「いかしあうつながりがあふれる幸せな社会」を目指すNPOグリーンズ。「関わっている存在すべてが幸せになり、幸せであり続ける関係性=いかしあうつながり」を考え実践するようになった背景には、発案者・鈴木菜央を中心に、メンバーがソーヤー海さん率いる「東京アーバンパーマカルチャー(通称: TUP)」から受けた影響があったといえましょう。
TUPが主宰する、国内外のパーマカルチャーの名所をめぐるツアーへの参加。
「いかしあうデザインカレッジ」の共同企画。
海さんによるgreenz.jpでの連載。
そんなグリーンズが影響を受け、連携をつづけてきたTUPは今年で活動開始から13年。
TUPが10周年を迎えた当時、2020年に、海さんをはじめ、彼とともにTUPの活動を展開し、国内外でパーマカルチャーを実践してきたメンバーが集結。そこで各自がどのように海さんやパーマカルチャーと出会い、実践者となり、やがて”pollinator(送粉者・授粉媒介者)”になっていったかお伺いした様子を公開します。
取材をして気づかされたのは、彼・彼女たちが特別な背景・立場に恵まれていたわけじゃない。私たちも、誰もがパーマカルチャーや社会変革を実践し体現できるということ。
「きっと私も」そんな兆しを感じながら、前後編たっぷりお楽しみください!
「ソーヤー海が、新しい未来をつくるために始めた「共生革命」。
「パーマカルチャー」「ギフトエコロジー」「共感コミュニケーション(NVC)」「マインドフルネス」「社会変革」の5つのテーマに共感した仲間たちとムーブメントを拡大中。」
(※)冨田栄里さんはスケジュールが合わず、別途個別に取材・収録のうえ再構成しています。
(※)「アーバンパーマカルチャーってそもそも何?」を知りたい方は、こちらの記事をご覧ください。 https://greenz.jp/2015/06/08/sawyer_kai_nao
パーマカルチャーとの出合い
鈴木菜央(以下、菜央) 東京アーバンパーマカルチャー(以下、TUP)の活動が始まって、2020年(収録当時)で10年。
今日はTUPのこれまでの展開を振り返りつつ、何を学び、何が見えてきて、これからどんなことをやっていきたいかをシェアできたらと思って、TUPと縁の深いみなさんに集まってもらいました。まず、TUPの発起人であるソーヤー海くんに、活動が始まった経緯から話してもらえるかな?
ソーヤー海(以下、海) 僕は2001年にカリフォルニア州・サンタクルーズの大学に入学して、有機農業と社会運動と出合うことになるんだけど、大学が始まる直前に「9.11」が起きたんだ。
「何か大きな変化がないと、このままだとヤバイ」と思って僕もデモに参加したんだけど、若者が立ち上がる様子がメディアで報じられて、「ただの学生なのに、社会へこんなに影響力を持てるんだ」って実感した。世の中に流されるんじゃなく思いを持って立ち上がって、失敗すると思っても違う世界に向けて何かとりあえずやってみよう! って行動するのが、「格好いい」って思えたんだ。
大学を出て、いろいろと迷っている時期に、もっと自分や地球とつながる必要があると感じてコスタリカのジャングルで生活することにしたんだけど、そこでパーマカルチャーやギフトエコロジーと本格的に出会ったんだ。
やがて2009年にアメリカ北西部オーカス島にあるパーマカルチャーの実践場「ブロックスパーマカルチャー農園(Bullock’s Permaculture Homestead)」でパーマカルチャーデザインコース/パーマカルチャーのデザイナーとしての資格を得られる講座(通称: PDC)を受けて、2010~2011年の2年間、研修生としてそこで過ごしながら「パーマカルチャーってこんなに楽しい世界なんだ!」「これさえやれば人生も社会も豊かになる」って実感した。
東京アーバンパーマカルチャー
それぞれの出合い
海 そんな時に、東日本大震災で福島原発の事故があって、自分はどうしたらいいかを考えた。「ブロックスパーマカルチャー農園」でこのまま楽しい生活を送るのか、生まれ故郷の日本に何か貢献するのか。
パーマカルチャーには「Problem is the solution=問題のなかに創造的な解決策を見出す」という発想があるけど、「何かをしないと、このままでは希望がない」と思って、パーマカルチャーデザイナーとして東京で何かを起こしたら面白いんじゃないかと思って、TUPを始めたんだ。
菜央 どんな活動から始めたの?
海 パーマカルチャー関連のワークショップを開いて、ギフトエコノミーの一環としてドネーションで始めたんだ。そうしたら、ワークショップに参加していた、ささたくやくん(※)に紹介されて、雑誌『murmur magazine(マーマーマガジン)』で僕のことが紹介された。ドネーションで収入ゼロなのに、そのおかげで一気に名前が広がって(笑)
(※)ローフードレストラン「TABI食堂」などを展開。
それからゲリラガーデンをやったり、東京大学の「TEDx」でマインドフルネスの講演をしたり、渋谷の交差点でゲリラ瞑想をしたりしたんだけど。
また、ささくんの紹介で、表参道のアパレルショップ「かぐれ」や四谷三丁目のスペース「One Kitchen」でワークショップをやったり、西荻窪の「ほびっと村」でやったワークショップに雑誌『Spectator』の編集者が来て記事になった。僕の、アフロ頭の怪しいグル(導師)キャラクターのイメージはこの時にできあがったんだ(笑)
あまり知らなかったけど、ピンと来た
海 そのあと「One Kitchen」のスタッフのハラタクくんがきっかけで、TUPの本『都会からはじまる新しい生き方のデザイン』(エムエム・ブックス)をつくることになったんだけど、それに最初に乗ってくれたのがヒデさんだったのかな?
近藤ヒデノリ(以下、ヒデ) そうだね。僕が2005年頃にやってた『Tokyo Source』というウェブマガジンで知り合った料理家の松浦裕さん(つむぎや)に「表参道のかぐれで面白いワークショップをやっているよ」って誘われて行ってみたら、僕があまり知らなかった自然についてだけでなく、アクティビズムやアート、クリエイティブもあって、面白そう! とピンと来て。
それで何度か通ってるうちに海くんが「ZINEをつくりたい」って聞いて、自分の勉強のためにも本腰入れて手伝おうと思って。それ以来、パーマカルチャーにどっぷりはまって早10年(笑)
菜央 ヒデさんがパーマカルチャーに興味を持つまでの経緯は?
ヒデ そもそものスタートは阪神大震災で。当時CMプランナーをしていたんだけど、家の前の道路が全部めくれて周りでも人が大勢死んでいる中で、「俺は”クリエイター”として何をしたらいいんだろう?」って考えさせられて。
それで一旦東京に戻って3年後に休職して、写真と現代アートを勉強しにニューヨークの大学院に行った。そこで作品をつくってグループ展に参加したりしながら、会社の同期でご近所だった馬場正尊(建築家・「東京R不動産」主宰)らと意気投合して、都市と建築をテーマにした『A』というインディペンデントマガジンを立ち上げて、建築やアート、サッカーなど自由に特集を組んで紹介していた。
ヒデ このままニューヨークに残るか日本に戻るか迷いまくったんだけど、戻ってきた直後に9.11が起きて、『A』でものをつくるより、状況をつくる「アクティビズム」の特集を組んだりするようになって。
先の『Tokyo Source』を立ち上げて「大地の芸術祭」に行ったら、アートより棚田の美しさに感動したし、川で裸で泳いだりするなかで、ギャラリーのような人工空間を前提にした現代アートがちっぽけに思えてきた。そうして人間と自然の関係への意識が高まってたところに、3.11が起きて、家族もできて。そんな中で僕はパーマカルチャーに興味を持ったんだよね。
菜央 東京・経堂の自宅でコミュニティスペース「KYODO HOUSE」もやっているよね。
ヒデ 「KYODO HOUSE」は、ちょうど海くんと知り合ってパーマカルチャーを知った頃に、「アートと環境」をテーマにアーティストの名和晃平さんと「エアコンのいらない家」の環境チームと一緒に設計してたんだよね。
ヒデ そこで、『都会からはじまる~』をつくりながら学んだことや「Bullock’s Permaculture Homestead」のツアー(※)で体験したことを、この家で実践していこう! と思って「地域共生の家」として自宅を開いて実験していくことにした。
(※)ソーヤー海は「Bullock’s Permaculture Homestead」をはじめ、周辺のポートランドなど西海岸のパーマカルチャーの実践場をめぐる一般向けのツアーを数多く開催してきた
その後、「UNIVERSITY of CREATIVITY(UoC)」(※)を立ち上げることになって、僕はサステナビリティー領域のディレクターとして「サステナブルクリエイティビティ」をテーマに、根底には人と人、地域や自然、地球、生態系との持続可能な関係をつくるパーマカルチャーの考え方を取り入れて、都会の中心から、産業界も巻き込んで持続可能なカルチャーをつくっていきたいと思っている。
こうやって振り返ると、自分が育った都市型ライフスタイルの毒を解毒していくのにずいぶん時間かかった気もするけど(笑) もう戻れないし、気候変動は大変なことになってるし、暮らしも仕事もこっちの方向で全力を入れてやっていきたいなと思ってる。
(※)2020年に赤坂にオープンした領域を越えた創造性の教育・研究・実践を行う研究実験機関
近藤ヒデノリ(こんどう・ひでのり)
University of Creativity(UoC), サステナビリティフィールドディレクター/クリエイティブプロデューサー, KYODO HOUSE 主宰
1994年博報堂入社後、CMプランナーを経て、NYU/ICP修士課程で写真と現代美術を学び、9.11を機に復職。近年は「サステナブルクリエイティビティー」を軸に様々な企業・自治体・地域のブランディングや広報、商品・メディア開発、イベントや教育に携わり、2020年に創造性の研究実験機関 UNIVERSITY of CREATIVITY(UoC)サステナビリティ領域のフィールドディレクターに就任。領域を越えて持続可能な社会・文化をつくる創造性の研究・社会実装を行っている。編共著に『INNOVATION DESIGN-博報堂流、未来の事業のつくりかた』、『都会からはじまる新しい生き方のデザイン-URBAN PERMACULTURE GUIDE』等。「Art of Living」をテーマとした地域共生の家「KYODO HOUSE」主宰。2019年よりグッドデザイン賞審査員。 湯道家元で元バックパッカー、ハンモックとお酒が好き
そんな楽しそうな世界があるの!?
藤井麗美(以下、レミ) ヒデさんは3つ年上で、常に面白そうなプロジェクトにいるあこがれの先輩。『A』は全巻もってました(笑)
1990年代後半から2000年代初頭は、青山のIDEE(インテリアショップ)やリキッドルーム(ライブハウス)、新宿のロフトプラスワン(トークライブハウス)や文壇バーが面白くて、東京のクリエイティブな人たちが集まっててキラキラしてた。
私はそういうところに出入りしながら、同時に東大駒場寮廃寮反対運動に参加したりと、社会変革にも興味を持っていて。自然農法家の福岡正信さんの講座に何度か参加したこともあり、パーマカルチャー的世界観への関心は強かったんです。
いろいろあって30代で経営者になり、東日本大震災の翌年の3月11日に「ほびっと村」で開催されていた「パーマカルチャー講座」に参加しました。オレンジ色のグルっぽい服を着たアフロヘアーの男の子がいて「あちゃー、ヒッピーのお兄さんの会に来ちゃった!」っていうのが海くんの第一印象(笑)
ひとたび話が始まると、知らないことばかりで、手が疲れるくらいメモをとった。「そんな楽しそうな世界があるの!?」って。希望だった。
レミ 当時は親の急死で継いだ会社の経営中で、事業のひとつが被災して大きな復興の真っ最中。目の前のことで精いっぱいだったから、海くんの活動に興味はあったけど横目で追っている程度だった。4年やって、経営もうまくいかないし、人間関係と健康が破壊的になったときに、海くんが言ってたNVC(非暴力コミュニケーション)の存在を思い出した。それが2014年。そこから劇的に人生が変わって。
経営を降り鎌倉に越し、2015年のギフトエコロジーとパーマカルチャー・ツアーに参加。ツアーの最後に海くんとエリ(冨田栄里、後述)が「TUPを盛り上げるために必要なリソース」をリストアップしてくれた。そのスキルのほとんどを持っていたので、海くんのマネージャーをやることにしたんです。
ヒデ 都市のカルチャーで育ってきたとか、昔は資本主義や産業界のほうにいたけど、自然に惹かれてパーマカルチャーに入ってきたという出自も、僕とすごく似ているよね。
レミ パーマカルチャーっていうと、田舎で自給自足する方向もあるけど、人口の7割以上は都会に住んでるし、都会でクリエイティブに自然と調和するやり方もあるよってことを提案できたらいいなって思ってる。
クールで、みんなが「YES!やろうよ、それ!」って思えることを大切にしている。
藤井麗美(ふじい・れみ)
ライフコーチ/環境活動家
1974年東京生まれ。一児の母。途上国開発コンサルタント、広告代理店ディレクター、年商1億5000万円規模の経営者の経験を持つパーマカルチャーデザイナー。
8歳から「どうしたら世界中の人がもっと幸せになれるんだろう」と考えてきたウェルビーイング・オタク。学生時代は環境社会学と社会運動論(コミュニティビルディングとカウンターカルチャー)専攻。
ODAコンサルタント、広告代理店ディレクター、銀座のホステス、ホテル経営者など30以上の職を経験し、35か国を旅し暮らす中で、環境共生型でウェルビーイングな社会をつくれる希望を持つ。
キーになるのが、これまでの金融経済優先社会から環境共生型社会への移行と考え、実践者を増やすために、家事や人生や社会にもパーマカルチャーを適用する、ソーシャル・パーマカルチャー、インナー・パーマカルチャーを広めている。35か国を旅し暮らし身についた多国籍料理と、雑草とスーパーフードをハイブリッドしたプラントベースドで高栄養で美しい料理が得意。
それらの知恵を統合し、TUPの「希望の世界観」のショールームとして、2023年鎌倉にgeneral storeをオープン。
本業はライフコーチ。詳しくはくふうとまほうを。
「外で何があっても自分たちは生きていける」デザインが目標
冨田栄里(以下、エリ) 私は2001年からアメリカのサンディエゴに住んで、海洋生物学の研究をしていたから、海や環境問題に自然と興味を持って。
2011年にピースボートで通訳ボランティアをしていたとき、東京・国分寺でカフェスローをやっている吉岡淳さんが乗っていて、Satish Kumar(サティシュ・クマール、シューマッハカレッジ創設者)や自然農の川口由一さんのDVDを見せてもらったの。特にサティシュの提唱する「Soil, Soul, Society(※)」の社会のあり方が衝撃的で、これをベースにした 社会づくりに自分も貢献したいという思いが芽生えて。
(※)土(Soil)・魂(Soul)・社会(Society)、3つのSが生きていくうえで大事だとサティシュは伝えている。
それからハワイ在住のアーティストで平和環境運動活動家の小田まゆみさんがやっている「Gingerhill Farm(ジンジャーヒルファーム)」に行ったり、カリフォルニアの中学校で行われている”食べられる校庭”「Edible Schoolyard(エディブルスクールヤード)」を広めたいと思って指導し始めたりして、パーマカルチャーとはその流れで出会った。
2014年にツアーに参加したのが、パーマカルチャーのコンセプトを具体的に知った最初だと思うけど、自分のなかにすでにあった、目指したい社会を実現するための手段として加わった感じでした。
エリ このときはツアー参加者兼、運転手や通訳をサポートするスタッフとして参加したんだけど、それからはずっと海と一緒にツアーコーディネートをしていました。2014年のツアー、翌年の「Bullock’s Permaculture Homestead」ツアー、「カリフォルニアにも面白い人や場所がいっぱいあるからツアーをやろう」という流れからギフトツアーをやる羽目になっちゃったり(笑)、それからBioneers(※)を広めるツアーも。だから10回くらい海と一緒にやったのかな。
(※)カリフォルニアで毎年開催されるアクティビストの祭典
「Bioneers」にて。ディナー会場でたまたま出会えた「Bioneers」創始者のKenny Ausubel氏とエリさんと鈴木菜央(写真提供:スズキコウタ)
エリ いまは、学んできたパーマカルチャーのモデルを、人に伝えるだけでなく、実際に自分でやっているところ。これまでひとつの場所に数か月くらいしかいない人生が3年くらい続いて、滞在する先々で種まきとか収穫とかのいいとこ取りはしていたけど、多年草(※)を育てるようなことができていなかったんです。
(※)複数年にわたって育つ植物
海からも「畑をやらないとわからないよ? やりなよ」ってずっと言われていたんだけど、年間通してひとつの場所で作物を育て続ける、種まきから種採りまでする、というのがやっとできた。
畑でトマトとバジルを一緒に植えてみたり、家にあるたらいと鍋を並べて雨水を溜めてEM菌を入れて畑に撒いたり、収穫したもので梅干とかの発酵食品をつくったり。
「こういう人たちがいるんだよ」と伝えるだけでなく、「私はこうしているよ」「こういう学びを発見したよ」って、主語が自分になりかけてきている。
いまの住まいは郊外の住宅地だけど、子どもが大きくなるにつれて、家の畑に近所の子どもたちが来られるようになったらいいなって。理想を言えば、ポートランドの市民運動「シティリペア」創設者Mark Lakeman(マーク・レイクマン)の家みたいに周りの垣根が全部なくなって隣の人とやり取りできるようになれば、住んでいる場所への安心感は増えると思う。
最初は同じ価値観を共有している人たちとつながって、外の経済活動に左右されない流通システムとか、外で何があっても自分たちは生きていけるような独自のいかしあいのデザインをつくっていきたい。
冨田栄里(とみた・えり)
世界一周旅行中、サティシュ・クマール氏の提唱する概念 「Soil, Soul, Society」と出会い衝撃を受け、その後パーマカルチャー、食育菜園、ギフトエコロジーなど持続可能な社会モデルやそれを実践しているコミュニティーを日本に伝える活動を続けている。2017年、妊娠出産を機に15年間拠点にしていたカリフォルニアを後にし、帰国。現在は兵庫県伊丹の自宅を中心に関西をベースに息子とパートナーと共に7世代先の世代への贈り物となるような暮らしを日々模索し、実験実践中。
「都市を耕す エディブルシティ(リンク)」日本語版制作・配給元 Edible Media 代表
エディブルスクールヤードジャパン(リンク) 理事・チーフアンバサダー
自然と自分、命と自分、というつながりの経験
菜央 僕がパーマカルチャーと出合ったきっかけはアジア学院(※)でボランティアをしていた1999年。海くんと出会ったのは2012年頃にもらった海くんからのメールがきっかけなんだけど、「この人面倒くさそう」って半年くらい無視してた(笑)
(※)栃木県にある「共に生きるために」をモットーにした農村指導者養成学校
出会ってからは意気投合して、2014年のツアーに参加した。そのときはヒデさんと一緒だったよね。2012年ごろから僕はぜんそく、ぎっくり腰、うつ状態、おまけに家族関係に悩んで苦しんでいて、新しい生き方を模索していたのね。で、そのツアーで、パーマカルチャーや関係性のデザインを「自分のミッションにしよう」と決めて。だから僕としてはグリーンズとTUPの活動は連動している。
ショーコちゃんはどうかな?
榊笙子(以下、ショーコ) 私は東京の下町でずっと育っていたけど、社会人になってからNGOのワークキャンプに参加してインドの田舎に行ったとき、家の鶏小屋のニワトリを絞めていたのに衝撃を受けて。日本では鶏肉はパックで売られているし、余って捨てられることも多いし。そんなことを思って、ニワトリと、パックと、命、という関係を植え付けられたのがきっかけ。
そのあとに鎌倉に引っ越して、トランジションタウンや地域通貨、大豆レボリューション(種まき〜味噌づくりまでの大豆自給プロジェクト)、たねものや(種交換コミュニティ)に参加して、コミュニティで自分たちの見たい未来をつくれるんだって知ったの。それで、ローカルの仲間とEdible Greening(Patagonia鎌倉などとお店の周りを菜園にする活動)や、青空自主保育をはじめた。自分が興味のあるのは植物や人の「種を育むこと」だって気づいたの。
当時葉山に住んでた海くんや、鎌倉アーバンパーマカルチャーを始めたレミちゃんともこの頃出会ったね。自然と自分、命と自分、というつながりが、知識ではなく経験として積み重なってきて、パーマカルチャーにつながった。だから私にとってパーマカルチャーは「農的」だけでなく、思想や文化、暮らしや子どもの未来にすごくつながっていて。
愛知に引っ越してからはパーマカルチャーデザイナーとして活動を始め、海くんが愛知県立大学でイベントをした時に出会った、イベント主催者のタニー(谷口智子)、TUP仲間でセブンジェネレーションズ共同代表のあずみん(野崎安澄)とともに、2019年11月に愛知アーバンパーマカルチャー(AUP)を立ち上げた。
いまは街なかのコミュニティ菜園「Quruwa菜園」に関わりながら、アウトドアブランド「スノーピーク」の関係会社「スノーピークビジネスソリューションズ」のコワーキングスペースに、中部地方で活動しているPermaculture Design Lab.のメンバーと一緒にパーマカルチャーガーデンをつくっています。
循環型のガーデンがオフィスにあることで、働く人のピープルケアになったり、エッジを活かして街の人ととつながる場になったり、地球環境・働き方・生き方・持続可能なビジネスを考えるきっかけになればと思う。いろいろな人が集まる場所になるといいな。
榊 笙子(さかき・しょうこ)
パーマカルチャーデザイナー
「愛知アーバンパーマカルチャー」発起人
「スコシズツ.プロジェクト」共同代表
「たねとみつばち 土と太陽」 主宰
https://www.facebook.com/tembo619
東京下町生まれ。2019年鎌倉より岡崎へ移住。
まちなかでのコミュニティ菜園や、固定種・在来種の種をつなぐ種のシェアリング、アーバンパーマカルチャーコミュニティ、自然や地域のつながりのなかでこどもたちの生きる力を育む青空自主保育・自然育児の会・プレーパークを仲間とともに主宰。
人と自然が循環のなかで共に生き、豊かにいかしあう、持続可能な暮らし方のデザイン「パーマカルチャー」の考え方をベースにした場づくりや、大人・こども向けワークショップをしています。
(編集: 岡澤浩太郎)
(編集協力: 廣畑七絵、スズキコウタ)
(後編につづく)