greenz.jpの連載「暮らしの変人」をともにつくりませんか→

greenz people ロゴ

給料も休みも自分で決める自由がある。「PENITENT」店主・山路裕希さんの生活と地続きの働き方とは

みなさんは、「お客さんでいられない」と思った経験はありますか?

私は個人経営の飲食店に行くと、ただ「お客さん」でいることに耐えられないような、落ち着かない気持ちになることがあります。

それは、いつからか自分の店をやってみたいと思い描くようになり、近頃その思いが現実味を帯びてきたからかもしれません。ただただ店主の色を感じることのできる店に行くという楽しみ方では物足りず、自分自身で店をつくり、私も表現してみたいという思いが強くなっていったのです。

大学を卒業してから働きはじめた飲食店での仕事は、楽しさがありつつも毎日がハードで、休みの日を待ち遠しく感じることがあったり、仕事の前日に「仕事行きたくない…」と感じることも。そんな風に思うことが増えはじめてから、自分で選択して今ここで生きていると思っていたけれど、実際は違和感や後ろめたさを抱いている自分が垣間見え、自分の中にあるズレに気付きました。

そして、私のありたい姿と、現実の私とのあいだにも大きな隔たりがあるとも。

きっと、仕事に向き合う姿勢は日々の生活につながっていて、それは人生に向き合う姿勢に通じている。仕事中の私も、遊んでいるときの私も切り離すことはできなくて、確実につながっている。

そんなつながりを保ちながら生きていきたいと思うようになったのは、現在ふたつのカフェを経営する山路裕希(やまじ・ゆうき)さんのお店や文章に触れたことがきっかけのひとつだったように思います。

これまで山路さんの店に足を運んだり、文章を読んできた私は、山路さんの人生の延長線上にカフェがあり、自身の生活の一部であるようにも感じました。

自分の思いに沿って、動き、生活していくことへの憧れ。

26歳のときに地元仙台でカフェを始め、3年前には東京にもお店をオープン、仙台と東京を行き来し、毎日のように現場に立ち続ける山路さんに、生活の一部としてお店を続けていくことについてお話しを伺いました。

山路裕希(やまじ・ゆうき)
宮城県仙台市出身。大学進学を機に上京し、友人に誘われカフェに訪れたことをきっかけに、学生時代からカフェに通うようになる。
合同会社MASTERPLAN代表。地元仙台に2011年7月、当時26歳でJAMCAFEを開業。2015年にオープンした仙台2店舗目の、焼き菓子とコーヒーの店grammeは東京出店に伴い2019年に閉業。2021年8月、東京都墨田区にPENITENTをオープン。現在は、仙台と東京2つの店舗に立つ日々を送る。

雑居ビルの2階に隠れる店

東京都墨田区。東京スカイツリーと浅草寺の間、都営浅草線本所吾妻橋駅から徒歩1分。街の風景にひっそりと馴染むような小さな間口のビル、その2階に今回ご紹介する山路さんが営むお店、「PENITENT(ぺ二テント)」の入り口はあります。

2階に上り、空を見上げると東京スカイツリーがよく見える(画像提供:山路裕希さん)

2021年8月にオープン。食事やコーヒー、ケーキの他、クラフトビールやワインなどを楽しめる

21坪ほどの店内には、大きなテーブルと、独立したソファ席や半個室含め15席ほど。ひとりの時間も、誰かと過ごす時間も楽しめる非日常のような空間です。

厨房と客席をつなぐ3.8×3.4mの大きなテーブル席。厨房と、それぞれが思い思いに過ごせる客席との境界があいまいになっている。店の奥には、教会のステンドグラスを思わせるウォールローゼが。天候や時間帯によって店内の雰囲気が変わる

非日常的な空間に漂うのはどこか落ち着くコーヒーの香り

メニューは、すべて文字のみの説明。どんな器で、どんな盛り付けで提供されるかは提供されるまでわからない分、期待が膨らむ

店内に足を踏み入れた瞬間に目の前に広がる光景のかっこよさといったら。ぜひ、ご自身の目で確かめてみてください。日常から距離を置いて、ちょっと背伸びしておいしいコーヒーとケーキを楽しみたいときに行ってみてほしいカフェです。

そんなPENITENTはどんな思いをもとに生まれたのでしょうか。

仙台の店を続けながら、東京出店へ

2021年、まだコロナの影響も残る最中に、東京出店を進めていったというオーナーの山路さん。外出自粛を求められる風潮の中、「それでもお店に来る意味はある」という思いでPENITENTのお店づくりを進めていったといいます。

一瞬でもいいからひとつの場所に集まって、思い思いに過ごす。何かひとつの共通の認識や概念があって、そこにみんなが集まってきて、それぞれ何かを祈ってるようなイメージがありました。そんなコンセプトをもとに空間を描いていきました。

PENITENT店主の山路さん。2011年、地元仙台にカフェを開業。現在は仙台と東京、両方の店舗に立っている

大学進学を機に東京に住み始め、日々の生活に楽しさを感じ、東京が大好きになっていったという山路さん。大学卒業後は、地元仙台に戻り、自身でカフェを立ち上げるも、いつかは東京に住みたいという思いはずっと抱えていたといいます。

1店舗目の「JAMCAFE」に続き、2015年には2店舗目となる焼き菓子とコーヒーの店「gramme」をオープン。順風満帆のようにも聞こえるカフェ展開ですが、「少し退屈をしていた気持ちもあった」と当時を振り返ります。

そんなある日、開業前の野心ある山路さんを知る奥さまの一言が、山路さんを再び東京へと導くきっかけになったそう。

ある休日に、ぼくが妻に「外で仕事してくる」と伝えて出かけたことがあったんです。その帰りになんとなくパンを買って帰ったんですよ。そうしたら妻が「休みの日に外に出かけてパンを買って帰ってくるとは…。以前はもっと野心があったでしょ。もう、東京行った方がいいよ」と言ったんです(笑) 要は、ぼくが退屈をしていると。それならおもしろそうだから行こう、ダメなら帰ろうと。

当時お子さんは保育園に通っており、小学校に入る前ならば引っ越してもいいのではないかと感じ、2019年に東京へ。ところが、東京でのお店進出を進めるも、翌年にはコロナ禍に。予定よりも1年遅れて、2021年8月にPENITENTはオープンしました。

「自分の主人は自分である」という生き方

大学時代は就職活動をして、あまり苦労もしなかったという山路さんですが、雇われて働くことよりも、自分で会社やお店をつくった方が自分には合っていると感じたそう。

ぼくは若い時に「人に使われたくない」と思っている自分に気づいたんですね。それは人にこきつかわれたくないという意味ではなくて、人に人生を預けることに不安を感じたということです。そんな気持ちで働いていても人に迷惑をかけてしまうとも感じました。

結局、好きな仕事をしていたとしても、人にスケジュールや給料をゆだねる、誰と働くのか、勤務地はどこなのかを決められてしまう。そうなると、自分の主人が自分ではなく別のとこにいることになり、それはぼくにとっては不自然な生き方だと思いました。

大学時代、カフェに通っていたこともあり、好きなものだったらやっていくことができるんじゃないかという気持ちで、カフェを経営することに。現場で勉強するために地元仙台に戻り、26歳までの3年間を自身の好きなお店で働き、その後開業に至る

ここまでお話を伺っていくと、山路さんにとってカフェづくり、カフェを営むことはさほど難しいことではないような印象を感じます。実際、山路さんの仙台のお店「JAM CAFE」は今年の7月で12周年を迎えました。一方で、9割以上の飲食店が10年以内に廃業するというデータがあるほど、飲食店の経営は難しいという現実も。仙台、そして東京と、お店の開業前から計画的に準備を進め、順調に進んできたように見える山路さんですが、そこには、思うようにいかないこともあったといいます。

仙台の店を始めてから1〜2年はもう暇で。毎日掃除をして、お客さんがひとり来ては喜んで、そのお客さんが帰るとまた誰もいなくなって。外を眺めてはまた掃除をして…。

クールな印象の山路さんでしたが、開業当初は売り上げが思うように上がらず、気づけば原因不明の胸痛が続き精密検査を受けに病院へ行くほどでした。

気にはしていないつもりでしたが、売り上げが悪い、お客さんがこない、そういうことが気になって、ずっと心臓が痛かった。借金はしているし、このままお客さんが来なかったらどうなるんだろうと考えたり、今思えばかなり心が病んでいました。

病院の精密検査の結果、「異常なし」と診断されたものの不安は拭い切れなかったと山路さん。しかし、現状を受け入れ、やるべきだと思ったことを淡々とやり続けてきたことが今へとつながっていると当時を振り返ります。

結局、自分でお店をつくって自分でそこに立つということは、ほぼすべてを自分で決めるということ、それは自分にもお客さんにも「嘘がない」ということなんだと気づきました。

なにかを人にゆだねると必ず自分の考えや価値観とのズレが生じます。そこを受け入れたとしても、それは自分にとって「嘘」ですよね。自分で決めることで「嘘」がない。

なので、根拠はないけど「なんとかなる」と楽観的な発想に転換して、嘘がないことに淡々と集中するようになりました。

“美味しいコーヒーや食事を売ることは割とどうでもいいというか、別になくてもいいのかなとは常に思っていて、それよりもここでの過ごし方のほうがやっぱりぼくらは気になるんです”と山路さん。とはいえ、山路さんのお店のドリンクやケーキは細部までこだわりを感じられて、どれもおいしいものばかり

例えば、カフェだけど焼酎やワインを置いてみる。それは、いろんな人に来てほしいと思ってやったことだけど結局いろんな人はこなかった。

それぞれがいいなと思うことが増える一方でそれぞれが嫌だなと感じることも増えていく。そしてぼくらもいやだった。だから、どんどんシンプルに削ぎ落として、小さなストレスを全部消していった感じです。結果、自分にもお店にも「嘘」がなくなりました。

好きなことだけやっていればいいじゃんっていう。もちろんお客さまの求めているものも敏感に感じながら。そういうバランス感覚が今の自分にもお店づくりにもつながっていると感じています。

「今もうまくいかないことはありますけど、そんなことは当たり前ですよ。大事なことは「嘘がない」ということ」そう山路さんは笑います。

自分に嘘がないことを見つめ、集中する。そこには華やかさではなく、外からは見えない、地味だけど何か大事なことがあるように感じられました。

存在に特徴のある店

そんな苦労した時期を越え、今も「みんながいいと思う一般的なものと、ぼくが大事にしてるもののギリギリのところをずっと探ってる感じ」と山路さん。店づくりで心がけていることはなんなのでしょうか。

もう普通に「いいお店」でいいという前提があります。普遍的なもので、なおかつBGMとか自分の匂いがすごくするもの、「このお店の人、これが好きなんだ」ということが、ちゃんと伝わるようにしています。特徴がないと言えば特徴はないんですが、存在に特徴があるみたいな。スタイルがあるということですね。

たしかに、PENITENTは実際に足を運んでみないとわからないという感覚を私も抱いていました。PENITENTは、山路さんの美的センスが絶妙に張り巡らされているからこそ、お店の存在自体に特徴があるといえるのだと感じました。

そして、お店だけでなく、何かをはじめる時によく語られるのがお金のこと。しかし、店づくりについての話しの中では意外な言葉が。

予算があるからつくれるっていうわけでも多分ないので。

確かにお金は必要だけど、それ以前に何かを表現する際、大事なことは自分のスタイルを持っていることなんじゃないかとハッとさせられました。自分で何かをはじめると決めたときに大事になってくるのは、「それまでの人生をどう過ごしてきたか」なのかもしれません。

自分のやりたいことだけで生み出せるという喜びで成立している

そして、今現在でもうまくいかないことはありつつ、それでもお店を続けることは山路さんにとってどんな意味を持っているのでしょうか。

そもそもお店をやるという表現は、自分のやりたいことだけで生み出せるという喜びで成立してるんです。

そして、給料、休み、何を提供したいか、誰と、どんな音楽を聞いて働きたいかなどすべて自分で決められるという点で、自由で、選択肢が多いと語る山路さん。
給料も休みも自分で決められると聞くと、確かに自由に聞こえますが、人と違う生き方をする分、何もかもうまくいくはずはありません。実際、お店の売上や家賃の支払いなど責任をとらなければならない範囲は、雇われて働くことに比べればグッと広がります。

それでも、その責任の重さを上回る自由みたいなものがあって、結局それが欲しかったんです。
自分でお店をやっていたら、辞めたいときに辞められるし、新しくつくりたくなったらつくることもできます。病気だったら休めばいいですし、歳を取って働けなくなったらそこでやめればいいし、選択肢の幅はいっぱいあるので。

多くの人が惹かれる「自由」は、自分で責任を負う覚悟と、自分との約束を守りながら生きていく日常に支えられなければ成り立たないのだと痛感し、気が引きしまりました。

店主の生活と地続きな店だけど、生活感は出さない

今では、仙台と東京のお店と、個人のInstagram・noteを合わせると3万人以上のフォロワーを抱える山路さん。自宅に帰ってからフォロワーひとりひとりにメッセージを送り、宣伝していた時期もあったのだとか。そんなふうに自宅でもお店のことを考えたり、手を動かしていくうちに、だんだんと仕事とプライベートの境界があいまいになってきたといいます。

仕事も生活もごちゃっとなってきて、店に行っても感情がずっとフラットな状態になっていきました。お客さまが来て、うれしい気持ちはもちろんあるんですけど、途中から「お客さま」が「自分の家に来ているただの人」みたいになっていったんです。

とはいえ、PENITENTに訪れても山路さんの生活感はまったくといっていいほど感じられません。一体どういうことなのでしょうか。

ぼくは公私混同なんですけど、お客さまにバレたらいけないと思うんですね。凛々しさみたいなものはお店にはあるべきだなというか、やっぱりお店はかっこよくないといけない。ビジュアルがいいとか、そういうものはあった方がいいと思うんです。

自宅に人を招くことと、店を開いて人を招くことの違いは、距離感や緊張感の違いなのかもしれません。人との距離感をある程度保ちたいという私には、お店という形で人を招くことの方が自分には合っていると感じられ、大きなヒントになりました。

そして、自分のスタイルができはじめ、仕事をする上での物心が付きはじめたのが30歳を過ぎたあたりだったという山路さん。お店を開ける毎日の生活は、山路さんにとってどんな日々なのでしょうか。

ただ朝起きて、お店に来て、ケーキをつくったり、コーヒーを淹れたりして、そうしている時間の中に人が来るから、じゃあ一応お金をもらって、もてなして、その人はその人で過ごしてもらって、「ごちそうさまでした」「ありがとうございました」で終わるっていうのが、すごくきれいな流れだと感じていて。

上記のお話しは、表参道『LOTUS』や駒沢『Bowery Kitchen』などを手掛け、カフェブームの仕掛け人としても知られる山本宇一さんの言葉に影響を受けたそう

この言葉から、山路さんが生活の一部として、お店に立ち続けていることが伝わってきました。お店をやることは、人生の目的ではなく、過程でしかない。でも、その過程自体が人生そのものだとしたら、自然体で、嘘偽りがないように感じられました。

ひとつの幹にぜんぶの枝が宿っている

自分のことを自分で決めるという点で、お店をやることは、自由で選択肢も多いと語ってくれた山路さん。

だからこそ現場に嘘が出ないと思うんです。人に決められて嫌々やってることは結局嘘ついてることになりますよね。そういう意味で、ぜんぶ自分で決めているから、ひとつの幹にちゃんとぜんぶ枝が宿っている感じかなと思いますね。

そして、働き方やお店の規模など自分にとっての“ちょうどいい程度”が徐々にわかるようになってきたといいます。

人にいわれて気づいたというよりは、自分でやって気づいたことなので。得意なことと不得意なことが人にはあって、自分は今、少しずつ得意なことをちゃんとやっている感じになっているので、いいかなと思ってます。

実際に手を動かして得た気付きや学びを元に、さらに動き続けること。そして、自分に合うこと、やり方、ペースで物事に取り組むこと。あたりまえのように聞こえることですが、最近の私が軽んじていたことだったように思い、胸に刺さりました。

山路さんがお店でのそれぞれの人の過ごし方に重きを置いているのは、山路さんのお店が自身の生活と地続きだからこそかもしれません。丸ごとの人生に向き合って考える日々は苦しさもありそうですが、その分充実感も溢れてくる。山路さんのお話からそんな魅力をじんわりとでもしっかり感じることができました。

生活の一部として自分のお店をやることや、文章を書くなど何か表現をすることは、自分の生み出すものを直視せざるを得ず、自分の限界を身に染みて感じることになり、ヒリヒリとした感覚になりそう。

それでも生活と地続きだからこそ、感じられる統一感や心地よさがあるのではないでしょうか。自分のことなんて直視したくないけれど、そこに向き合った人にしか見えない景色があるような気がします。

動きながら、自分の思いを育んで、人生を歩んでいくことで、今の自分には思いもよらないような道が開けてくる。そんな風に流れに身を任せながら進んでいきたいという気持ちがむくむくと膨んできました。

(編集:たけいしちえ)
(編集協力:スズキコウタ、greenz challengers community)
(撮影:廣川慶明)