みなさん、こんにちは! 今日は来てくれてありがとうございます。
今回のイベント名は「いかしあうつながりがあふれる幸せな社会とは?」ですが、結論から先に話させてください。
去年にタグラインを「いかしあうつながり」に変えてから、僕たちもこの1年で一生懸命言葉にすることに取り組んできた、その結果がこれです。
「いかしあうつながり」とは、
です。でも、僕がたどり着いたこの結果を提示するだけじゃ分からないと思うので、これから話していきたいと思います。
今、僕の家にはしげのという犬がいるんですね。黒いラブラドールで8歳のオスなんですけれども。「犬がほしい」と数年言い続けた娘の誕生日に、隣町から保護犬を受け入れました。
うちに来てから約1年、「なかなか背中の皮膚病が治らないなー」と思っていたら、悪性腫瘍、いわゆるガンだと診断されてしまいました。そこから半年、あっという間に進行して、数日前から散歩にもいけなくなり、呼吸もつらい状態になってきているんですね。
あんなに元気だったのに、力強さを失っていって、生命の灯火が小さくなっていく毎日を過ごしています。とても悲しいです。
でも、命はいつか、必ず終わりを迎えます。終わることを意識するからこそ、しげのと、心から通じあうことを意識しています。
「今日はどう?」
「大丈夫?」
「なにかできることはない?」
そうして毎日毎日、一瞬一瞬を大切に過ごすことができています。それはとても幸せなことだなと思うのです。感謝する気持ちすら、湧いてきます。
「こんなふうに思わせてくれて、心から世話をさせてもらえて、本当にありがとう」って。しげのの生き方、人生、いや”犬生”かな、僕たち家族は多くを学んでいます。
人間も、自然のスパンと考えたら、あっという間の命。いつ死ぬかわかりません。今日の帰り道かもしれないし、来週かもしれません。そして、長生きしたとしても、人生はあっという間です。
僕はそんなことに気づいたときに、「やりたいことをやらなきゃ!」と思って、ウェブマガジンを始めたんですね。それで、2006年7月16日にgreenz.jpをローンチしました。31歳のときでした。
ウェブマガジンを創刊して5年ほど立った2011年秋、僕は必死でした。なぜなら、greenz.jpで食べていくことを目指していましたが、それは夢の夢のまた夢という状態だったからです。
というか、ウェブマガジンの経費として毎年500万円ほどかかっていましたが、greenz.jpを通じての収入はゼロ。パンフレットやウェブサイトの制作といった編集プロダクションとしての収入でカバーし続ける日々。自分とスタッフの日々の給料を出すだけで精一杯でした。
このようにグリーンズで暗中模索、試行錯誤、七転八倒していたんですけれど、子どもとの時間、妻と子育てを共有する時間がどんどん削られていきました。そこはなんとか確保しても、妻との2人の関係はどうしてもないがしろになります。
中でも一番ないがしろになっていたのは僕の健康でした。2011年秋、ほぼ徹夜明けの朝、シャワーを浴び終わって水栓をひねろうとしたとき、腰が「バキ」という音を立てて、崩れました。そのまま立てなくなって「これは、裸で救急車に運ばれる運命か・・・」と思うぐらいだったんですけれど、ギックリ腰だったんです。
その後、4年ほど鬱にも苦しんで、ぜん息もひどくなって、妻にも別れを切り出されてしまい、ボロボロでした。
僕がそもそもグリーンズを始めたのは、社会をいいところにするためだし、それは何かと尋ねたら、自分が幸せになるためですし、家族を幸せにするためです。それなのに、なぜ、こんなことになってしまったんだろう・・・
でもこのことって、 多くの人が悩んでいることではないでしょうか? なにかひとつだけを取り出して追求すれば、どうしても他の要素がないがしろになってしまう。
仕事を取るか?
家庭をとるか?
子どもをつくるべきか?
キャリアを選ぶか?
僕にとっては、家族との時間、仕事、学び、成長、地域、社会課題、そして心身の健康。どれも大事だなと痛感しました。
そんな大きな問いが僕の中で残りました。
広大な宇宙に浮かぶ地球に暮らす僕らが招いている社会課題
さて、わたしたちは広大な宇宙にぼつんと浮かぶ「地球」という球の表面で息をして、遊んで、愛して、子どもを育てて、仕事をし、土地を耕し、社会をつくって、経済を回して、暮らしています。
地球が生まれてから、45億年。生命が生まれてから、38億年が経っているそうです。38億年かけて、信じられないくらい多様な生命がつながりつくりあげた奇跡が、この地球の生態系だと思うんですね。
地球の直径をりんごと同じくらいにすると、生命が棲んでいる範囲、つまり空と海をあわせた薄さはちょうどりんごの皮くらいだそうです。
3000万種類の生き物が、この地球のそのうすい皮にひとつの家を共有しています。
僕はアジア学院というところに、大学卒業後1年間ボランティアに行っていたんですけれど、そこの学長が僕を呼び止めて、土をすくって「このひとすくいの土には、何百万種類もの命があるんだよ」と教えてくれたんです。
その後で最近知ったんですが、一人ひとりの体にも60兆もの人間じゃない生き物がいるそうです。それは宇宙の太陽系の数と同じだそうです。だから奇跡なんですよ。
地球が生まれてから24時間に換算すると、生命が生まれたのが3時間45分ごろ。人間が登場するのは、最後の3分です。この3分間で僕たちが成し遂げたことは、なんでしょうか?
たとえば豊かな日常生活、安全な社会、文化の成熟、人類の福祉の向上、人権の拡大、平和な社会。たしかに、それは僕らが享受している発展です。
一方で、このたった3分間で生命の歴史上最速のペースで動植物を絶滅させています。僕もびっくりしたんですけど、今まで5回の大絶滅があって、今6回目らしいんですけれど、過去の5回は1000年でひとつの種類の生き物が絶滅するペースの話だった。でも1975年以降は、1年間に4万種類のペースで絶滅していってるらしいです。
それから気候変動の話はみなさんたくさん聞いていると思いますが、2100年の天気予報というのを環境省が出しました。すごく暑かった去年の東京の35°C以上になる真夏日は年間20日だったそうですが、2100年は真夏日は年間60日になるそうです。やばいですよね。それほどまでの温暖化に寄与するガスを人間が排出しているということです。
そして最近、プラスチックごみの話も話題になっていますよね。世界で年間800万トンものプラスチックゴミを海に捨てているそうです。このペースだと、2050年にはすべての魚の重量より重くなってしまうのだとか。
このように私たちは広大な宇宙にぼつんと浮かぶ「地球」という球の表面に住んでいると言いましたが。
わたしたちが営む社会、経済システムは、すべて、自然からのギフトがあって初めて成立しています。
毎日太陽が昇り、雨が振り、風が吹き、植物が成長する。今、呼吸しているきれいな空気は今この瞬間、森がせっせとつくり出してくれています。
毎日飲んでいる水は、太陽が海に照りつけ、雲になり、雨になり、山に降り、水が湧き出るところに届けてくれるから飲めるのです。それを人間がボトルに入れて値段をつけて売っているだけです。
みんながもっているスマートフォンもPCも、すべて自然からの素材でできています。
そして人間も自然の一部。すべての人は誰かの子どもです。子どもを産み、育てるのは、生物種としての僕らから、社会へのギフトです。人の愛を含め、自然というシステムがなければそもそも、すべての社会、すべてのビジネスは成り立たないのです。
ちなみにこの瞬間に、人類全員に自然からEメールが届いて、「君たちは僕らからあまりにも奪いすぎているので、来週から自然を有料化します」と言われたら。WWFの調査によると、それは年間125兆ドル(1京3585兆円)だそうです。人間の経済規模を遥かに超えていて、僕らの社会はとても支払うことはできません。
僕が愛読する『スモール・イズ・ビューティフル』などを書いた思想家のErnst Friedrich Schumacher(エルンスト・フリードリッヒ・シューマッハ)は、こう言っています。
なぜ、このような破壊が広く行われるに至ったのでしょうか?
いろいろな要因があるのでしょうが、私の見立てでは、一番の根っこにあるのは、人間の際限のない欲望です。
数年おきに、新しい携帯電話がほしい。
2時間後に商品を届けてほしい。
100円でなんでも買いたい。
世界の裏側から来た食べ物を食べたい。
などなど。
なんでこんなひどい破壊活動ができるんでしょう?
こんなにひどいことしているつもり、みなさん無いですよね?
それが肝だと、僕は思うんです。
再びシューマッハの言葉に向き合ってみると、
シューマッハは、現代の経済の最大の魅力と問題を、「自分以外の責任を免除されている」という素晴らしく的確で短い文章で表しています。
どういうことかというと、環境と僕らの関係を上手く断ち切ってくれているのが「グローバル経済」だというのです。安い魚を選ぼうとすると、海外から来た魚になるということです。
昔は生活に必要なものすべてが、近くにあるのが当たり前でした。グローバル経済は、「近代化」「開発」の名のもとに、自然が私たちにくれるあらゆる恵み(水、食べ物、衣服の材料、建物を建てる材料、薬など)へのつながりを断ち切って、「お店や通販でお金を出して、買ってくださいね」という仕組みに変えていく。それが、グローバリゼーションという世界規模の動きです。
だから今の社会では、僕らはいろいろなつながりが断ち切れて、すべてお金で手にしなければいけなくなってしまっているんです。そうすると、どうなるか? みんなが必死にお金を稼ぐようになります。だって、生きるために必要なものは自然から得られず、お金を出して買うしかないのですから。それが、経済なんですよね。
この仕組みってすごくないですか? 僕は考えた人、天才だなと思います。経済システムとはある意味、人びとを支配し、動かすシステムでもあるんですね。
そうやって、数百年にわたり、自然環境と僕らの「いかしあうつながり」が失われていったわけです。
さっきも言いましたように、シューマッハは、
と言いました。
僕らは、すべてを値段という指標ですべてを決める暮らしをしています。価格比較サイト、オンラインショッピングサイトで、商品を価格で並べ直し、一番安いところで購入する。そして安く買えると、家族にも褒められるわけです。
ですが、「価格」というひとつの定規ですべての商品を比較して購入するという行為は、その商品の向こう側にある搾取、不正義、環境破壊、環境負荷、たくみに税金を回避すること、地元で買う代わりに通販で買うことで地元の経済が衰退すること、生産、輸送にかかるエネルギー、商品がゴミになったあとの環境負荷まで、商品を買うことで生じるはずのあらゆる責任は放棄しているわけです。
この状況がもし100人の村だったら、どうでしょう?
おそらく商品を買うときにちゃんと調べるはずです。そして、自分が買おうとしている商品が、つくられる過程で毒物を排出していないか? 村人を閉じ込めて搾取してつくった商品ではないか? そんなことを確かめてから買うはずです。
それはなぜかというと、毒物が自分の家の横で捨てられているかもしれないし、村人は友人の家族かもしれませんから。
100人の村だったら、そういうことに僕らは気を配るのだけれど、それが70億人の住む地球という想像を超えるくらい大きい規模になると、気にしなくていいことになってしまう。
距離が遠いということは、「僕の家が汚染される訳じゃないし」、「誰か知らない人のことまで、いちいち考えてられないし」となってしまいます。
こうして僕らは、日々日々、絶滅していく動物植物のことも、搾取される人びとのことも、暑くなりまくって台風が超大型化した未来に生きることになる未来世代のことも気にしなくていいわけです。そういう社会をせっせとつくったし、支えているわけですね。
だけど最初に言ったように、自然との関係性を失った70億人の身勝手な欲望を支えるだけの余力は、自然にはありません。そして、僕の目の前にまた問いが現れてきました。
そして、ここまで出てきた2つの問いをもう一度ご覧頂きたいのですが、
1は、自分と自分の関係性が失われたことにより起きた問いです。「自分の魂が何を望んでいるのか?」そう対話することが、当時の僕にはありませんでした。また時間が足りなくなることで、家族が大事に思っていることを大事にできない状況が生まれてしまいました。仕事を大事にすることで、妻との関係性を大事にできなかったんです。つまり言い方を変えると、「仕事と家族の関係性が失われたことにより起きた」ということです。
2は、人と人が関係性を失ったから。誰か遠い人のことなんて気にしなくてもいいよね、と。そして人類と環境との関係性を失った結果、起きたことなんです。
このふたつのことって全然違うことのようで、最近の僕は同じことなんだなと理解しています。それはシステム思考を勉強したからです。
関係性の欠如が社会課題の根源にある
システム思考においては、このように考えます。なにか物事が起きた時って、目に見える部分があるんだけど、出来事だけを見ていても何がどうして起きているのか分からないんですよ。では、どのように考えるべきかというと、水面の下には見えない領域が相当大きくあって、まず出来事にはトレンドとパターンがあるんですね。
トレンドとパターンというのは、今まで起こってきたこと。繰り返し起こること、それから最近少し変化が起き始めていること、もあるかもしれない。そのトレンドとパターンを支えているのが、システムの構造なんですね。システムの構造というのは、それぞれの関係性。システムの中でみんながどういう関係なのか、その構造が常にパターンを引き起こしている。
さらに下に行くと、メンタルモデルというのがあります。人びとがシステムに対してどんな仮定を持っているか。たとえば、「僕たちはお金を稼がなきゃだめだね」といって、自分の子どもに「お前らも稼がなきゃ」と言う。そういう価値観や信念や仮定というもの、無意識有意識の前提みたいなものが、このシステムの構造を支えているんですね。
だから下に行けば行くほど、わかりにくくなっているんだけれど、物事の構造はこうなっているとシステム思考では説明されます。
だから世界中で起きている、コミュニティの崩壊、孤独、自殺、自然破壊など、あらゆることは「関係性の欠如」として説明できるんじゃないかなと思ってるんですね。
じゃあ、どうすればいいのか。
僕は「関係性のデザイン」をベースにした、新しい社会をつくるOS、オペレーティング・システムが必要だと思うのです。
今の時代のOSは、これまでの時代には必要なものでした。でも、もう通用しない。
僕らは問いかけられていると思うんですよ、これだけの限界が突きつけられていて、これだけの人間同士の溝が起きている。だから、新しい社会をつくるOSを準備することが、僕らの大きな宿題だと思っています。ちなみに、僕はそんな大きな宿題が出されていることに、心底ワクワクしています。
新しい時代のOSはどんなものなんでしょうか?
ある意味、この地球で生きている智慧みたいなものかもしれません。人間が種としてこれからも地球で生きていくための智慧、いわば「地球で生きる智慧」です。
この「智慧」について深く考えた思想家が先ほども紹介したシューマッハです。彼が何を書いていたかというと、
こんなことがもし実現したらカッコいいなと思いますね。もうひとつが、
これを1973年の時点でハッキリ言ってるんですね。
だから僕らは自分たちの人生がどうなるかということ以上に、大きなことを考えていかないと、結局自分も幸せになれない時代に来ているということです。
で、それを一言で表すと「いかしあうつながり」なのではないかと思っています。
どうやってつくっていくのかということを考えたいと思います。
「いかしあうつながり」をどうつくっていくか?
「いかしあうつながり」のつくりかた。いろいろな方法があると思うので、ここでは単純化して、僕が考えている範囲で、エッセンスを紹介したいと思います。
まず、2つの前提があると思うんですね。
システムというのは、僕らが思っているよりもだいぶ小さいし、僕らは自分の人生というシステム、家族というシステム、経済システム、社会システム、生態系の一部ということです。
この有限なシステムでは、それぞれが勝手に生きている社会はなくて、狭いシステムの中では自分がやったことが、どこか誰かのところで跳ね返ってくる社会では、誰かだけが幸せになることはできないんですよね。そしてもうひとつ。すべてはつながっているので、他の人、動物、植物の不幸は自分自身に直接間接的に関係してくる。あとは、何かひとつのゴールを目指して達成したとしても、多様な問題が解決されないんです。
僕は社会は誰にでもデザインできる、というソーシャルデザインという考え方をグリーンズで推し進めてきて、それは今も大事な考え方だと思いつつも、その活動の限界というのも感じています。それは一つの課題を最短距離で解決するということが、実は新たな社会課題を生み出してしまうときがあるなと気づいたからです。(僕がグリーンズを頑張りすぎて、家族と健康が崩壊しかけたように)。
そんなとき出会ったのが、様々な課題を同時に解決していく、関係者がみな幸せになれることを目指すデザインの方法論「パーマカルチャー」でした。
パーマカルチャーは1960年代後半に生まれた、「関係性のデザイン」の考え方です。もともとはパーマネントアグリカルチャー(永続的な農業)のデザイン理論でしたが、そこから50年以上に渡って世界中の人に受け入れられ、広がる過程で、デザインの対象をもともとの「農業」と「農的暮らし」から都市農業や、都市での暮らし、人びとのつながりへと拡張されてきています。
僕は、新しい社会のつくりかたは、このパーマカルチャーの考え方が一つの出発点になるのではないかと考えています。
複数の課題を解決していく、関係者が全員幸せになれるデザインをつくるときに、活用するのが、「パーマカルチャーデザインの原則」です。
これが、「パーマカルチャーデザインの原則」を僕なりにアレンジしたものです。
ここでは詳細に立ち入る時間はないので、最初の5つを、さらっと紹介だけします。
まず、「1.観察して手を入れる」です。パーマカルチャーでは、まずは自分が置かれているシステムの観察から始まります。手を出す前に、観察です。
システムの各要素は僕にどのように影響するだろう? 僕はシステムのほかの要素にどう影響しているだろう? と考えながら、観察していきます。
コミュニティであれば「でしリスト(できることとしてほしいことを書き出すワークショップ)」「資源マッピング(集まった人がどんな資源を持っているか)」などが有効です。そして「ポットラック」は、観察自体がコミュニティを豊かにする効果も見込めます。
観察を進めていくと、どこを改善するといいか、見えてきます。そこに、少しずつ手を入れます。まるで庭師がちょこんと、ハサミを入れるイメージです。それで全体が劇的に改善するような、勘所に。少ない干渉で、大きな変化を起こすことを意識します。
「2.収穫を得る」というのは、関わる存在すべて(人、動物、植物)が、できるだけ多様な収穫を得られるように手を入れるという意味なんですけれども、多様な収穫とは、安心、栄養、休息、冬の暖かさ、学び、友人ができることなどです。ひとつの事柄から、多様な利益が得られれば得られるほど、少ない労力で僕たちは幸せになれます。
「3.無駄を出さない」は、システムを維持する過程で無駄な動きを減らしていくことや、システムから外に出る無駄なアウトプットをなるべく減らしましょうという意味です。物理的なゴミ、何も生まない無駄な時間、無駄なお金を減らす。無駄を減らして、大事なことを大事にできることにつながります。
「4.小さくシンプルなシステムに」は、幸せになるためには、システムはシンプルであればあるほどよい、という原則です。そうすれば故障やトラブルが発生しにくい、メンテナンスも最小限で済むから。誰かが自動的にやりたくなるシステム、植物が勝手にやってくれるシステムも最高です。最強なのは、なにもしなくていい、という状態です。
「5.繋がりのある配置」は、システムの中で、様々な要素をつなげていくことです。たとえば、無駄な移動を減らせるモノの配置もそうですし、友人、知り合いとモノをシェアしたり、困りごとを解決するコミュニティをつくることも含まれます。地域通貨のように多様な人びとが集まれば、誰かの困りごとが、誰かの可能性を発揮したり、役に立てたという充足感、新しい友人関係が収穫できたりします。つまり、システムの中で誰かの足りないものが誰かのプラスになる、という状況ができると最高なんですね。
パーマカルチャーではこのようなデザイン原則を使いながら、自分の周りのシステムをデザインしていきます。
自分の暮らしも、自分の環境との関係も、会社組織も、地域コミュニティにも活かすことができます。
ちなみに、グリーンズでは組織のあり方もパーマカルチャーでデザインしています。
「いかしあうつながり」が起きている現場
ここからは、パーマカルチャーの原則を活かしながらデザインしている、いくつか例を紹介していきたいと思います。
1番は、2014年ごろ僕が「これから何を自分の新しいテーマにしていこう?」と悩んだときに2週間ほど滞在した農園です。パーマカルチャーを学びたい人が世界中から集ってくる農園で、30年以上の歴史がある、すごい事例。2番は僕がいすみで3年ほどやっているコミュニティの事例。3番は、僕の暮らしについてで、そこまでの成果はまだ出せていないけど、身近な例として紹介したい事例です。
ブロックス農園
それでは、まず1番の「ブロックス農園(Bullock’s Permaculture Homestead)」をご紹介します。
「ブロックス農園」は、アメリカ・ワシントン州にある、24ヘクタールの山に3家族、15人の研修生が住む自給農園です。僕は子どもを連れて2014年に行ってきたんですけれど、なにがすごいって、食べ物がなりまくってて困っている! 家族の人に聞いたら、食べ物がなりすぎてて、保存が追いつかない、と。
そして安心感に満ちている。びっくりするくらい素敵な建物は廃材を拾ってきて自分でつくっているし、最高に美味しい食べ物は土地が生み出すもので自給していて、電気も熱も自分でつくっている。かなりクオリティの高い暮らしを、ほぼゼロコストで実現してるんですね。
いくつかすごく衝撃を受けた体験がここではあったんですけれど、ひとつは野外にあるシャワーです。この写真の下に見える溜池は、彼らがせき止めてつくったんですよ。
白人がやってくる前のアメリカ大陸では、溜池と湿地を、チナンパと呼ばれる豊かなを畑にすることは一般的だったそうで、「地形を見ながらダンプ2台ぐらいの土で埋めたら、もう一度溜池に戻って、チナンパができるんじゃないか」と計画して、見事に水が溜まって溜池になったと。スケールがでかい話ですよね。
山の上に貯水タンクをつくって、溜池のわきのソーラー発電とポンプを直結して、晴れた日には太陽エネルギーでタンクに水を引き上げます。山の上のタンクから各家とシャワーに、重力の力を活かして、水が届けられるという仕組みになっています。
シャワーには拾ってきた太陽熱(温水)パネルが2つ直列につながっていて、山から降りてきた水がパネルの中を通って温められる。夕方になってみんなが作業を終えるころ、自然の水で太陽の熱で温められたシャワーを絶景とともに楽しむことができるんです。
ゴミとして捨てられていたモノと恵みの水と太陽のエネルギーを組み合わせて最高にハッピーなシャワーをつくる。これは、まさに関係性のデザインなんですね。
もう一つ、農園のどこにいても、歩いて1分以内の場所に、たぶん20か所以上の場所にこういったコンポストトイレが置いてあるんですが、これが本当に驚きでした。トイレとして見たときには、まったく匂いもしないし、清潔そのもので、むしろ気持ちいい。母屋に水洗トイレがあっても遠いし、1か所しかないから汚くなりがちです。でもここでは近くにトイレがたくさんあって、大変便利。
これまでのコンポストトイレは何らかの形で排泄物を取り出さなきゃいけないけれど、このトイレは穴が掘ってあって、その上にこのボックスを設置しているだけ。で、なので「この辺に将来果樹を植えるぞ」というところにトイレを設置して、穴が排泄物でいっぱいになってきたら、ボックスの横に新たな穴を掘り、ボックスを穴の上に置く。つまり、排泄物に一切触れなくていいというわけです。
そして、このトイレが仕組みとしてすごいのが、「無料肥料集めマシーン」になっているところです。世界中からやってくる研修生や僕らみたいな訪問者が利用すると、無料で、ほしいところジャストに、肥料が手に入る。排泄物は1年半くらい経つと果樹にとって最高の肥料になるんですね。その肥料が、無料で手に入る。「遠いところから来てくれて、楽しい話をしてくれて、肥料をくれて、本当にありがとう」と感謝されました。
そんなわけで土はとても豊かになるので、木を植えるとバンバン実がなるそうです。最初に言った、「果物がなりすぎて困る」というのは、こういうことです。
そして夜になると、誰ともなく火を起こす。その火を見て魚をもってきて焼いてみたり、ピザを焼いてみたり、バンジョーやバイオリンを持って弾き出す人がいると、次はパーカッションが来て、歌い出す人が出てきたり、踊りだす人が出てきて、だんだん人数が増えていって、まったくお金なのかからないエンターテインメントの場になります。
これも人のつながりによるデザイン。エンターテインメントをもDIYして、自給しているわけです。
彼らは一年の多くの時間を、やりたいことが通じて生活を成り立たせている。家を建てる、メンテナンスする、食べ物を得ることと、学びの場を提供すること、遊びと趣味と仕事と学びと、子育て、子どもの教育が重なっている。だから暮らしに余裕があって、自分のやりたいことができる。クリエイティブな暮らしが実現してるんですよね。
ブロックス農園はどこをみても、関係性のデザインで溢れています。「ブロックス農園」での日々を経験して、「人間ってこうやって自然の恩恵で生きていけるんだな。友人や家族とともに生きていくことができるんだな」と実感しました。それは、仲間とともに、自然の恵みとつながって生きていける、深い安心感でした。
いすみ発の地域通貨「米」
僕が住んでいる千葉県のいすみ市では、藤野地域通貨「よろづ屋」(神奈川県の相模原市、旧藤野町エリアで500世帯が利用)の真似をして、2016年に始めた、地域通貨です。現在160人の参加者が主にFacebookグループで取引をしていて、毎週4〜5つの取引が成立しています。(オフラインの取引もあります)
いろいろな事例があるんですけれど、「家にテレビがないから観たい番組を観たい」だとか「お祭りの出店を手伝ってほしい」だとか、冷蔵庫、洗濯機、ソファなどが取引されたり。あとは2店舗だけだけどお店で使えたり、僕もイベントにゲストとして時折呼ばれるんですけれど、地域通貨で講演料をもらうんですよね。
あとは、梨農家が「落ちた梨を拾っていって」ということで呼びかけたら、みんなで拾いに行って、近隣のレストランがコンポートにしてみんなに配ったり、漁師さんが漁から帰ってきた後の網の掃除をお願いしたり。みんなが困りごとを解決して「ありがとう」を交換する、コミュニケーションツールみたいなものです。
地域通貨は始めるときに、自分が「できること」と「してほしいこと」を書くんですよ。そのときにみんながいうのは、「自分にはできることなんてない」ということ。たとえば大学生だと、「僕は社会経験がないし、私には資源なんてないです」とか言う。一方でお年寄りも同じように、「もう引退しているし、何もできないよ」と言うんです。
そんななか、ある日、とある高齢の方が「iPadを買ったんだけれど、操作の仕方を教えてほしい」という投稿をした。それに対して、大学生が「僕が教えに行きますよ!」というコミュニケーションが生まれた。
逆も然りで、ある人が「子どもを預かってほしい」と声を上げたときに、高齢の方が「じゃあ私やりますよ」ということもありました。
つまりみんな「自分には資源がない」と思っているのは間違いで、多様な関係の中では、あらゆることが資源になるんですね。つながりができれば、自分にとっては当たり前のことが、非常に喜ばれる。これがシンプルに、うれしい。
そして地域通貨はそれぞれの通帳で管理していますが、売り買いによって、金額のマイナスとプラスを記入するところがあって、何かを売ったらプラスに書くし、何かに使ったらマイナスに書く。それが「マイナスが続くとどうなるんだ?」ということをよく聞かれるんですけれど、僕らの師匠である藤野の地域通貨「よろづ屋」の事務局いわく、「マイナスはいいんですよ、みんなの可能性を引き出したということだから褒められるべきことなんです」って言うんですね。
資源が関係性によって活かされる。誰かの困りごとが、誰かの喜びになり、心でつながる人びとの輪が広がる。周りから見れば、才能の発見につながる。「あの人、そんなことできるんだ」「こんな事ができる人が、この街にいるのか」そんな地域通貨でのやりとりを周りで見ているだけでも、すごく幸せになれる。
一人ひとりが孤立していては、可能性は発揮されません。関係性が変われば、一人ひとりの可能性が発揮されて、生きるチカラが湧いてくる。安心できるコミュニティになるんです。
僕の暮らし
最後に「僕の暮らし」、これは今回の事例の中で最も進んでいない事例です。この講演の最初に話したように、僕は2014年頃、「自分の暮らしを全部やり直そう」と思ったんですね。支出を減らしたいな、環境負荷が低い暮らしを実践したいな、と思いタイニーハウスに住むことを選びました。ただやるのではもったいないので、そんな暮らしの実験が仕事になるようにしていって、今に至ります。
このタイニーハウスにデッキがあって、僕のパーマカルチャーの師匠に勧められてぶどうをデッキに育て始めたけど、これが最高なんです。
ぶどうって乾燥した環境が好きなんですよ、だから屋根があるデッキの下にとても適している。そして夏には、葉っぱが茂るし、蒸散作用で、夏はかなり涼しい。一方、冬は葉が落ちて日が刺すので、温かい。当然、ぶどうも収穫できる。人間の住む家の横にあると、鳥も怖がって食べにこない。だから、対策を施さなくても、人間が食べられる。コンポストのバケツを台所の近くに置くと、必然的にぶどうの根本あたりになる。だから、ぶどうは土中の栄養を吸って、がんがん伸びる。これは、ぶどう、屋根付きのデッキ、人と暮らしが、いかしあう関係性になっていて、みんなハッピーなんですね。
あと敷地内に小屋を立てたんですけれど。
小屋は自分で建てることもできるけれど、みんなを招待したほうが工事が早く終わるし、学びが共有できるということで、みんなを招待していわゆる「コミュニティDIY」したんですね。デッキも含めるとのべ170人が参加してくれたんですけど、参加者のみんな共同作業して楽しかったし、心からつながることができて今でも付き合いがあったり、みんなも学びを得られたりと、多様な収穫がありました。
そして近所にも「コミュニティDIY」での小屋づくりをする人が増えたのも、面白かったですね。
最後に、そのタイニーハウスの隣の家が実は売りに出たんですよ。「変な人に買われたら嫌だな」と思って、買うことにしたんですけれど、「さてどういうふうに活用しようか・・・」と困ってました。そのときに、「パーマカルチャーの原則」を思い出して「そうだ、これは自分の課題に感じていることを解決するチャンスかもしれない」と思ったんですね。
それで、シェアハウスとゲストハウスがくっついた、シェアゲストハウスにすることにしました。その結果、まずローンをカバーする副収入になった。子どもたちにとって、親じゃないお兄さんお姉さんから色んな話を聞いて学ぶ機会になった。ときどき宿題を教えてもらえた。しかし最大の変化は、僕と妻の関係性でした。
これまで僕ら夫婦の関係って、僕が東京に行ったり地方や海外に出かけて仕事をして、帰ってきて食卓で「あれがすごい、こんな学びがあった」と話す。すると、いすみ市に張り付いている妻としては、「ふぅーん」みたいな感じで、面白くない。そういう反応だから、僕もだんだんとそういう話題を話さなくなってしまったんですね。
ところが、妻がシェアゲストハウスの運営をやりはじめてから、フランスとかいろいろな国や地方から面白い人が来るようになったので、そのゲストたちの話を妻から聞くようになった。こういうやりかたで妻は新しい世界をみて、僕に教えてくれる。僕らの関係性が大きく変わりました。
いすみに泊まりに来たい友人たちが気軽に、安く泊まれる。うちはちょっとした収入になる。子どもは学びがある。妻はおもてなしができて嬉しい。そして、妻と僕の関係が変わった。必要なニーズがたくさん満たされる、いい仕組みだったと思います。
そういうことで最初に話した「いかしあうつながり」の定義に戻りますけれど、
の実例を3つ、紹介しました。
「関係性のデザイン」の革命が、あらゆる分野で起き始めている
ちなみに、このような「関係性のデザイン」の革命は世界中のあらゆる分野で同時多発的に起き始めていると僕は思っています。
なぜなら、人口増加と経済の発展により、人間が地球に与える影響が増大しつづけていることから、世界はますます狭い場所になりつつある。環境的に限界を迎えている。そのことが私達の身近な暮らしからグローバル経済、政治まで、あらゆるレベルに影響しています。世界は必然的に、「有限な世界」で、どうやって幸せをつくっていくかを考え、「システム」で捉えて、デザインしていかざるをえない状況に置かれていると思うのです。
それを学際マップ的にまとめてみたものが下記の図です。
たとえばまちづくりの分野では、トップダウン的プロセスでなく、市民が参加し、小さなチャレンジを繰り返しながら、ステークホルダーそれぞれのニーズを満たしていくデザインのプロセスである「タクティカル・アーバニズム」や「トランジションタウン」などが試みられています。
社会変革の文脈で言えば、企業、行政、市民が個別に頑張ることでの限界を迎え、垣根を超えて共通の未来をつくる試みとして「コレクティブインパクト」が試されています。
経済の分野から言えば、長期的に利益を生み出し続けるには、ビジネスの土台である社会、環境の問題を(ガバナンスも通じて)悪化させず、豊かなものにしていく取り組みでなくてはならない、そうしないとビジネスの土台そのものが崩れていく、つまり利益があげられなくなるという認識が広がったことにより、「ESG投資」が世界の投資の主流を占めるまであと一歩まで来ています。
これだけの多くのことが、すでに「いかしあうつながり」の要素を含んでいるんですね。だから僕は「いかしあうつながり」を発見し定義づけたとは思っていません。「いかしあうつながり」とは、僕らが近代以前にやっていたことを見つめ直すことでもあるし、さまざまな分野の世界中の人たちが似たような結論に至っていると思うんです。
僕たち人類は、ここまで来た。世界の見方はだいぶ進化した。物事の解決方法も、なんとなく、わかりかけている。けれど、世界が持続可能な状態になるには、越えなければいけない壁がたくさんあります。
だから、僕はグリーンズを通じて、「いかしあうつながり」をつくれる人を日本中にたくさん増やしていきたいと思っています。もしそのような人が1万人いれば日本が変わり、そして世界は変わっていくはずです。
ありとあらゆる分野で「いかしあうつながり」って、できると思うんです。僕が想像もつかない分野でも、あると思います。だから、さっき紹介したブロックス農園で、みんなが火や物やできることを持ち寄りパーティーになったように、そのムーブメントのいち員にぜひ加わってほしいと思います。
みなさんはどんな「いかしあうつながり」をデザインしたいですか?
どうしたらこのムーブメントに参加できるのか? という疑問があるかもしれません。
グリーンズでは、知る・つながる・かたちにするという3つのプロセスで実践していこうと思っています。
基本的にグリーンズは全体として「いかしあうつながり」の「学びの場所」です。記事を通じて、オンラインで無料で学びを得られるのがウェブマガジン「greenz.jp」だし、実際に同じ思いの人とつながり、仲間が見つかる「green drinks」があって、8月から実験的に始めるオンラインで学び合う「いかつなラボ」という活動もそうです。実際にカタチにしたい、学びたい人が学べるのが、「グリーンズの学校」です。そして、この全体の活動をgreenz peopleのみなさんとともにつくっていくのが、グリーンズだと考えています。
長くなりましたが、最後までご傾聴いただきありがとうございました!
(Edit: スズキコウタ)
(撮影: 秋山まどか)