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生産から消費まで一貫してできる“食のプロ”として。「ANDONシモキタ」店長・武田昌大さんと「RIZO」オーナーシェフ・盛田智宏さんが考える、飲食業のこれから。

下北沢と世田谷代田の間に出現した新しいまち「「BONUS TRACK」」。遊歩道沿いに個性的な店舗が並ぶ新しい住宅街兼商業施設です。

飲食店もいくつかあり、その中の1つが「お粥とお酒のANDONシモキタ」。グリーンズのビジネスアドバイザー・小野裕之とgreenz.jpでもおなじみの“トラ男”武田昌大さんが日本橋・小伝馬町に2017年にオープンしたおむすび屋さんの2号店です。

「ANDONシモキタ」は下北沢にやってくる観光客の朝食になればと、お粥をメインにした業態に。メニューは三軒茶屋のフレンチビストロ「RIZO」のオーナシェフ盛田智宏さんと共同開発したそうです。さらに、店舗兼住宅という特徴を生かして、武田さんが店の2階に住んで店長として店を切り盛りしています。

2号店をなぜこの「BONUS TRACK」に出店したのか、そしてコロナの影響も含めこれからまちと飲食店の関係はどうなっていくのか。営業中の「ANDONシモキタ」にお邪魔し、小野が武田さんと盛田さんに聞きました。

食のプロになるために足りないもの

小野 ここにANDONの2号店を出した理由はいくつかあって、ひとつは、僕が「BONUS TRACK」全体の運営をやっているということ。もうひとつは、小田急の担当者の方が日本橋の店に来てくれて、「こういう店があったらいい」って言ってくれたというきっかけもありましたよね。

武田さん そうですね。日本橋にお店を出したときから、2号店3号店と広げていきたいとは思っていて。お店を出した直後の2年半くらい前に最初にここの話があって、将来的に下北に出したいなとは思っていました。

小野 それで本格的に出店することになって、どうして住むことまで決めたんですか。

武田さん 日本橋のお店はオーナーではあるものの、どこか自分の立ち位置がふわふわしていました。だから2号店を出すことになったとき、「自分のお店だ」と言えるようにフルコミットして結果を出したいと思ったんです。

小野 武田くんはあの頃、シェアビレッジやトラ男のことを話すために全国をまわっていて、講演が本業みたいになってたからね。

武田さん 僕はなにかのプロになりたいと思っていたのに、あの頃はあまりプロ的なところがなくて。自分はなんのプロになるべきか考えたら食のプロだった。食のプロというのは、生産からお客さんの口に入るまで一貫してできる人。生産、流通と小売はトラ男でやってきたので、あとは最後の料理を提供するところをきちんとやれば食のプロになれると思ったんです。

小野 1店舗目をやりながら感じたのは、僕は事業の構造をつくるのは得意ですけど中身は得意ではないということ。武田くんも、素材のことは詳しいし生産者とのつながりはあるけど、アウトプットのところがすごく弱いという課題がありました。それで現場を人任せにしてしまっていた。だから、2号店ではプロの料理人に入ってもらおうと思って盛田さんにお願いしました。

飲食業のプロだからできること

小野 ANDONとの関わりの話の前に、簡単に盛田さんの仕事とお店の紹介をしてもらえますか?

盛田さん 三軒茶屋で「RIZO」という、フレンチのビストロを8年ほどやっています。シャルキュトリー(加工肉)をメインにしていて、産直の旬食材を活かしたお料理がたくさんあって、しめに炊きたてのお米料理を出す店です。他に、大手チェーン店の商品開発や、料理監修、料理教室の講師なんかもさせていただいています。

「RIZO」を始める前は、ずっとフレンチを中心に洋食の店で働いてきて、30歳くらいで雇われシェフになって。その頃から独立したらどうやって勝負するか考えていて、行き着いたのがシャルキュトリーとお米でした。

シャルキュトリーを選んだのにはたくさん理由があって、まず通販に適していること。飲食店は席数と単価が決まったらどうやっても売上はそれ以上行かない世界。だから外に出て行かなければと思っていて、その方法の一つとして通販を考えていました。

シャルキュトリーは、専門性があって誰にでもできるものではないけれど、時間と分量と温度と手順をきっちり守れば誤差が生まれにくいし、きっちり製品としてつくれば送ったりもしやすい。すごく通販向きなんですよね。

小野 外に出ていこうという発想が前からあったんですね。

盛田さん ありました。シャトルキュリーを選んだのは、他にも理詰めで料理を考えたいとか、でき上がる結果が肉の塊で割とキャッチーでわかりやすいという理由もありますが、一番はそこですね。

もう一つの軸にお米を選んだのは、フレンチに米や麺で締める文化がないことがそもそもの理由です。フレンチをやってると、たまに「このあと、ラーメン食いに行こうぜ」って会話が聞こえることがあるんです。

武田さん へぇ。

盛田さん それは別にまだお腹が減ってるからではなくて、お腹いっぱいでもなんとなく食事が締まらない、という気持ちがあるから。フレンチにはそれを満たすものがないんです。デザートの砂糖でしめるという発想なので。

だから、自分でお店をやるときはなんとかそのセリフを言われないようにしようと思っていて。でも、パスタとかリゾットじゃありきたりでつまらない。料理人としてお米と1回ちゃんと向き合いたいという気持ちもあって、それならちゃんとお米を扱おう、と。

それで、しめに炊きたてのお米を提供できる方法として炊き込みご飯を考えたんです。フレンチの技法で取ったフォン(だし)と季節の食材を使った炊き込みご飯をしめのタイミングで炊きたての状態で提供できる仕組みをつくろう、と。その結果、他にはない特徴のある店になったと思います。

RIZOの炊き込みご飯

小野 その「お米」という共通点があったからANDONのメニュー監修をお願いしたわけですが、話を聞いたときはどう思いましたか?

盛田さん メニュー監修みたいな仕事はそもそもやっていたし、小野ちゃん、武田くんの仕事には興味があったので、「ぜひやりましょう」って感じでした。ただ、お粥はやったことなかったので、勉強したり中華料理の友だちに聞いたりしましたが。

小野 僕はそれで武田くんにパスして、その後のことはあまりタッチしてないんですけど、どんなふうに組み立てていったんですか。

盛田さん その時点ではお粥をやることくらいしか決まってなくて、まず武田くんと一緒に秋田に行きました。行ったことがなかったですし、具体的に食材を見ながら何ができるか考えようと思ったんです。この手の仕事をやるときは現地に行かないと話が具体的になっていかない。それは経験としてわかっていたので、とにかく1回行こう、と。武田くんのこともよく知らなかったので、コミュニケーションを取りたいと思ったのもありましたね。

武田さん 1日目はトラ男の米をつくる農家さんのところに行ってお米の話をして、その後、鷹巣(北秋田市)で地元のメンバーと飲んで。2日目は食材をめぐる感じで、馬肉だとか、比内地鶏とか、あとは地元のスーパーを見たり、道の駅に行ったりしましたね。

盛田さん あれが印象に残ってるね。「だまこ」。

武田さん 「だまこ」ってお米を潰した団子で、秋田では「だまこ鍋」という名物になってるんです。ここでも鶏団子で「だまこ風スープ」をやろうって話になりましたね。

ANDONシモキタの「だまこ風スープ」

小野 そこから実際に開店するまではどうでしたか?

盛田さん ちゃんとした技術者がいるところはまたちょっと違いますが、飲食店で大事なのは、10回つくったら10回とも100点を取れる仕組みをつくること。1回美味しいものをつくれてもしょうがないんですよ。それをまず武田くんに伝えて、そのために必要な機材や方法を考えました。本当はキッチンをつくるところもやりたかったんですが、店自体が小さくてあまり変えようがなかったので、そこはアドバイス程度でしたね。

武田さん それでも一緒に調理器具を見に行ったりして、真空パックや低温調理器を入れるというアイデアはすごく勉強になりました。

盛田さん メニューを考えるのも大事だけど、現場で常に再現できなければ意味がないので、仕組みをつくることのほうが重要なんです。だから、事前試作よりも、お店ができてから実際の環境の中で具体的にオペレーションを組んでいくことに重きを置いていました。それから、お付き合いする業者さんの選定、特殊な食材の安定供給元の確保、なんかもとても重要な要素です。

武田さん 仕組みをつくるという発想が日本橋のときにはなかったんですが、こっちでは、このモノをどう保存してどこに置いてっていう流れもすべて決めて、効率化と再現性がしっかり固められたのがすごくよかったです。僕自身もあまり料理をやってきたわけではないので、とても助かりました。

小野 日本橋はなんであんな勢いでやっちゃったんだろう。知らないっていいよね(笑)

盛田さん 飲食店って参入障壁が低いので、そういう方も割と多いんですよ。で、だいたい失敗してしまう。一般の料理上手の方たちとプロの料理人の違いは、再現性や仕組みづくり。毎回味が違ったら話にならないから、ここで言えば、まず武田くんがひとりでできるもので、将来的には武田くんがいないときも、バイトの人でもできるものじゃないといけないんです。その仕組みをつくるのが料理人。

武田さん おかげさまで、僕がいなくてもバイトの方だけで回せてます。

コロナ禍で飲食業界が向かう先は?

小野 コロナ以降、盛田さんのお店はどうですか?

盛田さん お客さんは戻ってきていますが、席数を半分にしたので、割と暇なのに断ることも多いです。今の状況で店だけやるのは限界がありますね。僕の場合は、もともと店舗だけに縛られずいろいろなチャネルを持つことを目指してやってきたので、それを駆使してなんとかやってます。

武田さん ECを立ち上げたり、オンラインの料理教室をやってますよね。

盛田さん まだ大きな収入源ではないんですが、続けていけば一つの柱になってくれると思います。ECは事業計画にも書いていたものの、店を始めてしまうとなかなか形にできなかった。それをコロナで暇になった2ヶ月くらいで一気に形にできたのはよかったです。あとはこれをコツコツ育てていく感じですね。

小野 武田くんはどうですか?

武田さん 住宅街の中にあって、近所の人も新型コロナウイルスの影響で家にいる時間が長かったみたいでが散歩に来たりして、この2ヶ月でご近所さんとすごく仲良くなったんです。毎日来てくれる常連さんができたり、ご近所さんに愛される店をつくることがすごく大事なんだなってすごく感じました。最初からテイクアウトメインだったのも逆にハマって、お客さんがいなくて苦労したというよりは、いろいろな関係性ができたなって感じがしますね。

小野 盛田さんの周りの同業者の方たちはどうですか?

盛田さん みんな頑張ってはいるんだけど、人によりますね。解雇されちゃったパターンもあるし、ECや外に出て行くことに力入れてる人もいるし、店を閉める決断をしたケースもあるし。みんな大変だけど、やることやるしかないよね、という感じです。

ただ、もとに戻りたいって方向だけで頑張ってる人はしんどそうですね。今はもっと広い視野が必要な事態なので、今まで通りのことを一生懸命やるだけだと厳しいかな、と。

小野 盛田さんはもともと店の外でも稼ぎをつくろうと思っていたのが功を奏したわけですね。

盛田さん ここまで極端なことが起こるとは思っていませんでしたが、その方向性が必要だとは感じていました。飲食店の実店舗だけの一般的なビジネスモデルって、長時間労働や低収入が前提の世界なので、そもそも成り立っていないと僕は思っています。

小野 飲食店の難しさってあまりイメージされてないですよね。

盛田さん コロナでよかったことがあるとすれば、飲食店の脆さがバーンとさらされたこと。参入障壁が低いと言いましたが、ちょっと高くなったと思う。健全に経営してそれなりに流行っていても、1ヶ月売上がないだけで潰れるという脆さがいろいろな人に伝わった。それによって、気軽に参入して来なくなるだろうし、やる人は一生懸命考えてから始めるから、長い目で見れば質は上がっていくだろうと思います。

小野 以前から言われていた、単価を上げる方向に向かっていけると思いますか?

盛田さん 本当は僕らが価値を伝えて、内部努力で革新していければ一番良いんだけどなかなかそれができていない。一般の人の食に対する理解とかリテラシーはずっと低いまま。プロの仕事の価値を理解している人は残念ながらとても少ないし、僕らは僕らで価値をうまく発信できていない。

小野 生活者のリテラシー不足ということですか。

盛田さん 逆説的ですが、自炊の率と質を上げることが結果的に飲食店の価値を高めることになると思います。遠い道だけど、その部分の意識改革をするのが一番だと思っていて、それを今回の事態で強制的に意識せざるを得ない状況ができたなと。だから料理教室も積極的にやってるんです。

武田さん 料理人がプロデューサー視点を持っていない、ということはないですか?農家も同じなんですけど、職人気質みたいな。

盛田さん だいぶあります。それもあって状況が変わらないというのもあるし、僕みたいにべらべら喋る人がいないし、考えてる人もあまりいない。

武田さん 盛田さんはプロデューサー気質があるし外のことも知ってるからできるけど、一般的な料理人ってそこまで考えられないし、アイデアがないんじゃないかですかね。

小野 これまでは、それでもなんとかやりくりできちゃうし、それでも参入する人もいる、いい時代だったと言えますよね。現場が大変でもシェフになりたい人がある程度いて、給料は低くてもオーナーシェフ側に回ることを目標にやっていられた。それがもう通用しないのが今回の事態で露見したと言えるんじゃないでしょうか。

盛田さん 僕は料理人や食をもう少し大きい括りで捉えたい。僕のお師匠さんがずっと言ってたのは、料理人は生産者の表の顔だということ。彼らの仕事を理解して彼らの思いを代弁してお皿に乗っけてお客さんに向けての最前線でやるのが俺たちだ、って。大きい食というものを役割分担してみんなでやってるということを叩き込まれて、それを体現したくて積極的にいろいろな生産者とつながってきた。だから、小野ちゃんや武田くんがやってることは割としっくりくるんです。

小野 農業の6次産業化とか、飲食店が単価を上げたり外で稼ぐって、ずっと言われてきたことですよね。でもやりきれなかったのは、料理人は料理人、農家は農家、流通は流通って縦割りになっていることにも原因があったと思うんです。

これまでは縦割りでも成立してしまっていて、しかも縦割りから横断的なアプローチをする人って鼻につくじゃないですか。それが距離感になってしまって横断的な取り組みが進まない。ANDONは米をつくる農家さんと米を売る武田くんの関係から始まっていて、お互いを本当の意味でリスペクトしているから一緒に取り組めますけど、それってそんなに簡単じゃない。

僕が最近強く思うのは、話し合いだけやっててもダメで、一緒に仕事をつくって取引をして仲間にならないといけないということ。僕らはまだ職人的なスキルとか立ち位置は弱いんですけど、同世代の腹を割って話せる人たちとそういう関係をつくって生産と流通と消費をきちんとパッケージとして考えられるようにしたいんです。

盛田さん 昔は料理人って一匹狼みたいな感じで、普段は横のつながりなんてあまり意識してなかったと思うのですが、東日本大震災のとき、必要に迫られてシェフ同士のコラボが同時多発的に起こった。それが楽しいってことを覚え、同時にSNSの普及も手伝い、平時でもコラボみたいなものが増えたし、横のつながりを意識する機会も増えたんです。それが今回のコロナでもっと進む感覚は実感としてあるので、希望は持てると思います。

武田さん 個人的には本格的にここの立ち上げに関わって、弱かったアウトプットの部分もできる自信が少しつきました。大きかったのは、東京でも秋田でも、ビジネスするときにローカルに入っていくやり方は変わらないとわかったことです。地域の人にちゃんと認められる場所をつくるとか、毎日通ってもらう場所をつくるのは秋田でやってるのと変わらなかった。

今、料理をつくるのがすごく楽しくなってきていて、目指している食の横断的なプロに近づけてる感じがしています。今後はそういう場所を広げていって、できれば海外に進出して、秋田と海外とか、東京と海外を食でつなげてみたいですね。

(鼎談ここまで)

話を聞いていて、盛田さんと武田さんの根底にあるのは生産者への思いだという気がしていました。盛田さんの「(プロの)料理人は生産者の表の顔」という考え方と武田さんの「生産から消費まで一貫してできるプロになりたい」という思いは、まさにそのことの表れで、時代もまさにそのようなプロを求めるようになっているのです。

ANDONシモキタが本当にそのような場所になっているのかはまだわかりませんが、秋田の生産者の思いを武田さんが(盛田さんの助けを借りて)一生懸命伝えようとしている場所であることは間違いありません。

そして、飲食業に限らず、業種横断的なアプローチを取るというやり方はこれからの社会でプロとして表現していくために重要な方法論だということも感じました。みなさんもコロナ後の世界でいかにプロとして生きていくのか、ぜひ考えてみてください。

(撮影: 霜田直人)

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