【5/31開催イベント】パーパス転職DAY 〜やりがいのある仕事を考える一日

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からだのことは自分軸で決めていい。産婦人科医とともに考える、しんどさを我慢しなくて いい生き方

私が、産婦人科医の池田裕美枝さん(以下、池田さん)と出会ったのは、社会的な困難を抱える女性を支援する人のためのプラットフォーム「KYOTO SCOPE」というWeb サイトで取材を担当させていただいたことがきっかけでした。

目の前にいる患者さんをただ診るのではなく、その人が今、どんな社会を生きているのか。診察にくる人たちを取り巻く生活環境や社会状況へとアプローチしながら医療や社会活動を行う池田さんの姿勢に深く共感しました。そして、個人的にヘルスケア全般について診てもらうようになり、先生の見識の広さや提案の幅広さに頼もしさをおぼえました。

私は、20代でこころとからだのバランスを崩してからというもの不調を抱えがちで、「もっとしんどくなく生きられないものだろうか?」という問いを常に抱えていました。しかし、先生との対話を通して、「からだやこころをどうしたいのかは自分軸で選択する権利がある」という概念を知り、 “しんどさ” は我慢しなくていいのだと思えるようになりました。

そして、自分をケアするとはどういうことか、また、そのケアの方法を自由に選択できているだろうかと考えたとき、同じような悩みを打ち明けてくれた友だちや家族の顔が次々と浮かんできました。過去のできごとや心身の不調をひっくるめて、なんとなく生きづらそうな人って多くない? 生きるってこんなにしんどいものなんだっけ? さまざまな思いが押し寄せてきました。

なんとかしたいとは思いながらも、漠然と抱えたままだった生きることの “しんどさ” は我慢しなくていい。池田さんは「自分のからだのことは自分で決める」ことを、私たちの権利として、根拠あるかたちで示してくれたのです。

池田裕美枝(いけだ・ゆみえ)
医学博士。産婦人科医。「医療法人心鹿会海と空クリニック京都駅前」院長。「一般社団法人 SRHR Japan 」代表理事。総合内科医を経て産婦人科医に転身し、女性の心と体のヘルスケアに社会的な視点を持ってアプローチする。SRHR の啓発や調査・研究をはじめ、医療と福祉をつなぐプラットフォーム「KYOTO SCOPE」の運営では、主に社会的困難女性を対象とした支援者のための勉強会などを開催。また、京都を拠点に、10 代〜20 代の人たちが性や心、体の悩みを相談できる「海と空ユースクリニック」を大学生とともに運営し、若年層が気軽に必要な医療や避妊手段等にアクセスできる方法を模索している。

社会のどうしようもなさと向き合い続ける医師

池田さんは、主に女性のこころとからだのヘルスケアに従事する産婦人科医。2022年に、仲間とともに「一般社団法人 SRHR Japan(以下、SRHR Japan)」(*1)を立ち上げて、「Sexual / Reproductive Health and Rights(セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルスアンドライツ/性と生殖に関する健康と権利)」(以下、SRHR)という概念を広めるなど、医師としてだけでなく、患者さんの周辺にある社会の問題を変えていくための試みを行なっています。

池田さんが院長をつとめる海と空クリニック京都駅前では、女性のトータルヘルスケアを目指す。

例えば、SRHR Japanが運営する「KYOTO SCOPE」は、医師や看護師など病院で働く人と、地域福祉の担い手がつながるためのプラットフォームです。社会的困難を抱える女性が、スムーズに支援につながるための対応方法や支援先をWeb で紹介したり、講座を開催したりして専門家が学び合う機会をつくっています。

池田さん 産婦人科医として、さまざまな患者さんと接するなかで、DVや貧困など複雑な事情を抱える多くの女性と出会います。しかし、地域にどのような支援機関があるのか、どんな支援方法があるのかを私たち医療従事者はあまり知らないと感じました。そこで、医療従事者が、社会的困難を抱える人たちに適切な支援を行うための知識と知恵を共有するために始まったのが「KYOTO SCOPE」というプロジェクトです。

KYOTO SCOPE 主催のイベント「おてらでトーク」(2023年)の様子。年に一度開催される、支援の現場にいる人たちが語り学び合う場。

私は、「KYOTO SCOPE」で、支援団体の活動を紹介する記事の編集を担当させていただきました。どのような人がそこへ相談に来て、どのような支援がなされているのか。過酷な状況に置かれた人々を取り巻く生活環境、社会的状況。女性たちの怒りや悲しみをはらんだ、どうしようもなさ。顔こそ見えないけれど、言葉にならない声が聞こえてくるような取材内容に、続く言葉が出ないこともありました。感情をこらえきれず泣いてしまうこともありました。そして、池田さんとともに取材を重ねるなかで感じたのは、彼女たちの目に見えない想いやその背後にある社会の問題をなんとかしたいという池田さんが秘めている信念のようなものでした。

*1:2021年に日本におけるSRHR の課題を議論するための組織「SRHR ライトユニット(現 SRHR Initiative(研究会))」を発足後、2022年に「一般社団法人 SRHR Japan」を設立。医師、理学療法士、心理士編集者が所属する。

“SRHR がこころとからだを見つめ直すきっかけに”

SRHR は、1994年に国際会議で提唱された世界的にうたわれている基本的人権のひとつ。昨今では、雑誌などでもよく取り上げられるようになりましたが、まだ広く認知されているとは言えないかもしれません。

セクシュアリティ(*2)、子どもを産む・産まない、自由にセックスを楽しむこと、避妊をする・しない、避妊の方法、希望する避妊具にアクセスできること、出産後に選択肢が狭くならないよう母と子へ育児支援が行われること、病気の予防や治療方法に安易にアクセスできること……などなど。SRHRは、これらの権利がその社会に住むすべての人たちにいきわたるように、社会のあり方を工夫するためのものです。

SRHRを推進する国際NGO ジョイセフが発行する『SRHR NOTE』では、SRHRという言葉の意味がわかりやすく紐解かれています。

セクシュアル・ヘルス 自分の性に関することについて、心身ともに満たされて幸せ…
を感じ、社会的にも認められていること。

リプロダクティブ・ヘルス 妊娠したい人、妊娠したくない人、産む・産まないに興…
味も関心もない人、アセクシュアルな人(無性愛、非性愛の人)を問わず、心身とも
に満たされ健康にいられること。

セクシュアル・ライツ セクシュアリティ「性」を、自分で決められる権利のこと。…
自分の愛する人、自分のプライバシー、自分の性的な快楽、自分の性のあり方(男か
女かそのどちらもでないか)を自分で決められる権利。

リプロダクティブ・ライツ 産むか産まないか、いつ・何人子どもを持つか、妊娠、…
出産。中絶について十分な情報を得て、自分で決められる権利。

(以上、『SRHR NOTE』P4 より引用)

『SRHR NOTE』は、10〜20 代の若者が SRHR について学び考えるために制作・販売中の冊子。最近は男性向けに発行されたフリーペーパーも。ジョイセフのサイトから入手できます。(写真は筆者撮影)

SRHRを知ったとき、私は「自分の生き方を自分で決める」という当たり前のことに改めて気づき、性と生殖だけでなく、こころとからだのヘルスケア全般にも通じる大切な考え方だと感じました。

そしてもうひとつ重要なのは、SRHR の根幹にある「からだの自己決定権(Bodily Autonomy)」という考えです。

池田さん Bodily Autonomy とは、自分ではない誰かに、こころやからだの健康にまつわる選択を押し付けられるのではなく、自分で選択できる状態のことをいいます。どんなヘルスケアを選択するのか、性行為をしたくないときに目の前の相手に「ノー」と言えるのか。からだに関するあらゆることを、自分軸で判断できることです。

池田さんが、SRHR や体の自己決定権に関心を寄せるようになったのは、どうしてだったのでしょうか。現在の活動に至る原点は、生まれ育った環境にあったようです。

*2:セクシュアリティとは、個人が有する、性に関する知識、信条、態度、価値観のこと。セックス(生物学的なからだの性)、性自認・ジェンダーアイデンティティ(こころの性)、性的指向(好きになる性)、性表現(社会的にふるまう性)の要素を含む。

社会的に女性であることが健康を左右する!?

実は、池田さんは学生時代から、 “女性と社会” というキーワードに注目していました。

池田さん 祖母、母、娘である私と、同じ女性でありながら、世代によって家族への関わり方、からだや生活の悩み、仕事、生き方が変化していく。そうした社会的背景によって変化する女性の生き方を、医学的な立場から見つめてみるのはおもしろそうだと思ったんです。研修医時代には、アメリカではあたりまえに “女性の専門医” がいると知り、私も目指そうと決意しました。

そこで、総合的にからだを診察する内科医からキャリアをスタート。内科では、診断を行う要素の8割が問診による情報です。患者さんからいかに多くの情報量を引き出すのかが鍵となるため、自然と聞く技術がトレーニングされたのだと言います。

池田さん 産婦人科の外来でも患者さんのお話をたくさん伺います。ほんとによくここまで踏ん張って生きのびてこられたと思う患者さんとたくさん出会い、彼女たちが抱えているものを、このまま放っておけないと感じるようになったんです。

そうして産婦人科医を続けるなかで、 “女性の専門医” になるにはなにかが足りないと感じていた池田さんは、イギリスに留学した際に SRHR を学びます。SRHR への理解を深めるなかで、「“社会的に” 女性であることで病気になる人がいる」という視点を得たそうです。
具体的にどういうことを意味するのでしょうか?

池田さん 例えば、更年期障害を持つ女性A さんがいたとします。更年期には、体内の女性ホルモンのバランスが崩れることが原因となり、疲れやすくなったり、眠りにくくなったり、物覚えが悪くなったり、さまざまな身体症状が出ます。

しんどいのであれば休んでいればいいわけですが、妻であり母でもある A さんには、家事、育児、自分の仕事、あるいは親の介護と、日々こなすべきタスクが山ほどあります。夫と協業するわけでもなく、誰かに助けを求めるわけでもなく、すべてを一人で背負っていることにもはや疑問すら持っていない状況です。

更年期であるかどうかにかかわらず、身に覚えがある人も多いのではないでしょうか。例えば、生理痛。私の場合、生理の時期は寝ていたいほど痛くてつらくても、家族以外には言いづらいし、我慢して仕事をこなしてあたりまえだと思って生きてきました。

からだの不調やこころのしんどさに気づきながらも、自分をごまかしたり、気合いで乗り切ろうとしてみたり。私たちは、どうして、休んだり立ち止まったりすることをためらってしまうのでしょうか。

池田さん 自分には選択肢はないと思い込んでしまうのではないでしょうか。「家事も育児も、やるのは私しかいない!」「仕事を休むなんて無理!」 だと。そして、こころもからだも疲れ果ててうつ状態にまで陥ってしまう。すべての人がそうとは言いませんが、そういう状態で受診される方は実際に多いんです。

自分のキャパシティを超えているのならば、誰かに任せていいんです。しんどければ休んでいいんです。けれど、その選択肢は、「ない」のです。自分のことを差し置いて、一生懸命に周りのケアをして心身の不調をおこす。これって、社会的な女性という立場にいるから、状態が悪くなったと言えると思うんです。

そうやって、ついしんどいほうを選んでしまったり、疲れているとわかっているのに自分を追い詰めてしまったりすることと、社会の中でがんばりたい気持ちを両立させながら、もう少し楽に生きていくための根本的な解決策はどのように見出していけばいいのでしょうか。

不調を自己責任にしないで、しんどさを共有する

ちなみに私は、今、幼児を子育て中です。幸い、子どものめんどうを見てくれる人はまわりにいるし、社会的な制度やサービスがたくさんあります。けれど、「子どもと関わる時間を増やしたい」「手づくりのものを食べさせたい」「せっかくいただいた仕事なんだから100%のちからでやり遂げたい」。家事も育児も、すべてを完璧にこなしたくて、つい、キャパシティ以上のタスクを自分に課してしまうところがあります。実は、そういう風に過ごしているうちに、心身ともに疲れ果て、しばらく仕事をお休みした時期がありました。改善した今でも、目の前に仕事があればとことんやりたいと思うし、子どもには最大限のものを与えたいという思考は常にあって、それが私の原動力になっていることもまた事実です。

池田さん 「みんなに期待される自分でいたい」という思いが先行してしまうのかもしれません。それは、社会で生きる私たちにとって、当たり前の感性です。けれども、その思いが、心身をケアして守ることを妨げてしまうこともあるんです。

そして、「自分の声を聞く」ことがなかなかできていないことが、しんどさを抱えてしまう大きな要因だと思います。先ほど事例に挙げた、A さん。もし彼女が、「私は今、疲れている」というこころとからだのメッセージをちゃんと聞いて、あれもこれも「できない」とまわりに言えたなら、うつになって受診することもないでしょう。

けれど、性にまつわること、生理痛や原因不明のしんどさ……。自分のことは、なかなか人に話しづらいものです。

池田さん 日本では、周りの意向を優先し人に迷惑をかけないようにしようという文化が根づいています。自分の心身の状態をなんとなくはわかってはいても、自分がどうしたいのかさえわからないという人は多いのかもしれません。

でも、むずかしいことではありません。友だちや職場の人と、「最近寝不足でしんどい」「生理痛がひどいから仕事を休みたい」「パートナーに△△されていやだった」など、日々の生活のなかで起こるいろいろなことを話すんです。人と話して、相手の意見を聞くことで「あの人はこうだけど、私はこう思っているんだな」と比較対象ができます。これが自分を客観視するきっかけになります。

自分では今の生活や仕事の仕方に納得しているつもりでも、社会の一員として暮らしていると、無意識に我慢していることが多いのかもしれません。

池田さん 女性だけに限ったことではありません。心身の弱さをまわりにシェアできないことは、性別を問わず課題だと思います。男性の過労を引き起こすこともあるでしょう。不調を自己責任にしないで、「ちょっとしんどいからこれ手伝って」と言える雰囲気を社会全体でつくっていきたいですよね。

選択肢を知って、気持ちを伝える習慣を身につけるために

そもそも人に悩みを話す習慣があまりない文化で育った私たちにとって、自分の意思を話せる環境づくりはそう容易いことではないでしょう。池田さんは、そんな社会のなかで、若い人たちが悩みを打ち明けられて必要な医療にアクセスできる環境づくりを目指そうと、2023年から、京都の学生たちと一緒にユースクリニックの運営をはじめました。10代〜20代の人たちが性やこころ、からだの悩みを相談でき、医師がいるのでその場で検査や処方も可能です。

池田さんが学生と行う、「海と空ユースクリニック」の活動。「ユースクリニック」はスウェーデン発祥。12 歳〜25 歳の若年層を対象に、医師、看護師、カウンセラーが常駐する自治体運営の施設。性やからだの悩みを無料で相談でき、必要に応じて避妊具や生理用品を無料で入手することも可能。(写真は提供)

池田さん 「海と空ユースクリニック」にくる大学生と話していると、性教育も進化し社会全体が少しずつ話しやすい雰囲気に変わってきていると思うこともあります。例えば、友だちと生理の話はしないけれど、好きなセクシー女優さんについては話題にのぼるのだとか。セックスや避妊、ましてやAV など、性にまつわる話題は恥ずかしいものとして育てられてきた世代とは、おそらく異なる感覚だと思います。SNS やYouTube といったツールの普及によるリスクもあるかもしれませんが、情報が得やすくなり、気軽に話しやすい文化が醸成されている側面はあるでしょう。

一方で、若者の具体的な治療や避妊具へのアクセス環境は、依然として課題が残っています。

池田さん 日本では、18 歳未満の人への医療行為には、原則として保護者の同意を要します。また、健康保険証を使うと親にわかってしまう可能性があるため、婦人科を受診することへの心理的ハードルが高いんです。性感染症にかかっているのに検査をしなかったり、意図せぬ妊娠をしてしまったけれど誰にも相談できぬまま中絶のタイミングを逃してしまったり。若年層が一人で悩みを抱えてしまいがちな環境にあります。

現在は、「海と空クリニック京都駅前」を拠点とした活動に加え、若年層の居場所づくり事業や、母子生活施設などとも連携し「あちこちユースクリニック」としてこころとからだの悩みを共有できる場づくりを展開しています。

池田さん 若い人たちの病院に行きづらいという思いを大事にしながら、その人が自分のからだを大事にできるようサポートしていくために何ができるのか。その方法を学生さんたちとともに模索しています。

SRHR japan の支援団体とのつながりや日本のSRHR にまつわる活動を進めることで日本国内におけるユースクリニックの強い必要性を感じて発足。現在は京都全域で 2 つの活動を軸に展開中。

わざわざしんどいほうを選ばなくてもいい

医師としての専門的な判断にとどまらず、人々の暮らしや環境にまで目を向けながら、どんな治療が必要なのか、どんな制度があればもっと楽に生きられるのかを考え続ける池田さん。
目の前の診療だけでなく、社会全体を見据えたアプローチを試みています。人に話すことをためらいがちな私たちは、どんなときに相談をすればいいのでしょうか。

池田さん なんとなくだるい、生理前にイライラするなどの小さな不調でも相談しにきてください。特にメンタルは「なんとなく調子が悪い」段階で適切な対応をすれば回復も早くなります。薬だけが解決策ではありませんし、こころの不調だと思っていたら、実はからだが原因だったというケースも少なくありません。こころとからだは切り離せません。例えば、産後うつ。腰痛や寝不足などの身体的なしんどさが気持ちの落ち込みにつながっていることもあります。その場合、からだを整えてあげることで、こころも自然と軽くなるんです。

私は最近、立ち止まるたびに、しんどいことはあたりまえではない、というメッセージを思い出すようにしています。深く呼吸をして、この状況を乗り越えるために、今、自分のからだやこころに必要なものはなんだろうと、落ち着いて考えられるようになりました。

池田さん 自分のからだのことを理解すれば、自然とよくなっていくんです。はじめは泣いてつらそうだった患者さんが、自分を取り戻して輝きだす様子をたくさんみてきました。自分で選んで、自分のちからでよくなっていったんですよ。

私たちは、今日何を食べたいのかだって、病気の治療法だって、子どもを産むか産まないかだって、本来、なんでも自分で選ぶことができるはずです。自分のこころとからだを守る方法だって、いろいろな方法があっていいのだと思います。

池田さん あなたがしんどくない状態を保つことは、決してわがままなんかではありません。自分らしく健康にいてくれることだけでも、みんなのためになるはずです。それだけで社会貢献と言ってしまっても過言ではありません! いつでも、ケアのお手伝いをしますよ。

私がこの記事を書きたいと思ったのは、「しんどさは社会の小さなパーツなのかもしれない」と思うようになったからです。

例えば、あるお母さんが孤独に出産をして赤ちゃんが亡くなってしまったら、世間は「ひどい母親だ」だと責めるでしょう。薬物を摂取したりアルコールを飲まないと生きられない心の状態にあれば、 “中毒者” として断罪される。人には言えない事情があってうつを繰り返していると、周囲から不安定でできない人だと思われてしまう。

規範通りに生きられないこと、しんどい状態であることに罪悪感を持って生きていかなくてはならない世の中のこの感じはなんなんだろうと思います。

私の場合、日常生活にさほど支障はないし風雨をしのげる家もあります。支えてくれる家族や仲間もいます。けれど、PTSD を抱えていたり、生まれ持った特性ゆえに仕事や生活で困っていることもあります。どんなにがんばっても、自分の力だけではどうしようもないことばかりです。違いはあれど、みんな何かの当事者であって、何らかの症状を引き起こす背景には、説明のつかない、どうしようもない理由がきっとあるのではないでしょうか。

今日、お話にでてきた社会的困難を抱える女性(あるいは男性)のしんどさも、私たちが日常的に抱えているしんどさも、地続きにつながっているのではないかと思うのです。例えば、記憶を支配する苦しみから逃れたいとき、気分の浮き沈みが激しくてコントロールが効かないとき。しんどさをなぐさめ、こころを癒すために、アルコールを飲んだり、買い物をしすぎたり、誰かに依存しすぎたりすることは、いつ私の身に起きてもおかしくないことです。

だからこそ、しんどさを抱え込まずに過ごすことができたなら。適切なケアに繋がることができたなら。そして、周りの人が自分の尺度で誰かのしんどさを “評価” をするのではなく、その人の背景にある感情や事実を “課題” や “知識” として理解しあうことができたなら。そうやってしんどさを共有できれば、もう少し楽に生きられるような気がするのです。

毎日が完璧にうまくいくわけでもないし、生き方に正解はありません。でも、社会の一部として生きている私たちは、きっと、ひとりぼっちではありません。わたしも含めたすべての人たちが、自分なりのしんどくない生き方を見出していけるようにと心から願っています。

撮影:坂下丈太郎
編集:杉本恭子