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わかりあえないけど、それでも“地域で生きる”をやめない。ぐるんとびーが団地の片隅から世界を本気で変えていく「絶望を持続させない社会」のつくりかた

「共に暮らし、生きる。」このキーワードにどんな光景が浮かびますか?
家族、ルームメイト、シェアハウス、エコビレッジ…。昨今、暮らし方は多様化し、気のあう人、志が同じ人を大きな家族とみなしたりと、自由度も増しているように感じます。

では、“地域まるごとを一つの家族”とし、暮らしをつくるといったら?
思いが同じ人もそうではない人も子どもも大人もおじいちゃん、おばあちゃんもごちゃまぜにいて大家族ですね。

この“地域まるごと”で暮らすことを「地域を一つの大きな家族に」という合言葉で実践し、本気でそのための仕組みと土壌づくりを絶え間なくトライし続けているのが、2015年、団地の一室から始まった株式会社ぐるんとびー(以下、ぐるんとびー)です。

特筆すべきは、ぐるんとびーが単に地域の中で介護事業を行っているのではなく、その地域で暮らす人たちの「暮らし」をつくり、「みんなと生きる」を実践、実現に向かっている本気未来型事業だということ。

介護を通じ、そして介護を超えて地域を耕す、そんなぐるんとびーの活動は、2020年アジア太平洋地域「高齢者ケア・イノベーション・アワード」で最優秀賞を受賞。2021年には公益社団法人かながわ福祉サービス振興会が主催する「第9回 神奈川福祉サービス大賞」で大賞を受賞。国内外から注目を集めています。

今回は、「わかりあえないけど同じ場にいて、共存していく。それが元々の“地域”ではないだろうか」という問いのもと、グリーンズのスタッフであり、ぐるんとびーにも2年近くスタッフとして携わっている小倉奈緒子をインタビュアーに、チームグリーンズでぐるんとびーを訪ねました。

ぐるんとびーの現在地とこれから。そして本当の意味で「地域に住むみんなで生きる」とは。

“本気で地域で暮らす”本質とは。そこにはどんなリアルがあり、未来が広がっているのか。

わかりあえないけど一緒にいる、それが地域で暮らすことの本質

代表の菅原健介さんは、ぐるんとびーは介護事業所ではなく、「おせっかいな住民たちの集まり」だと言います。

菅原さん そもそも人間は、そんなにサービスがなくても地域で助け合っていけば割とできることは多いはず。僕らのようにおせっかいを続けていると、いいことも悪いことも起こりながら、それでも「まあほどほどに幸せだよね」ってなんとなくイメージできる人が増えていく。そう感じられる人が増えるための仕組みづくりを僕はずっとしています。

菅原健介(すがはら・けんすけ)
1979年生まれ。鎌倉出身。中高の学生時代をデンマークで過ごす。東日本大震災発生後、ボランティアナースのコーディネーターとして現地に入りしたことをきっかけに地域密着型の介護事業所をつくることを決意。2015年、神奈川県藤沢市にあるUR都市機構パークサイド駒寄団地の一室で小規模多機能居宅介護事業「ぐるんとびー」を始める。
「ぐるんとびー」とは、デンマークの対話型教育の父“NFS・グルントヴィー”からの引用。

2015年にはじまったぐるんとびーは、医療、介護を中心に、地域の見回りや子供のスポーツ教室、八百屋(!?)など地域で必要とされるあらゆることを実践しつつ、トライアンドエラーを繰り返し進んできました。

ぐるんとびーの拠点、神奈川県藤沢市にあるUR都市機構パークサイド駒寄団地(260世帯)。高齢化率は80パーセント。現在、ぐるんとびー利用者8名(定員29名中)、菅原さん一家、スタッフが移住。住民として自治会活動にも参加しています

小倉 地域づくり、サードプレイス的なところにある、「共感するから一緒にいる」というものではなくて、「わかりあえないけど一緒にいる」を実現しているぐるんとびーの、現在地と葛藤や仕組みづくりのお話を伺えればと思います。

駒寄団地の一室にあるぐるんとびーの事務所にてインタビュー。下の階が利用者さんが集う小規模多機能型居宅介護事業所です

菅原さん 今8年目にきてやっと、スタートする位置が見えてきたところです。畑だと開墾が終わり、「畑をつくるぞ」というマインドが少しずつ育ってきたというところ。

地域でなにかをやろうとするとき、よく地域共生、共に暮らす、多様性などと言いますが、仮に隣に変わった人が越してきて毎日壁をどんどん叩かれたとしたら、いい加減にしてよ、となりますよね。多様性は多くの場合、距離があるから言えることです。

例えば以前、利用者さんの排泄物が誤ってエレベーターに落ちていて、住民が怒って乗り込んできたことがありました。利用者さんの部屋で水漏れがあった時は下の階の人が、普通は上の部屋に直接伝えるはずなのに、「ぐるんとびーが管理してるんでしょ」と苦情がくる。確かにぐるんとびーも無関係ではないので住民の方の苦情も当然だと思います。

その度に対話をしたり、スタッフが誠意を持って対応したり、そういうことが積み重なった結果、やっと地域の人たちもイレギュラーなことは日常に起こりうると認識し慣れてきたというところです。

ぐるんとびーを始めたころから10年目がスタートライン、ビジョンの実現にはさらに30年かかると考えていたという菅原さん。

菅原さん 今はまだ周りからの評価も出にくい時期で、さらに経済的メリットも少ない。スタッフも先行きの見えづらさの中で疲れてしまうこともある。
でも、これから僕たちの事業が圧倒的な価値になっていく確信はあります。

取材の日、偶然にも団地を管理するURと自治会、ぐるんとびー協賛の第一回目のお祭りが開催されていました。団地の住民、利用者さん、スタッフの家族ごちゃまぜで楽しんでいます

地元の農協や地域のケーキ屋さんも出店。子どもたちにはぐるんとびー印の金券も

ぐるんとびーという存在、仕組みが圧倒的な価値になる。そう力強く語る菅原さんはぐるんとびーが掲げる「地域を一つの大きな家族に」の本質をこう続けます。

菅原さん 僕らはよく“ほどほど幸せ”と言いますが、その根底にあるのは、「誰も絶望が持続しない社会」をつくるということです。

ビジョンとしては、社会において孤立する人の家族性を拡張するということ。そこがぐるんとびーがこれまでやってきたことの中心となるテーマでもあります。

菅原さん 実は、この地域でも希望が見えなくて結果起きてしまう事件は頻繁にあります。そこを誰も助けない、見て見ぬふりをするのが今の社会かなと感じていて。

ぐるんとびーがやっていることは、地域ぐるみで本気で人を気にかけて、孤立しそうな人が、理解しようとしてくれる人に出会うきっかけをつくることです。

そのうえで、一方的に支援する・されるではない関係性をつくることが大切だと菅原さんは続けます。

菅原さん ぐるんとびーでは、手取り足取りの丁寧な介護をしていると、「丁寧な介護は人を殺すでしょ」という話になることもあります。高齢者がスタッフや周りの人にずっと「今日もきてくれてありがとうね」と言い続けることは、時に自尊心をどんどん削られていくケースにも成りうる。「できないことをしてくれてありがとう」なので。

「丁寧な介護は人を殺す」。強い言葉のようにも感じますが、例えば、転倒の可能性のある利用者さんには、ご本人とご家族に転倒のリスクを説明。それでも自分の足で歩きたいと言う場合は、スタッフがすぐにサポートできる位置に立ち、リスクを最小化しつつも、体に必要以上には触れないようにします。

お茶を飲む場面ではあえて、お茶のセットを誰でも手に取れるところに置き、利用者さんがみんなにお茶を入れてあげることもできるようにします。このように、できることは自分でしつつ、利用者さん同士、利用者さんとスタッフの間で、対等な関係性を築くことに重きをおいています。

菅原さん 介護するだけではなく、逆に「あなたという存在が誰かの人生を豊かにしている」と感じられる機会を増やすことは、シンプルだけど大事にしていること。お互いさまな関係が必要なんです。
結果として、この地域において孤立する人の家族性を拡張することにつながっています。

利用者さんが地域の子どもと放課後遊ぶ光景も。「お互いさま」が当たり前のぐるんとびーです(画像提供:ぐるんとびー)

家族性を拡張する

孤立する人の家族性を拡張する、それは、さまざまな関係性をつくりながら、その人の暮らしをつくる場所や人と接続していくことでもあります。実際、ぐるんとびーではどんな事例があるのでしょうか。

菅原さん 例えば、認知症が進み、ご本人、ご家族だけでは暮らすことが困難になった時、介護先としてぐるんとびーを紹介されても本人が頑なに拒むケースがあります。

本人が認知症を認めないこともある中で、ぐるんとびーが大切にしていること。それは、ご本人の気持ちを尊重しながら利用者さんひとりひとりに合った方法で、まずは信頼関係を築くことです。

菅原さん ご家族と相談しながら、まずはどうしたら本人からぐるんとびーと関わりたいと感じてもらえるかということを考えます。

ある利用者さんは、話をしたくても、まず家族以外誰も家に入れてくれないという状況でした。ただ、食事のサービスなら受け取ってくれる可能性があるという。そこでスタッフが3ヶ月間お弁当を届け続けたんですね。同じスタッフが決まった曜日、時間に訪ねることでだんだんと顔見知りになり、辛抱強く話しかけていくことで、徐々に部屋にも上げてもらえるようになりました。

地域の需要を受けてぐるんとびーが始めた八百屋の存在も、利用者さんが外に出る一歩目に有効だったと続けます。

菅原さん 何気ない会話の中で、「今日、八百屋やってますよ、一緒にいきませんか」と誘うんです。

外へ足が向かうようになったら今度は花壇のお世話をお願いしました。ご本人がお花が好きだということと、実際スタッフが花壇の世話まで手が回らなかったという背景からですが、一緒に作業をする中で「自分がお世話をしないと」という使命感が利用者さんの中に育ったようです。まわりとのコミュニケーションも少しずつ増えてきて、そうして半年という時間をかけて、ぐるんとびーの利用が始まりました。

本当に地道で一歩一歩ですが、そうやって関係性をつくりながら接続していきます。

高齢者の買い物の利便性を上げる役割と同時に、外にでるきっかけにもなっている八百屋さん(画像提供:ぐるんとびー)

ご近所のお花屋さんからも花の提供があるなど地域と交流できる花壇です(画像提供:ぐるんとびー)

こうした関係性をつくる過程は、時に無償で数ヶ月間おこなうこともあるそう。でも、その接続が地域で暮らすことにおいて必要だから、と菅原さん。

菅原さん これまで家族だけでは担えないことをまるごと僕らはやってきたと思っています。本来、家族だけでやる必要がない困りごとを、家族性を拡張させることで誰かが担えばいい。さらにこれから僕たちがやっていきたいのは、ぐるんとびーだけではなく、地域の中の企業やお店も一緒に家族性を拡張させる仕組みづくりです。

ぐるんとびーには、血縁関係のない認知症の利用者さんと実際に団地でルームシェアをしていたスタッフもいます。

ぐるんとびー1年目で利用者のSさん(83歳、アルツハイマー型認知症、要介護度5※)と約1年間ルームシェアをしたのは、スタッフの川邊祐詩(かわべ・ゆうし)さん。Sさんは2022年3月に他界され、ルームシェア生活は幕を閉じました。家族性の拡張をまさに体現している彼は、なにを感じたのでしょうか。

※要介護度5…食事、排せつ、着替え、寝返りなど、あらゆる場面で介護が必要とされ、意思の疎通も困難な状態

スタッフの川邊祐詩さん

川邊さん 僕とSさんの関係は、友達、擬似家族などは当てはまらなくて、名前がつけられない関係だったなと今でも思っています。

Sさんとの暮らしを、「介護ではなく、“共に暮らすこと”だった」「学ぶことがたくさんあった」と振り返る川邊さん。1年間の思い出をご自身のnoteにも綴っています(画像提供:ぐるんとびー)

認知症が進行するとともに家族と暮らすことが困難になっていたSさん。川邊さんは、ぐるんとびーで仕事を始めるタイミングでケアマネージャーさんに「ルームシェアをしてみない?」と相談され、駒寄団地の一室でルームシェア生活をスタートしました。

介護の仕事を始めたばかり、かつ、はじめて認知症の人と暮らす不安から、最初は何度もSさんの部屋へ様子を見に行くこともありました。

同僚たちに相談する中で「関わりすぎないことも大事、“介護する”というマインドは違うのでは」という言葉をもらいます。それからは、介護する・されるの関係ではなく、人と人との関係性から自然とわきあがってくる日々のことを大事にしてきました。

一緒に朝食を食べ、同じ団地の中にあるぐるんとびーの施設へ通い、ときにはともに外出し、寝支度をしてそれぞれの部屋で眠る。一緒に暮らしを楽しむことはもちろん、時には川邊さんが仕事の相談をし、Sさんから的確なアドバイスをもらうことも。また彼女ができたと紹介したときには、バンザイをして喜んでくれたのだとか。

そんな日々の中で、こんなこともありました。

川邊さん ある日、夜中12時に飲み会から帰ってきたら、Sさんが体中排泄物まみれになり混乱してたんです。これは困っているなと思い、全身拭いて、きれいになると本人も安心したのか、「ありがとう!」と寝たので、僕も自室に戻って寝ました。

そのエピソードをツイッターに投稿すると「酔っ払ってケアに入っていいのか、職員としてどうなんだ」「時間外に働くなんてブラックなんじゃないか」などの反応が多くあったそう。

川邊さん 批判的な声の中にはおっしゃるとおりだなと思う意見もありました。また僕がしたことを「仕事」として捉えたら、たしかにそう感じる方もいるかもしれません。ただ僕としてはルームメイトが困っていたから手を貸した、それだけだったんです。

Sさんとは利用者さんとスタッフという関係性もありますが、それ以上に僕たちの間には、同じ家に住む人としての関係性が育まれていたんです。

「介護を受けるようになった途端、介護される側とする側の関係性しか生まれなくなることは、なんだかさみしい。高齢者の方は人生の大先輩で、人と人との関係性があることを忘れないことが大切」と川邊さん

川邊さん 今、ルームシェアを終えて思うことは、僕らの生活の中の当たり前は、介護、医療が入ると当たり前ではなくなるということです。

Sさんとの暮らしを発信すると、「なぜ、要介護5なのに一緒にお寿司を食べにいくのか」「飲みたいからってビールを飲ませていいのか」などの反応が多かった。そこには病気の人は病人らしく、介護を受けている人は誰かに介助されなければいけないといった認識があるのではないかと思います。

もちろん、適切な配慮やサポートが必要な状況もあるかとは思いますが、介護を受ける側が思い通りに暮らすことができないのは、その状況を周りがつくっているのかもしれないとも感じました。

要介護認定をされていてもこういうことができる、叶うということを、実践している人がもっと社会に見せていくことが大事で、発信しつづければいけないと思ってます。

美味しいご飯があったら一緒に食べたい、楽しいことがあったら共有したい。悩んだら相談したい、困っていたら助けたい。そういう当たり前をSさんとの暮らしで実感した川邊さん。Sさんが亡くなった日、外出先で連絡を受け、ただただ涙が止まらなかったそう(画像提供:ぐるんとびー)

「介護を受ける人が思い通りに暮らすことができない状況を周りがつくっている」。とても考えさせられる言葉です。一方で、家族性が拡張することでお互いの理解が進み、多方向からちょっとしたお手伝いの手が伸びることで多くのことは解決するのかもしれない。家族性の拡張の本質が伝わってきました。

おせっかいをやいて、迷惑をかけて、怒られて、地域の人の「しょうがない」を引き出す

家族性を拡張する、それは、時に誰かの不都合にもなりうる。
「僕らはいつも怒られてばっかりですよ」そう菅原さんは笑います。

小倉 おせっかいをやいて、理解されないこともありつつ、本当に地道に地域と向き合っているのがぐるんとびーだと実感しています。理解されない場面でも「ぐるんとびーだからしょうがないな」というゆるやかな理解を引き出す方法はありますか?

菅原さん 良いことも悪いことも少しずつ飲み込み合うということかなと思います。

ぐるんとびーを始めたとき、こんなことがありました。当時の自治会長に呼び出されて、「なんで勝手に入ってきたんだ」って怒られたんです。生活環境に介護事業所が入ると、認知症の人などが出入りすることで、自分たちの生活のリズムが崩されるイメージがある。

当時、この団地は高齢化率80パーセント。ぼく含め、スタッフの一部も団地に移住していたので、その家族、子どもが増える。それもまた生活環境にダメージがあると言うんです。自治会長が最大のアンチぐるんとびーでした(笑)

その自治会長が高齢で入院をし、家では暮らせないと言われたときに病院で「おれにはぐるんとびーがある」と言ったんです。

菅原さん 病院から帰ってきたものの、ぐるんとびーにはこない。でも生活できず、結局、家がゴミ屋敷のようになってしまいました。

すると歴代の自治会長の関係者に「なんでぐるんとびーは手をかしてあげないの」とまた怒られるんです。

結果、1ヶ月ご近所として足を運びながら部屋の掃除をして、病院も通院同行して、ようやくぐるんとびーの利用者になりました。

そうして最後、団地で看取ったとき、夜中の12時なのに、スタッフも住人も集まってきて、住人のおばちゃんたちも「さんざんぐるんとびーにわがままいったのに、よかったね」と。ご家族も笑っている光景を見ました。

自室での看取りに多くのスタッフ、住人が集まり、最後のお世話を(画像提供:ぐるんとびー)

菅原さん これは美談として話しているわけではなくて、こうやっておせっかいをやいて、迷惑をかけて、かけられて、怒られて、でも、地道に向き合っていくことで、見ることができた光景があったという話なんです。そして「私もこうやって見送られたい」という周りの希望になることに価値があるんだと思います。

地道に向き合うことで生まれる価値。この7年間で団地内での看取り率は90パーセント。認知症や要介護状態になっても団地内において100パーセントの生活継続率という実績も出していますが、それだけが価値ではないそう。ではなにをもって、ぐるんとびーの価値とするのか、そこに答えはないと菅原さんは言います。

菅原さん 僕らは正しさを固定化させない、つねに問いをもって更新し続けていくことを意識しています。

ぼくは人間はみんな、弱いし、嘘もつくし、見栄もはる。そういうものだと思っています。大好きっていいながら大嫌いだったり、大嫌いなのに、会いたかったり。

だからこそ、そもそもの人間を理解しようと努力することは、大事にしていることです。

ぐるんとびーとして目指すものをある程度明確にしながらも、常に問いを持って「正しさ」を更新し続け、個と本気で向き合う。「介護をしよう」、「サービスを提供しよう」ではない、「人間を理解しよう」という姿勢こそがぐるんとびーなんだなと感じるお話でした。

福祉、介護だけの事業に特化しない、あくまで暮らしをつくる

地域を耕しながら、福祉、介護に留まらず、まちに必要なあらゆることを担ってきたぐるんとびー。あえて、福祉、介護だけにしない理由とはなんなのでしょうか。

地元藤沢の海岸でスタッフ、利用者さんみんなで夏の日の思い出づくり。そこにリスクがあったとしてもカバーしながら楽しむ、それがぐるんとびーです(画像提供:ぐるんとびー)

菅原さん 本当はひとつひとつのサービスを事業化し、その実績だけ切り抜いて事業強化すればいい。なにかに特化させると事業展開できるし、その方が利益もあがるし、社会から評価もされやすいでしょう。

でも、それはぐるんとびーの本質からずれてしまいます。いろんな人が暮らすことで、看取りであったり、時に子どもの支援だったりがある。「みんなで暮らしている」ということが本質です。

八百屋や地域の子どもや育児中の親御さんのサポート、それら「まちかど事業」も伴奏することで、生まれる信頼関係が“地域で暮らす”をつくるには不可欠だとか。

不登校や孤立している子ども達が家と学校以外の場所で集まることを目的にはじまった「スポトレ」。地域の子どもたち30名ほどが集まることも(画像提供:ぐるんとびー)

菅原さん それに、例えば最高の介護施設をつくると、そういうサービスがほしい人が集まってくる。それで全員が「ぐるんとびーすばらしいよね」と言い出したら、特殊なコミュニティになってしまいますよね。

でも、ぐるんとびーはコミュニティをつくっているわけではないんです。
価値観の合う人たちだけでできたコミュニティは価値観が崩れたときに排除が始まることもあるし、心地の良いコミュニティにいるとどんどん考え方も固定化されていく。

だから、いろんな価値観の人たちがみんなで共に生きて、ともにちょっとずつ飲み込みあうということをベースにして社会、世界をつくっていくことが大事だと思う。

そこにぐるんとびーとして「こういう考え方もできるかもね」という可能性を投げ込み続けています。

ともにちょっとずつ飲み込みあうコミュニティへ

“わかりあえないけど、一緒にいる。みんながほどほど幸せに暮らす”

7年の積み重ねを経て、ぐるんとびーが目指すビジョンは今、スタート地点を迎えています。

改めて菅原さんにとって、地域でみんなで生きるとはどういうことなのでしょうか?

菅原さん どういうことなんですかね(笑) わかっていたら面白くないのかもしれませんね。

これから先、一緒にいたいと思う人たちや家族でもない他人とともに暮らしていくことは何がおこるかわからないし、自分にとって不都合で嫌なことも起こると思う。だけどそれ以上に想像していなかったような嬉しいことも起こるはずで、ぼくはそれが楽しいんです。

今日のお祭りも朝からあんなに人がきて、びっくりしてます。
開催する前は不満を言っていたおじいちゃんたちも普通に集まっていて笑っちゃいました。

ちょっとずつそういう飲み込みあうコミュニティになっていけばいいなと思います。

ぼくらは世界を本気で変えにいっている途中なんです。
30年後にノーベル平和賞のインタビューにでるくらいの気持ちで進んでいるので(笑)
団地の片隅から世界一の熱量をもって暮らしづくりをしている、それがぐるんとびーです。

本当の意味で「地域に住み、みんなで生きる」とは。誰かにとっての居心地の悪さも、ちょっと面倒くさいおせっかいも、みんなごちゃまぜにして、「ほどほどに幸せ」に暮らすこと。ぐるんとびーに流れる日常は特別ではなく、でも、これからの暮らしの中でお互いが生かしあい、どうみんなで生きるのか、そのヒントがちりばめられている、そう感じました。

(編集:福井尚子、鈴木菜央、スズキコウタ、廣畑七絵)
(企画:小倉奈緒子)
(撮影:大塚光紀 Photo Office Wacca)

(編集部注:記事中の写真やエピソードは、ご本人またはご家族の承諾を得て掲載しています。)

– INFORMATION –

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定期的にオンラインイベントも行っていますので、気になった方は覗いてみてください。

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