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粘菌から「学び」を学ぶ!? 粘菌と複雑系とコミュニティが紡ぐ「学び3.0」を信岡良亮さんと田原真人さんが考えた。(前編)

さとのば大学の信岡良亮さんが対談案内人となって、「学び3.0」について考える対談のシリーズがスタート。今回はその第一弾として田原真人さんとの対談をお届けします。

学び3.0」とは、OSをアップデートするかのように、学びのアップデートをしようという視座。「個人ではなく、チームとしての学びを通して社会接続できるのが、僕の目指す学び3.0の社会」であると信岡さんは考えています。

(※)「学び3.0」については、こちらの記事でご紹介しています。

信岡さんは学び3.0について考えているときに、複雑系の科学の考え方にヒントを得たのだそう。今回の対談相手となる田原さんは、複雑系のことはもちろん、学びや組織、社会デザインについても実践と探究を続けています。

田原さんは言います。

大切なことはすべて「粘菌」から教わった。

もし、今「粘菌」という言葉を初めて聞いたのなら、あるいは「粘菌」と聞いてもどんな生物なのか思い浮かばないのなら、まず、こちらの動画をご覧ください。のっぺりしていて、つかみどころがないような、それでいて、ずっと眺めていたくなるような、なんとも不思議な生物の姿が見られるはずです。


胞子から発芽してアメーバとなり(1:17)、バクテリアを食べる(1:30)。飢餓状態になると、遺伝子のスイッチが入って、「cAMP(サイクリックエイエムピー)」というシグナル伝達物質を出しはじめる。そのお互いの化学物質によるコミュニケーションによって、渦の中心に集合する(1:46)。やがて、前:後=1:4の割合で細胞が分化(1:55)。子実体をつくって、前の部分が柄に、後ろの部分が胞子になる(3:06)。ここから胞子が飛び散って、またスタートに戻るというサイクルになっている

かつて、知の巨人と謳われた博物学者の南方熊楠は粘菌を顕微鏡で観察して、こう評しました。

ここに宇宙の真理がすべてつまっている。

さて、この「粘菌」と「学び」が一体どうつながっていくのでしょうか。それでは、対談本編のスタートです。

田原真人(たはら・まさと)
早稲田大学大学院物理学及び応用物理学専攻博士課程中退。東日本大震災をきっかけに物理の予備校講師を辞めて、マレーシアに移住。2012年に「反転授業の研究」、 2017年に与贈工房、2020年にトオラスを共同で立ち上げ、オンライン対話を通したあたらしい学び、組織、社会デザインの可能性を探究。 『Zoomオンライン革命』(秀和システム)など著書10冊。国際ファシリテーターズ協会(IAF)日本支部理事。Flipped Learning Global Initiativeアンバサダー。自己組織化ファシリテーターとして様々なオンラインコミュニティの立ち上げに関わっている。

信岡良亮(のぶおか・りょうすけ)
1982年生まれ。関西で生まれ育ち同志社大学卒業後、東京でITベンチャー企業に就職。 Webのディレクターとして働きながら大きすぎる経済の成長の先に幸せな未来があるイメージが湧かなくなり、2007年6月に退社。小さな経済でこそ持続可能な未来が見えるのではないかと、島根県隠岐諸島の中ノ島・海士町という人口2400人弱の島に移住し、2008年に株式会社巡の環を仲間と共に起業(現在は非常勤取締役)。6年半の島生活を経て、地域活性化というワードではなく、過疎を地方側だけの問題ではなく全てのつながりの関係性を良くしていくという次のステップに進むため、東京に活動拠点を移し、2015年5月に株式会社アスノオトを創業。 「地域共創カレッジ」主催のほか、さとのば大学の発起人。

粘菌ってどんな生き物?

信岡さん 田原さんは常々「大切なことはすべて粘菌から教わった」とおっしゃっていますが、僕は田原さんのつくった学びのサイクルの図がすごい発明だなと思っていて。

田原さん 粘菌型コミュニティ生成モデルの図ですね。

信岡さん 今日は学びの話に入る前に、まず、粘菌ってどんなものなのかというところから教えてください。

田原さん 粘菌は動物と植物の中間のような生物です。森の中でよく見られますが、実は都市部の公園や植え込みなどにもいる身近な生き物で、枯れ葉や朽ち木が積み重なってじめじめしているようなところでよく見られます。

粘菌には「真性粘菌」と「細胞性粘菌」などの種類があって、「細胞性粘菌」はアメーバが集まって合体して、多細胞のようになっていくんですけど、それがコミュニティ形成のイメージに近いなと僕は思っていて。

信岡さん ということは、この図のイラストは「細胞性粘菌」ですか?

田原さん そうです。粘菌のライフサイクルにしたがって見ていくと、まず、胞子が発芽して、アメーバ状の粘菌が出てくる。いのちのはたらきに支えられて、バクテリアを食べ続けている段階ですね。図の下の方にあるオープンスペースのあたりに書いてあるイラストがそれです。

田原さん 次に、アメーバ同士の交流が始まります。図では「集合と形態形成(集合期)」というところのイラストですね。アメーバが集まって多細胞のようになってきます。

そして、環境が乾燥するなどして粘菌にとって住みにくいものになると、「子実体」をつくって胞子を飛ばして子孫を残します。「組織(植物期)」と書かれているところのイラストが子実体です。

信岡さん 図のイラストでは細長い柄の上に、球のようなものがついていますね。

信岡さん このライフサイクルが、人間のコミュニティ生成と似ているというわけですね。

田原さん そうです。アメーバ状の粘菌がバクテリアを食べ続けている段階は、人間でいうと、カオスの中で情報を探索している状態です。

そして、アメーバが多細胞のようになっていく段階は、人間が交流会を経てつながっていくのとよく似ています。粘菌は化学物質で交流しますが、人間はそれぞれが自分のことを言葉を使って語り合い、ピンときた人同士でつながっていきますよね。

そして、出会った人たちと「何かやろうよ」って言ってはじまるのが、図にある「研究会」です。その中で濃密なコミュニケーションが起こって、外部にアウトプットしていこうという「社会的バンド」が組まれるようになります。

人間が知識を外部にアウトプットするのは、粘菌が胞子をつくって飛ばす姿に重なります。

信岡さん 図では社会的バンドのあたりに「学び1.0」とありますね。

田原さん 人間が情報をアウトプットするには、それに堪えられるだけのクオリティが必要になりますよね。そこで学び1.0の要素が入ってきます。ゴールが決まっていて、いかに効率よくそのゴールに到達するかという学び。だから、学び1.0はクオリティ重視です。

そのアウトプットを見た人たちが「面白そう!」って触発されてオープンスペースに入ってくれば、新たな仲間になります。

流れを生み出す力を持ち続けるカギは「非平衡開放系」

信岡さん この図でいうと、右側に影響を受けた人が描かれていますが、その人たちがオープンスペースに入ってくるのが大事ってことですね?

田原さん そうそう。そうすると循環して「非平衡開放系」になる。

信岡さん その「非平衡開放系」っていうのはどういうことですか?

田原さん まず、「非平衡」の方から説明すると、「平衡」っていうのが、均質であったり、つり合っている状況です。

たとえば、コーヒーにミルクを入れて、最終的に乳白色一色になると、もうそこから状態は変わらないですよね。それが平衡な状態です。逆に、まだミルクが真ん中に固まっている状態は、これから拡散して動いていくわけで、それが非平衡です。

非平衡だと平衡になろうとする流れができるんですよ。だから、非平衡であるっていうことは流れを生み出す力を持っている状態になっていると言える。

次に「開放系」ですが、たとえば、コーヒーカップは閉じていますよね。そうすると、平衡状態にたどりつくと、止まっちゃうわけです。これは「閉鎖系」。

じゃあ、動き続けるためにはどうしたらいいかというと、非平衡がつくりだされる状況が必要になります。異質なものが次々に外から入ってくる状態にする。平衡に近づいていったと思ったら、また違ったものが外から補給される。そうすると、延々と非平衡であり続けて、流れを生み出し続けられますよね。これが「開放系」です。

信岡さん なるほど。たとえば、バスタブに水をはっていて、お湯だけを足していくとする。お湯を足すだけでも開放系ではありますよね。そうすると温度が上がり続ける。そこで、同時に水も足し続けると、水温はほぼ一定かもしれないけれど、対流が起きて、非平衡であり続ける。そんな状態が非平衡開放系ということで合ってます?

田原さん そうですね。さらに栓を抜いておくと、持続可能な非平衡開放系ですね。

さっきの図でいうと、オープンスペースからは飽きて出て行ってしまう人もいれば、新しく入ってくる人もいるので、動的に維持され続けます。

信岡さん なるほど。そして、オープンスペースから出ている矢印の先に「学び2.0」がありますね。「Zoom交流会」のところです。

田原さん 学び1.0がクオリティ重視であったのに対し、学び2.0はリアリティ重視です。というのも、学び2.0では自分軸の価値観をそれぞれが表現し、その違いから学び合っていくからです。交流会のときに大事なのは、プレゼンの質よりも「この人、めっちゃ熱量あるな」とか「なんか自分と合うな」というリアリティです。

学び1.0も2.0も、どちらがよくてどちらが悪いということはありません。学びにはクオリティも必要だし、リアリティも大事。それなら、循環させようということで、ぐるぐる回るコミュニティ生成運動をやっていくというのが、僕の考える「粘菌型コミュニティ生成モデル」です。

信岡さん 粘菌を研究してきて、複雑系の考え方をベースに持っていて、コミュニティのことをやってきた田原さんならではの図ですね。

粘菌との対応がわかったところで、「学び3.0」について、さらに詳しく見ていきたいのですが、この図では学び3.0がサイクルの形になっているのは、どういうことですか?

田原さん 僕が考える学び1.0、学び2.0、学び3.0をそれぞれ整理すると、まず、学び1.0は最適化です。平衡状態に落ち着いていくみたいな感じ。ゴールがあって、そこにいかにスムーズにいくか。

学び2.0はカオスを生み出すものです。平衡状態を壊していく動きですよね。

学び3.0は、その最適化と外から入ってくるものとのパラメータを調整して、よりよい動的な秩序をつくろうとしているということだととらえています。

信岡さん 僕は学び3.0のことを考えるうえで、「Burning Man(バーニングマン)」というイベントがわかりやすいと思っていて。簡単に言うと、砂漠の何もないところにみんなが集まってきて、物々交換フェスをやって、一週間経ったら残りは全部燃やして解散するというイベントなんです。

信岡さん 取引数を増やそうとするなら、店舗を構えるのが普通ですよね。それが1.0にあたる。それぞれが好きなように交換することに価値があるとするなら、ただ物々交換をするっていう”文化”があればいいだけで、これは2.0っぽい。でも、みんなであつまって物々交換”フェス”になると、別の生命感が生まれる。それが3.0になりますよね。

田原さん バーニングマンは、最後に”全部なくなる”っていうのが大事だと思っていて。あれって、つくる楽しみがあると思うんですよ。何もないところからつくっていく楽しみを見るためには、”なくなる”っていうのを含めたサイクルをつくらないといけない。

最適化したところで固定して止めるというのが1.0の世界で、2.0は何をするのかわからないところからつくっていくときの動きですよね。その両方をやろうとしたら、何もないところから動いていって、ある程度つくったら壊して終わるっていうところまでサイクルにしないと、両方が楽しめない。

信岡さん 「1.0」と「2.0」の両方楽しめる設計をすること自体が「3.0」なのか!

田原さん そう。「1.0」と「2.0」をサイクルにして統合しているのが「3.0」ということです。

信岡さん なるほど。

僕は学び3.0というテーマを考えていくためのヒントを、複雑系の四象限の図から得たんです。

左下が1か0かの一様の世界。左上が秩序だけの世界。ずっと同じ状態で止まっているか、同じ構造だけがとめどなく増殖していく。右下がカオスの世界。法則性をまったく見出せない。右上が「エッジ・オブ・カオス(カオスの縁)」と呼ばれる、秩序とカオスが両方ある世界。まるで生命がバランスを取りながら新陳代謝を繰り返しているような世界で、ここに生命らしさがあるのではないかという仮説がある

信岡さん それもあって、僕は学び3.0を考えていくうえで、複雑系の科学が大事なんじゃないかという気がしているんです。学び3.0の感覚を得るために、複雑系のこの考え方を押さえておくといいんじゃないかなと思うことってありますか?

田原さん 学び1.0と2.0は”構造”を見ているんですよ。学び3.0で、はじめて”運動”を見ているんです。

信岡さん といいますと?

田原さん ちゃんとした構造がいいんだというのが1.0ですね。カオス的なのがいいんだっていうのが2.0。カオスと秩序を行き来する運動がいいんだというのが3.0で、そこに初めて”時間軸”が入ってくるんです。時間軸を味方につけて1.0と2.0とを行き来することで統合しているんですね。

信岡さん なるほど。でも、それって、どうして大事なんですか?

田原さん それが”生きている”ってことでしょ、っていう感じなんですよね。
偶発的な出会いみたいなものと、どういう風にたわむれるかっていう話だと思うんです。その偶発的なできごとを人生の中にどのくらいの割合で忍び込ませるかっていう人生デザインみたいなこと。

人によってちがうと思うんだけど、僕は五分五分くらいがちょうどいい。偶発的なできごとによって、「そうきたか!」って、自分の人生が湧き立つ。50%くらいは自分の意思で形づくりながら、それに対して「そうきたか!」って言いながら生きていくというのがこの赤い螺旋状の矢印の「動的平衡」です。

田原さん これは1.0と2.0のサイクルを螺旋にして、横から見た図です。カオスと秩序の間で新しいものを構築するんだけれども、新しい人が入ってきて、新しい考えによって、自分の思ってもない展開が生まれて、また新しいものを形づくるということを繰り返していく。そうすると、いろんな人の出番が出てくるなと思っていて。そういう社会になると、生きがいをもって生きる人の多様性というか、多層な感じが出てくるんじゃないかなと。

信岡さん 多様性をいかせる可能性が広がるのが楽しそうですね。

田原さん ある固定した構造の中では、一元的な価値観でしか人が評価されなくなってしまう。本来はみんな何かしらの意味や価値を持っているっていう前提に立つと、固定した構造の中で、みんなが一元的な価値観を内面化してしまうと、「自分なんか大したことない」って考えてしまう不幸な人をたくさん生み出してしまうと思うんですよね。

自分軸の価値観を学び2.0でそれぞれが表現したうえで、どうやったらみんなの多元的な価値観をうまいこといかせるかって考えたときに、どうしても矛盾が出てくるわけじゃないですか。組み合わせられない。

でも、それはその一瞬のうちに組み合わせようとするからであって、時間軸で展開したら循環できるかもしれないっていうふうに、ドラマとして展開することによって統合するっていうやり方が可能になるわけですよ。

それはプロジェクト内でもそうだし、1.0、2.0、3.0っていう循環もそう。時間軸で展開することによって矛盾するものを統合していくっていう考え方が、複雑系の中で僕の好きな考え方です。自分のなかですごく大事な知恵ですね。

信岡さん 改めて田原さんの図を見てみると、上の方に「カオス」や「秩序」という言葉がありますね。

田原さん カオスがあるっていうことは関わりしろがあるってことだと思うんですよ。人間は次から次へと生まれてくるわけで、今ある秩序に入っていくしかない。でも、その秩序が更新されていると、更新されているところに”関わりしろ”ができる。

秩序が更新されるところに関わると、それは”自分ごと”の社会になって、”自分ごと”の仕組みにもなって、守る意味があるものになる。でも、すでに完成して動かしようのないものになっていると、それは”自分ごと”にならなくて、そのなかでいかに個人として楽するかとか得するかって方にいきやすいと思うんですよね。

だから、社会という視野を獲得するには、そこに参画してアップデートするところに参加できる必要がある。そういうわけで、ある量のカオスがあって、常に揺らいでるって大事だと思うんですよね。

(後編につづく)