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故郷で私が果たせる役割ってなんだろう? 東京へ飛び出したライターが愛知県瀬戸市にUターン、2年後のリアル。

地元に帰ろうか。
これからも長く続くであろう新型コロナウイルスの影響で、選択肢のひとつとして、頭に浮かんだ人もいるのではないでしょうか?

2018年10月、私はgreenz.jpで『私の故郷は本当に「何もない」まちなのか? 東京に出て約10年間フリーライターをしていた私が、愛知県瀬戸市にUターンした理由』という記事を書かせていただきました。当時は地元に帰ったばかりで、ただまちの動きを眺め、自分は外側にいました。

あれから2年。

気がつけば、遠くから眺めて取材しているだけではいられなくなり、すっかりと瀬戸の“なかの人”となっていました。そんななか浮かんだ問いは、「私には何ができるのだろう?」「私の役割ってなんだろう?」ということ。30歳も過ぎれば、誰しもが向き合う問いですが、地元へ帰ったことで、その答えを模索せざるを得ない日々を送ってきました。

その問いとどう向き合い、どう自分なりに答えを見つけていったのか。成功でも不成功でもない、今をお伝えします。

まちのことを知る1年目

瀬戸市へと戻って、約2ヶ月。

2018年7月に、私が故郷に帰るきっかけをつくってくれた南慎太郎くんがオーナーを務める「ゲストハウスますきち(以下、ますきち)」が仮オープンしました。私は南くんの人柄を信頼し、ここを拠点にすることに決め、編集室を置かせてもらうことに。瀬戸市の町歩きWebエッセイ『ほやほや』を立ち上げ、勝手にまちの情報の発信をはじめました。

インターネットにいくらでも情報があふれるいま、これからの情報発信は、リアルがあってこそ信頼が高まるはず。そんなふうに考えていたので、「ますきち」という場所に編集室を置くことができたのは、ありがたいことでした。

高校を卒業してすぐに瀬戸市を飛び出した私は、名古屋をはじめ、東海エリアにまったく仕事の人脈がありませんでした。私の毎日は、このまちで多くの人とのつながりをつくってきた南くんがつないでくれたみなさんに挨拶をして、知り合いを増やしていく。その繰り返し。まずは、そこからでした。

関東からUターンしたライターという点と、ゲストハウスを拠点にメディアを立ち上げるという2点が東海エリアでは珍しく、取材やトークイベントで話してほしいという依頼もいただくように。けれど正直なところ、話すのは苦手な上、何を話していいやら。ただ私は、戻ってきただけ。これまでに、地域で暮らす数百人にお話を聞いて記事を書いてきたかもしれない。でも、それはその方の体験を聞いただけであり、自分が何かをしたわけではない。

「あなたは、今、何をしているんですか?」

その単純な質問に、まだ何もしていない自分は語るべきことが見つかりませんでした。

伝えるって、なんだろう?

戻ってから、何を仕事にしようとしていのかを思い返すと、とにかく「書く」を軸に、地域の魅力を伝えようとしていたんだと思います。

例えば、南くんからすぐに相談されたのは、「ますきち」のFacebookをはじめとする、日々のSNS更新。ライターという職業柄、発信全般が得意だろうとよく思われるのですが、私はSNSが苦手。

どっしりと原稿を書くのは好きだけど、気軽にパパッと書いて出すことはできない。スピード優先で、ある種、中途半端な状態で世に出すことを求められることに、慣れるまでに相当時間がかかりました。地域で求められることは、それまでの経験を生かした上で、さらにもっと拡げたものになるのかなと思います。

けれど、「書く」ということに加えて、ひょっとしたら直接会って、話して伝えるほうが、心に残るかもしれない。自分がやるべきこと、できること。その見極めはとても難しく、今もよくわかりません。

新井一平さん。恵比寿と渋谷にある招待制・会員制のコミュニティキッチン「6curry KITCHEN」のカレープロデューサー。

そんななか、東京から数ヶ月に一度のペースで「ますきち」にやってくる新井一平さんという人物に出会いました。

当時、自身で会社を経営しながら東京にあるコンサルティング会社の社員としても働いていた一平さんは、地域の中小企業を応援することが多く、仕事の傍ら、訪れた先で全国1万人以上のまちの人と一緒にカレーをつくって、食べるということを行っていました。

「せともの祭」にて、近隣の大学生と一緒にカレーづくりをした時の様子。 写真:かわいななこ

なぜ、カレーなのか。
一平さんとお話をするなかで印象的だったのは、カレーを一緒につくると、自然に役割分担が行われる。野菜を切る人、お肉を切る人、お米を炊く人、片付けをする人、上下ではなく、役割ができるということでした。

一平さん 人には個性があり、役割がある。どんなに小さな仕事でも、目立たない仕事でも、同じようにすばらしい。僕は権威や肩書きを解放して、“お互いさま”な関係をつくりたいんです。

そんな一平さんが「カレーの学校を開きたい」と語りだしたのは、2018年12月末、「ますきち」の仮オープンから約半年後のことでした。年の瀬に、あれよあれよとプロジェクトが動き出し、気がつけば、その場にいた私も広報を担当することになっていました。

プロジェクト名は「MASALA QUEST(マサラクエスト)」(旧POP START)。

直訳すると、MASALA=さまざまな香辛料を粉状にして混ぜたスパイスとQUEST=冒険。香辛料のように、性格の違う参加者全員がチームとなって、合宿して期間限定のカレー屋を開いてみるというものでした。

運営メンバーで幾度となく話し合い、どういう内容にしていくのか、多くの意見を求められました。

けれど、私はすでにある種、成功した内容を取材して記事にするのは得意だけれども、「どうしたらいい?」と聞かれることに、大した意見がない。そのことに気がつき、愕然としました。

「MASALA QUEST」当日。

この企画の準備期間は、約2ヶ月。年末から怒涛の勢いで準備をはじめ、2月に開催しました。合宿形式でトータル10日間参加してもらうという、なかなかのどっしりした企画で、私は、怒涛の打ち合わせの連続と決定の速さに、ほとんど振り落とされながら、クラウドファンディングの記事を書くといった広報に携わっていました。

お店としては、多くのお客さんがやってきてくださって、カレーも大好評で楽しんでいただけました。ただ、資金繰りを含めて運営側がモチベーションを保ちながら、プロジェクトを遂行する大変さを痛感しました。

振り返ると、ものすごく勉強になったのですが、ひっかかっていたことがあります。これは仕事なのか? 何なのか?

「ますきち」にいて何か新しいことをするときに、いつも立ち止まるのが、ここでした。

様々な企画やイベントは、損得で考えると、最初から利益が出ることでもないし、初めて実行する企画はその運営のために忙殺される。

それなのに、なぜやるのか?
その理由を問い続けることになっていきます。

就職をしたことがないなか、見つけた自分の価値

「自分に何ができるんだろう?」と日々考えていた私に、「最初は、自分こそ何者でもなかった」と教えてくれたのは、ゲストハウス「ますきち」を開業した南くんでした。私以上に「自分にどんな価値があるんだろう?」「何ができるんだろう?」と悩んでいたといいます。

南くん 僕の場合は、大学を卒業して、まったく仕事をしたことがない状態で起業したからこそ、自分には何ができるのか、いろいろ考えました。僕は、小さい頃からこだわりが少ない人間。瀬戸にいるツクリテのみなさんのように、突出した専門知識や技術もないし、専門性を持っているひとへの憧れもありました。

ただ、客観的にみて、尖っているひとばかりが集まっているからこそ、ひとりずつが単独で終わってしまって、つながりがなかった。そこをつないでいくことが、僕の役割だったり、「ますきち」の役目なのかな、と思うようになりました。

1,000年以上も続くやきものの産地だからこそ、よくある業界のしがらみも、「ますきち」には、あまり見受けられませんでした。この人とこの人が同じ空間に! と驚かれることも、よくあります。

南くん その理由は、「ますきち」を訪れることに、目的意識がないからだと思います。おそらく窯業関係者のみなさんが集まる機会といえば、何かの課題を解決するために集まる会議。でも、何かを動かすときには、まずは関係性がないと、お互いの理解もなくて、具体的に前へ進めない。

僕は、学生時代からふわふわとひとつのグループにいない人間で、それが社会人になって、プラスに働いたんですよね。ますきちをきっかけに、僕を信頼して、さまざまな機会で声をかけてもらえるようになった。そうすると、人は自信がわくし、熱量が上がって、まわりに人が集まって、できることが大きくなっていく。今は明確に自分の役割がこれだ! と思って動いています。それは、大学生の時にはなかった感覚です。

このまちで生きるさまざまな人とかかわり、対話を繰り返すうちに、南くんが少しずつ自分の役割を認識していったように、私もぼんやりとですが、瀬戸のなかでの自分の役割を自覚するようになっていきました。

それは、文章を書くことで「信頼」を生み出していく、ということでした。

『ほやほや』というWebエッセイをはじめたことで、1年を過ぎたあたりから、地元のみなさんに知っていただけるように。

読者の方から

「Googleより、『ほやほや』の情報を信頼してます!」

「『ほやほや』で瀬戸のことを好きになって、引っ越しました」

「『ほやほや』を見て、お客さんが来てくれてるよ」

といった、うれしいご意見をいただけました。

そのうちに、少しずつパンフレットやHPもつくれるんですか? といった問い合わせがあり、お仕事にもつながるようになってきました。

最初は個人で受けていたのですが、地域の商店や企業を広報するときに課題になる多くは、お店や商品を通して、何がしたいのか。または、何を伝えたいのか?

けれど、私はその方向性を相談されても、うまくアドバイスができず、スタートアップを得意とする南くんの力が必要でした。逆に、南くんはズバッと方向を決める出発力はあるものの、継続したり、何かを完成させることが苦手。

そこで、ふたりではじめたのが、地域に特化したPRチーム「ヒトツチ」です。火の街、土の街と呼ばれる瀬戸。その土壌があって、ひとがいる。そんな想いを込め、名づけたチーム名です。地元へ戻ったばかりの頃は、この地域以外のお仕事も続けていました。

けれど、ヒトツチとして「ユカイに暮らす、仲間づくり」を目標に掲げ、少しずつ瀬戸や地域に特化して、活動を絞るようになっていきました。

コロナ発生以来、駆け抜ける日々

そんななか、新型コロナウイルスの影響が出始めました。2月下旬頃から少しずつキャンセルが増えはじめ、3月になると、新たな予約はぽつり、ぽつりと入る程度という具合になってきました。

一旦、休業しよう。

ふたりでそう決めた直後、以前「ますきち」に宿泊して、とても楽しんでくださった、テレビ局のディレクターから連絡があり、「営業、大丈夫ですか?」と連絡がありました。その後、すぐにやってきて、夕方のニュースで取り上げてくださいました。南くんは、泣きそうだといいながら、運転していました。先が見えない不安を和らげてくれるのは、人々とのつながりでした。

「翠窯」穴山大輔さん。1981年栃木県生まれ。東北芸術工科大学、瀬戸市新世紀工芸館修了。写真:かわいななこ

ただ、「ますきち」を休業はしても、南くんは忙しそうでした。

ますきちの大家さんであり、「陣屋丸仙窯業原料」の5代目・牧幸佑さんとともに、「CONERU nendo shop & space」をオープンすることが決まっていたのです。

当初のオープン予定は4月。けれど、緊急事態宣言が出てしまい、そのタイミングを失っていました。そんなとき、瀬戸市内の新しい窯元「翠窯」代表の穴山大輔さんから、南くんに連絡があり、「CONERU」メンバーとともに「オンラインで陶芸の学校を一緒につくろう」と声がかかります。

瀬戸市には、全国から毎年80名ほどの生徒がやきものを学びにやってきているのですが、学校が休業になってしまい、学ぶことができない。そのことに危機感を覚え、穴山さんはすぐに立ち上がりました。

穴山さん 世の中は今、前代未聞の暗闇に突入しています。でも、ただひとつだけわかっていることは、最初に走った人がその道のトップに行ける。これだけは絶対。いつのときでも、どんな時代でも。それだけは頑張らないと!

4月17日にお話があり、4月20日には、Zoomを使ったオンラインの学校「コネル陶芸大学」が開校されました。その間に、穴山さんは瀬戸市内のやきものを学べる学校数校に連絡し、先生から生徒に入校を誘導してもらい、あっという間に80名近くが生徒になっていました。

「CONERU」メンバーに加え、穴山さんの妻で職人の文香さん、私も広報担当で活動に参加することになりました。

「大切なことは、スケジュールをつくること!」
穴山さんはそういって、毎朝平日9時から40分授業を開き続けました。
それは、緊急事態宣言が解除される5月21日まで続き、終わった時には運営メンバーを含め、“穴山さんロス”現象を巻き起こしました。

穴山さんの元気で爽やかな「おはようございます!」なしでは朝が始まらない。人を惹きつける動きとは、こういうことかと、圧倒されました。

オンライン学校開校の次は、リアルの世界へ

せとひとめぐり実行委員会。翠窯&ヒトツチチームに、「SETOMONツナグプロジェクト」を実行した、デザイナーの尾関真彩ちゃんが合流。

「コネル陶芸大学」が終了した6月以降も、翠窯とヒトツチでは何かやりたいね、と何度か会議を重ねていました。
そんななか、毎年9月に開催される「せともの祭」という、瀬戸でもっとも大きく、全国的に見ても最大級の陶器市がコロナウイルスの影響により中止へ。
地元の人がこのお祭りにかける思いは強く、エネルギーがくすぶっていました。

そこで私たちは、9月の時点ではオンラインではなく、一歩進んでリアルでどうすれば開催できるかを模索し、動きはじめたのです。

南くん オンラインは効率的で、余分なものをそぎ落とし、仕事にはとてもよいです。ただ、目的が明確な分、余白がない。リアルにしかない、楽しみがやっぱりあると思うんです。とくに、瀬戸は雑多なまちで、これといったわかりやすいものがある訳ではない。

器を買いに工房へ訪れたら、店主の人柄や話に魅了され、買った器にものすごく愛着がわくかもしれない。お昼に訪れた飲食店の空気感が、たまらなくいいかもしれない。そんな風に発掘していく楽しみがあるまちなんです。

だからこそ、この状況下でリアルでイベントをする場合、余白の部分を最大化して楽しめる内容にしたいなと思いました。

7月上旬には、「せともの祭」を開催する予定だった日に「せとひとめぐり」を行うことを決定。いつものお祭りのように、川沿いに人を集めることは難しいため、工房や飲食店それぞれをめぐってもらう形に決め、私たちは、みなさんの情報をまとめ、めぐり方の提案をすることにしたのです。

5人という運営メンバーは、役割を握りしめ、ギリギリ運営していくことができる最小人数でした。穴山さんは、陶芸業界では大きな話を呼んだ、若手陶芸家による組織「IKEYAN」の運営を引っ張っていた人物であり、たった3ヶ月でプロジェクト動かす大変さを瞬間に察知していました。

穴山さん、南くんは、大枠をつくり、ぐいぐいと前へ突き進んでいく。デザイン関連は、途中から何か一緒にできることがあればと、参加表明してくれたデザイナーの尾関真彩ちゃんが担当してくれました。穴山文香さんは、もろもろの連絡事項の下書きや事務作業を。私は、HP制作や資金と広報を担当するクラウドファンディングのまとめ役を担当しました。

「せとひとめぐり」は、地元の方が本当に温かく見守ってくださったおかげで、資金もまかなうことができ、20名以上のボランティアさんも集まり、当日も大きな混乱もなく、好評のうちに終了することができました。

これは、穴山さんや南くんたちが、コネル陶芸大学はもちろん、もっと前から様々なプロジェクトを実行し、積み上げてきた信頼の結果だと、ひしひしと感じています。

2019年に「タネリスタジオ」とコラボした企画「Art check in」。

ここでは紹介しなかったこと以外にも、いくつものプロジェクトを動かしてきて、こうして振り返ってみると、このまちに戻ってから、新しいプロジェクトが次から次へと舞い込み、歩みを止める暇もない日々を過ごしてきたのだな、と、改めて感じます。

新たなプロジェクトがはじまるとき、これは仕事なのか? 何なのか? そのことに悩んでいた時期もありました。
 
自分が通常得られるお金の対価を考えれば、格安で動かねばならず、しかも長時間に及びやすい。正直にいえば、戻ったばかりの頃は「損している」と心のなかで思ってしまったこともありました。けれど、南くんとプロジェクトを動かすうちに、少しずつ考えも変わっていきました。

何もやらなければ、何もはじまらない。何もしていない人には、語るべきことがないし、そこに人は集まらない。ただそれだけです。

フリーランスで活動する、といっても、ほとんどが出版社などの下請け仕事をしていた私は、2年もかけてようやくその当たり前の事実に気がつきました。

2年という月日が経って

コロナのなか、ご近所の友人が約20名も集まり、あっという間に解散していった幻のようなサプライズパーティ。写真:河合康次

今年6月、Uターン2年を迎えた私は、南くんと結婚しました。日々を一緒に駆け抜けていくなかで、公私ともにパートナーになることを決めました。ひとりで生きていくことは、本当に大変です。足りない部分を補い合って、生き抜いていくパートナーができたことは、心強いことです。

わたしたちは、結婚という形を選びましたが、周りには形にはとらわれず、いいパートナーを見つけ、あるいは、アーティストがスタジオをシェアするようなコミュニティも含め、助け合って暮らしている人が多いなと感じています。

それは、ものづくりの土壌があるまちだからこそ、突出してものすごい何かを持っている代わりに、極端すぎるほど何かが欠けている人が多い。それを各々が重々承知で、精神的にも支え合い、生きているのだと思います。地方というと保守的なイメージがあるかもしれませんが、このまちには世間の常識にとらわれず、年齢に関係なく、我が道を行く強さがある人が多い気がしています。

瀬戸で暮らすなかで、少しずつ役割を自覚し、やるべきことが見えてきました。私は大して儲けているわけでも、有名になった訳でもない。本当にこじんまりと、瀬戸という枠に狭めて、出会った人々に求められるものに応じて、活動を続けています。

自分に何ができるのだろう?

その問いはこれからも続くと思います。ここまでの2年が成功か不成功かわかりません。でも私は今、このまちに住み、このまちの人々とともに生きる毎日を「幸せ」と感じています。

現在、私は妊娠中で、来年には出産も控えています。まったくの未知の世界へ突入し、どうなっていくのか想像もできませんが、子育てをしつつ、これまでの瀬戸のみなさんの取材を活かし、フォトエッセイもつくりたいと思っています。やりたいことは、もりもり。

みなさんは、どこに住み、どう生きていきたいですか?

(撮影:濱津和貴

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