自然の中から野生の菌と酵母を採取するという、たいへん稀な方法でパンやビールを造り、それらをカフェで提供する「タルマーリー」(鳥取県智頭町)には、全国はもとより海外からもファンが訪れる。
今でこそ全国区の知名度を誇るタルマーリーも、はじまりの地は房総いすみ地域だった。いすみ市内の古民家を改修し、2008年2月の開業から約3年の営業を経て、2011年には岡山県、2016年に鳥取県へと移転。「菌がよりよく育つ環境」を求めて、どんどん山奥へと向かっていった。
小さなパン屋から始まり、やがてビール造り、カフェ営業と展開していったタルマーリーが有名になってからの取材記事は世間に数多く、僕も何度か取材させてもらっている。しかし今回のテーマは、それ以前、いすみ市で商売をスタートさせたばかりの無名時代だ。なぜ、いすみ市だったのか? ここで渡邉夫妻は何をめざし、どんな日々を送っていたのか? 始まりの姿を語ってもらうため、鳥取県智頭町のタルマーリーを訪ねた。
「タルマーリー」店主。1971年生まれ、東京都東大和市出身。23歳のとき学者の父と1年間滞在したハンガリーで農業に興味を持ち、千葉大学・園芸学部園芸経済学科で学ぶ。農産物の卸売販売会社に就職し、妻・麻里子と出会う。31歳でパン職人の道へ。横浜や東京のパン屋にて約5年間修行後、2008年、千葉県いすみ市に「タルマーリー」を開業。2011年の東日本大震災後に岡山県へ 移転し、さらに2016年に鳥取県智頭町へ移転。著書『田舎のパン屋が見つけた「腐る」経済』(2013年・ 講談社刊)がロングセラーに。
「タルマーリー」女将で共同経営者。東京都世田谷区出身。幼少期から田舎暮らしに憧れ、環境問題に危機感を持ち、東京農工大学農学部で環境社会学を専攻。日本、アメリカ、ニュージーランドの農家や環境教育現場で研修し、食や農の切り口から環境問題にとり組む道を模索。「タルマーリー」では販売、企画、経理、広報、講演などを担当。また1女1男の母として、田舎での職人的子育てを模索中。
房総地域になじみがあった
──まずは東京に住んでいたお二人が、いすみ市という田舎町で「タルマーリー」を開業するまでの経緯が知りたいのですが、どんなハードルがありましたか?
格 いろいろ、ありましたねぇ。まず、最初の一歩を踏み出すのが怖いという気持ちもありました。でも、思い出すのは夫婦の合意のむずかしさですかね。二人とも同じところは目指していたんだけれども、どこでどうやっていくかを合意するのには時間がかかったかな…マリは当時、25歳とか?
麻里子 違う違う。モコ(長女)が生まれてたから、28歳くらい。当時はイタルが東京のパン屋で修行していて、私も働いていたし、モコが小さかったから東京の私の親元に住んでいたんです。親に助けてもらっていたし、もうちょっと子どもが大きくなってからでもいいんじゃない?と私は思っていて。ただ私たち、年が離れているから。
格 そうそう、おれがそのとき、もう35歳。
麻里子 だから今やらないと体力的にも厳しくなるし、40歳までに軌道に乗せたいから今すぐやるしかねえ!と。で、もし今、田舎へ動かないんだったら東京で店出すからって。でも、東京では私がやりたくなかった。田舎で〝農〟のあるお店や暮らしをしたかったから。だから、そのとき動いたのは、わりと無理矢理だったね。
──そもそも、お店を出す場所としていすみ市を選んだのは、なぜ?
格 おれは大学時代、現在の南房総市にある有機農業の里に毎月通っていて、千葉の房総地域にはとてもなじみがあったんです。一方でマリも勝浦市(いすみ市の隣町)におじいさんが別荘を持っていたので、子どもの頃から房総に縁が深かった。それで、どこか田舎でパン屋をやろうとしたときに、一致したのが房総地域だった。
麻里子 最初、イタルは父親の故郷である福島でやりたいと言っていたんです。
格 会津ね。でも一回連れて行ったら、マリが「ちょっと考えたい」って。
麻里子 私はそれまで東京と千葉しか知らなかったから、そこに住むイメージが湧かなかったし、会津で商売するとなると、お客さんはどこから来てくださるだろうか?という不安もあった。これが千葉だったら、東京の人はおいしいお店があると聞けば2時間くらいは平気でドライブするじゃない? それで結局、房総にしようと決めたんですけど、東京に住んだまま探すのはムリなので、とりあえず、いすみ市に小屋みたいな家を借りて引っ越したんです。
──いすみ市で物件を探すための仮の家ということ?
麻里子 そう。2007年の春に二人とも仕事を辞めて、いすみ市でパン屋を開くための古民家を探していたんだけど、無名な私たちが商売を軌道に乗せるために名所の力を借りられたらと考えて、「ブラウンズフィールド」、大多喜町(いすみ市の隣町)にある「ハーブアイランド」(現在は大多喜ハーブガーデン)、御宿町(いすみ市の隣町)のそば屋「幸七」という著名な3スポットを地図に落とし込んで線で結び、この三角形の中で物件探しを始めたの。そうしたら偶然、ブラウンズフィールドのすぐそばに古民家の空きが出た。…まあ、非常に危険な物件ではあったんですけど(笑)
格 そうそう、すごかった。全部が竹藪で覆われて、森に侵食されていた。で、竹を切っていったら建物がふたつ出てきたの。敷地は500坪でしたが、そこまで密林になると中が見えないので、だんだん建物が現れてくるとドキッとしてね。
タルマーリーの下積み時代
──自分で竹藪を切り拓いて、古民家を直したんですか?
麻里子 うん。でも大工仕事も慣れていないし、もう半ば気が狂いそうでしたね。
格 お金がないんで、ホントはプロに頼まなきゃいけないトコも自分でやっちゃったりしてね(笑) もう丸裸で引っ越してきて、ちっちゃい小屋に住みながら家を修繕し、小屋でパンをつくって、ブラウンズフィールドのカフェに週1回、置かせてもらっていました。
麻里子 コタツを台にして、正座でパンの成型して、電気オーブンでがんばって焼いて。
格 2万円で買ったシャープの電気オーブンでね。
麻里子 暑くなるんですよー、小屋だから。夏場はとくに。しかも2部屋しかないのに、イタルは早朝から小型の製粉機も同時に動かすし。モコも私も寝てるのに…。
格 朝の5時くらいからブイーーンって。製粉にはこだわりたいからね。そんなことをしているうちに、ブラウンズフィールドのデコさんが気にかけてくれるようになって。
──本気度が伝わったんですね。
格 いやー、ただただ、がむしゃらでしたね。でも、あの頃を思い出すと面白いよね。
そんな時期が2ヵ月くらい続いた2007年7月には、静岡のつま恋でミスチルがやっていた「apバンクフェス」に、ブラウンズフィールドと寺田本家(千葉県香取市にある自然酒の酒蔵)と、千葉市にあったカフェと、タルマーリーとで一緒に出店しないかって話をもらったんです。それで、コタツを二人で囲んで成型して、堅パンを300本焼いてさ、よし、稼いでやる!って張り切って行ったら、台風が来たの。(※apバンクフェス07は、台風の襲来で初日と2日目が中止。最終の3日目だけ行われた)
麻里子 パンが全部、しけっちゃった。
格 結局5本くらいしか売れなかった。それで、3日間も雨の中にいると身体に良くない、静岡って京都に近いよね?って訳のわからん理屈で、みんなで京都まで車を飛ばしたんです。
なかじ(発酵と暮らし研究家。当時は寺田本家の蔵人)の実家が京都で、夜中の11時に押しかけて一晩泊めてもらってね。寺田さんが持ってきた日本酒をみんなで朝まで飲み倒して、酔いを覚まして千葉まで帰りました(笑)
もうメチャクチャでしたけど、1週間近く一緒にいたおかげで寺田さんや、そのまわりの人たちとすっかり仲良くなれた。たぶん普通にフェスに出るより楽しかったよね。
──その後は、いよいよ店のオープン?
格 うん。でも、おれのつくるパン、おいしくないし…と当時は自信がなくて。そんなタイミングで店、オープンしていいのかなとか迷いながら。パンに関しては本当に徒手空拳でした。
何とかやっていける自信はあった
──パン屋開業のための資金は?
格 店を開くために500万円は貯めてました。結婚してから二人で働いていた5年間、毎月10万円ずつ貯金してましたから。
新婚当時から二人とも床屋にも美容院にも行かず、自分で切ったりバリカンで坊主にしたり。服も買わない。でも面白いもので、お金を貯めて開業すると基本、ケチになるんです。うちの自動車も、「屋上緑化」って呼んでたんですけど、屋根に苔が生えてたんですよ。
麻里子 それは単に洗車しないからでしょ…。
格 使ったお金は、古民家の改装に一部大工さんを頼んで70万円、パン用のオーブンが230万円で、ほかにミキサーなどパンをつくるのに最低限必要な機材を含めて300万円。残りの130万円は自分たちで直した水道の配管、電気の配線、漆喰、駐車場の整備費などですね。すべてひっくるめて、貯めた500万円は初期投資と開業準備中の生活費でだいたいなくなった。
麻里子 そうやってコツコツやってきて、いざパン屋さんを開いて、パンが売れてお金をもらったときって、もう、やったーっ!という感じ。しかも自分のお店。うれしくて、いまだに信じられない部分もあるの。
– INFORMATION –
『「小商い」で自由にくらす ~房総いすみのDIYな働き方』
いすみ市在住で、全国の地方を数多く見てきた著者が、当事者へのインタビューを通じて、好きを仕事にするために「小商い」で自由に働き、大きく生きる可能性を様々な視点から考察。今、地方はのんびり暮らすところではなく、夢が叶う場所になった。仕事がネックとなって地方移住に二の足を踏んでいた人にも勇気が湧いてくる一冊!
小商い実践者へのインタビューのほか、「小商い論・田舎論」として、いすみ市在住の中島デコ(マクロビオティック料理家)、鈴木菜央(greenz.jp)、ソーヤー海(TUP)の三氏と青野利光氏(Spectator)にインタビュー。巻末では佐久間裕美子氏(『ヒップな生活革命』)と、アメリカのスモールビジネスとの対比について論を交わす。※Amazon.co.jp「社会と文化」カテゴリー1位獲得。
著者:磯木淳寛
発行:イカロス出版
価格:本体1,400円+税
https://www.amazon.co.jp/dp/4802203004
– INFORMATION –
【日時】
2017年3月29日(水)
19:00〜21:30
※トークセッションは19:30-21:00です
【テーマ】
green drinks Tokyo「暮らしと小商い」
【参加費】
一般チケット 2,000円(ワンドリンク、軽食付き)
今回のメインテーマでもある書籍がセットになったチケットも販売!定価よりもお得です◎
『「小商い」で自由にくらす (房総いすみのDIYな働き方)』セット 3,300円
一般チケット + 1,300円(定価¥1,512)
『暮らしをつくる ~ものづくり作家に学ぶ,これからの生きかた』セット 3,500円
一般チケット + 1,500円(定価¥1,814)
<greenz peopleの方限定>
いつもgreenz.jpのメディア運営をサポートいただいているgreenz peopleのみなさんは通常参加費より半額の「¥1,000」でご参加いただけます!Peatixで割引チケットをご購入ください。気になる方は、こちら -> https://people.greenz.jp
【定員】
50名
【スケジュール】
19:00 開場&受付開始、交流タイム
19:30 トークセッション
21:00 交流タイム
21:30 終了
【ゲスト】
甲斐かおりさん(かい・かおり)
磯木淳寛さん(いそき・あつひろ)
【司会】
植原正太郎(うえはら・しょうたろう)
【会場】
SHIBAURA HOUSE(東京都港区芝浦3-15-4)
JR田町駅より徒歩7分
【主催】
NPO法人グリーンズ