2020年春、新型コロナウイルスの感染拡大により、わたしたちの生活は急速にオンライン化しました。
リモートワーク、オンライン授業、オンラインイベント……家で一日中画面を見つめる生活が続き、「オンライン疲れ」を感じた人も多かったと思います。
緊急事態宣言が解除された後にはこんな声をあちこちで聞きました。
「オンラインでは五感のうち、視覚と聴覚しか使わないから疲れるんだよ」
「やっぱり、リアルが一番だよね!」
わたしもそう思ったひとりです。でもその一方で、オンラインでのコミュニケーションを続けるうちに、「リアルとは別の可能性があるのかも?」という気持ちをもちはじめていました。
そんなときにインタビューをしたのが「さとのば大学」の講師・田原真人さん。『Zoomオンライン革命』(秀和システム)の著者であり、すでに15年もオンライン教育に取り組んできた人です。その田原さんに「オンラインはリアルの劣化版じゃない」と言われたとき、ハッとしました。わたしはなぜ、オンラインとリアルを二者択一的に捉えていたんだろう?と。
オンラインとリアル、都市と地域……対極にあるように見えるものごとを二項対立的に捉えるのではなく、それぞれを理解して受容しながらあたらしい世界をつくるにはどうしたらいいんだろう。田原さんはさとのば大学という学びの場をどんな風にとらえている? 日本とマレーシアをオンラインでつないでじっくりお話を伺いました。
早稲田大学大学院物理学及び応用物理学専攻博士課程中退。東日本大震災をきっかけに物理の予備校講師を辞めて、マレーシアに移住。2012年に「反転授業の研究」、 2017年に与贈工房、2020年にトオラスを共同で立ち上げ、オンライン対話を通したあたらしい学び、組織、社会デザインの可能性を探究。 『Zoomオンライン革命』(秀和システム)など著書10冊。国際ファシリテーターズ協会(IAF)日本支部理事。Flipped Learning Global Initiativeアンバサダー。自己組織化ファシリテーターとして様々なオンラインコミュニティの立ち上げに関わっている。
オンラインは「リアルの代替物」ではなく
世界の見方を変える可能性をはらんでいる
田原さんが、本格的にオンラインでの学びの場づくりに取り組みはじめたのは2005年。物理ネット予備校「フィズヨビ」を立ち上げたときでした。
大学院で複雑系の科学を研究していたのですが、それこそ寝食を忘れて没頭してしまっていて。家族との関係を傷つけてしまうことが起きたので、もう一生やらなくていいと思って研究を封印したんです。予備校で物理を教えながら、夫婦で会社を立ち上げて一緒にはじめたのがフィズヨビでした。
きっかけは、「どこで暮らしていても学習できるEラーニングツールを開発したい」と理想に燃えていた開発者との出会い。「リアルの代替物じゃないオンラインをつくろう!」と、生徒が自分の理解の速度に合わせて授業を視聴できるよう、2倍速、4倍速の機能を組み込んだツールを完成させました。
リアルでは講師が受講生の受け取り方をコントロールするけれど、オンラインでは生徒が理解の速度に合わせて授業をカスタマイズできることが本質的な要素なんだと気がついて。そこに、リアルの延長線上ではないあたらしい価値が生まれるはずという見立てと、生来の研究者気質というふたつの要素が重なって、オンラインというものに入っていくことになりました。
2011年夏、東日本大震災を機に田原さんは家族とともにマレーシアに移住。同時に、ほぼすべての仕事をオンライン化しました。
マレーシアに住みはじめたときは、家族以外の話し相手もいなくて。誰かと議論したり、自分の仕事や学習を進めたりするのはすべてオンラインになりました。その制約こそが、オンラインでのコミュニティづくりのドライブになったというか。もし、リアルでもやれる余地が残っていたら、そこまでオンラインを追求しなかったかもしれない。
当時を振り返って、「ロックダウン下の生活を9年も続けていると思ってもらえばイメージしやすいのではないか」と田原さん。オンライン空間で日々過ごすなかで、新たな可能性を見出していったそうです。
ひとことで言うと、フラットな世界というものをオンラインで初めて体験しました。リアルな世界では社会的文脈における上下関係がものすごく働きやすい。
ところが、オンラインでは年齢の差も、社会的な立場も学歴もよくわからないから、コミュニケーションだけを取り出してフラットな関係性をつくれるから、今まで活用できていなかった能力を表に出せるんです。
「オンライン空間でフラットな関係性を経験すれば、その感覚をリアルに持ち込んで世界を変えていくことができる」と話す田原さん。たしかに、わたしたちは知らず知らずのうちに、社会常識や先入観で自分を縛ってしまいます。もしも、オンライン空間でそれらを手放す感覚を経験できたら、いつもの世界を見つめ直すきっかけをつかめるのかもしれません。
正しさを求める社会が生み出す
暴力の連鎖を断ち切るために
「社会的文脈における上下関係」は教育の現場でも見られるもの。とりわけ高校までの学校教育では、先生と生徒の関係はフラットどころか、「先生の言うことは聞くもの」という絶対的な関係が今も根強く残っています。田原さんは従来の教育システムからの転換の必要性をこう語ります。
高度経済成長期以降の大量生産・大量消費の社会では、それを成り立たせる均質な大衆が必要とされました。学校もまた、均質な大衆を大量に育てるための社会システムとして機能していたのだと思います。
ところが今は社会の多様化が進み、もはや均質な大衆が均質なモノをほしがる世の中ではなくなっているのに、教育システムの方はまだ変わりきれていない。「フラットな関係のなかで学び合っていくようにならないとうまくいかないよ?」というところにきていると思います。
近年では、初等教育からアクティブ・ラーニングを取り入れるなど、教育現場では新たな試みも実践されています。しかし、学びのかたちは変わっても、本質的には「均質な大衆を育てるという考え方から抜け切れていない」と田原さんは指摘します。
均質な大衆をつくる教育は、どうしても社会全体に「ひとつの正しさ」をつくり出し、子どもたちに「社会に認められる部分」と「社会に否定される部分」を内面化させてしまう。すると、人は自分のなかにある「否定される部分」を自己嫌悪すると同時に、社会のなかに「否定される部分」を見つけると攻撃するようになるんです。「正しさ」をめぐる、自他に対する暴力の連鎖が止まらなくなっているのが今だと思います。
田原さんのお話を聞いていると、緊急事態宣言下で現れた、一人ひとりの事情を知ろうとせずに厳しい叱責や制裁をする、“自粛警察”と呼ばれた人たちのことが心をよぎりました。
こうした「暴力の連鎖」から抜け出す一歩は、一人ひとりが「自分の心のメカニズムを知ること」にあると田原さんは言います。
気づかないうちに、自分で自分を否定してしまうメカニズムを解除して、自分のなかの多様性を受容する。そうすれば、その人自身の本当の願いや、生命が本来もっているクリエイティブなエネルギーが生まれてくると思います。
いわば、古いエンジンからあたらしいエンジンへの載せ替えをするんです。外からの評価ではなく、それぞれの人が心から願うことがかなうように一緒に活動していけるような、あたらしい学習環境をデザインしていきたい。
田原さんは、オンライン空間に「あたらしい学習環境」をデザインすることを通して、「エンジンの載せ替え」を促したいと考えているそう。オンライン学習と地域でのプロジェクト実践を組み合わせた学びの場「さとのば大学」もまた、「あたらしいエンジン」を搭載する場のひとつと捉えて取り組んでいます。
さとのば大学ならあたらしい生態系を
育むことができると確信している
田原さんと「さとのば大学」発起人・信岡良亮さんは、定期的に議論の場を設けて「お互いの哲学を濃縮する仲間」。あたらしい学習環境をデザインするために必要な哲学をともに練ってきたそう。「信岡さんとは相性がいい」という理由をこんな風に話してくれました。
「秩序か、カオスか」でいえば、信岡さんが秩序寄りで僕はカオス寄り。「構成か非構成か」でいえば、信岡さんが前者で僕は後者よりの質をもっています。
でも、お互いがもっている質をすごく大事に思っているから、「両方大事だよね」という世界を一緒につくれるパートナーになれる。
また、自分の組織ではリーダーのポジションになるけれど、「さとのば大学」では”遊撃隊”として信岡さんを助けながら自由に動けるのが楽しい。異なる役割を担うことではじめて気づくこと、活用できる自分の質があるので、すごくありがたいなと思っています。
「さとのば大学」では「社会の複雑性と向き合う」授業を担当する田原さん。「カオスの価値」「自己組織化チームとは?」など、「講師としては一番わけがわかないところを担っている」と言います。「カオス」のような抽象的な概念を教えるのは難しそうですが、具体的にはどんな授業をしているのでしょう?
たとえば、「コンセンサス型の合意形成とは?」というテーマで授業をしていたとき、休憩するかどうかで意見が分かれたんです。休憩したい人には「遅れてきたからキャッチアップの時間がほしい」「お腹がすいた」などの理由がありました。
そこで、授業を続けたい人は、遅れてきた人に前半の内容を説明して振り返る時間に、お腹がすいた人には10分間で何か食べてもらうことにしたんです。そして、「みんなが賛成できる休憩時間をつくることができたね。この合意形成に使われた要素を考えると、抽象的な概念がより深く理解できるかもね」と言ってから休憩時間にしました。
受講生たちの個別の体験と抽象的な概念を結びつけ、即興的に語るのは田原さんの得意とするところ。ときに難しいこともありますが、受講生の理解をつくれたと感じられたとき「ともにやり遂げた」という達成感があるそうです。「でも、もしもうまくやり遂げられなくてもいいんです」と田原さんは続けます。
僕の授業で一番伝えたいのは、不確実なものに対する恐れを手放すこと。僕自身が「講師だからやり遂げなければ」という思いを手放して、「今ここで何が起きても学べるよね」という気持ちでいたらみんなで一緒に冒険できる。恐れることなく、その場から生み出されるものを一緒に体験できたら深い学びができると思っています。
具体的な方法論だけではなく、その根っこにある抽象的な概念をしっかり哲学することを大切にするのも、「さとのば大学」の特徴のひとつ。
オンライン授業で思考を耕し、地域の人たちと一緒に体を動かしてプロジェクトを実践し、現場で感じたことをもう一度抽象化して理解を深めていく。抽象と具体を行き来しながら学べる「あたらしい学習環境」なのです。
地域と都市を対立的に見るのではなく
両者を統合してとらえていくために
かつてない人口減少を経験している今、わたしたちは成長神話の崩壊を目の当たりにしています。この時代に対応するには、今までの「あたりまえ」を疑い、変化に振り回されずに生きていく方法を探しながら行動する力が必要です。
とりわけ、過疎が進む地域ではさまざまな課題が深刻化しています。しかし、田原さんは「地域と都市を対立的に見るのではなく、両者をシステムとして統合しながら、地域というものを捉えなおすことが大事だ」と考えています。
秩序とカオスの対比で考えるなら、都市は秩序の機能的な部分が強く、地域はカオスでオープンスペース的な要素が多いと考えられます。
しかし、”アンチ都市”みたいな視点で地域を捉えるのではなくて、秩序とカオスを統合した「Edge of Chaos」の状態を目指すべき。そういう視点で地域に関わる人を育てるのが「さとのば大学」だと思うんですよ。
「都市に住むか、地域に住むか?」
「経済合理性と個人の幸福はどっちが大切?」
「オンラインとリアルはどちらが優れているのか」などなど。
わたしたちはつい、わかりやすくも二項対立的な思考に走りがちです。しかし、自分がうまく受容できない価値観のほうをあえて理解しようと試みることから、両者を統合する視点を得ることができると田原さん。「だから、さとのば大学は革命のタネとしての条件を備えているんです」と言います。
変化のスピードが速い時代だからこそ、「どちらがよいか?」と表層的に見るのではなく、その根っこをつきとめていく力が必要なのだと思います。その力こそ、さとのば大学が育もうとしているもの。ここで学べば、「どんなことが起きても大丈夫」と恐れずに、不確実な未来を受け入れて生きていけそうです。
この記事を読んで、心のなかのモヤモヤにひっかかるものを感じた人は、ぜひ「#ウワサのさとのば」に登場する他の講師のインタビューや、さとのば大学のウェブサイトをチェックしてみてください。あなたのなかに隠されていた未来の扉が開くかもしれません。