10/26(土)、名古屋のまちじゅうを舞台にした、歴史と文化の祭典「やっとかめ文化祭」が始まりました! およそ3週間にわたって開催されるこのお祭りは、まち歩きを軸に、地域の文化を新しいアプローチで伝える100以上のプログラムが用意されています。
日本一のものづくり県である愛知の人々は、日々を真面目に仕事に打ち込むからか、非日常である「祭」にかける情熱がすごい。ストリート歌舞伎や日本初の野外・狂言など、ときに、ぶっとんだことを実現するパワーを感じられます。
今回は、これまでの7回の開催を経て、歴史とまちをつなぐ祭りによって見えてきた可能性は何か? 実際に訪れてみた様子とともに、祭典の企画を担当した3人のディレクターの想いを交えて、お届けします。
やっとかめ文化祭とは?
2013年から続く「やっとかめ文化祭」。今年は10/26(土)に、名古屋城すぐの「愛知学院大学」の名城公園キャンパスで幕が開けました。
オープニングを飾るのは、毎年恒例の企画「しゃちほこチャレンジ」。
これは名古屋のお座敷芸「金のしゃちほこ踊り」を一般の人にも参加してもらおうというもの。「見たかぁ〜、聞いたかぁ〜、なごやぁ〜の」 音楽に合わせ、踊りはじめるみなさん。
からの、「しゃちほこ」を披露。
初めて見た時はインパクト大で、我が道をゆく、独特すぎるおもしろさを含む名古屋文化が垣間見えます。最近では、会社でも宴会で披露する人がいたりと、楽しく、広がっています。
「金のしゃちほこ踊り」の講師を担当するのは「西川流四世家元」日本舞踊家の西川千雅さん。「やっとかめ文化祭」では、現代のストリートから都市の文化を見つめるプロジェクト「芸どころまちなか披露」のディレクターを担当されています。
日本舞踊の概念をこえ、タップダンスとコラボしたり、「円頓寺商店街」に誕生した、KABUKIエンターテイメント『カブキカフェ ナゴヤ座』の脚本と総合演出なども担当されたり、これまで伝統芸能に興味を持っていなかった客層にも、どんどんその楽しさを伝えていらっしゃいます。
西川さん 名古屋はもともと武家社会なので、能楽や狂言が盛んなまちです。文化があって、お茶、お花、もちろん歌舞伎もたくさんあった。
そして名古屋は江戸で緊縮令が出ていたときも、祭や芸能を推奨し、芝居小屋がいっぱいありました。出番を失った江戸・上方の役者や芸人たちが集まってきて、 “芸どころ”といわれ、明治、大正まで続いていたんです。それが映画館になり、今では映画もなくなってしまって。
数多くの人が「おもしろいな」と思うと、その伝統や文化は生き延びる可能性が出てくると思うんです。どう切り取るか、ですよね!
そんな西川さんが脚本・企画を考える企画が“ストリート歌舞伎”。
今回は、数々の神話が残る、名古屋の熱田神宮を舞台にした、ヤマトタケルとミヤズヒメによる伝説をオリジナルな解釈の歌舞伎風の仕立て。かなり壮大な物語です。
東海エリアの人にはかなり知られている熱田神宮会館のCMソング、「優しい森には〜、神話が〜」でおなじみの神話に、息が吹き込まれています。
舞台上では、三味線アーティストのたなかつとむさんの生演奏とともに話が進み、最後にはお笑い要素もありというモリモリの内容で、その場にいた300名以上が足をとめて、見入っていました。
また、名古屋は尾張徳川藩お抱えだった和泉流「狂言」発祥の地。日本最古の笑いが、時代が変わってもまだ生きています。
10/27(日)にショッピングモール「アスナル金山」で開催された演目は、『梟山伏(ふくろうやまぶし)』。弟が『もののけ』に取り憑かれ、兄が威厳ある山伏(=修行僧/祈祷師)のもとを尋ね、弟の容体を診てもらうも、悶え苦しみ「ぽぉーーーー!!」という謎の奇声を発し……という、なんだか今でもウケそうなお話が。狂言師さんの取り憑かれ感がすごい(笑)
舞台が終わった後には、狂言のプチ体験があり、「みなさん、わかっていますね。『ぽぉーーーー!!』をやりますよ」と練習がはじまり、会場が大いに盛り上がりました。
別会場では、初日から「まち歩きなごや」と「まちなか寺子屋」の企画が同時スタート。その両方を担当しているのは、コピーライターの近藤マリコさん。
近藤さん やっとかめのネタは、毎年試行錯誤で、1年中探してます。最初は区に登録していたガイドさんにお願いしていたんですけれど、ここ数年は、『名古屋の喫茶店』や『名古屋めし』の著書として有名なライターの大竹敏之さんのような方に案内をお願いしたり、大使さん(やっとかめサポーター)や、運営メンバーも企画に参加していただくようになってきました。
たしかに、王道の名古屋城天守閣の石垣を見てまわったり、河童伝説をめぐるまち歩き、銭湯や商店街のさんぽ、市場めぐり、名古屋市交通局ツアー、有松まち歩きなど、かなり幅が広い。その数は全40コースが用意され、毎日違う内容というから、驚きです!
また、「まちなか寺子屋」は、名古屋の文化から芸能、歴史、食に至るまであらゆるジャンルを学べる場。
遊郭家とめぐる「名古屋と遊郭文化」や、名古屋でおなじみの老舗「松屋コーヒー」の松下和義さんに学ぶ「名古屋コーヒー学」、茶人に学ぶ「尾張茶の湯 旦那衆の茶道具」など、全20コースもあり、こちらもかなりエッジが効いていて、名古屋ならではを詰め込んだ内容ばかり。
近藤さん 名古屋は、ぴよんと飛び越えるものがあまりないんですが、ものすごく平均点が高いんです。“文化の寄せ鍋”と思って、何がおすすめと聞かれたら、好みで選んでくださいね、と伝えているんです。
やっとかめ文化祭、7年を振り返って
2013年、名古屋市の文化振興室の発案で企画・運営が始動。日本で初めて、まち歩き博覧会を市民主体で成功させた「長崎さるく博」の茶谷幸治さんを総合プロデューサーに迎え、スタートを切りました。
そのときに、今後に向けて名古屋色を出すために、「やっとかめ文化祭」が動くと同時に走らせた企画が「NAMO.(なも)」。「大ナゴヤ大学」を事務局に、なごやの歴史・文化とユニークに出会うプロジェクトとして、若い人にターゲットを絞り、1年間の活動がはじまりました。
その「NAMO.(なも)」の立ち上げを担当したのが、名古屋でどっぷり活動を続けているデザイン会社「株式会社クーグート」代表・高橋佳介さん。「やっとかめ文化祭」のボランティアの仕組みづくりや広報を担当されています。
2013年11月に開催したイベントが、今、名古屋でもっともアツイ商店街のひとつ「円頓寺商店街」を舞台にしたお芝居。
高橋さん まちを使った芝居を若者向けにやるのなら、「円頓寺商店街」を復活させた立役者の建築家の市原正人さんもいるし、やれるんじゃないかな! と。
その結果、新たな可能性を見出し、翌年の3月には、大須の神社仏閣で文化の祭典「盛りのBA・BA・BA」も開催しました。
そこで、得たものは一緒に盛り上げてくれる仲間。「やっとかめ文化祭」の2年目からは、“やっとかめ大使”というボランティアの制度をつくり、声をかけたところ、「手伝いますよー!」と言ってくれる方が50人ぐらい手をあげてくれたといいます。
毎年楽しみにしてくださる方も多くて、今では100名近く集まり、半分がリピーターだそうです。その年齢層は20代から50代とかなり幅広い印象です。
やがて茶谷さんが任期満了し、現場はどうすれば「やっとかめ文化祭」を続けていけるかと、仕組みづくりをはじめます。
当初は、実行委員会のメンバーは名古屋市役所、名古屋市文化振興事業団、名古屋観光コンベーションビューロー、中日新聞、名古屋観光ブランド協会といったみなさん。その中心が、名古屋市役所の文化振興室でした。
3年目から、ここに名古屋のまちがまるごとキャンパスの「大ナゴヤ大学」が加わって事務局の一部を担いはじめて、4年目から、事務局機能を持つようにしていきました。
高橋さん 最初は、名古屋市役所の担当者さんがやりたいことが明確で、その姿に突き動かされて、「やっとかめ文化祭」らしさをつかみ、みんなで探りながら進んでいきました。今は徐々にディレクター陣がやりたいことを提案し、行政のみなさんがサポートしてくれるという仕組みになっているようになってきた気がします。
チームとして7年という期間が経ち、長くなってきたので、得意・不得意を補い、特性を認め合いながらやり方を変化していけたらいいですね。
名古屋だと、地元に根づくまでに時間がかかり、ゆっくりと育っていく感じがあります。でも、その分、振り返った時に定着して、文化になりやすいと思います。このお祭りが100年後にも続く、何かを生み出せていたら嬉しいです!
お話を聞いていると、みなさん、少しずつ新しい試みに取り組み、つづきはまた来年のお楽しみ、という感じ。実行委員のみなさんが、それぞれマイペースに楽しんでいるからこそ、人が集まっているのかなと感じました。
11/17(日)のフィナーレに行われる「やっとかめ大団円〜終いの演と宴」では、歌舞伎や狂言の舞台があるほか、屋台もいろいろ。「ある日、いつもの街角が、社交場に。」をコンセプトにした、街の片隅に突如出没し場をつくるプロジェクト「stand Coup!」による、宴も開催されます。
場所は、年齢性別、国籍も関係ない「ごった煮」感あふれる、大須商店街近くの「若宮広場」。ぜひ訪れて、名古屋の空気感を味わってみてください!
写真(インタビューカット): 逸見菜々子
– INFORMATION –
日時: 11/17(日) 13:00〜秋の宵の訪れまで
場所: 若宮広場(若宮大通 高架下)
http://yattokame.jp/2019/hirou/212.html