人口減少と高齢化、貧困の連鎖、コミュニティの崩壊、老朽化したインフラ…日本社会にはさまざまな課題が山積しています。しかもこれらの課題は相互に複雑に絡み合っているため、個別に対策を立てても簡単に解決できるものではありません。
では、どうすれば良いのでしょうか? そのヒントがドイツにありました。
ドイツでは、複合的な問題に対して個別にではなく、交通やエネルギー問題も含めて新たな都市計画を設定し直すことで、総合的に改善させる取り組みがはじまっています。高齢化や極度の貧困などにより、多方向から文字通り”見捨てられて”いた旧東ドイツの時代の巨大団地群。そこを活気あふれる街に生まれ変わらせるための、持続可能なまちづくりを取材しました。
かつては見捨てられた貧困地区
ドイツの首都、べルリンから列車で西へ約30分、ドイツ統一前は旧東ドイツに属していたポツダムという町があります。第二次世界大戦の末期、日本に無条件降伏を迫る「ポツダム宣言」が出されたことで知られる古都です。
ポツダム市の現在の人口は、およそ17万人。観光地にもなっている美しい旧市街などを中心に、比較的裕福な世帯が暮らしています。しかし、市内には貧困地区もあります。
ポツダム市のドレヴィッツ地区は、1980年代後半、旧東ドイツ時代に建設され、東京ドーム約8個分という広大な敷地にプラッテンバウ(板状集合住宅)と称される団地が林立するエリアです。
1990年に東西ドイツが統一されると、富裕層や若者は次々と地区を離れ、母子家庭や高齢者が取り残されました。また逆に、家賃の安さから移民出身者の割合が増えました。現在はおよそ3,000世帯、5,600人が暮らし、失業者や生活保護世帯などの貧困層の割合も多くなっています。アルコール依存症や健康問題を抱える住民も多く、近年では建物が老朽化し、治安の悪化も懸念されるようになってきました。
貧困は子どもたちの暮らしも直撃します。ドイツでは、発育状態や言語の習得状況によって小学校の入学年齢が変えるシステムを採っており、この地区では子どもに十分な食事を与えていない家庭も多く、体が未発達なことで小学校に入学できない子がおよそ3割にも達していました。この地区はいつしか、ポツダム市民から「あそこはポツダムではない」と蔑まれるようにまでなっていました。
ドレヴィッツ地区の集合住宅のおよそ5割は、ポツダム市が100%出資するプロポツダム住宅公社が所有しています。現在ドレヴィッツ地区の改修プロジェクトを担当するグレゴール・ハイルマンさんは、改修前の町の様子をこのように言います。
子どもたちを取り巻く深刻な状況を私に訴えてきたのは、小学校の先生たちでした。しかも年々悪くなる一方だと言うのです。その責任は、この地区の都市計画を担当する私たち公社にある、と責められました。先生たちの言う通り、この地区ではさまざまな問題が放置されていましたから、私たちも何かしなければという気持ちにさせられました。
この、”見捨てられた貧困地区”を大改修して、街に希望を取り戻すプロジェクトが持ち上がったのが2009年のことでした。
誰にでも教育を受ける権利がある
変化をもたらすきっかけは、ある行政職員の行動でした。
ポツダム市の都市計画部門で働くカリン・ユハスさんが、ドイツ連邦政府が主催した「都市の改修」に関するコンペに参加し、ドレヴィッツ地区の再開発案を提案したのです。
ドイツでは、気候変動対策やエネルギーの自立を達成するために、国家レベルで地域の再開発や、建物の省エネ改修が熱心に進められています。このコンペも、街の環境・エネルギー分野の改善を目的として、提案がコンペで受賞すると助成金が出ることになっていました。
しかし、改修案を提案したユハスさんを突き動かしたのは、エネルギー問題よりもむしろ貧困問題、特に子どもたちをめぐる状況への危機感でした。
低所得者にも快適な環境に暮らし、教育を受け、差別されずに生きる権利があります。家庭環境が違っても社会的に排除されない地域にしたい、と考えたのです。
ユハスさん自身、旧東ドイツ時代のポツダム出身で、まだ、ポツダム全体が貧しかった時代を生きてきたことから、貧困のまま取り残されている人々のことが他人事ではなかったのです。
応募するにあたり彼女は、市や民間企業の関係各所を口説いてまわりました。コンペにはドイツ全土から多数の提案が寄せられるため、当時はまさか受賞するとは誰も考えていませんでした。ところが大方の予想を覆して、100件近い応募の中からユハスさんのアイデアは見事、銀賞を受賞します。
これにより、連邦政府からドレヴィッツの一部地域を改修する目的で助成金が出ることになりました。それは同時に、ポツダム市も支出を求められること、市として名乗りを上げたからには本当に実行しなければならないことを意味していました。
周囲の予想に反したこの受賞は、アイデア段階では賛同していた市の職員や政治家から「まさか通るとは思わなかった!」と、受賞後になって反対する人も出ました。当時の市長ですらプロジェクトの成功に懐疑的で「貧困層が住む場所は、そのままでもいいのではないか」と主張したそうです。
ユハスさんは「公正な環境をつくることは、私たちの義務ではないでしょうか?」と反論。またこの議論は、行政内部だけでなく、地元企業など関係各所でくりかえされ、最終的には、一部の地域だけでなく、老朽化したドレヴィッツ全体を改修する事業へと広がることになったのです。
プロジェクトは、彩りのない寂しい街区を緑であふれさせることをめざし「ガーデンシティ・ドレヴィッツ」と名付けられました。
主な改修の柱は4つです。1. 建物の省エネ改修、2. 駐車場の削減と公共交通の充実、3. 街区の緑化、4. 地区のエネルギーを100%再生可能エネルギーでまかなうための設備の設置など。同時に、高齢者や障害者にも等しくやさしい街にするため、それまでほとんどなかったスロープやエレベーターが設置されることも決まり、工事は2011年から2027年までの予定で現在も進行中です。
プロジェクトの資金は、エリアにもよりますがおよそ3分の1がEUやドイツ連邦政府からの助成、もう3分の1がポツダム市やドイツの国営金融機関であるドイツ復興金融公庫(KFW)からの融資、そして残りの3分の1がドレヴィッツ地区で半数以上の建物を所有するプロポツダム住宅公社が出資することになっています。
初期投資は巨額ですが、再エネと省エネの推進や、地域の付加価値を高めることで、居住性を高めながらランニングコストを減らし、将来の行政の負担を減らす効果が望まれています。
積み重ねられた対話集会
しかし既存の街並みを大きく変える開発に、住民から反対の声も出ます。大きな懸念は2つありました。
ひとつは、大規模改修することで家賃が高くなり、改修後に住めなくなるのでは、という不安です。実際、2000年代後半に入り好景気をむかえたドイツ各地では、「ジェントリフィケーション」と呼ばれる再開発による地区の高級化が進み、貧困層は移住しなければならなくなるケースが相次いでいたのです。
もうひとつは駐車場問題。自動車大国のドイツでは自家用車の所有率が高く、これまでは各地で車道中心の都市計画が進められてきましたが、駐車場を多くすることで、土地利用には大きな制限をかけてしまいます。ドレヴィッツも団地群の中心を走る中央通りや、ロの字型に配置された団地の中庭部分など、ほぼすべての空間に駐車場が設置され車で埋め尽くされていました。
しかし現在、ドイツに限らず欧州の各地において、このような自動車中心の社会がもたらす弊害に目が向けられ、都市計画を再検討する傾向にあります。ドレヴィッツのプロジェクトでも子どもや高齢者の安全や憩いの場の確保、そして駐車場を縮小してカーシェアリングが増強されることなどが計画に含まれていたのです。
そのため、それまで団地の目の前に自家用車を停めていた住民からは、駐車場が減ったり遠くなると不便だ、という声があがり出したのです。また、それまで貧しい状態でも放置されてきた住民の、行政に向けられた疎外感や不信感もそうした反対意見を支え出しました。
では、このような反対意見とどう向き合ったのでしょうか? 日本でも、再開発にあたり行政主催の公聴会が開催されますが、大抵は形ばかりの説明で、住民の意見を取り入れて計画が変更されるケースはほとんどありません。
しかしドレヴィッツの場合は違いました。ポツダム市、プロポツダム住宅公社、そして住民がよりよい地域をつくるために意見を述べ合う対話集会は、1年間でなんと60回以上にも及びます。集会では「住民にこの地域で何が必要かを聞く」「住民が望まないことはしない」という方針が徹底的に貫かれ、住民からのアイデアを積極的に募りました。
こうした行政や事業者の姿勢に、多くの住民は徐々にこのプロジェクトが、「本当に自分たちのために行われている」と感じられるようになったと言います。
子どもたちの声が街を変えた
反対意見からの2つの課題、家賃と駐車場について、議論の結果はどうなったのでしょうか。
まず家賃については、平均収入以上の家庭では値上がりになりました。しかし、壁や窓を高断熱化して冬の光熱費が半分で済むようになるので、トータルの支払いは相殺されました。収入が少ない家庭は安い家賃で住み続けられるよう国から補助が出るため、新たな負担はほとんどありません。工事中の移転のための費用も、自治体が補填することになりました。
2019年現在までに、プロポツダム住宅公社が担当する1,650世帯のうちすでに35%程度の建物の改修が完了していますが、改修前に住んでいた人の9割の住民が、改修後も地区に戻っています。
駐車場問題についての議論も繰り返し行われましたが、最終的には子どもたちの声が方向性を決めました。子どもたちに意見を聞いたところ「団地のそばには駐車場よりも公園が欲しい」という声が圧倒的だったからです。親たちは、少々不便になっても駐車場まで歩いていけばいいのではと考えるようになりました。
幸いドレヴィッツでは、徒歩圏内に小学校や病院などがあります。また、公共交通も充実していました。特に中央通り沿いに路面電車がおよそ10分おきに走り、ポツダム中心部への移動には不便しません。さらに、カーシェアリングやレンタサイクルの数を増やし、自転車道路を整備することも決められました。エリアの一角には駐車場が設けられましたが、こうした施策によって、現在は住民のマイカー所有率が低下しています。
街に住むことが誇りに
建設工事が始まってからも、開発に反対を言い続ける住民はいました。ターニングポイントになったのは、2013年に中央通り沿いに伸びる公園が完成したときのことです。
自動車の減った通りには緑が植えられ、散歩道や子どもの遊び場ができました。そこに、対話集会で子どもたちがアイデアを出した、トランポリンやシーソー、水遊びができる水路など、オリジナルの遊具が並びました。ベンチのひとつひとつまで、この公園のために設計されたオリジナルのものです。
緑の中で子どもたちがはしゃぐ姿を見て、大人たちは地域の生活環境が改善されていることを実感するようになりました。また、自分の街にしかないオリジナルのものに囲まれて暮らす事で、「自分たちの街」というアイデンティティを持てるようになったと言います。公園はまた、行くあてのなかった高齢者にとっても憩いの場所となりました。
公園エリアでは、文化的なイベントがたびたび開催されるようになりました。ドレヴッツでは住民同士のつながりが希薄でしたが、公園ができてイベントが行われるようになったことで、近所の人と頻繁に顔を合わせるようになり、地域にコミュニティが生まれました。
子どもたちの教育環境も改善されます。まず小学校では地元のNPOがファンドを集め、子どもたちに無償で朝食を配布するようになりました。そして小学校と同じ建物内に、コミュニティセンターと音楽ホールが併設されます。地域にはこれまで人が集まる施設や、文化的な施設がなかったため、住民から歓迎されました。
コミュニティセンターは、住民が家庭や地域の悩み相談をしたり、主体的に街づくりを進めるためのアイデアを持ち寄る場になっています。音響設備の充実した音楽ホールでは、ポツダム市フィルハーモニーのメンバーが無料の演奏会や子ども向けのワークショップを実施しています。
コミュニティセンターや音楽ホールのプログラムを管理する地元のNPOスタッフで、ポツダム市民でもあるティム・シュポットビッツさんは言います。
新しい施設を活用することでコミュニティが豊かになりました。学校の授業では心を開かなかった子どもが、音楽ワークショップを通じて自分の意見を積極的に言うようになったり、落ち着かなかった子が静かに音楽を聞けるようになっています。今では、ドレヴィッツに住むことを誇りに思うようになった人もたくさんいるんですよ。
貧困の連鎖を断ち切り、価値を創造する
筆者は公民館や音楽ホール、公園という場を活かしたまちづくりを見て、建築などのハード面と、コミュニティをつくるソフト面のバランスが上手に組み合わさっているという印象を受けました。日本の場合、立派な公共施設をつくったり、一日限りのイベントに力を入れる自治体は多いのですが、それがバラバラに行われてうまく連携していない事が多いようです。ハードとソフトが連携してこそ、地域に根付く取り組みになると感じさせられました。
ドレヴィッツの再開発プロジェクトには、国や市からの助成金も投入されていますが、結果的には市にとってもメリットが返ってくる仕組みになっています。かつては空き家も多く、銀行の査定でも毎年のように地価が下がっていました。しかし改修を始めてからは入居者が増え、地域の経済的価値も上がりました。また、改修や建設工事を地元工務店が行うことで、地域内に雇用を生んでいます。
プラスに転じたのは、財政的な面に限りません。見えにくい社会的コストを減らしている効果も出ています。貧困地域では、社会福祉の増加により多くの税金が使われています。貧困が改善されたり、孤立していた人々がつながり合うようになることで、支出しなければならないコストを減らす役割が果たせます。
また、貧困地域では治安の悪化も起こりやすかったり、移民出身の若者が社会に見捨てられたと感じることが、将来的にはテロにつながる危険性もあります。街の改修により、「自分たちは見捨てられてはいない」と感じる人々が増えることは、広い意味での貧困対策やテロ対策にもつながるのです。
ドレヴィッツのプロジェクトを主導してきた広報機関の代表であるカーステン・ハーゲナウさんは、このように言います。
私たちの社会は、社会層や背景の異なる人たちと切り離されて構成されているわけではありません。
日本では、貧困地域に税金を投入して状況を改善しようとなれば、市民から理解を得るのも簡単ではないでしょう。しかし、ハーゲナウさんの言うように、私たちたちが抱える社会の問題は貧しい地域を切り離してもなにも解決されません。
もちろん、ドイツでもこうしたプロジェクトに批判的な市民は一定数存在します。それでも、大多数の市民はこのような貧困地域の環境が改善され、貧困の連鎖を断ち切ることが、自分たちにとってもいずれプラスになると感じて基本的には多くが賛同しているのです。
市民のアイデアを反映させながら、新しい価値を生み持続可能な地域をめざす「ガーデンシティ・ドレヴィッツ」の取り組み。少子高齢化や貧困、建物の老朽化に頭を悩ませる日本の団地や公共施設でも、参考にすることができるのではないでしょうか。