくしたいと工夫しながら運営していますが、放課後活動の月謝と保育園の保育料など、生命維持費は絶対にいただいています。
お金も時間も、どこかに「無理」が伴えば、活動は継続せず、幸せな未来を描いて行きにくいもの。まずはいまの生活のなかで始められることを描いてみることが大事なのかもしれません。
ヒント4: 背中を見守る、背中を見せる
子どもと何かをするときは、「教えない、与えない、余白をつくる」。では、実際に子どものとなりにいるおふたりは、何を大事に行動しているのでしょうか。
平岩さん 私たちは「いいところを探す」ことを大事にしています。どの子にも絶対にいいところがあるので、見つけたら言葉で伝える。私は、いいところを見てもらえて自己肯定感が上がっていく子どもたちの姿をたくさん目の当たりにしてきました。学校の勉強の世界だけでは発揮しきれないいいところを、放課後でたくさん見つけてあげたいですね。
また、見守る際には「斜め後ろから」を心がけているのだとか。
平岩さん 前から引っ張ったり上から指示したりするのではなくて、よっぽど危ないこと以外は口を出さずに、斜め後ろから伴走していくようなイメージです。
そして、完璧を目指さない。大人は失敗しない人間を装わなきゃいけないように思っている方もいますが、大人だって失敗します。だから、子どもが失敗したとしても同じ側に立って「自分も失敗するよ、一緒にどうしたらいいか考えよう」と話す。そうすると、子どもは心を開いてくれると思います。
一方の小野寺さんが大事にしているのは、「身の丈+数センチの挑戦」。
小野寺さん 活動の中では、子どもだけでなく大人も、まずはみんなが安心して「その人らしく、幸せである」ことができているかな、と確認しています。
その上で大人にもしできることがあるとすれば、子どもたちがやってみたい “身の丈+数センチ” の挑戦を後押ししてみること。そのための環境を整えること。できることは本当に、それくらいしかないんじゃないかな、と思っています。
さらに「そっか」の活動のこの写真に象徴されるように、大人が自ら楽しみ、遊んでいることも、コミュニティがうごめき続ける大事なポイント。
小野寺さん 子どもに「優しくしなさい」って説教してもなかなかそうならないけど、周りにいるみんなが優しかったら、自然と優しい子どもが育つ。それと同じで、子どもに対して「いっぱい遊んでほしいな」と思ったら、まず大人が遊んじゃう。「自分は本気で遊べているか?」と自分に問うようにしています。
「そっか」では、父母たちのカヌー部、大人のパドリング練習、浜ランニングなど、「大人」主体の活動も次々に立ち上がっているそう。保護者の方が企画した「海の運動会」にはもちろん大人の競技もあり、小野寺さんのスライドからは、子どものとなりで全力で遊ぶ大人たちの様子が伝わってきました。
仕事で忙しく暮らしている方のなかには、自分が「命を燃やして遊ぶ」なんて想像できない!という人もいるかもしれません。そんな人には、小野寺さんのこのメッセージを送ります。
小野寺さん 普段ジョギングしている人も、子どもたちの鬼ごっこにぜひ混ざってみてください。自分ペースの有酸素運動と、子どもペースの全力ダッシュって、ぜんぜん違う。たまに混ぜてもらうと、どれだけ自分の身体が機能していないかわかります(笑) 心から感心して「早いね、君!」ってなれば、そんなやりとりに、子どももワクワクしますしね。
アフタースクールの現場でも、大人の背中を見せることで動き出した子どもたちがいました。
平岩さん 子どもってスタッフの仕事が好きだったりするんですよね。場所の設営や手指の消毒など、スタッフの手伝いをしたがる子どもたちに「一緒にやる?」と声をかけてスタッフをやってもらうことも、ひとつのきっかけになると思います。
なんでも大人が「先回り」するのではなく、あるときは「斜め後ろから」子どもの背中を見守り、またあるときは大人の「背中を見せる」。子どもと大人がお互いの自由を尊重し、一方通行でなく柔軟に関係性を変えていけるあり方が、誰にとっても居心地の良い場を育んでいくのだと感じます。
ヒント5: 広めようと思わず、広まると信じる
さて、活動を始めたら誰しも「この活動を広めたい!」と思うでしょう。そこでぜひヒントにしてほしいのが、小野寺さんの「広めようと思わず広まると信じる。まずは自分たちで圧倒的に面白いことを楽しみぬく」という言葉です。
小野寺さん 法人化したばかりだった5年前、大きなビジョンを描いて「子どもと遊びぬくことで地域をつくっていくんだ!」って行政にも学校にもぐいぐい乗り込んでいったら、正直ポカンとされちゃっていたんですよね。
大失敗したこともあって。親たちで資金を確保して「小学校の校庭を畑にしよう」って、堆肥を入れて、花壇をつくって、野菜の苗をいっぱい植えたんです。でも、ブルーベリーやトマトが実って「食べていいよ」「ご自由にどうぞ」って看板を掲げていたら、校長先生が「やめてください」って。「アレルギーの心配があるので、食べる活動には必ず保護者の印をもらってください」ということでした。
収穫した野菜の調理も、“公平性確保”のためにカーテンを閉めた室内でひっそりと行うよう指示されたり。なんとなく、盛り上がらないまま1年間が終わっちゃいました。
試行錯誤のなかで、公共の場所にいきなりやりたいことを持ち込むと、だいたいそういうことになるって気づきました。言葉を尽くして説明しても、理解の仕方は人それぞれ。時間をかけて、自然と浸透していくのを待つのが大事なんですね。だから、まずは自分たちの場所で、小さくてもいいからモデルをつくる。自分たちで圧倒的に面白いことを楽しみぬく。「広めよう」と思わずに、いつか「広まる」んじゃない? というような気持ちで。
そうするようになってからは、逆にいろいろなところから「一緒にやりましょう」と声をかけてもらえるようになってきた気がします。いまは市長や市の広報、観光協会などとも協働させてもらっています。
平岩さんも、最初の公民館の活動からの広まりを「和食の料理プログラムをやっていたら、『お菓子やる?編み物やる?』って参加者から次々にプログラムの提案が出てきて、わらしべ長者みたいに広がっていきました」と語りました。
「広めよう」と意気込んでいるうちは、案外広まらないもの。肩の力を抜いて活動を楽しむことで、「楽しい!」は伝播していくのかもしれませんね。
持続可能な活動のために……上級編
さて、ここからは「広まる」ステージにおいて役立つ上級編です。大事になってくるのは、関わってくださる人々との意識の共有。想いをひとつにし、ともに活動をつくる仲間になってもらうために、心がけるべきことはあるのでしょうか。この問いに対して小野寺さんは、「そっか」で実践している具体的な方法論を聞かせてくださいました。
小野寺さん 活動が大きくなってくるといろいろな人がいます。みんなで地域の子どもたちを育てようという文化を、最初から「面白い」と参加してくれる人もいれば、お金を払って対価を受ける習いごと的な感覚で「その素晴らしいサービスをうちの子どもに」って捉える人も当然います。
同質な人ばかりじゃ活動も閉じてしまうし、いろいろな立場の人がいていいんです。でも「思っていたのと違う」と捉えられると申し訳ないから、入会のときに、丁寧に話をするようにしています。
「そっかで目指しているのは、みんなで地域の子どもを育てていくこと。衣食住のすべてをお金を払えば買うことができる便利な社会で、あえて自分たちで “食べて、作って、遊ぼう” ということをしています。とくに子育てについては、消費者であることをやめて、参加者でありたい。コーチや先生に託しっぱなしではなく、父母も一緒にみんなで、子どもが育つ環境づくりに関わっていけたら」と話をしています。
「消費者をやめて参加者になる」。かつて、小野寺さん自身も自分が子育ての消費者になりかけていると感じてドキっとした体験があるそう。この言葉は参加者の心に強く刺さったようで、チャット欄も盛り上がりました。
そういった価値観の共有が前提としてあるからこそ、「そっか」は子どもと大人、スタッフと参加者の境界のないコミュニティとして回転し続けているのだと感じます。
そしてもうひとつ、参加者からの質問が多かったのが、リスク管理について。自由を保障し、子どもの声を聞けばきくほど、リスクは高くなるでしょう。すると、小野寺さんは「私たちの活動、危なそうですからね(笑)」と笑いながら、入会時のコミュニケーションにおけるヒントをくれました。
小野寺さん 基本的なスポーツ傷害保険は、子どもたちもスタッフも全員入っているんですけど、それは最低限のものでしかなくて。どちらかというと、コミュニケーションを大事にしています。
「うみのこ」の入園説明会では、「喧嘩も、挑戦も、ある程度までは見守ります。だから、擦り傷は日常茶飯事。骨折をすることだってあるかもしれない」と伝えています。リスクの管理は大事だけど、そこだけに囚われていると、子ども自身が危険を感じて判断する機会も奪ってしまう。
細胞の一つひとつが喜ぶような、“身の丈+数センチ”の挑戦も、難しいかもしれない。「骨折まではOK」は極端な例ですが、そういった前提を親御さんと共有できていないと、思い切った保育はできません。
一方で、スタッフに関しては、しっかりとした話し合いを繰り返していると小野寺さんは表情を引き締めつつ、続けます。
小野寺さん 親御さんにはそう伝えますが、スタッフ間で「命より大切なものはない」という話は再三しています。万が一の機会に、救急車が到着するまでのスタッフの動き、海や山でのファーストエイドはもちろん、ライフセービングの初歩の資格なども取得しています。
続いて平岩さんも「安全が最優先」であることを主張します。
平岩さん 我々も、スタッフはリスク管理のプロフェッショナルであるべきだと思ってやっています。それでも小さな怪我はよくありますので、安全確認や研修を繰り返しています。でも「あれもダメこれもダメ」と言い過ぎないように。そのバランスで成り立っている感じです。
何よりも大事な「いのち」ということ。その意識もかかわるみんなで共有し、それでも大事にしたいことを守り続ける。コミュニケーションを丁寧に繰り返すことで、地に足の着いた持続可能な活動へとつながっていくのだと感じました。
いますぐ、だれでも、できる。
平岩国泰さん、小野寺愛さんから受け取った実践的5つのヒント+上級編、いかがでしたでしょうか?「情報過多で頭がパンクしそう!」という方もいらっしゃるかもしれませんね。
全部をいっぺんにやろうとしなくてよいと思います。まずは「子どもの声を聴く」だけでも、始めてみてください。行動力のある平岩国泰さんだから、自然環境に恵まれた逗子だから、みんなの人気者の小野寺愛さんだから、ではなく、「私にもできる」。この記事が、そんな気づきのきっかけになればうれしいです。
記事の最後に、これから一歩を踏み出そうとするみなさんへ向けた、平岩さん、小野寺さんからのメッセージをお届けします。
小野寺さん イベントに参加した人やこの記事を読んだ人が、「放課後NPOはいいな」「そっかは楽しそうだな」で終わらず、自分の場で何かはじめるヒントになれたらいいなと思って、今回参加しました。
小学生が学校にいる時間って、1日のうち17%だけなんですって。33%は睡眠。残りの50%は、実は学校外の地域や家で過ごしているんですよね。子を思う親は、「学校が変わってくれないかな?」と考えがちですが、学校の先生たちはすでに、17%の中で最大限に頑張ってくださっている。むしろ考えるべきは、「その50%で、自分に何ができるか?」。
この問いをみんなで共有して、「やってみたらこうだったよ」ということも共有し続けられると日本が変わって行くのかな、と思います。自分がやってみたことを、Twitterで「#放課後をゴールデンタイムに」というハッシュタグをつけて、今後も共有していきませんか?
平岩さん 放課後という時間はたっぷりありますし、価値ある時間だと思うんです。学校は決められたことをしっかりやる場所ですが、いまは不確実な時代に入っていて、自分で考えて自分でやることが、いままで以上に重要になってきています。ということは、放課後が更に重要な時間になってきていると思うんです。
平岩さん みなさんに必ずできることがひとつあります。「放課後は価値ある時間だよ」と言っていただくことです。まだまだ社会にはこの認識が薄くて、私たちも力不足を感じていますが、「放課後は価値ある時間だ」ということをみなさんの頭にインプットしていただいて、できれば誰かに伝えていただければ、徐々に広がって放課後が子どもたちの手に返って行くと思います。みなさんもぜひ、“放課後の伝道師”になってください。
ハッシュタグ「#放課後をゴールデンタイムに」をつけてつぶやくこと、「放課後は価値ある時間だよ」と誰かに伝えてみること。最後におふたりが教えてくださったのは、本当に簡単な、この記事を読んだ人なら誰でも数秒でできる小さなアクションでした。
何か感じるものがあったのなら、ぜひこの記事をシェアして伝えてください。子育ての消費者から参加者へ。その一歩は、いまこの瞬間にも踏み出せるのですから。
放課後を、ゴールデンタイムに!