ゲストハウスの運営、バイオマスエネルギーの供給、地方自治体へのコンサルティング。
これらは、「株式会社sonraku」が21人のスタッフで取り組んでいる事業です。
それぞれ異なる分野ですが、その根っこには「地域資源を活用する」という思いが共通しています。
ローカルベンチャーの先進地・西粟倉ではじまり、宿泊施設を次々に立ち上げるなど怒涛の時期を過ぎて、停滞から次のステップへ。事業を行う人なら誰もが通るであろう壁を乗り越えたいま、「sonraku」はどこへ向かいつつあるのか。
グリーンズのビジネスアドバイザーでもあり「sonraku」でも社外取締役を務める小野裕之が、代表の井筒耕平さんにお話を伺いました。
1975年⽣。愛知県出⾝、神⼾市在住。環境エネルギー政策研究所、備前グリーンエネルギー(株)、美作市地域おこし協⼒隊を経て、2012年に(株)sonraku(旧・村楽エナジー)代表取締役就任。環境学博⼠。神⼾⼤学⾮常勤講師。共著に『エネルギーの世界を変える。22⼈の仕事』(学芸出版社)『持続可能な⽣き⽅をデザインしよう』(明⽯書店)などがある。
本当に意味のあることだけをやっていく
小野 井筒さんとは日頃からたくさん話をしていますが、今日は「sonraku」の組織やお金のことなど、改めて深掘りしてみたいと思います。まずは、現時点での事業を教えてくれますか?
井筒さん 3つの事業があって、1つは宿泊事業。岡山県・西粟倉村の「あわくら温泉 元湯(もとゆ)」と、香川県・豊島の「mammm(まんま)」を運営しています。
2つ目はエネルギー事業で、現在は年間で薪を1,000トン、チップを100トンつくり、西粟倉村の宿泊施設に納めたり、地域熱供給に提供したりしています。
3つ目はコンサルティング事業。エネルギーやバイオマス、ローカルベンチャー、地域おこし協力隊の人材育成など、地域の課題解決をサポートしています。
小野 もともと「sonraku」はどうやって始まったんでしたっけ?
井筒さん 岡山県美作市で地域おこし協力隊をしていた2012年に立ち上げたのですが、そのときは漠然とエネルギーの事業をやろうかなと考えていたものの何もしていなくて、実質は2014年4月に西粟倉に移ってからスタートしました。
西粟倉に移住する前から、役場の人に、村に薪ボイラー(※)の導入について相談があって。「3箇所に入れて、そのうち1箇所は『元湯』に入れる予定だけど、いまは閉館しているのでなんとかしたい」という相談を何度も受けていました。
(※)薪を燃やしてお湯を沸かす装置。
小野 それまで「元湯」は何年か使われていなかったんですよね。
井筒さん 2011年まで自治会が運営していたんですけど、3年間空いている状態でした。役場が「元湯」にも薪ボイラーを設置してくれることになったので、じゃあやるか、と決めたんです。
小野 ご縁で始まった感じですね。
井筒さん そうです、あまり深く考えていなかったですね。役場はやる気があったけどプレイヤー不足で、そこにちょうど僕が行ったので、タイミングがよかったんだと思います。
「mamma」も運営をやってみないかと声をかけていただいて。「元湯」が2015年4月、「mamma」が2017年9月にオープンして、その間にもバイオマスエネルギー事業がどんどん広がっていき、激動でしたね。
小野 現在はコンサル事業も手がけているんですよね。逆に、やらないって決めていることはあるんですか?
井筒さん 手段の目的化はしないです。エネルギー事業でいうと、最近は海外から輸入したヤシガラで発電する人が増えているんですけど、僕は使われていない日本の森林を活用したいという目的があって、その手段がバイオマスだった。
だから何のためにやるんだっけ?っていうのを常に考えながら、本当に意味のあることしかしたくないと思っています。
チームワークと事業を見直す
小野 僕が「sonraku」に関わりはじめたのは2019年の春くらいからでしたね。どんな経緯でしたっけ。
井筒さん たまに連絡したり会ったりするなかで、人間関係など事業の悩みを相談していたときに「正式に関わる形もありですよ」って提案されて、それいいかも、と思って。相談相手がほしかったし、おのっちは厳しい感じで言ってくれていたから。「大きいことを言うわりに会社をスケールしないんすね〜」とか(笑)
小野 そんな言い方しましたっけ(笑)
井筒さん でも「確かに」と思ったよ。「しんどくないですか?」って聞かれたときに「うん、しんどい」と思っていたし。たとえばお金の面も、おのっちは「借りればいいじゃん」っていう感じだから、その手もあるんだなと気づいたり。
人についても、スタッフにはかなり自由にやらせていたので、「全然パフォーマンスを発揮できていないんじゃないか、自由だからこそ逆に不自由にさせているんじゃないか」って言いってくれたり。自分にない考えだったし、ちゃんと契約して定期的にアドバイスもらったほうがいいなと思って、参加してもらいました。
小野 致命的な課題があるというよりは、ツギハギっぽいチームづくりや事業づくりをしていたので、最初は「スタッフに仕事をどう思っているか聞いてみてくれない?」って井筒さんに言われて、スタッフ全員と会って話しました。
みんなすごい不満がたまっていたわけではなくて、もっとこういうことを会社でしたほうがいいとか、結果的に会社と距離を持ちたいという人も現れたりして、けっこう人の変化はありましたね。
井筒さん ありましたね〜。
小野 僕が関わる前はどんな状態だったんですか?
井筒さん 自分で考えて行動してもらう、ということをやっていた感じですかね。部分最適で、それがセクショナリズムになってしまった感じです。まあ、今もそれは消えていませんが(苦笑)
あまり人間関係もうまくいっていませんでした。会えば話すけど、ちゃんと腹から話せなくて「どう考えているんだろう?」っていうのが強かったです。
普段は西粟倉と豊島、僕も神戸に住んでいるから離れているけど、2019年10月に初めて社員全員で集まってミーティングをしたんです。会社をなぜ立ち上げたのかとか根本的な話をしたら、みんな初めて聞いて驚いていました(笑)
小野 みんな「部門」に就職したつもりで、「sonraku」に入ったつもりじゃなかった。
井筒さん そうそう。西粟倉と豊島のスタッフ同士も初対面だから、お互いに質問したり、プライベートなことも含めて話したりして、こういうのやっぱり大事だなって思いましたね。
それまでは遠慮しちゃって、そういう機会も持てなかったです。だから、おのっちが入ってから本当にいろいろ変わりました。特に人とお金かな。
おのっちに「井筒さんは採用と資金調達と営業の3つだけやればいいですよ」と言われて、自分の役割を削ぎ落としてくれたのは大きかったです。すごいすっきりした。
小野 まだ変化の途中ですけど、この1年でけっこう変わりましたね。
井筒さん 外から見ると変わってないけど、まずは中を変えている1年だなと思います。
やるのが先で、学ぶのはあと。
井筒さん お金に余裕があるというのもいいですね(笑) 銀行から借りているだけですけど。
小野 いままで借りていなかったのは、抵抗があったから?
井筒さん いや、なんとか回せていたから、あんまり必要に感じていなかったかな。でも資金繰りに頭が引っ張られていたんだなって結果的にわかりました。
地方にいると事業のつくり方を教えてくれる人が全くいないので、孤独ですね。おのっちはどうやって学んだの?
小野 僕はまず実践しています。何でもそうだけど、困る状況をつくらないと人は学ばないと思っていて。乗り越えざるを得ない状況になると吸収するし、当事者としてやってから相談するとけっこう助けてくれる人は多いですよ。
たとえば「まだやらないんですけど、知識として身につけておきたいんです」と言われたら「まずやれよ」って思うじゃないですか(笑) やるのが先で、学ぶのはあと。これは前に進むための正攻法だと思っています。
ビジネス本もおもしろいけど、ある段階から、実践するため、困難を乗り越えるための知識を得るのではなくて、逸話や格言、最新の組織管理のあり方など、その情報を消費すること自体が楽しくなっちゃうというか。
井筒さん 成功のロジックを知っても、応用できないんですよね。この前NewsPicksの番組でも、「成功はアートで、失敗はサイエンス」と言っていました。失敗はそこそこサイエンスあるらしいですけど。だからスタッフにうまく説明できないときは「アートです」って言っています(笑)
2店舗状態の苦悩
小野 スタッフとの関係性はどうですか?
井筒さん いまは部門にマネージャー職をつくって、マネージャーと話しているから自分のなかでは大丈夫な感じです。
このまえ「元湯」の断熱工事をみんなでやったんですけど、そういうのも初めてで、やっぱりいいですよね。
小野 時間を共有することは大事ですよね。西粟倉にはどのくらい行っているんですか?
井筒さん 月に2,3回行くけど、宿泊業はシフト制だから、断熱工事みたいに機会をつくらないとスタッフ全員にはなかなか会えません。「mamma」には行ってないですが、店長がすごいしっかりしているし、コミュニケーションもとっているので信頼して任せています。
小野 「mamma」のある豊島では、西粟倉のように、宿泊やバイオマスなど、複合的な展開がまだできていませんが、スタッフにはエネルギー事業のことも伝わっているのでしょうか?
井筒さん 10月のミーティングで話したけど、ピンときてなかったよね(笑)「元湯」は薪で湯を沸かしているけど「mamma」には薪ボイラーがないし、アートとか地方に興味がある人が働きに来るから、エネルギーにはあまり関心がない。
採用はすぐ決まるけどね。逆に「元湯」は募集しても全然来なくて、課題ですね。今後さらに宿泊事業とエネルギー事業を広めたいと思ってはいるんですけど。
小野 この1年は内部の改革を進めてきて、先ほども「外から見ると変わってない」と言っていましたよね。今後はどのくらいの規模を目指したいですか?
井筒さん 宿泊事業は、早めに5箇所くらい広げたいですね。ある程度の規模感までダッシュで行きたいです。
三重県尾鷲市で漁業をやっている「ゲイト」という会社があって、都内でも「くろきん」という居酒屋をいくつか運営しているんですけど、そこの人が言っていたのが「5店舗くらいまではダッシュでやらないと」って。
0から1は一番リスクがあるし、1から2もまだリスクが大きいけど、「その先はどんどんリスクが減っていくから」と聞いて、「確かにな」と思って。
小野 仕入れとかプロモーションも、1店舗だけより多店舗のほうが効率いいですからね。「ANDON」も今年4月、下北沢の「BONUS TRACK」に2店舗目を出すんですけど、3店舗、5店舗と出していきたいです。やっぱり2店舗状態は大変だなと。
井筒さん 大変だよね、一番大変だと思う。
小野 次は秋田と台湾に出したいんですよね。秋田には「ANDON」でお出ししている、お米を育てている「トラ男」の農家さんがいるので。
(※「トラ男」の武田昌大さんは、小野とともに「ANDON」を運営している)
井筒さん いいね、じゃ俺も台湾に出そうっと(笑)
「ここ1,2年は停滞していた」という井筒さんですが、アスリートにコーチや栄養士がついているように、経営者にも相談できるサポート役がいることで、事業をより進めやすくなったようです。
実際に台湾に進出するかはわかりませんが(笑)、現在3店舗目の話が動きつつあるとのこと。本当に意味のあることだけに取り組んでいく井筒さんの新たなステップが、どんなかたちになっていくのかとても楽しみです。