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これは正解でも正義でも、二項対立でもない。NVCの観点で「ソーシャルジャスティス」を考え、みんなが大事にされる社会をデザインしよう。

ハロー、ソーヤー海だよ! 

今日は「ソーシャルジャスティス」について一緒に考えたいと思う。そのまま訳すと「社会正義」になるけど、これがどういう概念で、なぜ大事なのか、僕が取り組んでいるNVC(非暴力コミュニケーション)の観点で紹介していくね。

今回は特別企画で、僕と一緒にNVCを探求している安納献さん鈴木重子さんにも登場してもらうよ(聞き手はこの連載の編集担当の岡澤浩太郎さん)。

左から、安納献さん、ソーヤー海、鈴木重子さん

「vs悪」ではなく、すべての命が平等に大切にされること

―― 初めに単刀直入に聞きます、ソーシャルジャスティスって何なんでしょう?

安納献(以下、献) 実は僕たち3人がソーシャルジャスティスのことを考えだしたのは最近で。僕たちの先生はこう定義しているんですが……。

社会正義とは、誰もが平等な経済的、政治的、社会的権利と機会に値するという見解である。社会福祉士は、すべての人、特に最も必要としている人のために、アクセスと機会の扉を開くことを目指しています。(全米ソーシャルワーカー協会)

社会正義とは、すべての人に平等な権利、機会、待遇を与えることを意味します。(サンディエゴ財団)

鈴木重子(以下、重子) ただ、「この定義が正しい」と言ってしまうと、それが権威になってしまうから、それぞれの人たちにとってのソーシャルジャスティスの形があり、それが尊重されることが大切だと思います。私個人の定義では「すべての命が大切にされる世界を目指して活動すること」。NVCを志している私たちは特に非暴力に重きを置いて捉えています。

ソーシャルジャスティスはいつの時代にもどこの国にもずっとあるものです。日本では女性参政権獲得運動や、子どもの教育のための権利を勝ち取る運動、賃金改正運動、在日の方への差別を撤廃する運動、最近の例だとトランスジェンダーの人たちの運動……これらはすべてソーシャルジャスティスの活動です。

―― 社会にあるいろいろな問題は自分とは無縁ではないし、できることなら何かしたいという思いは私にもあります。だけど一方で、それよりも先に、自分や家族や周りの人たちがより幸せに生きることを目指したい。それに、もし本当にコミットするなら、頭で考えるのではなく、私財をなげうって身を投じて行動しないと説得力がない気もしています。

ソーヤー海(以下、海) 自分ができる範囲で自分の意識の変容を促し、身近な人とできることをやるのはすごく大事。でも、それだけじゃ世の中は平和にならないという気が僕はしていて。僕たちには多大な影響力を持つ社会の構造も同時に変えていく必要がある。

身近なことと、大きなこと
小さな積み重ねが社会を変える

 ニューヨーク州ロチェスターにある「ガンジー非暴力研究所」の所長のキット・ミラーさんが言うには、社会変革に対して①戦略的に使う非暴力と、②原理や原則として使う非暴力の、2種類があるそうです。

①は革命を起こす、独裁政権を倒す、など手段として非暴力を使うこと。②は自分の内側で非暴力の精神を身につけた上で社会変革活動に携わること。それで、何らかの革命(社会構造やパラダイムの変革)が成功した後、①と②のどちらがその効果が長く続くかを研究したところ、②だったそうです。

その話からすると、社会に対して働きかける(①)前に、自分や周りを整えること(②)にも意味があるし、結局、①も②も別の話ではない。それに、例えば身近な人の幸せを考えるといっても、自分の子どもや孫の世代のことまで考えると、「世界中の人たちが幸せであるかどうか」や「社会の安定」にもすごく関連しているはずです。

―― ただ、社会に対して何かをしようとしても、自分に何ができるだろうか、と考えてしまいます。

 「問題が大きすぎる」とか、「やるんだったら本気でやらないと」とか、「私に何ができるの?」とか「どうせ変わらない」とかは、日本にいる多くの人たちの声の代弁だと思う。

だけど、みんなひとりひとりにものすごいパワーがあることを思い出してほしい。社会を形成しているのは僕たちだから。自分のパワーを小さな集合体にするだけで、ものすごく大きな変革を社会にもたらすことができる。僕たちの歴史はそうやってできているから。

“Pikachu Axn_Japan Embassy_Dimatatac” by 350.org is licensed with CC BY-NC-SA 2.0. To view a copy of this license, visit https://creativecommons.org/licenses/by-nc-sa/2.0/

 ハーバード大学の政治学者エリカ・チェノウェスさんの研究によると、ある運動に参加する人口が社会全体のたった3.5%に達しただけで、社会が確実に変わる。

重子 そう、例えばアメリカから始まったBlack Lives Matterはかなり大きな運動になっているけど、それはある日突然始まったわけじゃなくて、1960年代の公民権運動の辺りから何万人、何百万人もの人たちが、本当に小さい努力を何重にも何重にも積み重なって生まれた総体だと思うんです。

重子 社会にある問題はものすごく大きいし、だから自分のやれることがすごく小さいのは当たり前。だけど、何かをやることには必ず意味があると、私は思ってます。

 無力感を感じることは僕たちにもあって、僕たち3人が合宿するときは、たいていは「絶望とどう向き合うか」というワークを含めるんです。「絶望は異常な状況に対する自然な反応」と言っている人もいます。それに絶望の奥には「絶望したくなるくらい何かを大切にしたがっている」という思いがあることが大事で。その大切な何かとつながったときに、ものすごく肯定的なエネルギーに替わると思うんです。

知らずに誰かを抑圧している?
そんなときは相手に思いやりを

―― みなさんがソーシャルジャスティスの手段として非暴力を選ぶのはなぜですか?

 僕たちは、すべての問題は同じ根源につながっていて、その原因のひとつに「問題を解決する型」があると思っているんです。つまり、どちらが正しい・間違っているかを見つけて、正しいほうにはご褒美を、間違っている方に罰を、与えるという「型」のことです。

昔の戦争もいまの社会も、「悪いお前を倒すことで俺の正義が勝つ」という、仕返しや勧善懲悪の「型」をお互いに持っていることが、暴力を永続させている。その連鎖を止めるために、非暴力を選びました。

重子 そもそもどうやってお互いを大切にするかを根本から考え直さない限り、私には問題が解決するとは思えません。たとえ自分が糾弾される側にまわったとしても、相手のことを思いやることが大切だし、自分が糾弾する時も、糾弾したい相手のことを思いやることが、大事だと思います。

“Tokyo Pride Parade 2015” by U.S. Embassy Tokyo is marked under CC PDM 1.0. To view the terms, visit https://creativecommons.org/publicdomain/mark/1.0/

―― 相手を思いやる。

 例えば、アメリカの白人社会に生まれたら、生まれたときから自分が構造的に抑圧する側に属してしまうように、自分が抑圧をする・受ける側に仕分けられる「抑圧の構造」がある。男性と女性の間にも、親と子どもの関係にも立場に伴うパワーの格差があるよね。

これって個人の問題というより、長い歴史のなかで埋め込まれてしまった文脈だって気づくと、僕の場合は思いやりの気持ちが生まれるんだ。被害者であれ加害者であれ、その人が悪いんじゃなくて、構造が誰も意図していない暴力や苦しみを生み出している。そして「人間はそのなかでも頑張って生きようとしている」という美しさに目を向けられる。

それから、「すぐには変わらない」ということを受け入れられるようになる。「早く結果を出さないと!」という思いがプレッシャーになると、分かりやすい結果の出ない状態がすごくつらくなってくるけど、問題がここ5年の話じゃなくて何千年も続いていることがわかると、昔よりいまはかなりよくなっていることに気づくことができる。

重子  ただ、ここでとても注意したいのが、構造のなかでより力を持っている方の人が、力の少ない人からの抑圧の訴えに対して、「私たちも被害者なんだ。すぐには変わらない」と言ってしまうと、結局その構造をそのまま続けることに加担してしまう結果になりやすいこと。地位や力のより小さい人から訴えが起こった場合、まずその人たちの伝えたいことが聴かれ、大切にされることが必要なのです。

―― 抑圧の構造はなぜ生まれるのでしょうか。

重子 「自動ドア」のたとえ話があるんですが…… 例えば、地位が高い・影響力のある立場にいる人と、そうじゃない人がいたとして、そうじゃない人が感じているプレッシャーを、特権のある人は気が付かない。

例えば、何か発言するとすんなり聞いてもらえる、自由に移動できる…… 特権のある人からすると、すべてのドアは勝手に開く自動ドアで、そこにドアがあることすら気が付かない。でもそうじゃない人は、何かしようとするたびにドアにあたって、力づくでこじ開けたり、開けた先が行き止まりだったり…… という話です。

こうした違いのもとにある「ランクと特権」の幅や性質にはいろいろなものがあります。例えば、年齢、人種、財産の大小、組織内の地位、ジェンダー、それから、自分の意見を周りに楽に言える・なかなか言えない、あるグループに属している・いない、特権が生まれやすい言語にアクセスできる・できない、というような、自分がもともともっている性質も含まれます。

―― 自分が誰かを抑圧していることに気が付かない場合もある、と。

重子 「どうしてもうまくいかない」場面って、よく見ると実はランクと特権がかかわっていることがすごく多いんです。

例えば献さんと私の関係の場合、献さんは私に対して自分のことをうまく言えず、そのせいで関係がうまくいかない、ということがあるんだけど、よくよく考えると、私のほうが10歳も年上だとか、私は純粋な日本人だけど献さんは日本とフィリピンの混血で、日本社会のなかで自分自身であることの居心地のよさや帰属感がまったく違うとか、そういうことがあるとわかります。つまり、私たちのせいじゃないのに、私たちの間に社会構造が立ちはだかっている。

これに気付くのは難しいけど、身近な関係でも相手のことを見るのはすごく大切だし、社会的地位も自分の容姿も主義主張も何も関係ない「純粋な私」が持っているパワーにつながって、より平和で安心した気持ちになるプロセスをたどれると思う。

つまり、「ありのままの自分で大丈夫」って思えるようになること。それが私にとってのソーシャルジャスティスの一番の意味です。

(編集・聞き手: 岡澤浩太郎)
(編集協力: スズキコウタ)

– INFORMATION –

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