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好きを突き詰めた先にあるローカル起業。「サーフィンだけがしたい」をかなえた「Nakashin Surf」中新茂さんに聞く人生の波乗り法とは

いよいよやってきた2020年。今年の話題の一つが、オリンピックではないでしょうか。その競技のひとつであるサーフィンが開催される釣ヶ崎海岸サーフィンビーチは、千葉県いすみ市に隣接した海岸です。移住、マーケット、小商い、などで話題のいすみ市は、実は一年中波に恵まれたサーフタウンでもあります。

そんなサーフィンの魅力に取り憑かれていすみ市に暮らしている人の一人が、中新茂さん。サーフショップ「Nakashin Surf」のオーナーです。

「とにかくサーフィンがやりたかった」そう話す中新さんの人生はまさにサーフィン一色。

中新さんがどうしてサーフィンに魅せられたのか。サーフィンが好き、サーフィンだけをやっていたい、を貫いた先に訪れたローカル起業とは。好きを貫いたその先のお話を今日はお届けします。

中新茂さん

「Nakashin Surf」はいすみ市の太東海岸のほど近くにあります。お店をオープンしたのは2018年4月。この場所は周りにもサーフショップが立ち並ぶ、いわばサーフショップの激戦区です。

サーフボードとウェットスーツ、その他サーフィン用具の販売、レンタル、サーフィンスクール、そして遠方からくるお客さんの用具の預かりなどをしています。

インタビュー中も、常連のお客さんがやってきては小物を購入していったり、海からあがってきてシャワーを使ったり。「今日の波良かったでしょ」と中新さんと話がはずんでいる様子です。

この場所は駅から徒歩だと30分ぐらいかかるんだけど、それでも歩いて来る人もいて。聞いたら田んぼを見るのがいいんだって。毎回来るたびに、青々としていたり、穂が実っていたり、稲刈りされていたり、そういう景色を見るのが好きみたい。

うちに来るお客さんは、ただサーフィンうまくなりたいっていうだけじゃなくて、そういう楽しみを持ってきてくれる人もいるよね。

そうしたお客さんを夏は蛍を見に案内したり、冬はお客さんとクリスマスパーティをしたりすることもあるそう。

こちらのTシャツは、お客さんがデザインしてくれたそう。

とてもアットホームな雰囲気の「Nakashin Surf」。お店をオープンするまで、どのような道のりがあったのでしょう。その歩みを追います。

エネルギーのやり場がないときに
出会ったのがサーフィンだった

中新さんは石川県野々市市の出身。地元の工業高校を卒業して、就職で神奈川県藤沢市にやってきます。藤沢にやってきたのは、ご本人曰く「怪しいモチベーション」があったとか。

『湘南爆走族』って暴走族漫画に影響されて、湘南行ったらバイクをとばすつもりでいたんだよね。だけど乗り始めて、スピード出したらすぐに捕まっちゃって。で、1回捕まったのに警官が免許返してくれたから、最後にエンジンを回しておこうと思って細い道でバーンって走り出した瞬間に、また警官に見つかって「50キロオーバーです」って。

思わぬやんちゃエピソードが冒頭から飛び出しました。

そうやってあっという間に免許を失ってしまった中新さん。エネルギーの行き場を失い、くすぶっていたところ会社の先輩が声をかけてくれます。

先輩に「お前そんなに元気余ってるならサーフィン行こう」って言われて。でもサーフィンなんて、チャラい印象でしょう? 僕なりの硬派なプライドがあって、そんなチャラチャラしたやつやってらんないよって。断りかけたんだけど、その先輩に無理矢理連れてかれたんですよ。

それがサーフィンとの出会いでした。

そこで「洗礼」を受けたことは今でも忘れない、と話します。

サーフィンなんて簡単だろうってバカにして行ったのに、ぐちゃぐちゃになって最悪だったんですよ。屈辱的でね。それが悔しくてはがゆかったんだろうね。なんとかしてやりたいと思って、それでハマっちゃった。

折しも住んでいた場所から海までは自転車で行ける距離。免許がなく、行くところもなかった中新青年は、それから毎日サーフボードを抱えて海へ通うようになります。ハタチの頃でした。

もう他のことは考えられない
サーフィン武者修行へ

毎日海へ通い、サーフショップに出入りをしているうちに知り合いも増え、どんどんサーフィンにハマっていきます。そうして出会った仲間たちとバリ島などの海外にも遠征しに行くようになりました。

会社を辞める1年前ぐらいからはずっとサーフィンのことだけを考えていたそう。思いが募って、ついに24歳で会社を辞めることに。

決めたのは、オーストラリアへのワーキングホリデー。目的はサーフィン修行でした。

始めたのも遅かったし、プロサーファーで生きて行けるほど頭角を現せてないのはわかってたんだけど、とにかくサーフィンがしたくて。会社の人や家族の反対を押し切って行くって決めたんです。頑固だったな自分。

うまくなるためには、やはりうまい人が集まっている場所に行きたい。行き先をオーストラリアにしたのは、当時サーフィン雑誌で世界チャンピオンがいる場所、として紹介されていたからだそう。

「今も若い子たちに会社を辞めてサーフィンだけしたいって言われることがあるんだけど、やめとけよ、って言うもんね。俺みたいになっちゃうぞって」と笑って話します。

オーストラリアでは、サーフィンをしながら、つくったサーフボードを日本に送る工場で仕事をしていました。有名な憧れの選手たちがいるブランドで、仕事は雑用が主でも楽しく働いていたそう。

アヴァロンっていうシドニーのちょっと北のまちにいたんだけど、そのまちが好きでしたね。朝起きたらみんな海に集まってきて、そこでひと泳ぎしてシャワー浴びて帰る、みたいな。海と生きている感じがしたんですよそのまちは。そこにすごく憧れましたね。

「サーフィンがあったら
なんだって生きていけるんだ」

1年後、オーストラリアでサーフィンに捧げてきた熱をそのままに帰国した中新さん。

波がほとんどないから、という理由で実家のある石川県には帰らず、オーストラリアの工場で出会った知り合いを頼りに、いすみ市にたどり着きます。紹介で働き始めたのが、千葉県初のサーフショップ「TANY SURF」のサーフボード工場である、「THE FACTORY」でした。

工場に勤めている人はサーフボードの型をつくるシェイパーになりたいって人が多かったんです。でも僕はまったく興味がなくて。サーフィンだけしたい。サーフィンをして世界のいろんなところに行きたい。「TANY SURF」の社長にも変わってるなって言われてましたね。

最初は給料も安く、生活が苦しい時期もあったといいます。でも中新さんを支えていたのは「僕はサーフィンがあったら、なんだって生きていけるんだ」という感覚でした。

それからしばらく工場に勤務して工場長になり、「TANY SURF」の店頭に立ち、50歳になるまで務めます。

25歳から実に四半世紀。周りの人はプロサーファーになったり、シェイパーになったり、自分の店を出したりと辞めていく中で、中新さんがそこに残っていたのはなぜでしょう。

自分でそういう選択をしなかったね。若いときから目標とか目的がないとだめだとか言う人たちもいるでしょう。そういうのは耳が痛いよね。僕はサーフィンがしたい、だけだったから。

店頭に立ってからは、常連のお客さんがついてくれているのがモチベーションになっていたかな。プロサーファーじゃなくてもケアできるお客さんがいて、移住をしてきた人とか、サーフィンを楽しんでずっとこっちで生活したいというような人たちにはアドバイスもできるから。

何よりサーフィンができる、海に関わっていることができる。中新さんの一番やりたいことができる環境だったからこそ、四半世紀もの間、勤め続けることができたのは言う間でもありません。

大病を乗り越えて

そうして長年勤めてきた「TANY SURF」を退職したきっかけは、病気でした。脳膿瘍という脳の中に細菌感染が起こる病気にかかり、1〜2ヶ月ほどの入院生活を余儀なくされます。

見事に病気を完治させ、退院。ですが、「TANY SURF」を辞めることにします。

体調が快復するまでやれる範囲でいいよ、と社長は言ってくれたんです。だけど店番に入るはずなのに体調が悪くて入れないと迷惑がかかってしまう。自分の店だったら店を開けるのも休むのも自分の責任だと思って、辞めて自分の店を開くことにしました。

「TANY SURF」の社長には、「他の仕事をすることも考えたけど、やっぱりサーフショップがやりたい」と話し、快く送り出してもらいました。

お客さんへお店のオープンを知らせるようなことはしませんでしたが、それでも「Nakashin Surf」は以前の常連さんがみつけてきてくれることが多いそうです。



波だけでなく、人とのコミュニケーションが取れる
サーファーを育てたい

「Nakashin Surf」のウェブサイトを見ていて、気になった言葉がありました。サーフィンスクールの案内のページにこう書かれています。

「波だけでなく人とのコミュニケーションが取れて、ポイントを大切にできるサーファー育成を目指します。」

この言葉には、どのような意図があるのでしょう。

太東海岸は、「日本で最初の」と名乗りをあげるぐらい、サーフィンのポイントとして古いポイントなんです。だから派閥もあったりして、新しい人たちにはちょっと煩わしく感じることもあると思う。

だけど、そこにいる人がわかるとこんなに良いポイントはなくて。ここには良い人間関係があるんですよ。たとえばボードがひっくり返ってぶつかったとしたら誰かが助けてくれる。波とだけじゃなくて、人間同士のコミュニケーションがとれることがサーフィンする上ですごく大事なんです。

ビーチにはサーフショップ同士の人間関係や、地域の歴史があるそう。ちなみにいすみ市には日本でも数少ないサーフィンの組合、「いすみ市サーフィン業組合」があります。サーフショップ同士はお互い競合でありながらも、そこに集う人たちにはファミリーのような感覚があるそう。

もちろん個人でボードを抱えてサーフポイントに来て、サーフィンを楽しんで帰ることもできる。でも、周りで波に乗っている人たちは海の仲間であるということを、自身のサーフィンスクールに来た人たちには伝えていきたいと中新さんは考えています。

いすみ市で開催されるサーフタウンフェスタに合わせて描かれたポスター。空から俯瞰して見た、まちと海岸、サーフィンする人の姿がポップに描かれています。

現在、サーフィンスクールは年間で30から50回ぐらい開催しています。

新規のお客さんに来てもらう良いきっかけとなるサーフィンスクールですが、中新さんはスクールをコースにして一から十まで全て教えてしまうことに、葛藤があるそうで。

全部教えると、苦労して覚える一番面白いところを取っちゃう気がするから、一回だけ教えた後は自分でやってみなって言っちゃうんだよね。本当は連続スクールにして最後まで面倒をみた方が商売になるかもしれないんだけど(笑)

一番面白いところを取っちゃう、とはどういう意味でしょう。

失敗したことが実は一番宝物になるんですよ。危険なことがあったり、どうしたらうまくいくか探ったりするじゃないですか。フィンを間違えて反対に付ける、とか、教えなかったらほとんどみんなやる。そこで「自分だけ違うことしてるぞ」って気づいて、試行錯誤して、少しずつ上達していく。それが何かを新しく始めるときの一番面白いところなんですよ。

苦労した人はその分、教えたときの吸収スピードがものすごいのだとか。

とはいえ、やはり連続スクールの回数券を渡しておけば良かったかなと迷うことも。

5回券にしておけばよかったかなとか、でもそういうつなぎとめ方はなーとか思って。でも、たまに本当にまた来てくれるんですよね。「店長の顔見に来たから」って。嬉しいよね。

波と向き合うことはうまくいかないことだらけ
サーフィンの魅力とは

インタビューも終わりに近づく頃、どうしても聞かずにはいられませんでした。中新さんを捉えて離さない、サーフィンの魅力とは一体なんでしょうか。

自然っていろんなことを教えてくれるでしょ。とにかく波という相手が動くし、自分の思った通りにいかない。イレギュラーだらけなんですよ。

お客さんにも言うんですよ、そのイレギュラーだらけなのがいいでしょうって。毎日朝こっちからあっちに移動して決まったことやらなきゃいけない仕事をしている人たちにとっては、ストレス発散するんだったらこんなややこしいのが一番いいですよって。何一つちゃんといかないんです。今乗った波がそのすぐあとにはもうないんだもんね。

何かを準備してもうまくいかないから、準備しても仕方がない、なるようにしかならないと思える。そんなサーフィンは確かに絶好の脱日常になりそうです。

波と向かい合っていて、一番面白い瞬間とはいつなのでしょう。やはり、ボードの上で立ち上がったとき、なのでしょうか。

一番面白いのは、波に乗って滑り出すところだね。抵抗があって、それを超えて、波と一体になる瞬間があるんですよ。海がつくるエネルギーをみつけて、そこからスッと自然の力をとらえてスタートする瞬間が最高なんです。

中新さんにこれからについて伺うと、「目標立てるの苦手なんだよなあ」と少し困りながら答えてくれました。

お店は頑張っていきたいし、もちろんサーフィンも続けていく。こうやってお店があることでお客さんと会えて、話ができるのは良かったと思ってます。海に関われてるし、健康で家族みんな生活できるのは幸せなことだから。みなさんにとにかく海に関わってもらえるように、この仕事を続けていきたいですよね。

そして笑いながら続けます。

よく出会った人に言うの、「だまされたと思って一回サーフィンやってみな」って。「だまされてよかったって、そのうち感謝するよ」って。これからもだましてあげたい。「だまされる」つもりで、一か八かで僕の提案に乗ってきてくれて、それで喜んでもらえると嬉しいもんね。

「サーフィンが好き」を貫いた中新さんの生き方。自身の道のりを、「選択をしてこなかった、行き当たりばったりだったかな」と振り返ります。でもそれは、自分のやりたいことをやるという意志を持って、自然に身を任せ、やってきたエネルギーに乗っていく。中新さん流の波乗り法のように私には感じました。

脱日常を試みたくなったら、ぜひいすみ市の「Nakashin Surf」を訪ねてみてください。最高の自然と向き合う旅へ連れていってくれるはずです。

(撮影: 磯木淳寛)