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アマゾンの森を守ることは、すべての人が他者の人生を尊重することからはじまる。ヴァンダ・ウィトトさんと考える、先住民族のいま

遠い土地に想いを馳せるとき、
その距離をぐっと近づけるのは、そこに住む “誰か” の存在だ。
その “誰か” が “友達” なら、その距離はもっともっと近くなる。

地球全体の熱帯林のほぼ半分を占め、地球上で最も豊かな生態系を持つアマゾン熱帯雨林。アマゾンについて聞くことと言えば、大規模な森林火災、地下資源開発や牛肉生産にともなう違法な森林伐採のニュースなど、気候変動が叫ばれる現代の “最後の砦” のような土地だということ。想像が追いつかないような問題の大きさと、地球の反対側という物理的な距離によって、私たち自身の問題として捉えるのがとても難しいのが現実ではないだろうか。

飛行機から見たアマゾン熱帯雨林。果てしなく続く森の中に、血管がめぐるようにアマゾン川がたゆたっている。その沿岸のところどころに町がある(写真:佐藤有美)

2024年4月、そんな遠い遠いアマゾンの地から、ひとりの女性が初めて日本を訪れた。アマゾン先住民族・ウィトト族の、ヴァンダ・ウィトト(Vanda Witoto)さん。 ブラジル北部、アマゾン地域の玄関口である大都市・マナウスを拠点に、先住民族の文化や権利、そしてアマゾン熱帯雨林を守る活動を先導する、38歳の若き女性リーダーだ。

11日間の滞在中に東京、鎌倉、つくば、札幌で5つの講演やイベントを行い、アマゾン地域の現状や彼女の取り組みについて生の声を直接届け、のべ200名以上との出逢いがあったそうだ。

そしてそのご縁によって、greenz.jpでは2024年12月にオンラインでのインタビューを行い、こうして日本語で、彼女の言葉をさらに多くの人々に届けることになった。

北海道へも足を運び、民族共生象徴空間(愛称:ウポポイ)などのアイヌ関連施設の視察や、アイヌ文化を継承する人々との交流も熱心に行った(写真提供:矢部恒晶)

時差13時間。日本は夜でマナウスは早朝。オンラインで繋がった彼女は屋外にいて、背景にはたくさんの緑が生い茂り、途中で雨も降ってきた。通訳を介して聴いた彼女の言葉はとてもパワフルだったけれど、直感的に、逢って話したいと思わせる何かがあった。実際にどんな場所に住み、どんな人たちと関わって暮らしているのか。「逢いたい人には逢いにゆく!」が長年の私の信条。いつか必ず行くと約束をして、Google Mapにピンを立てた。

そして、そのいつかは、すぐにやって来た。
2025年2月、偶然が重なりブラジルを旅することになった私は、マナウスのヴァンダさんの拠点を実際に訪れ、インタビューの続きと撮影を行った。

そしてしっかり “友達” になって、帰ってきた。

ヴァンダさん自身が描かれたグラフィティの前で。ヴァンダさんと姪っ子のマリアと

1987年生まれのヴァンダさんが、私たちと同じこの現代を先住民族として生きてきた道のりと、彼女を通じて知るアマゾンの今は、これまで主にニュースやデータで見聞きしてきたアマゾンよりもずっと深く、近く、私たちに語りかけてくる。

私はこんなふうに生きてるよ。
では、あなたは?

地球のどこか、遥か遠く。
そう感じていたアマゾンが、実は自分たちの暮らしとつながっているとしたら? 彼女の等身大の言葉が、私たちとアマゾンとを繋ぐ大きな気づきをもたらしてくれるはずだ。

ヴァンダ・ウィトト|Vanda Ortega Witoto
先住民族リーダー・教師・医療従事者・起業家
1987年生まれ。マナウスから909キロ離れたソリモンエス川沿いの村で生まれる。10歳で学校に通うために家族で村を離れ、16歳からは単身でマナウスに移住。8年間家政婦として働きながら、高校、大学で学ぶ。マナウス市内の先住民族居住区にて教師・医療従事者として勤務する中、パンデミックに突入。行政の先住民に対する不当な扱いに抗議し、アマゾナス州でワクチン接種を受けた最初の先住民族女性として広く知られることとなる。以後はアマゾンの森と先住民族の文化・権利の保護を訴えるリーダーとして活躍中。2022年のCOP27(エジプト)、2023年のCOP28(アラブ首長国連邦)にも参加し、アマゾン先住民族としての視点から気候変動対策を訴えた。(Photo by Danila Bustamante)

アマゾンの森の中で生まれ育った「ミユキ」の
豊かな子ども時代

空港に着いた時から、よそに来たっていう違和感は全くなかった。日本食もすごく好きだし、独自の伝統文化、古いものが残っているのも素晴らしい。 まるで自分のホームにいるような感覚で、ずっと感動しながら旅をしていましたね、とヴァンダさん

ヴァンダさん ブラジルにはたくさんの民族がいるので、他の民族の仲間へ呼びかけるとき “パレンチ(parente)”という言葉を使う習慣があるんですね。それは、家族とか、親戚っていう意味。

実は若い頃、私のあだ名は「ミユキ」だったんです。大人気のドラマで日系人の女優が演じた役の名前が「ミユキ」でね(笑)。ブラジルには日系人もたくさんいるから間違えられることも多かったし、日本にはずっと親しみを感じていたけど、今回の旅を通じて日本の人たちは本当に “パレンチ/ 家族” だって実感しました。

10歳のとき、家族で村を離れて町へ。当時ヴァンダさん一家が住んでいた家が今も残っている

ヴァンダさんが生まれ育ったのは、コロンビアとペルーの国境地帯にあるアマゾン川の本流・ソリモンエス川のほとりの村。ウィトト族の祖先は、天然ゴム採取による開発を逃れ、1910年前後にコロンビアから国境を越えてこの土地に住み着いたと言われている。

ヴァンダさん ウィトト族は、約6,000ヘクタール(60平方キロメートル)のエリアに3つのコミュニティに分かれて住んでいて、私が生まれた小さな村には今でも30家族が暮らしています。一緒に暮らしていた祖母には9人の子どもがいて、孫もたくさんいました。私はその村で10歳まで暮らしていました。

豊かな川の流れがあって、 豊かな森に囲まれて。
私も子どもの頃から魚を捕り、畑を耕して、キャッサバ芋やバナナなどいろいろな野菜や果物を植えて、 とても豊かな暮らしがあったことをはっきりと覚えています。祖先から受け継いだ食の伝統が、今でもしっかりと残されているんです。

歴史に翻弄されたアマゾン先住民族

16世紀、スペインとポルトガルの探検家たちがアマゾンを訪れたことが、アマゾン先住民族と外部世界との最初の接触だった。その後、外部の影響は次第に強まり、世界中の先住民族が直面してきたように、土地の支配権を巡り多くの紛争や抑圧が生まれた。

コロンビア、ペルー、ブラジル三国の国境地帯からアマゾン川本流のソリモンエス川をボートで下りマナウスへ向かう途中、沿岸には多くの教会が見られた(写真:佐藤有美)

ヴァンダさん ウィトトって、とてもお祭り好きでね。大きな祭りが年に4回もあったんです。ただ、もうキリスト教の影響が入ってきていたので、キリスト教の聖人にちなんだ祭りでした。

だから残念ながら、私の記憶の中にはウィトトの伝統の祭りはありません。祖母はウィトトの言葉を話せる人だったけれど、それを教えてはくれなかった。言語とともに、祭りや文化も失われていきました。

でもね、 表面上はキリスト教の聖人を祝う祭りでも、そこでみんながすごく喜びに満ちて歌ったり踊ったりしていた光景を覚えていて。

特に女性たちは畑仕事をしたり、キャッサバ芋の皮を剥いたり、それを粉にしたり…、みんなで作業をして働きながらも常に笑って、歌って、踊って。とっても朗らかなウィトト族らしさが、祭りの中にしっかりと表現されていたように感じるんです。

キャッサバ芋をの皮を剥くヴァンダさんと村の女性たち

先住民族が直面した困難な時代を生き抜いたヴァンダさんの祖母。ウィトト族がキリスト教を受け入れ、伝統や儀式が次第に失われていく中、年寄り同士ではウィトトの言葉で語り合い、一人でいるときには歌を口ずさむこともあったという。

それでも、民族の歴史については一切語ろうとはしなかった。子どもや孫たちには民族の言葉を覚えてほしくはなかった。それは迫害や差別を受けて逃れてきたという、壮絶な先住民族の歴史を物語っている。

ヴァンダさん 自分が大人になった今、その意味を考えてみると、私たちの民族は沈黙を強いられた。言葉を奪われ、伝統と文化を消されてしまった。でもそれは、祖母たちが選び取った生き残るための戦略だったんですよね。社会から否定された、悲しい歴史だと受け止めています。

森には カヌマン(Kanumã) と呼ばれる神聖な場所があるから、訪れる時には森のスピリットたちに挨拶をして「お邪魔させてください」って伝えて入らなければいけないよ、とかね。 祖母が聴かせてくれた森の言い伝えや不思議なお話は、私の中にしっかりと生き続けています。

(写真:佐藤有美)

教育を求めて町へ、仕事を求めて大都市へ

森の中の村で10歳まで暮らした後、ヴァンダさんは家族で町の中心部へと引っ越した。小学校に3年間だけ通った経験がある父が、子どもたちには教育が必要だと考えての決断だった。当時、村には学校も医療サービスも、清潔な飲料水もなかったけれど、生きていくことにお金は必要なかった。でも、町での暮らしにはお金が必要。父も母も必死に働き、7人の子どもたちを支えた。

そして16歳からは、たったひとりでアマゾナス州の州都、大都市マナウスへ。メイドとして住み込みで働きながら学校へ通う暮らしを8年間続けた。

ヴァンダさん 村での生活ではお金っていうものを見たこともなかったので、初めてもらったお給料の100レアルが一体どれだけの価値があるのかもわからなかった。両親が本当に苦労しているのを知っていたから、遠く離れた母親にずっとお金を送り続けました。

1日に3つの家庭でメイドの仕事をして、本当に必死で働いて。雇い主からは高圧的な態度で命令され、言う通りにしていればいい、そういう使われ方をずっとしてきた。

家族と離れて、なぜ一人でこんなところにいるんだろう? 一体どういうことなんだろう? って…いろんな疑問や社会的な意識を持ちはじめて、勉強することがいかに大切かということにもやっと気づいたんです。その時こそが、活動家としての私が誕生した瞬間だなって、感じています。

勉強と仕事を両立し高校を卒業したヴァンダさんは、教師の紹介で菓子店に就職。能力が認められて正規社員となり8年間勤め、部下を抱えるマネージャーに登用された。ワンルームの部屋を借りて一人暮らしを始め、これまで自分がいかにこき使われ、搾取されていたかということに初めて気がついたと言う。

「ヴァンダは先住民族だよね?」
アイデンティティを目覚めさせた、友人の問い

1988年のブラジル憲法制定時に住んでいた土地しか先住民族のものと認めない考え方「marco temporal」に反対するヴァンダさん。赤いペイントは大地とのつながり、そして抵抗の意思を表す

職場でリーダーとしての素質を開花させていったその頃、同僚が言った一言がヴァンダさんの人生を大きく動かした。

「ヴァンダは先住民だよね? あなたはきっと大学に行けるよ」

大学って何? 自分がそういうところに行ってもいいの?
先住民なら大学に行けるってどういう意味?

ハテナだらけの頭でインターネットを検索すると、2012年に施行された「クォータ法」によって、連邦大学の定員の50%を公立高校出身者に割り当てること、この枠内で各地域の人種構成比に基づいて先住民族、黒人、混血などの学生に対する入学枠が設けられていることがわかった。低所得者層の学生にも優先枠が提供され、社会的・経済的に不利な立場にある人々の高等教育へのアクセスを促進していたのだ。

しかしそれ以前に、ひとつの大きな疑問があった。

ヴァンダさん あなたは先住民?っ て聞かれて、もう、きょとんとしてしまったんです。私はその時点で、自分がウィトト族であるということも知らなかったし、そもそも先住民なんだろうか? っていうこともはっきりと自覚がなくて。

生まれた村では「自分たちは先住民だよね」っていう会話なんて取り立ててなかったし、ただ日々を生きている、生活がそこにあるだけ。そんな会話を聞いたこともなかったんですよね。

それで、父に初めて「私って先住民なの?」って聞いたら、「そうだよ、ウィトト族だよ」 と。そういえば祖母から、私たちはコロンビアから逃れてきた民族だって聞いたことがあったと思い出したんです。

その時、私は27歳。まさに第二の誕生のようなできごとでした。すでに祖母は他界していたので、彼女からウィトトの歴史について聴くことができなかったのが本当に心残りなのだけど…。

お父さん、お母さんと。数年前にマナウスに呼び寄せ、現在は隣同士の家で暮らしている(写真:佐藤有美)

16歳で大都市マナウスへ出稼ぎに行き、その暮らしの中で受けた不当な扱いの数々。なぜ私がこんな目に遭わなければならないのか? それはアマゾン先住民族の壮絶な歴史の延長線上にある現実だ。ヴァンダさんはもちろんそれを感じながらも、自身が先住民族であるという自覚をはっきりとは持ってはいなかった。それが、ある日の同僚の問いかけによって一本の川のように繋がったのだ。

そして、ヴァンダさんはクォータ法を活用して大学に進学。多くの仲間と出逢い、先住民族運動のリーダーへと成長していった。

2016年、ブラジルの政治危機の中で多くの学生や市民が立ち上がり、ヴァンダさんもその運動に加わった。アマゾナス州をはじめ全国に「BRASIL é indígena!(ブラジルは先住民のものだ!)」というスローガンが広まり、先住民族の権利を守る声が高まった

出生証明書にあった名前
「Derequine = 怒りっぽい蟻」 とともに、生きていく

大学進学のために必要だった『先住民族出生証明書(Rani)』。その中には、ヴァンダさんのウィトト族としての名前「Derequine(デレキーニ)」が記されていた。「怒りっぽい蟻(アリ)」を意味する、ウィトトの言葉だった。

ヴァンダさんの拠点の壁に描かれた蟻のグラフィティ(写真:佐藤有美)

ヴァンダさん 私たちウィトト族は “大地の中心から生まれた民” であると言い伝えられています。なので、たとえばコカやタバコ、ボディペインティングに使う赤や黒の染料になる植物、ジャガーなどの動物…、自然界のさまざまな要素を名前にするという伝統があるんです。

私の家系は「サウーバ」という、森にいる大きな蟻。そして、私の名前は「Derequine = 怒りっぽい蟻」だった。“怒りっぽい”蟻って、とってもシンボリックですよね(笑)

自分の本当の名前を取り戻したヴァンダさんは、大学で教育学を学びながら、数年をかけて徹底的にウィトト族の歴史や文化を調べた。その探求の中で、祖母と同世代の親戚と出逢い話を聴いたり、ウィトトの言葉をまだ覚えていて話す人々が生きていることもわかった。

ヴァンダさん 私の記憶の中にある、女性たちがみんなで力を合わせて仕事をする姿。それってまさに蟻の社会だなあって。私個人の歴史を取り戻すつもりで探求してきたけれど、これはウィトト族全体で共有している、祖先からずっと受け継いできた歴史なんだと気づいたんです。

その中でも「Derequine = 怒りっぽい蟻」っていうのは私らしいなって思っていて。不正義を決して受け入れることなく、みんなで力を合わせて戦っていく。そんな蟻が持つ力を表しているようで、とてもしっくりきたんですよね。

(写真:佐藤有美)

ヴァンダさんは蟻をシンボルマークとし、のちに立ち上げるアパレルブランドの名前も「Ateliê Derequine(アトリエ デレキーニ)」と名づけた。一人ひとりは小さな力しか持たなくても、みんなで力を合わせた時にとてつもない力を発揮する蟻の社会。その中に現れた “怒りっぽい蟻” として、多くの人にパワーを与えていく存在となっていくのに時間はかからなかった。

2020年、コロナパンデミックで不足していたマスクの問題を解消するために、布製マスクを作り始めたのが「Ateliê Derequine」のはじまりだった(写真:佐藤有美)

“自分は何者なのか?”
大都市で見つけたアイデンティティ

ヴァンダさんが暮らすのは、マナウス郊外にある「パルケ・ダス・トリボス(Parque das Tribos)」。30以上の民族、14の異なる言語を話す約750世帯が生活する、2014年に生まれた先住民族コミュニティだ。民族や世代を超えてつながることで、都市環境で先住民族が感じる疎外感を乗り越え、先住民族としての文化的アイデンティティを守り、子どもや若者たちへも伝えていくことを目指している。

様々な先住民族が暮らすパルケ・ダス・トリボス。ヴァンダさんと道を歩いていると「彼女はコカマ族、彼はティクナ族だよ」と友人を紹介され、日常の中で混ざり合って暮らしていることが体感できた

ヴァンダさん 私は27歳で大学に入学するまで、 “自分は何者なのか”を全く知らずに生きてきた。それを取り戻していくのはとても辛いプロセスでもありました。民族の世界観のベースである言語や文化の大半が失われている現実を目の当たりにするんです。

たとえば、アマゾン先住民族にとってはコカやタバコのような植物が自然のスピリットとつながるためにとても重要な役割を持つのですが、特にコカについては、コカインの原料になるということでブラジルでは禁止されていたりね。

コロンビアから逃れてきたと言われるウィトト族。その源流を辿ってコロンビアを訪れ、ウィトト族のコミュニティでコカの葉を摘み、彼らの儀式に欠かせない「マンベ(Mambe)」をつくる一連の作業を体験させてもらった(写真:佐藤有美)

ヴァンダさん でも、このマナウスという大都市に暮らしているからこそ、取り戻せたとも感じていて。大学でたくさんの人に出逢って、今暮らしている大きなコミュニティにはさまざまな民族がいる。ブラジル社会の中で、私たち先住民族に対しての偏見や差別はまだまだとても強い。だからこそ、“自分は何者なのか” を常に問い直して、見つけ出していくことはすごく大切なことなんです。この環境だったから、私も諦めずにアイデンティティを取り戻していくことができたのだと感じています。

ヴァンダさんの部屋の棚には、さまざまな民族から贈られたカゴや民具、動物の形の椅子、羽飾りなどが所狭しと並んでいる(写真:佐藤有美)

2019年にパルケ・ダス・トリボスで開催した集会では、さまざまな民族が言葉や文化、歌などを取り戻していく過程にあることを表現し、「私たちはここにいる!生きている!」と強く主張。メディアの注目を集め、SNSを通じての発信も大きな広がりを見せた。

次第にマナウスにおける先住民族活動の女性リーダーの顔となっていったヴァンダさんは、2020年のコロナパンデミックにおいてその存在がブラジル全土へ知られることとなる。医療従事者として政府に積極的に掛け合い、アマゾン先住民族への医療サポートやワクチン接種の緊急性を訴え、アマゾナス州でワクチン接種を受けた最初の先住民女性として広くメディアに取り上げられたのだ。

ワクチン接種を受けるヴァンダさんが掲げているマラカ(Maracá)はアマゾン先住民族にとってとても大切なもの。丸い形は大地を表し、マラカを振ることで出る音は大地を癒し、精霊たちを呼び覚ますと言われている

子どもや女性が
自分に自信を持てる社会を目指して

先住民族リーダーとして忙しい日々を送る彼女の大きなテーマは、子どもと女性。自分自身の過去を振り返り、同じようにアイデンティティに悩む人をサポートしたいという想いが大きな原動力になっている。

ヴァンダさん 民族のもともとの土地を離れて都市で暮らしている先住民族は自己肯定感がすごく低いことが多くて。 私もそうでしたが、雇い主に高圧的な態度で扱われたり、言葉や容姿のことを言われたり…さまざまなことで自信をなくして、自分なんてどうでもいいんだ、という気持ちが湧いてきてしまうんです。

2019年にブラジルのウィトト族のリーダーに任命された。羽の冠はリーダーの象徴、これまでは男性のみ被ることが許されていた(写真:佐藤有美)

ヴァンダさん 都市で暮らす先住民の自殺率が非常に高いというデータもあります。先住民の伝統的な文化や儀式は悪魔的なものだという決めつけや刷り込みをされてきた結果でもあるんでしょうね。

だから、週末にはコミュニティの子どもたちに教室を開くことをずっと続けていて、民族の言葉や歌など、祖先の叡智をみんなで楽しみながら学んでいます。子どもたちのエンパワーメントですね。社会の偏見の中で自己肯定感が下がってしまわないように、教育には非常に力を入れています。

毎週土曜日に自宅の一角をひらき、4〜12歳、12の民族の子どもたち約50人が集まる。みんなでご飯を食べ、先住民族の言語や歌、踊りなどを楽しみながら学ぶ

そして、もう一つが女性のための取り組み。アパレルブランド「Ateliê Derequine」の起業だ。ヴァンダさんの原風景にある、女性たちがおしゃべりを楽しみながら共同作業をする姿。都市での暮らしの中にそういった風景をつくり、都市生活に必要なお金も生み出すことはできないかと、ウィトト族を含め3つの民族、8家族の女性たちとともに運営している。

「Ateliê Derequine」の統括を担うのは、ヴァンダさんの妹・レシアさん(中央)。ウィトト族の伝統歌を歌う女性グループ「Ruaringo」のメンバーでもある(写真:佐藤有美)

ヴァンダさん 町で権利を求める運動をやっている先住民に対して「不満があるなら森へ帰れ!」っていう言い方がよくされるんです。森ではお金がなくても生きていけるということが、迫害の理由になってしまう。だから、森での暮らしにはお金は必要ないけれど、町では収入を得ることが人としての尊厳を守ることに繋がります。

他の民族やさまざまな人種の人に着てもらえれば、それが文化を伝えることになる。ファッションの領域からなら、それを伝えていけると確信しているんです。

2025年2月に開催されたファッションショー。メンバー自身がモデルとしてランウェイを歩くことにも挑戦している。伝統の紋様をデザインに取り入れ、ファッションとボディペインティングを組み合わせて見せたり、森の恵みである種や植物の繊維などでパーツやアクセサリーも手づくりしている

文化を守り発信することで、自分たち自身で未来を切り拓く。それこそが、揺るぎない自信へとつながっていく。今はヴァンダさんの自宅の一角に屋根をつくってアトリエとしているけれど、もうすぐ道を挟んだ向かいの土地に新しいアトリエとショップも建設予定。

みんなで力を合わせる “Derequine/蟻” たちの夢は膨らむばかりだ。

(写真:佐藤有美)

アマゾンを衛星から監視するのではなく
そこに暮らす人々を見てほしい

ヴァンダさんの挑戦は止まらない。2022年にはブラジル連邦議会下院選挙、2024年にはマナウス市議会議員選挙に立候補。惜しくも当選を逃したものの、さまざまな分野でボーダレスに活躍するヴァンダさんは人々を勇気づけ、Instagramのフォロワー数は5万5,000人を超えている。

2024年のマナウス市議会議員選挙では、全候補者の中で23位(定数41)の8,374票を獲得したものの、政党得票率という選挙の仕組みにより残念ながら当選には至らなかった

2023年に新設された「先住民族省(Ministério dos Povos Indígenas)」の初代大臣に、2022年の下院選挙で当選した女性、ソニア・グアジャジャラさんが任命されたことも重なり、ブラジル社会では先住民族の女性リーダーのめざましい活躍に注目が集まっている。

2023年のCOP28にブラジル代表団の一員として参加。ブラジル先住民族省の初代大臣ソニア・グアジャジャラさん(右から2人目)が団長を務め、気候変動の影響を直接受けている先住民族こそが意思決定の場に参加すべきだと訴えた(Photo by Estevam Rafael)

ヴァンダさん  私には実現したい社会があるので、それを叶えるにはやっぱり政治の中から動かしていかなければいけないこともあるんです。だから、諦めるつもりはありません。

私の生涯のテーマである、子どもと女性の権利を守ること。
そして、地球規模の気候変動の問題。アマゾンではここ2年連続で、川底が見えるくらいにアマゾン川が干上がる大干ばつが起きています。気候変動による異常気象が、私たちアマゾンで暮らす人々の生活にダイレクトに影響を与えています。

川が干上がれば魚が捕れない、船が運行できずに物流が止まる、そして水へのアクセスがなくなる。なのに行政は飲み水がない事態に陥ってる地域に給水車も出さない、そういう状況がありました。

選挙の際の広報ツールだったステッカー(写真:佐藤有美)

ヴァンダさん 世界は通信衛星を使って、宇宙から、アマゾンの森林火災や違法伐採を24時間監視しているくせに、そこに生きている、そして苦しんでる人々を全く見ていない。

そういう皮肉った言い方をいつもするんですけど、飲み水を手に入れるっていう、基本的人権の最低限の権利すら守られていない。この状況を政治の力で変えていきたいんです。

国内外どこへでも出向き直接声を届ける。部屋にはこれまで招致された国際会議等のたくさんのパスが(写真:佐藤有美)

私たちにとって、自然は家族
自然そのものに生きる権利がある

気候変動問題の中で、常に議論の中心になるアマゾン熱帯雨林。それは、地球全体を見渡しても、これだけ広大で生物多様性に満ちた森が残る場所はここしかないからに他ならない。

アマゾンを守ろう!森を守ろう! そういった世論がますます高まる中、ヴァンダさんは強い違和感も感じていると言う。

擦ったキャッサバ芋を入れ、水分を絞る筒状の民具。上下に伸縮するように編まれているので、ぎゅっと縮めると水分だけが出てくる。ウィトト族をはじめ多くのアマゾン先住民族に欠かせない道具だ(写真:佐藤有美)

ヴァンダさん 人間社会は自然が壊されるのが心配だって言うけれど、その自然を守る人々への心配はない。森に暮らす先住民の権利については語ろうとしない。自然を収奪して利益を得る一方で、守れと叫ぶのは矛盾していますよね。

自然には再生する力があるから、人類が絶滅しても一切困らないし、逆にいいくらいかもしれない。自然に依存しないと生きていけないのは、私たち人間の方です。

特に私たち先住民は、この自然そのものに依存して生きている。清らかな空気と水、食料。自然とともに生き、守り、依存して暮らす人々についての議論がないのは、おかしいと思っています。

私たちにとって、自然は “パレンチ/家族”。
自然そのものに生きる権利がある。
そして、私たちもまた自然の一部だから、死んで肉体がなくなっても魂は循環して、蟻になったり、蝶になったりして巡っていく。そういう世界観の中で生きているんです。

あなたたちはどうでしょう?
死んだら何になる? そういう精神性を持たない、自然を単なる資源としか見ていない人たちが、自分の命が依存している自然を壊すだけ壊していませんか?

週に2回、住民たちに食事を提供するコミュニティキッチン「Boca da Mata」に描かれたマナウス出身のアーティストAndré Hullkのグラフィティ。「台所は知識や記憶が受け継がれる場。森の食材がアイデンティティと抵抗のシンボルへと変わることを表現した」とAndré。彼の作品はブラジル国内のさまざまな都市で見ることができる(写真:佐藤有美)

ヴァンダさんの言葉が、都市で暮らす私たちにグサグサと突き刺さる。自然が破壊されて困るのは私たち人間。死んだら何になる? その責任を持って、私たちは自然からの恩恵を受けているのだろうか? 森に住んでいなくても、目の前にある川の水を直接飲むような暮らしをしていなくても、想像力を持って日々の選択をすることはできるはずだ。

ヴァンダさんの話を聴きながら、私は世界中の先住民族が語るさまざまな世界観に想いをめぐらせていた。そこに共通するのは、自然をそれぞれの “人格” として、まるで家族のように親しみを込めて見つめるあたたかい眼差しと、決してコントロールできるものではないという畏敬の念を持っていることだった。


ヴァンダさんの自宅の庭。マナウス郊外でありながらも、生命が溢れている(写真:佐藤有美)

身近な当事者がそこにいることが
世界の見方を変える一歩になるから

(写真:佐藤有美)

近年、世界中で高まり続けている先住民族への関心。その視線はこれまでの「研究・観察対象」としてのものから、“かっこいい!” というような、憧れさえも含まれるようになっていると、私は感じていた。

ヴァンダさんに問いかけると、ブラジルでは先住民族を邪魔に思っている人はまだまだ根強く存在し、闘いは続いていると言う。一方で、顔の見える関係性から、少しづつ少しづつ、光も見い出している。

ヴァンダさん 自分とは違う他者へのリスペクトを持ち、世界の見方を変えていくには、やっぱり身近な当事者と直接関わり合うことがとても大切なんですよね。その経験を通して、人の考え方は変わっていく。本当に少しずつですが、そんな変化が起きはじめているように感じます。

私がそうだったように、大学には先住民の学生も増え、運動体をつくって同級生たちに直接はたらきかけていく動きがある。小中学校でも、ブラジルには先住民やその他の人種、文化的な多様性を持った人々がいることを授業で教えることが義務付けられた。これはとても大きな変化だと思っています。

そして私たちも、長い植民地時代から蓄積されてしまった「先住民には何の価値もない」っていう、一人ひとりの中に刷り込まれたその価値観を変えていく。

私たちが揺るぎない自信を持って、先住民の文化の価値を再構築し、その価値を発信していくこと。そして、そこに興味を持ち、関わる人が増えていくこと。内から、外から、その両面が必要なんです!

ヴァンダさんの拠点の入口に描かれた「Casa de Conhecimento Ancestral」の文字。直訳すると「祖先の叡智の家」(写真:佐藤有美)

私はブラジルまで彼女に直接逢いに行き、ほんの少し話をしたところで「お昼にしよう!」と言うのでお母さんが作ってくれたご飯を一緒に食べ、また少し話したところで「おやつにしよう!」と言うのでアサイーを食べた。口をアサイーで紫色に染めながら楽しげに話し続ける彼女を見て、もう心の底から大笑いしてしまった。彼女のことが、大好きになった。

私にとってアマゾンが、遥か遠くの地球のどこかではなく、友達が住む場所になった瞬間だった。

(写真:佐藤有美)

世界の先住民族、そして自然に対しても
すべての人が他者の人生を尊重する世の中へ

マラカアナデ ヘイヘイ(maraka’anandê hei hei)
ハ ヘイヘイ マラカアナデ(ha hei hei maraka’anandê)

マラカアナデ(MARAKA’ANANDÊ)とは “大きな祭り”。
2024年4月の来日でのいくつかの集いの最後に、ヴァンダさんが皆と寄り添い腕を組んで歌った歌。この大きな祭りに、踊りの輪に、みんな集まって!と、民族を超えたすべての人々を誘い、地球のすべての命を祝福し、この大地を大切にしようと呼びかける歌なんだよ、とヴァンダさんは語り、一人ひとりと目を合わせて腕を取り合い、大地を前後に踏みしめながら歌ったのだった。

「歌や踊りは私たちのスピリチュアリティを表し、生きることそのものを表現しています。歌い踊ることで、大地とつながるのです」札幌で開催されたイベントの一コマ(写真提供:矢部恒晶)

彼女が日本を訪れ、200名もの人々に直接出逢い、声を直接届けた意義はとても大きい。彼女と直接触れ合っただけで、衛星写真で見ていたアマゾンがぐっと身近な場所になったはずだから。

さらに、ヴァンダさんたっての希望で北海道まで足を延ばし、アイヌ関連施設の視察やアイヌ文化を継承する人々との交流も熱心に行った。

「女性たちと薬草について意見を交換し合ったり、体に文様を描くボディペインティングも体験してもらいました」民族共生象徴空間(ウポポイ)にて、職員の川上トゥッカンタㇺさんと(写真提供:矢部恒晶)

ウポポイの他、平取町立二風谷アイヌ文化博物館、萱野茂二風谷アイヌ資料館など多くの場所を訪れ、じっくり話をする機会を持った。木工作家の貝澤徹さんの工房にて(写真提供:矢部恒晶)

アマゾン先住民族と同じく土地を追われ、言葉や文化を奪われ、苦難に満ちた歴史を持つアイヌ。北海道にはアマゾンのような先住民族保護区はない。先住民族にとって土地を失うことは、その土地に張り付いたスピリチュアリティを失うことと同じだからと、その残酷な現実を知り、ヴァンダさんは大きな衝撃を受けたと言う。

それでも、歌や踊り、工芸や食文化など、その豊かな文化に触れ、直接交流できたことに大きな希望も抱いた。

ヴァンダさんが国立アイヌ民族博物館に残したメッセージ。Murui Muinaneとはウィトト民族自身が自分たちを表現する本来の呼び名。ブラジルのウィトト族リーダーとして、コカの栽培の特別許可や、Malocaと呼ばれる大きな茅葺きの集会場をつくることはヴァンダさんの大切な目標だ(写真提供:矢部恒晶)

ヴァンダさん 日本とアマゾンは世界で最も遠い、地球の反対側。でも、尊厳のある生き方を求める闘いの中では、私たちは共にあると思っています。

アマゾン、アイヌ、そして世界中の自然の守り手である先住民族に想いを寄せてほしいと思うと同時に、すべての人が他者の人生を尊重することがとても大切だと思うんですよね。

そしてそれは、自然に対しても同じ。
私たちは、川や森、山や海、自然がなくては生きていけない。それが人間という存在なんですよ。家族を思いやるように、自然に対して想いを寄せてほしい。それが私の願いです。

手仕事をするアイヌ女性の写真に見入るヴァンダさん。口の周りに施した「シヌイェ」(入れ墨)に、アマゾン先住民族との共通性を見い出していた(写真提供:矢部恒晶)

アマゾンの森を昔むかしから見つめてきた蟻が人間のかたちをして私たちの前に現れ、私たちにもわかる言葉で、そんなお話をしてくれた。
ヴァンダさんの話を振り返ると、そんなふうに思えてならなかった。

これはおとぎ話でも昔話でもない。
今を生きる私たちと同じ、今を生きる彼女の話。

私はこんなふうに生きてるよ。
では、あなたは?

友達からのその質問にまっすぐに答えられるように、生きていこう。

ヴァンダさんの夫であり活動全般を支えるシドニーさんと、姪っ子のマリア。3人はいつも一緒(写真:佐藤有美)

オンラインインタビュー通訳:下郷さとみ
現地通訳:Manami Eto
企画:小倉奈緒子、佐藤有美
編集:増村江利子、廣畑七絵
協力:武田エリアス真由子、Noemia Kazue Ishikawa、矢部恒晶、服部章子