『生きる、を耕す本』が完成!greenz peopleになるとプレゼント→

greenz people ロゴ

守りたい原風景を共有できていれば、環境教育なんて要らない。海好き親子コミュニティから、まちの文化へ。コロナ禍でも蠢き続ける逗子市「そっか」と小野寺愛さんの現在地。

今から約1年前、2019年10月に小野寺愛さんインタビューをしてから、社会は大きく動きました。

強力な感染力を持つウイルスが広がり、突然学校が休校となり、人と人の距離を取らなければいけなくなって、遠くの親戚や友人にも逢いに行くことが難しくなって……。

当時のインタビューで小野寺さんは、グローバルからローカルへと活動のフィールドを大きくシフトしたご自身の歩みをたどりながら、逗子のローカルコミュニティ「そっか」をあたため続ける思いを聞かせてくれました。

あらゆるコミュニティがこれまで通りのかたちでは継続できなくなった今、小野寺さんは何を思い、どんな世界を見ているのだろう。逗子の仲間たちと育んできた「そっか」のコミュニティは、どうなっているのだろう。私は今改めて、彼女の言葉を聞きたいと、心から思いました。

子どもも大人も足下の自然のなかで遊び尽くす活動を展開する一般社団法人「そっか」。2016年7月の設立以降、小学生の放課後クラブチーム「黒門とびうおクラブ」(2010年〜)、海をフィールドにした自主保育「海のようちえん」(2011年〜)といった既存の活動をベースに、2017年春には活動拠点として「海のじどうかん」を立ち上げ、子どもがシェフになって運営も行う「逗子こどもレストラン」もスタート。2019年4月には認可外保育施設「うみのこ」を開園するなど、活動の幅は着実に広がり、今や「そっか」コミュニティに関わる子どもの数は、200人以上にもなるのだとか。Photo: Yo Ueyama

とはいえ、以前のように保育園「うみのこ」の中に立ち入ってお話を聞くことはできない。一緒にごはんを食べることも、ためらわれる。

それなら、山に登らない?

小野寺さんの誘いに頷き、背中を追いかけ、たどり着いた山頂からは、いつもの逗子の海、そして富士山が顔を出していました。森と海の間の場所、と言ったら伝わるかな。

木の根っこに腰を掛け、小野寺さんが持ってきてくれたコーヒーをいただきながら、私は「愛ちゃんのコロナ禍での心の動きを聞きたくて」とリクエスト。

カメラマンさんからは「取材じゃなくて“お茶会”だね」と毎回笑われてしまうけれど。でも、そんなわたしたちの関係性が紡いだ記事を、今回も読者のみなさんにお届けします。この記録がきっと、誰かの心を照らしてくれると信じて。

子どものとなりで生きるすべての人へ、コロナ禍で生きる小野寺愛さんの言葉を贈ります。

小野寺愛(おのでら・ あい)
 一般社団法人そっか共同代表。Tokyo FM「サステナ*デイズ」パーソナリティ。日本スローフード協会三浦半島支部代表、エディブル・ スクールヤード・ ジャパンアンバサダー。大学卒業後、就職した外資系証券会社をドロップアウトしNGOピースボートに16年間勤務地球一周の船旅で環境教育・ 平和教育プログラムを担当する中で「グローバルな課題の答えはローカルにある」と気づき、現職に至る。2017年に活動拠点として「海のじどうかん」を開設。小学生放課後の「黒門とびうおクラブ」、認可外保育施設「うみのこ」、規格外野菜の買取り活動「もったいない野菜基金」などに取り組むかたわら、2020年からは毎週木曜日、Tokyo FMにてSDGsを発信するラジオ番組「サステナ*デイズ」を担当。趣味はカヌー、畑、おせっかい。三児の母。1978年生まれ。上智大学卒業。

3月。眼の前には、希望しか見えていなかった。

3月は希望しか見えていなかったんです。こんなに子どもたちってすごいんだ! って。

遠くに海を見つめながら、小野寺さんは全国一斉に休校になった3月初旬の頃を振り返り、こう切り出しました。長女・桃さん(当時6年生)、次女・杏さん(当時小学4年生)、長男・玄くん(当時年中さん)、夫の大悟さんとともに逗子市で暮らす小野寺さん。休校になった娘さんたち、そして「そっか」コミュニティの子どもたち(幼児〜中学生)の様子を本当にうれしそうに語ってくれました。

学校が休みになって、子どもたちが毎日海に集合していてね。1日に何本もカヌーを出して練習したり、自分たちでニッパーボードを出して乗ったり、浜にネットを用意してバレーボールをやり出す子もいたり。毎日が“海の運動会”みたいな感じで、本当に楽しくて。

私自身は仕事もあって海に行けたのは2日に1度くらいだったんですけど、交代に子どもを見守ることも自然にできていて。お父さんお母さんが立ち話している横で、子どもたちが自由に遊んでいる、そんな光景を見ているのが本当に幸せでした。

「でも……」と、少し遠くに眼を向けた小野寺さん。「かつての自分がいた場所にいる人々のことも感じていた」と続けます。都内で幼い長女・桃さんと暮らしていた小野寺さんが逗子へ移住したのは、自分のなかの、ある気持ちに気づいたからだったそう。

東京で夫婦ともにフルタイム勤務をしていて毎日が忙しいなかで、あるとき、ハッとしたんです。衣食住のすべてが、お金を払えば手に入る便利な世の中で、いつの間にか子育てまでも「(お金を払って)できるだけいいサービスを得よう」という気持ちを持っている自分に気づいてしまって。

本来は衣食住も子育ても関係性のなかで、自分たちでするものでしょう? 時間はかかるし、面倒かもしれないけれど、そこに幸せがあるのに。暮らすこと、生きることをもっとちゃんとやっていきたいと思って、逗子に来ました。

だから休校になったとき、都内で苦しんでいるだろう人の気持ちもわかった。眼の前の幸せな光景に感謝しながらも、東京の共働きの人たちのどうしようもない大変さも頭の隅で感じていて、いろいろなことを考え始めていました。

3月といえば、ニュースには学校や公園という居場所を失った子どもたちの様子が映し出され、母たちの悲鳴にも似た叫びが報道されていた頃。

眼の前の幸せと、かつて自分のいた場所の困難な光景と。小野寺さんはそのどちらも自分事として受け取っていた、当時の複雑な心境を明かしてくれました。そしてウイルスという恐怖は、小野寺さんの大好きな光景までも奪っていったのです。

無用な分断、自粛警察…。
4月、初めて海へ行かない日々。

4月7日、緊急事態宣言。3月に見ていた幸せな光景を、ただ「幸せ」と言っていられない状況が、逗子のまちをも飲み込んでいきました。

人数を減らして距離を取りながら続けていた「黒門とびうおクラブ(以下、とびうおクラブ)」(※1)の活動も、緊急事態宣言の発令が囁かれはじめた3月末には、4月からの活動休止を決定。3月30日、小野寺さんとともに「そっか」の共同代表を務める永井巧さんは、「つながっているから距離をおこう」と題し、こんなコメントを発表しました。

(※1)逗子海岸とその周辺で、四季を通じて放課後に遊びつくす小学生のクラブ。カヌー、SUP、サーフィンを楽しむ他、まちの水源探しの冒険や、トレイルランニング、クライミングなど、自然の中でとことん身体を動かす。2020年11月現在、約150 人の子どもたちとその家族が参加している。

(前略)
嵐の中にあっても、ぼくらは大きな海に浮かぶこと気持ち良さ、砂の温もりと夕陽の美しさ、いつまでも遊びつづけられる子ども達の姿、いつでも心の中で見て、感じることができます。

いつか嵐は過ぎ去っていきます。でも、嵐の中にあっても、楽しく、気持ちよく、そしてあたたかに過ごしていきましょう。
(※)そっかより「みんなへのメッセージ」

とびうおクラブの活動の様子(2019年10月撮影)。緊急事態宣言下の4月は、海から子どもたちの姿が消えていたそう。

そして小野寺さんは逗子に移住して11年目にして初めて、海に行かない1ヶ月間を過ごしました。その背景には、都内から海を求めて来る人たちのニュースが伝わりはじめたことによる、海をめぐる空気感の変化があったそう。

「そんな海なら行きたくない」という感覚でした。

報道が出はじめた頃から、逗子市の職員さんが毎日巡回して、「海に来るのを控えて下さい」、「長時間滞在しないで下さい」って言っていて。地元の人のなかにも、自粛警察みたいな動きをする人たちが出てきてしまったんです。

「なんで海に行けないんだろう」って、子どもみたいに落ち込んでいました。

小野寺さんが行きたくないと感じた“そんな海”の空気は、同じく海の近くで暮らしている私には、手に取るようにわかります。海岸には札が下がり、パトカーまで停まっていて、私たちにとっての“いつもの場所”が十分な説明もなく奪われてしまったという喪失感に加え、考え方の違いによる分断を感じて…。私もやはり、海から足が遠のいてしまいました。

4月、海岸沿いのサイクリングロードには、こんな札が随所に貼られていました(2020年4月26日、茅ヶ崎海岸にて筆者が撮影)

あの時期の、必要なソーシャルディスタンスには納得していました。でも冷静に考えれば、海は広くて、距離を取ればみんなが健やかに過ごすために適した場所でもあったはず。なのに、「全部ダメ」とされてしまうのは理解できませんでした。

自粛警察も、本当に辛かった。「私は自粛しているのになんで都内の人が海に来るの?」って言う地元の人もいて、無用な分断が生まれていた。もしかしたら市外の人も、本当に辛いなかで、誰にも接触しないように気をつけながら、ほんの一瞬だけ海が見たかったのかもしれないのに。

それぞれが必要な距離を取りながら心地よい生き方を探し、支え合いたい局面だったはず。なのに、人のあり方について口出し合戦になっていたことは、辛かったです。

学校教育だって、すべて休校にしてしまうのではなく、教室から出て十分な距離を取れる野外で授業をするという方法もあったはず。新たな制約のなかでクリエイティブになることができないのは、「子どもを真ん中に考えている人が少ないからではないか」と、悶々としながら過ごしていたそう。

そんな小野寺さんの心に再びあたたかな灯をともしたのは、やはり海、そして子どもたちの存在でした。

5月。「自由にしていい」で明るみになった教育の限界。

5月に入り、愛さんは友人であり教育研究者の鈴木大裕さんとともに、コロナ禍の子どもたちの姿について語り合ったそう。鈴木さんは、米国で教育学を研究後、高知県土佐町に小中学生のお子さんと家族とともに暮らし、町議会議員としてもご活躍の方。ふたりの眼には、全く異なる子どもたちの姿が映っていました。

彼は、「休校になって最初の2週間は親子で戸惑った」と言っていました。何もしようとしない子どもたちの姿を見て、「自分だったらやりたいことなんていくらでも思い浮かぶのに、子どもがそうじゃないのは、日本の教育と子育ての限界だったんじゃないか。自分も突きつけられた」と話してくれて。

今までは学校で先生たちが指導してくれるからある程度受け身でいられて、放課後も習い事だらけ。それが全部なくなったとき、すぐには「好きなことしよう」と動けず、多くの親子は迷子になっちゃったんですよね。

一方で、小野寺さんの眼の前にいる逗子の子どもたちは、海が奪われてしまった4月も、自分たちの意志で動き続けていました。

親である私が「子どもの行き先、どうしよう」とソワソワしている間に、小5〜中1の子どもたち5人が、“トレラン部”をつくって逗子の山を走り出したんです。毎日のように、2〜3人ずつ交代で。そこに私の次女も入っていました。自分たちでロープまで持ち歩いて2メートルを測って、しっかりソーシャルディスタンスを取りながら(笑)

しかもね、「山を走るのは、密を避けるために3人ずつ」をルールにしたら、待機組の子たちは「ヒマだから耕すか」と、集合場所だった私の家の庭を耕しはじめたの。裏山の竹薮を開いて、自分たちのトレイルまでつくり出して。

切った細い竹を処分しようとまとめているときに「あれ?これ、エコ支柱になるんじゃない?」と気づいて長さを揃え、支柱をつくった切れ端部分も「こっちはエコストローになるね」と、熱湯消毒処理して、販売まで始めました。売上は、トレラン大会の遠征費にしよう、って。

毎日のように逗子の山を走り始めた“トレラン部”の子どもたち

「制限があるなかで、自分たちで考えて自分たちで動き出す様子が、まぶしくて」と、小野寺さんは眼を細めます。更に彼らの心を盛り上げたのは、そんな子どもたちのことを「いいね、いいね」と見守っていた外遊びが大好きな大人たち。1ヶ月に160キロ走るトレランレースの情報を伝えると、「やる! 1日8キロくらいなら余裕でしょ! 」と、即答。毎日地道に走り抜き、結果的にかなりの好成績をおさめたのだとか。

この時期にラジオ(※2)で五味太郎さんにお話を聞いたんです。「子どもたちにできることは?」という問いに対して、五味さんは「ほうっておいてあげてください」って真っ先に答えてくれました。これまで、子どもの時間の過ごしかたを大人が決めすぎてはいなかったか?大人が子どもに「教え」すぎて、自分で発見する機会を奪っていなかったか?ということを、突きつけられました。

子どもが育つには3つの間(時間、空間、仲間)が必要だって思っていて、「そっか」の活動ではそれを大事にしてきました。この時期の子どもたちの姿を見て、いろいろな人と対話して、その思いがどんどん深まっていきましたね。

(※2)小野寺さんがパーソナリティを務めているTOKYO FMの番組「サステナ*デイズ」(毎週木曜11:30〜13:00)では、毎回SDGsにつながるトピックスを掲げてゲストに話を聞いています。

一方で小野寺さんの長女は、ずっとギターに没頭し、Instagramでの配信もはじめたそう。お昼ご飯とおやつをつくり、洗濯物もしてくれる彼女たちの姿に、小野寺さんは感激しっぱなしだったのだとか。

「自由にしていいんだよ」と言われたときの子どもたちの過ごし方は、一人ひとり全然違うんです。こんなにも違う子どもたちを朝8時から3時まで同じことをさせるんだから、学校も先生も大変に決まっていますよね。

先生はがんばってくださっているけれど、仕組みに無理がある。今の教育の限界を感じましたし、この時期は本当に気づきがいっぱいでした。

6月。海好き親子コミュニティから、まちの文化への兆し

6月。感染拡大が落ち着き、学校が再開し、とびうおクラブの活動も再開することに。海に、子どもたちの姿が戻ってきました。

嬉しくて、毎日、泣きそうでした(笑) みんなにとって当たり前だった、逗子海岸に夕日が落ちて子どもたちが遊んでいる風景が、戻ってきた。“私たちの子どもたち”がみんなで、わーって盛り上がっている海の放課後が、こんなに私は大好きだったんだ、って再確認しました。いろいろあったものが一旦削ぎ落とされて、本当に大事なものが浮かび上がった時期でしたね。

海で思いきり遊ぶ子ども、そして、それを見守ったり、たまらず一緒に海に入って自分たちも遊ぶ大人たち。同じ風景が大好きな仲間がこのまちにいて、守りたい原風景をみんなで共有できている幸せも、心から感じていました。

Photo: Yo Ueyama

“守りたい原風景”を共有している仲間は、「もはや『そっか』だけではない」と小野寺さん。活動再開の背景には、GW明け頃から重ねてきた、まちの人々との話し合いがあったそう。市長や逗子市観光協会の考え、逗子マリン連盟(※3)の自主ルールを参考にして、これまでの30人を15人ずつ交代制にするかたちでの再開を認めてもらいました。

(※3)逗子海岸の美化や逗子湾の環境維持を目的に、30年以上活動している逗子海岸周辺のショップ等が連合した任意団体。

話し合いの成果はそれだけではありません。海の家が出店されないことが決まった今年の夏、ライフセーバーがいなくてもみんなが自分で自分の身を守れるように、安全マップをつくるプロジェクトがスタート。その製作を、逗子市が「そっか」に委託したのです。

「そっか」だけでなく、逗子海岸に関わるみなさんの知恵を結集してつくりあげたのは、ただ「これはダメ」「ここは危険」と伝えるのではなく、海を楽しむことを前提にしたマップ。子どもが興味を持てるようにまちの人のインタビューや生き物の知識も交えながら、危険な場所についてわかりやすく図示したものでした。小野寺さんはこれを、「安全マップというより “海はこんなにも楽しいぞマップ”(笑)」と呼びます。

「そっか」が製作した「逗子の海辺の安全ガイド」。生き物に関する知識や、海の流れに関する注意事項など、活動で培った知恵がギュッと詰め込まれている。逗子市観光協会のホームページ(リンク:http://www.zushitabi.jp/)からもダウンロード可能。

「そっか」が製作した「逗子の海辺の安全ガイド」。生き物に関する知識や、海の流れに関する注意事項など、活動で培った知恵がギュッと詰め込まれている。逗子市観光協会のホームページ

「そっか」を始めた頃、いつか、海や森が大好きで、野外で子どもを育てることがまちのみんなの文化になったらいいな、と思っていました。それで、「こういうアイデアがあるから聞いてください! 」って一生懸命、周りに働きかけていたんですが、あの頃はポカンとされちゃった部分もあったんですよね。

広げることよりも、まずは自分たちが足下の自然を心から楽しんで遊び尽くすことを大切に法人化して、4年。とびうおクラブが始まってからは、11年が経ちました。気づけば、逆に市から依頼してもらえるようになったのは、ありがたいし、感慨深いことです。蠢き(うごめき)は、逗子の海遊び好きな親子数百人のコミュニティからジワジワと広がって、本当に少しずつですが、“まちの文化”になりつつあるような気がしています。

9月には、逗子のまちをあげた“冒険”も花開きました。子どもたちが、逗子から富士山の麓までの約110キロをカヌーと徒歩で目指す「Zu Sea To Mountains」。きっかけは、いつもの海から富士山を眺めていた「そっか」の仲間の、「あそこまでとびうおの子どもたちと行けないかな」というひとことでした。

3日間かけて、海と山、合計110キロを完走した子どもたち。1日目は、逗子から小田原港までカヌーで50キロを漕ぎ、相模湾を横断。出港のときは、逗子市長も応援に駆けつけたそう。小野寺さんはご自身のnoteで、この冒険のことを「突発的な挑戦でも、一過性のイベントでもなくて、日常の先に繋いだ身の丈+10センチの旅」と表現していました。(写真: 志津野雷)

「そっか」をはじめた頃は、思い描く世界があって、どうやったらそこに近づけるかがんばっていた。でも今はどんどん、がんばる自分が減っているんですよね。

本当に、今本当に、ただのひとりの母親として、自分の子どもと周りの子どもたちが育ってほしい環境をできる範囲でつくっているだけ。似た想いを共有できる仲間がじわじわ広がって、自分なんかががんばらなくても良い場ができています。

それがコロナで、またちょっと加速しました。それは、やっぱり守りたい原風景が明確になって、みんなで共有できているからなんだと思います。

過ごしてきた時間の積み重ねが、
人のあり方をつくる

守りたい原風景を共有できているのは、大人だけではありませんでした。

休校中に「トレラン部」が盛り上がった頃、一方で、チームを組んで環境活動をはじめた子どもたちもいました。小学6年生の3人で結成した「アラカイムア」。消しゴムが実はマイクロプラスチックの塊で、ゴミになればいつか海に到着すると知った彼らは、天然ゴムでできた消しゴムを仕入れ、路上販売を始めました。

ビーチクリーンをする「アラカイムア」の3人。Instagramでも日々活動の様子をアップしています。@alakaimua

また3人は、まちの飲食店を訪ね、テイクアウトの際、プラゴミ削減のため容器の持ち込みが可能かどうか聞いてまわりました。その成果は逗子観光協会が発行している「テイクアウトガイド」にも、エコマークとして掲載されることに。

この話をすると、「どんな環境教育したの?」って聞かれるけど、何もしてない(笑) 彼らはただ、海が大好きだったんです。海でプラスチックを拾っている間にそれが自分にとってすごく悲しいことになって、動かずにいられなくなった。大好きなもの、守りたいものがあって、それも自分だけじゃなくて共有できている仲間がいるから、動き出すことができたんだと思います。

まちのみんなで「大事だね」と思える風景があったときに、全体として蠢く力というのはこんなにすごいし、あったかい。ひとりのカリスマが動くよりもずっとリアルな蠢きにつながるんだな、と感じています。

今年からSDGsが小中学校の教科書に掲載されたこともあり、今、教育界隈では環境教育が一大トピックスになっています。大学等で教育プログラム開発も盛んに行われていますが、「それも大事だけど」と、小野寺さんは続けます。

子どもの頃に、自然と切り離されないで過ごすことが、まず大事じゃないかと思うんです。現代社会は、不快をなるべく排除して、室温さえも思いのままに調整できる便利さを目指している。でも、予定調和ななかでばかり過ごしていると、ハプニングには弱くなってしまうってこと、ないですか?

自然は、想定外だらけです。潮の干満も、天気も、刻々と変わる。そのなかで快も不快も目一杯経験している子どもたちは、思い通りにならないからこそ自分で考えるし、机上の話のようなリアルじゃないものにも敏感です。自分で考えて、自分で動く力は環境教育から始まるものではなくて、過ごしてきた時間の積み重ねなんだと思います。

海も森も、逗子の自然のすべてを園庭のようにかけまわる「うみのこ」の子どもたち

どんな時間を過ごしてきたか、積み重ねてきたか。ウイルスやさまざまな社会課題に直面している今の社会のなかで、その違いが明確になったと小野寺さんは指摘します。

子ども自身も学校でもビジネスでも、制限があるなかで縮んでしまうか、それとも、制限があるからこそ自分の裁量で最善を尽くせるか、ということが分かれ道になっている。それは感染予防についてもSDGsについても同じだと思います。

よく言われる「課題解決力」の前に、まずは「状況をそのまま引き受ける力」も大事なのかな。そしてそれは、教えられるものじゃない。自分には制御不可能な、刻々と変化する自然のなかで過ごしてきたというのはひとつの力になるのかな、と思います。

親は子どもが大好きだから、成功体験をさせたい。でも成功体験と同じくらい、失敗体験が大事なんですよね。森や海では、「こんなはずじゃなかった」ってことだらけ。公園の遊具でもクリエイティビティは発揮できるけど、やっぱり、この木1本にはかなわない。

自然環境じゃなくてもいいんです。予測不可能だったり、困難な状況を体験した事がある人は、やっぱり強いし優しい。そういう意味では、コロナ禍自体がみんなにとって思うようにならない体験でしたよね。だからそれぞれに気づくことも多かっただろうし、悪いことだらけではなかった気がします。

ひとのあり方は、過ごしてきた時間の積み重ねでつくられていく。コロナ禍を生きる私は、この気づきをどう活かして生きていくのだろう。「そっか」の子どもたちのように、強く優しくなれるのだろうか。私は心地よい風を感じながら、小野寺さんの言葉を全身で受け取りました。

海じゃなくても、森でも、食卓でも。
原風景を共有する“関係性ネイティブ”たちとともに

「そっか」と社会全体のこの半年を、「悪いことだらけではなかった」と振り返った小野寺さん。改めて今、大事に思っていることを尋ねると、足下にある小さな枝を手に取り、この森での「そっか」の子どもたちの様子を教えてくれました。

年長さんになるとね、こういう枝が焚付けに向いていることも、わかっているの。6年生にもなるとポケットから火打ち石が出てきたりするし、大人が教えなくても、焚き火の技術が子どもから子どもへ受け継がれていっている。

野外活動で焚き火のワークショップに参加して、大人に教えてもらうのもいいんだけど、一回限りの出会いで感じることと、日常のなかでちょっと年上のお兄さんお姉さんから感じることは、やっぱり違う。コロナ禍で一層、その関係性の大切さに気づきました。

焚き火が大好きで、保育の中でも日常茶飯事な保育園「うみのこ」の年長児さんたち。最近「子どもだけでやってみるか」と、森で材料集めをするところから自分たちで焚き火をしてみました。わずか10分で火がつき、自分たちで捕まえたエビや魚を炙っておやつに。調味料は、海水から自分たちで炊いてつくった「逗子塩」です。

気をつけなきゃいけないことばかり増えてしまっている時代。10年前、都内に暮らしていた自分のように、守りたい原風景や関係性が薄いなかで忙しく過ごしている人は、今、本当に苦しいと思います。ちょっと前までは誰にとっても当たり前だった守りたい原風景や関係性が、みんなに当たり前にある社会だったらいいのに、と思います。

そのためには、遠回りみたいだけど、そういうものを子どもと共有していくことが一番の近道。苦しいと、何が足りないかさえわからなくなってしまうこともあるでしょう? でも、子どもの頃から、“関係性ネイティブ”って言ったらいいのかな、支え合うことが当たり前のなかで育つと、それが希薄になれば自然と違和感を持つ。足りないならつくろうって、きっと動きだす。

コロナ禍の練習を経て、コースどりや舵取りも子どもたちで考え、子どもだけで大会に出場。他のチームとのやりとりの中に「成長を感じた」と、小野寺さん。

話していくなかで、小野寺さんがその価値を再認識した「関係性」。「原風景」とともに、今の小野寺さんにとって大事なキーワードです。

原風景って、何も自然だけじゃないと思うんですよね。食卓にそれがある人もいると思う。「自分にとって、これが守りたい風景」ってものを、まわりの数人とでいいから共有してみれば、そこから幸せの増幅がはじまるかもしれません。子育てしている人だったら、仲良しの2〜3人に声をかけてみるだけで、「私たちの子どもたち」が広がりますよね。

海じゃなくても、田んぼの風景でも、森でも、食卓でも。

「海でなくても」「逗子でなくても」…。インタビューのたびに小野寺さんは、そう口にします。逗子の足下(そっか)には、海がある、森がある。「じゃあ、あなたにとっての“そっか”は?」と、小野寺さんはいつも私たちに問いかけているようです。

もちろん、小野寺さんを取り巻く環境に、何も問題がないわけではありません。教育のあり方にしても、行政との対話にしても、もちろんジレンマを感じることはある。それはインタビューの端々で感じたことです。

ただ彼女は、信じているのだと思います。問題を掲げて強く訴えかけるのではなく、子どもたちと、まわりの人たちと、自分が本当にいいと思う関係性を紡いでいくことから社会が変わっていくのだと、信じ切っている。

その信じる力は、言うまでもなく、小野寺さんが“積み重ねてきた体験”から備わったものだと思います。“関係性ネイティブ”の次は、小野寺さんの背中を見て育つ“活動家ネイティブ”が育っていくのでは、と感じずにはいられません。いえ、もうすでに育っているのかもしれませんね。

子どもみたいに木登りしてくれた愛ちゃん、今回も贅沢な時間をありがとうございました!

あなたは、あなたのとなりにいる子どもたちは、どんな時間を積み重ねていますか?これから、どんな時間を積み重ねていきたいですか?

コロナ禍で感じたことと重ね合わせて、あなた自身の心と対話して、仲間と共有してみてください。コロナ禍という困難のなかにいる私たちは、きっと、強くなれる、優しくなれる。そう信じて。

(撮影: 大塚光紀)