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子どもを真ん中に社会を見据えれば、基本的信頼も地域社会も取り戻せる。自由学園×自由の森学園×INEB。教育者たちの対話から見えてきた、現代の子育て・教育に必要な「3つのR」とは?

私は中学のとき、存在を消し続けていた。死んだようにしていた。

涙ながらに訴える子どもの声に、あなたならどのように耳を傾けますか?

自己肯定感や基本的信頼が低いといわれる日本の子どもたち。文部科学省や政府機関が実施している各種統計(※)でも、他国に比べて圧倒的に低い数値が発表されています。

(※)文部科学省「高校生の生活と意識に関する調査」、国立青少年教育振興機構「高校生の生活と意識に関する調査報告書-日本・米国・中国・韓国の比較-」ほか

でも彼女は高校に入学して変わり、高校3年生のとき、こう語りました。

この学校に来て、自分が自分でいいんだ、ということを知りました。

この言葉の背景には、「自分たちの手で自分たちの学校をつくる」という役割を全うした体験があったと言います。

ご紹介したのは、東京都東久留米市にある「自由学園」で実際に起こったできごと。埼玉県飯能市の「自由の森学園」でも、全く同じような声が、子どもたちから届いているのだとか。

“生活即教育”“自労自治”を掲げ、生徒たちの手で食事づくりから学校運営まで行う「自由学園」。そして、テストや評価、不必要な管理をすべて排除し、子どもたちの“本物の感性”を育てる「自由の森学園」。

このような先進的でオリジナリティあふれる教育の話を聞くと、「うらやましい」「子どもを通わせたい」と考える方も多いでしょう。子どもの教育のために、理想の学校の近くに家族で移住するという話も耳にします。

でも私は思うのです。「それだけでは、社会は、教育は、変わっていかないのでは?」と。

経済的に余裕のある人、移住できる状況の人、教育感度の高い人など、ほんの一握りの人たちだけが素晴らしい教育を享受している状況では、理想の教育はいつまでも一部の人のものにしかなりえません。このような素晴らしい教育を、広く必要とする子どもたちに届け、日本の教育全体を変えていくためには、一体どうしたらいいのでしょうか?

今年11月、そんな問いのもとに、国内外の教育者たちが集いました。自由学園学園長・高橋和也さん、自由の森学園高校教頭・菅間正道さん、タイの社会活動家でINEB(国際エンゲージドブディズム・ネットワーク)事務局長のSomboon Chungprampree(ムー・ソンブーン)さん。そして、自由の森学園卒業生で明治学院大学1年生の田上凪くん。モデレーターとして、一般社団法人「そっか」の小野寺愛さん

舞台は、国内外のローカル社会づくりの実践者たちが集結した「しあわせの経済」国際フォーラム2019。この記事では、「ローカリゼーションと教育」をテーマに交わされた分科会における実践者たちの言葉の数々を、できるだけ現場の空気そのままに紹介していきます。

答えは出ないかもしれない。それでも対話をあきらめない登壇者たちのセッションを通して見えてきたのは、子どもを真ん中に社会を見据えることの、大きな可能性。そして、これからの教育に欠かせない「3つのR」というキーワード。

長年「変わらない」と言われる日本の教育。問い続ける教育者たちのあり方から、あなたは何を感じ取りますか?

地域を取り戻すには、子どもが必要?

約250名収容の分科会会場に集まったのは、学生から教育関係者、小さな子ども連れまで、実に多様な人々。

モデレーターの小野寺愛さんは、指相撲を使った独自のウォーミングアップで会場の温度をあたためたあと、この分科会の軸となる「子どもを真ん中に」という概念について切り出しました。

小野寺さん 有名なアフリカのことわざがあります。「子どもをひとり育てるには村がひとつ必要だ」。子どもが安心して育つ環境は、本来、母ひとり、家庭ひとつでつくれるものではなく、村にある暮らしがまるごと必要だったんです。

でも、地域社会のつながりが希薄になった現代社会では、子どもを育てるという文脈での「村」が無くなってしまっているのではないか。であれば、逆に考えてみたらどうでしょうか。つまり、「村を取り戻すには、子どもが必要だ」という時代になっているのではないか、と。辻さん(環境活動家の辻信一さん)と話すなかで、こんな問いが浮かびました。

今日は、子どもが育つさまざまな学びと経験のある場所をつくっている実践者たちからお話を伺い、どうしたらそうした現場の実践をもっと広く子どもたちに届けることができるのか、そして、子どもたちの育ちを通して、社会を、しあわせな経済の方向に持っていくことができるのか、ということについて話し合っていきます。

小野寺さんの問いかけを皮切りに、分科会はスタート。全体を通して、ふたつの問いを追求していきます。ひとつめは、「子どもたちが社会的信頼を育むために、必要な学びとは」。ふたつめは、「こうした実践をどう実社会につなげていくか」

まずひとつめの問いを追求するために、4人の登壇者からそれぞれの実践に関するプレゼンテーションが行われました。ここではポイントを絞って、当日語られた内容を簡潔に紹介していきます。

(※登壇者の教育実践について既にご存知の方は、▼登壇者セッション1から読み進めていただいても構いません。)

“生活即教育”、“自労自治”。
食事づくりから鍵の管理まで、生徒が学校運営を担う「自由学園」

自由学園は、1921年設立、まもなく100周年を迎える私立の学校法人。幼稚園から大学、さらに45歳以上が通うリビングアカデミーまでの一貫教育を実践しています。

西武池袋線「ひばりヶ丘」駅から徒歩約8分。深い緑に包まれた「自由学園」のキャンパス

創立以来持ち続けているものとして、高橋さんは「詰め込み教育への疑問」、「競争と形式的教育への疑問」、「生きる意味を問わない教育への疑問」の3つを掲げました。「自ら学び考える力」「協力し社会をつくる実践力」「自分を愛し、他者を愛し、神を愛する人」を育てるため、“生活即教育”そして“自労自治”を信条にした教育を実践しています。

たとえば、食。校舎の中心に食堂があり、自分たちで種を植えて育て、調理して片付けることにより、循環を学びます。高橋さんによると、このことにより「人の中に階級ができない」という考え方が根底にあるそう。

女子部(中等部・高等部)は生徒自らが毎日、男子部(中等部・高等部)では週1日、それぞれ食事をつくっています。

さらに特徴的なのは、生徒が学校運営を行うこと。生徒全員が交代で委員になり、鍵の管理から薪割り、トイレットペーパーの管理まで、学校運営にまつわるあらゆる役割を担います。

また、「自分たちで木を植えて校舎を建てたい」という創立者の願いから、国内外で植林活動を続け、ついに2年前、歴代の生徒が植えた木を使った校舎が完成したそう。

70年前に男子部(高等科)、50年前に大学部の学生が植林活動を始め、長い年月と手間をかけて育てた木材を使い、2017年12月に完成した「みらいかん」。

会場では、このような、生活、社会、環境に広がっていく自由学園の学びの実践が、高橋学長の言葉とスライドで報告されました。

自由学園学園長・高橋和也さん

競争原理や点数序列に依存せず、
本物の知性と感性を育てる「自由の森学園」

次に登壇したのは、「自由の森学園」の菅間さん。1985年創立、今年で35年目を迎える「自由の森学園」。中学生・高校生合わせて、これまでに約7,000人の卒業生を輩出しています。

自由の森学園の教育は、「学問」と「芸術表現」の2本柱。“本物の知性と感性”を育てる教育を実践するために、競争原理に依存しない方針を掲げ、定期テストや点数序列、不必要な管理を排除した教育に挑戦し続けてきました。

自由の森学園の授業の様子(提供: 自由の森学園)

授業では、「覚える」よりも「考える」ことを重視。たとえば理科や社会では生徒がそれぞれ学びたいテーマを持ち、本を読んだりインタビューをしたり、それを発表してディスカッションするような授業を取り入れています。

自由の森学園の授業の様子(提供: 自由の森学園)

テストがない分、学びの納めとしてレポートを導入。年度の終わりにはお互いの学びを分かち合う「学習発表会」を開催し、紙芝居や飛び出す絵本など、生徒一人ひとりが独自の方法で「学びの成果」を展示・表現します。また、数字で評価する通知表はなく、生徒は自分の学びを自己評価し、教師がそれに対して応答的なコメントを書く。このやりとりにより、学期ごとに学習履歴のアルバムのようなものができあがるのだとか。

自由の森学園高校教頭・菅間正道さん

ここでマイクは、卒業生の田上くんのもとに。

田上くん 僕が思うに、自由の森学園というのは、自己決定が促される学校です。

この言葉を皮切りに、田上くんは、授業や行事、自主的に行ったデモ活動など、自らの自由の森学園での体験を語り始めました。中でも印象的だったのは、学校側から修学旅行を廃止にする方針が示されたときのエピソード。

田上くん どんな状況下でも生徒の主体性が求められる。このときも生徒たちで話し合いの場を持ったのですが、「それって生徒の主体性を壊してない?」とか、「教員のやり方は実際に裏切りだと思う。が、そういう現状をつくってきたのは俺たちだと思う」なんて意見が出たりもしました。

田上くんの報告からは、先生と生徒の対等な関係性も垣間見ることができました。「じゃあ、菅間さん、あなたならどう思う?」というように先生にも自由に意見を求めることができ、生徒と先生、生徒間でも多様性が尊重されている。単位や学力で格付けされていないために優劣の争いにならず、いじめも無かったのだとか。

「自由の森学園」卒業生/明治学院大学1年 田上凪くん

ありのままの言葉で自分の体験と実感を力強く語り、会場の人々の心を強く捉えた田上くんのプレゼンテーションは、こんな言葉で締めくくられました。

田上くん 自由の森学園には、完成された自由が用意されているんじゃないと僕は思うんです。不必要に管理されない環境で、どのように生徒たちが思考して判断することができるか、それが試される場。

しかし、自由な状況というのは、一方で「すごく難しい課題」なので、生徒たちもものすごく混乱しているし、その混乱のなかで自由を獲得する力、自分で決定する力が育っていく。生徒たち自身でいろいろなものを得られる場所だと思っています。

命を終えるまで、すべてのプロセスが「学び」。
仏教の教えと近代的なものを融合させた教育を届ける「INEB」

次の登壇者は、「INEB」のムーさん。仏教の思想と近代的なものを融合させてカリキュラムをつくり、東南アジアを中心に教育活動・地域活動を行っています。タイやミャンマーに活動拠点を持つほか、政府、大学とも連携するかたちでプログラムを提供しており、参加者数は年間2,000人以上にものぼるのだとか。

活動紹介の冒頭に、ムーさんは「教育」の前提について、こう語りました。

ムーさん まずお伝えしたいのは、教育というのは学校の中だけで行われるものではない、ということです。教育は、学びの過程です。生まれてから命を終えるまで、そのすべてのプロセスが学びだと思っています。

INEB 事務局長 ムー・ソンブーンさん

ムーさんは、近代化の過程で、学びを短い期間のなかに閉じ込めてしまったこと、ある一定の人々が統治し、学びが建物の中にとどまることになってしまったこと、目の前で起こっていることと目に見えないもの、実際にあるものと精神的なものが切り離されてしまったことを問題点として指摘します。

それらを取り戻すため、たとえば、本来学びの場であった森の中に学校をつくり、デモクラティックスクール(※)のモデルに仏教の教えを融合させた教育を提供しています。この学校では子どもの自己統治が推奨されていて、子どもも先生も一票ずつ票を持ち、学校のあり方を一緒に考えているのだとか。

(※)カリキュラムやテストがなく、子どもたちがそれぞれに自分のやりたいことを自分のペースで学ぶスタイルの学校。ルールは子どもたちの話し合いで決めるなど、子どもをひとりの人として尊重する姿勢が根底にある。日本では「サドベリースクール」という呼び方が一般的。

タイの森の中にあるChildren’s Village School「Moo Baan Dek」(提供: INEB)

カリキュラムの大きな特徴は、「知識」を最後に伝えるものとしていること。仏教を中心に据え、そのまわりに「正しい視点」、「正しい考え」、「正しい努力」、「正しい発言」、「正しい行動」、「正しい暮らし」という6つのコアな思想を置き、まずは自分自身を理解する。その上で、複雑化する社会を理解すること、自然を理解すること、異なる他者との共存なども大きなテーマとしています。

ムーさん 知識というのは、この最後にあるものなんですね。一生を通して何を積み重ねていくのか、知識は、さまざまな理解を経て、最後に伝えられるものだと思っています。

INEBのカリキュラムの概念図(提供: INEB)

“私の子どもから、私たちの子どもたちへ”
子どもを真ん中にした地域コミュニティを育てる「そっか」

前半の最後に、モデレーターの小野寺愛さんからもご自身の活動「そっか」に関する報告がありました。神奈川県逗子市を拠点に子どもたちと自然の中で遊び尽くす活動を行っている「そっか」。活動開始から3年半の月日を経て、そのコミュニティに関わる子どもの数は200人以上にまで成長しています。

Photo: Yo Ueyama

活動の詳細や現在地は小野寺さんのインタビュー記事に譲りますが、映像を交えたプレゼンテーションの中で、「子ども」を真ん中にした活動をはじめるきっかけとなった気づきについて、小野寺さんはこう語りました。

小野寺さん 子どもってすごいですよね。寝返りを打てるようになったら這おうとして、立てるようになったら歩こうとします。子どもは誰も、「どうせ僕にはできないから歩くのはやめておこう」なんて思わない。「自分には絶対できる」と信じて努力を重ねていく素晴らしい存在なんです。

その誰もが持っていた素晴らしい心を、なぜ失ってしまったんだろう、もしかして、教育がそれを邪魔しているんじゃないだろうか。環境教育や平和教育を大人に向けてするよりも、子どもの育ちを邪魔しないことが、社会をより良い方向へ導いていく一番の近道なんじゃないか、と思うようになりました。

一般社団法人「そっか」共同代表・小野寺愛さん

会場には、そっかの活動のひとつ「逗子こどもレストラン」のユニフォームを身に着けた子どもたちの姿が。自分たちがつくった「逗子弁当」を販売するため、「しあわせの経済」マルシェの出店者として来場していました。小野寺さんに促され、マイクを通して今日のメニューを紹介する子どもたち。

きんぴらごぼう、柿とりんごのごま味噌和え、鶏肉の鍬焼きとか。とても美味しいので食べてみてください!

子どもたちの堂々たる発言に拍手が沸き起こり、前半のプレゼンテーションは幕を閉じました。

問い1:
自分、仲間、社会への信頼を育むのに、どんな学びや経験が必要か

登壇者からの報告が終わり、ここからは「問い」を掲げたセッションに。ひとつ目の問いは、自由の森学園の菅間さんから提言されたもの。「自分、仲間、社会への信頼を育むのに、どんな学びや経験が必要か」という文字がスライドに掲げられました。

菅間さん 学校説明会の場で、高校3年生に学校生活を振り返って話をしてもらうんですが、高校段階から自由の森に来た子どもたちが、「それまでの環境とのギャップがすごかった」という話をして、参加者のみなさんもすごく共感的に聞いてくれます。

小中学校の自分は、親や教師の顔色をうかがったり、友だちから浮かないようにしたり、といったことばかりをずっと考えてきた。ここに来てみたら、その悩みとか苦悩はなんだったんだ、大したことなかったじゃないか、と気づいた、と。

菅間さん この状況は一体何なのか。子どもたちが、自分を表現すること、自分を信頼する、他者を信頼する、世界を信頼することができていない。自己・他者・世界への基本的信頼抜きに、それへの関与もない。ベーシックトラスト(基本的信頼)というものを、どうして日本では育むことができないのか。何がそれを阻害しているのか。

どうしたら「僕らの住むこの世界は生きる・つくるに値する」と思ってもらえるのか。そのためにはどういう経験や教育が必要なのか。

その問いをみなさんと共有できたら、と思い提案致しました。

記事の冒頭で紹介した自由学園の生徒の事例にも見受けられる、「基本的信頼」を失ってしまった子どもたちの姿。この本質的な問いかけに対し、各登壇者のプレゼンテーションが続きます。

小野寺さん 今、子どもたちから3つの「間」が奪われている、と言われています。仲間、時間、空間、ですね。

プライベート(私)とパブリック(公)ばかりが大きくなってしまったのが今の世の中、かつてはどこにもあったようなコモンズ(共)、つまり祭りや広場のようなみんなの場所が、無くなってしまった。人の暮らしが自然から切り離されたことで、田んぼや漁村で大人たちが仕事をする周りに自ずと存在した子どもの居場所も無くなってしまった。そのことが、もしかしたら仲間、時間、空間という基本的な信頼を得る機会を子どもたちから奪ってしまったのではないか。

私たち「そっか」は、子どもと自然の中で思いっきり遊ぶことで、人の暮らしと自然をもつなぎ直せるのではないか、という思いで活動しています。

「コモンズを取り戻す」という小野寺さんの提言を受けて、次に発言したのは自由学園の高橋さん。

高橋さん 今、菅間さんの話を初めて聞いたんですね。それが、私がこの場でお話しようと思っていたこととまったく同じで。

この前置きのあとに語られたのが、冒頭の女子生徒のエピソード。再度、耳を傾けてみましょう。

高橋さん 高校3年生の3学期、最後の委員を引き受けるときに、ひとりの女の子が抱負を語ったんです。その言葉に私は本当にびっくりして。

「私は中学のときに、自分の存在を消し続けていた。できるだけ存在を消して、いないように、死んだようにしていた中学時代だった」と、全生徒の前で突然語ったんですね。

「私は自由学園に来て、自分が自分でいいんだ、自分が誰かの役に立てるんだということを知った。ここで生き返った。みなさんに、自分ができることは何でもして恩返しがしたい。みなさんに私の最後の50日を捧げます」と。

高橋さん 本当に苦しい中学校時代で、それが、「自分も誰かの役に立つことができる存在なんだ」と、学校生活の中に埋め込まれた仕組みのなかで自然に感じていったんですね。

子どもが学校に行ってただ学ぶのではなくて、学校そのものをつくっていく仕組みがあると、そこで役立つ存在になる。自分がみんなのために必要な存在だと気づくことができる。その気付きが積み重なっていくと、自分自身の存在意義を自然に感じることができる。

学校を生徒がつくるということの意味は非常に大きいな、と思います。

続いてのムーさんの“答え”は、改めて人としてのあり方を問いかけるものでした。

ムーさん 教育者として私たちは、その人をまず観察します。よくわかった上で、この人だったら個人のレベルで働きかけるのか、それとも家族にも働きかける必要があるのか、地域の中で働きかけるのか、というのを見分けていきます。

信頼構築のためには、宗派や階級といった違いを乗り越えて人と人として向き合うことがまず大事だと思っています。どんな背景の違いがあっても、人と人として向き合うこと。そして、この人は何がわかっていて何がわからないのか、ということをじっくり観察した上で関わっていくこと。これが、この問いに対する私の答えです。

問い2:
こうした実践をどう実社会につなげていくか

最初の問いへの各登壇者のプレゼンテーションに場も深まり、ここからは、本題に迫っていきます。スライドに掲げられたのは、冒頭でも語られた「こうした実践をどう実社会につなげていくか」という問い。小野寺さんはこう切り出しました。

小野寺さん 自由の森学園も自由学園も、INEBも素晴らしい。でも、どうやったらそれをすべての子どもたちに広げることができるのか。どう実社会につなげていくか。

私自身がこの問いを立てたときに思ったのは、「子どもたちが真ん中にある教育をつくっていこう」と思ったときに、私たちはつい「じゃあ、どんなメソッドが?」と思ってしまうんですね。

世界にはこういう素晴らしい実践がある、じゃあそれを日本でも、と考えがちですけど、知識や教育や仕組みというのは、人間のなかの「分子」でしかないと感じています。根っこである「分母」が広がっていないために、どれだけ素晴らしいメソッドを取り入れても深まらない。

「分母」を広げるには、自然の中で過ごした時間、暮らし、遊びなど、なんでもない日常の掛け合わせが必要です。

小野寺さんの発言を受けてマイクを取ったのは、問1に対する各登壇者の答えを真っ直ぐな姿勢で感じ取っていた田上くん。

田上くん 人間は文字通り、人と人の「間」にいる存在です。でも今、その「間」が、市場経済に飲み込まれてしまっている。

こう問題提起をした上で、内田樹さんの書籍から一説を紹介しました。

田上くん “自立というのは、属人的な生活ではありません。俺は自立しているぞ、といくら力んでみても、それだけでは自立した人間にはなれません。その人の判断や行動が適切であることが、経験的に確証されたために、まわりの人々から繰り返し助言や支援を求められるようになった人が、自立した人間と呼ばれるということである。”

つまり、自立と孤立というのは違うんです。自立というのは、お互いの関係において迷惑をかけあうことによって起こる状況。そしてお互いが迷惑をかけあう量は、必ずしも、お金の関係のように「等価交換」になるものではなく、時に一方的かもしれません。

この「自立=迷惑をかけあう」という考え方が、僕たちが学ぶ上でも、大切にされるべきことだと思います。学ぶということは、「最終的に人と価値観を共有しあうこと」にあって、そこでは利益・不利益や効率性といったような価値観は通用しないと思うからです。

田上くんのプレゼンテーションを受けてムーさんは、「卒業した学生をこんなところに連れてきて、こんな難しい問いを投げて。自由の森学園の先生が行っているのは、まさにこの問いへのひとつの答えであり素晴らしいことだな、と思いながら見ています」と発言。続いてご自身の考えを語りました。

ムーさん 私たちは「人を育てる」ということに特化して50年以上もネットワークをつくっています。自分たちでやろうと思ってないんですね。先程私がお伝えしたような素晴らしいプログラムが東南アジア中で広がっているんですが、それはすべて「人を育てる」ことによって実現してきたものなんです。

たとえばミャンマーでは、20年以上の月日をかけて、1,000人の若者のトレーニングを行ってきました。トレーニングで自分なりの答えを見つけた1,000人が、それぞれの地域に帰っていく。そして同じプログラムを地域で実践する。その結果として学びが広がっているとムーさんは語りました。また、もうひとつのポイントとして、「人と人のつながり」を挙げました。

ムーさん プログラムを終了するとすぐに動き出す若者たちもいれば、3〜4年かかることもあります。何か新しい問いが出る度に、学生たちが出入りしてお互いのネットワークで交換するんですね。つながりが欠けている部分を補完しあえるのは、ネットワークの強みかな、と思っています。

ここで高橋さんは、自由学園の取り組みの中でも難しさを感じているネパールでの植林事例について、語りはじめました。30年続けてきて、現在は森になっていますが、近代化やコミュニケーション不足などさまざまな背景から、「今ネパールで植えることの意味を、村の人たちと実感するのは難しい状況」だと。それでも、参加した生徒へのアンケートから見えて来たことがあると高橋さんは続けます。

高橋さん 「30年振り返ってどういうことを感じますか?」と問うと、「この体験が自分の人生に非常に深く関わっていた」と。「豊かさとはどういうことか思い至った」とか、「多様な人がともに生きるということを思った」とか、いろいろな思いが出て、若いときのそういう体験が、その後の人生に深く影響を与えていることを知りました。

私たちが教育として種を蒔いていることは、どこで芽を出すかわからない。今この地球環境のなかで、自由学園として社会に対してできることはなんだろうと続けてきている、そのことの価値と、学生たち自身が感じていることが、人生のなかでまわりまわって物事を判断するときのひとつの基準になっている。

社会に出ると、多くの人が甘くない現実に出会うと思うんですが、それでも自分のなかに立ち返って自分が自分自身に少しでも近づいていける、それを仲間の集まりのなかで持ち続けて広がり続けている。そうあってほしいな、と思います。

また、昨年秋の台風の後、「被災地域に行きたい」と申し出た生徒の話を持ち出し、最後にこう語りました。

高橋さん 生徒たちからの訴えがあったときに、私たちも生徒たちと一緒に、社会にはたらきかける学校であり続けることが必要だな、と思っています。

それは社会の課題を見出した生徒たちと一緒に、社会に向かっていくということ。「学校ってこんなことができるんだ」という、学校感を変えていくようなイメージを持った学校になることが、自由学園や私立の学校がするべきことじゃないかな、と思っています。

真剣な眼差しで各登壇者のプレゼンテーションを聞いていた菅間さん、小野寺さんに促され、最後にこんな提言を語りました。

菅間さん 答えはないんですが、仮説的に思っていることを話します。学校教育の目的は、かつてから「3R’s」と言われてきました。読み(reading)、書き(writing)、算(reckoning)ですね。その大切さは今も無くなっていないと思うんですけど、僕は、今日的に求められる新しい「3つのR」を考えました。この「3つのR」が子育て・教育の場で切実になっているのではないか、という提案をみなさんにしたいと思います。

最初のRは応答のResponse。同調じゃなくレスポンスです。「違うよ」というのもレスポンスだし、「いいね」というのもレスポンス。反応(リアクション)ではなく応答です。

ふたつめがRights、権利ですね。子どもたちには、文句を言う、声をあげる権利がある。様々な市民的・政治的な権利がある。Rightsの別の意味は正義です。AIにはできないけれど人間にできること、それは価値の探求だと思います。

3つ目はRespect、尊敬です。「ディスる」っていう言葉がありますが、これ、ディスリスペクトなんですよね。リスペクトはないのにディスリスペクトで教室が覆われている。教室でリスペクトされないから、インターネットの世界でそれを求めている。親や友だちが言ってくれないから求めている。切ない「いいね!」獲得競争になっている。

まだ仮説なんですけれど、この「3つのR」を、自由学園だけじゃなくて、自由の森学園だけじゃなくて、そして逗子の海だけじゃなくて、まず半径1.5メートルからでも、実践し、広げていくこと。もちろんそれだけで教育や世界がすぐに変わるわけではないんですけど、そんなことを考えました。

セッションの最後に小野寺さんから掲げられたのは、ガンジーによるこの言葉。

「Be the change you wish to see in the world.(あなたが起こしたい変化に、あなた自身がなりなさい)」

大きな課題へのテーマは、実は身近なところにある。別のところに解決策を求めるのではなく、自分自身から変化すること。子ども一人ひとりを通して社会に働きかけること。

時代が変わっても、社会が変わっても決して揺らぐことのない強い答えを共有して、セッションは幕を閉じました。

約2時間に渡る分科会、あなたはどのように体感しましたか?

「問い」に対する明確な「答え」は出なかったかもしれない。でもだからこそ、私は感じました。「問い続ける」ということの価値を。

100年の歴史を持つ自由学園も、卒業生の確かな成長を目の当たりにしている自由の森学園も、アジア中に広がるINEBの活動も。実績を積み上げながらも、その中心では、それにあぐらをかくことなく、もがき続ける実践者の姿がある。目の前の子どもたちを通して、今の社会を見据え続けている教育者たちの姿がある。そして確かにそのとなりには、そんな大人たちのあり方を肌身で感じ取っている子どもたちの姿がある。

この記事を読み終えたあなたが今感じていること、まずはそれを伝えることから、小さなアクションを起こしてみませんか? 日々の実践の積み重ねが、未来をつくっていく。ローカルでのささやかなアクションが、グローバルへとつながっていく。

「しあわせの経済」は、私たち一人ひとりの“change”から、つくられていくものなのです。

(撮影: 大塚光紀 https://www.facebook.com/photo.office.wacca/

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