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事業のはじまりは、いつも身近な人からの相談でした。ビジネスパートナーの“しっくりくるところ”を考え、実現に向けて伴走していく友廣裕一さんの仕事観。

あの人はいったい、何の仕事をしているのだろう?

複数の仕事に携わり、ひとつの肩書におさまらない人が増えている気がします。
今回登場いただく友廣裕一さんも、そのひとり。

東日本大震災後、被災した宮城県・牡鹿半島のお母さんたちと鹿の角を使ったアクセサリー「OCICA」をつくったり、高知県で海藻を育てたり、秋田県で日本酒をつくったりと、さまざまな事業に携わっています。

私はこれまで何度か友廣さんに「何屋さんなんですか?」と聞いたことがありますが、どうやら本人もわかっていない様子。

今回は、グリーンズのビジネスアドバイザー・小野裕之との対話を通して、友廣さんのビジネスの原点から現在地を伺いました。ふたりの対話から、ただビジネスを大きくしていくのではなく、ビジネスパートナーの本当に求める風景を実現していく、新しいプロデューサー像が見えてきました。

友廣裕一(ともひろ・ゆういち)
一般社団法人つむぎや代表。合同会社シーベジタブル共同代表。リソース・コーディネーター、雲南市地方創生アドバイザー。
1984年大阪生まれ。大学卒業後、日本全国70以上の農山漁村を訪ねる旅「ムラアカリをゆく」へ。各地の暮らしに寄り添いながら、どのような人たちがどのような思いで生きているのかを学ばせてもらう。東日本大震災以降は、宮城県石巻市・牡鹿半島の漁家の女性たちとともに浜の弁当屋「ぼっぽら食堂」や、鹿の角を使ったアクセサリー「OCICA」などの事業を立ち上げる。

取材は「つむぎや」の事務所でもある「つむぎば」にて行いました。空き工場をKUMIKI PROJECTがリノベーションしたのちに借り受けて、「team TENT」というチームと一緒に少しずつ改修しているのだそう。

小野 友廣さんはいろいろな仕事をしていますが、いま定期的にやっている事業は何があるんですか?

友廣さん ひとつは宮城県石巻市 牡鹿半島のアクセサリー「OCICA」をつくる「つむぎや」があります。先日「OCICA」は事業終了のお知らせをしてgreenz.jpの記事でも書いていただいたのですが、こちらは省力モードで運営をしてきたのもあって、現在常勤スタッフはいません。

おのっち(小野)に声をかけてもらって国際交流基金と共催ではじめた「DOOR to ASIA」はアジアのデザイナーを東北に呼んで、デザインを制作・提案してもらうプロジェクトで、「つむぎや」として運営しているけど、実際には外部の仲間たちとチームを組んでやっています。

そのスピンオフで、奈良の奥大和でも「DESIGN CAMP」っていう同様のプログラムをやっています。長野の小布施でもやったり、3年前からはJR東日本と「JR山手線」を舞台に、世界5大陸から各国で活躍する若手デザイナーが滞在しながら、駅の持つ新しい可能性を彼らの視点で考えて提案するプログラムもやっています。

「つむぎや」のはじまりである「OCICA」は、牡鹿半島のお母さんたちと鹿の角を使ったアクセサリーを製作・販売するプロジェクト。

友廣さん あとは、ここ最近は海藻の事業を中心的にやっていますね。アオノリなどの海藻を陸上で養殖する「合同会社シーベジタブル」という会社を、3年前に蜂谷潤くんという海藻の研究者とつくりました。

高知県室戸市や安芸市をはじめとした地域に拠点を置いているのですが、全国的に不作がつづく海藻を安定的に生産することを通じて地域の食文化を守りつつ、障害のある方や高齢の方などがすこやかに働いて暮らせるようなモデルをつくれたら、という思いでやっています。いい仲間が集まってきてくれて、規模感も出てきて、今までとは違う緊張感やわくわく感もあっておもしろいですね。

時間をかけてじっくりあたためているという海藻事業。

友廣さん 島根県雲南市では地方創生アドバイザーをやらせてもらっているのですが、その雲南市発の取り組みである「コミュニティナース」の生みの親である矢田明子さんと「コミュニティナースカンパニー」という会社にも立ち上げのころから関わっていて、コミュニティナースになりたいと思っている人たち向けの講座も担当しています。

秋田の「農家がつくる日本酒プロジェクト」は今年で7年目になりますね。大学の後輩で、農家をしている松橋拓郎くんに「食べる人とつくる人、さらにいうと自分のつくった農作物を食べる人同士がつながるようなことをしたい」と相談されてはじめました。最近は関われる時間もだいぶ減っていますが、松橋くんを中心に300名弱ほどのメンバーと、30店舗ほどの飲食店の方々と一緒にわいわいと運営しています。

磯井純充さんとはじめた「まちライブラリー」は全国のいろんなところに本を通じて人がつながるような場ををつくるという取り組みで、もともとはぼくが礒井さんの相談に乗らせてもらったことから、ふたりではじめた活動なのですが、今では650箇所を超える場所ではじまっています。

あと奈良の大和高原でお茶を自然栽培している「健一自然農園」の伊川健一くんとは、彼が地元でつくってきたモデルを他地域で展開するサポートなどをしています。島根の雲南市では「健一自然農園」の自然栽培モデルを応用して、耕作放棄地を「あおぞら福祉会」という社会福祉法人が中心となって三年晩茶や和紅茶の生産を通じて再生していく事業がはじまっています。

この日も「健一自然農園」のお茶を淹れてくれました。

友廣さん そんな感じで、だいぶいっぱいありますね。

小野 職業は何なんですか?

友廣さん 自分でもわからないです(笑)

小野 個人的にはどういう役割がはまっていると思いますか? 力が湧いてくるのはどんなときでしょう。

友廣さん 基本的には、くすぶっている人に会ったときかな。なにかやりたいことがあっても、頭の中にあるだけだとただの妄想なんですよね。とくに事業になっていないときって、そんなにがっつり関われる人がいないじゃないですか。収益モデルができていたらお金をもらって関わる人はいると思うんだけど。でもその前の段階でくすぶっている人ってけっこういると思っていて。

そういう人に会って、その人が長い年月をかけて追いかけてきたこととか、明確な理由はないけど情熱を持ってやりたいことを持っている人に出会うと、「この人めっちゃおもしろいな」「この人の見ている世界とかその先の風景を一緒に見たいな」と思って、興味が湧いてくるんです。そのあと時間をかけて「なんでそれをやりたいの?」「本当にやりたいの?」とかって聞いていくうちに、いつの間にか自分ごとになっていて、「俺もそれやりたい」って一緒にやることになる…というパターンが多いですね。

ねらってそういうことをしているという感覚はまったくなくて、たまたま数ある出会いの中からじわじわ近づいていって、気づいたらはじまってた、みたいな感じですかね。

小野 さっき挙げてもらった事業のなかで、収入になっているのは何割くらいなんですか?

友廣さん 事業によって違いますね。役員報酬の場合もあれば、ポイントの役割に対してというのもあるし。最初は全部ボランティアみたいな感じではじまってきたけど、おかげさまでどの活動も育ってきて、なにかしらの形でもらえるようになってきたなという感じですね。

小野 仕事になるまでは、どういう変遷だったんでしょう?

友廣さん 大学を卒業してからやっていた全国の農山漁村を訪ねる旅から帰ってきたときは無一文で、友達や先輩の家に1年くらい居候させてもらっていました。

旅に出る前は、自分で稼いで「ちゃんとしないといけない」という固定観念が抜けなかったけど、バイトしながらだとやりたいことをやる時間もエネルギーもなくて行き詰まりを感じて…。どうしようもなくなって、助けを乞うて居候させてもらうと固定費がなくなって。そうすると生きることがすごく楽になるんですよね。当時お世話になった人たちには本当に頭が上がりません。

そのあたりからかな、無一文でもなんとか死なずに生きているっていう感覚を確保できたのが大きかった。だから仮に売上がなかなか立たなくてもそんなに苦じゃなくて、一つうまくいったら「よし!」という感覚でいられた。最初はいくつか種をまくなかで一つ芽吹いたらそれを育てて、花が咲いて実って。また次が芽吹いて、という感じですかね。

ありがたいことに最近はどれも芽吹いてきていて、どうしよう、もっと体があったらやりたいのにという状況になっていますね。

小野 ビジネスになるまでに時間がかかりそうだけど、どのくらいで仕事になるんですか?

友廣さん バラバラですね。僕は自分で推進するエネルギーがなくて、エンジンのない船みたいなものだと思っています。

一緒にやっている人は高性能のエンジンを持っているのだけど、ちゃんと出力が発揮されてなかったり、どこに向かうべきかがわからなくなっていたりするので、僕はその船に相乗りしている感じですね。基本は一緒に話し合いながらどうしていこうかって決めるんですけど、僕がやりたいことを押し付けるということはなくて。その人や社会環境や市場の状況にもタイミングがあるし、がんばってはじめるという感じより、自然とはじまるっていう時の方がうまくいくんですよね。

芽吹くタイミングを待つって感じですかね。ちなみに海藻の事業は小さい関わりから数えると5年目くらいで法人になりましたね。

小野 気が長いんだね…。(笑)

友廣さん それだけで食べていこうと思っていないから、いい意味で期待していなくて。半分趣味なんですよね。その人といるのが楽しいし、その先の風景を一緒に見てみたいなって。リアルな登山の趣味はないんですが、なんか日々山登りをするような感覚で働いているような気はしますね。給料もわからないと登山しないって人がいないのと同じように、お金がなくてもやりたいと思うことしかやっていません。

小野 結婚して子どもがいても、そのスタイルができるものなんですか?
(※友廣さんは二児の父でもあります。)

友廣さん ありがたいことに、いまはそれまでに積み上がったものがあるから生活できています。妻にはだいぶ待ってもらいましたけど。大学1年のときから付き合っているので。

小野 長いな!(笑) じゃあ奥さんはずっと見ていたんだね。

友廣さん そうだね。大学を卒業したあと彼女は大企業に入って、僕はニートみたいになって「絶対うまくいかない」と思っていたし、実際大変な時期も長かったけど、その過程を共有してきたおかげで理解してくれていますね。震災のあとには「つむぎや」の現場(牡鹿半島)にも何度も来てくれたり、その他にやっていることもだいたい共通の友人や知り合いだったりするので、理解が深まってきたんだと思います。

この日は編集の池田美砂子さんの赤ちゃんも同席。みんなを癒やしてくれました。

役割は「社会的天然記念物の保護活動」

小野 いろいろな人と関わっていくなかで、うまく組み合わないパターンもあるんですか?

友廣さん あんまりないかな。クライアントワークみたいに話が来て、「じゃあやります」という流れではなくて、それまでに何度も話を聞いたり一緒に現場に行ったりするなかで、「一緒にこういうことをやろうか」ってはじまることが多いので、人が組み合わないというのは本当にないですね。

小野 なるほど。それははじめから「仕事になりそうだ」と思って話しているんですか?

友廣さん 若干は考えているかもしれないけど、最初は本当に友達って感じかな。僕自身があんまり好きなこととか追いかけるテーマとかを持っていないから、そういうのを持っている人に興味があるんですよね。十年以上もお茶一筋とか海藻一筋とか、ぶれずに走っていることが全然理解できなくて。だからそういう人を尊敬するし、すごく興味が湧いてくるんですよね。最近思いついた言葉なんですけど、「社会的天然記念物の保護活動」をしてるのかな、と。

小野 相手が「社会的天然記念物」ということ?

友廣さん そう、そうやって自分の興味関心を追求している人が健やかにちゃんと働いて暮らして、自分の力を発揮できる社会は、きっといい社会だろうな、と思っているので、そういう人たちを保護したいと思ってますね。まだ見習いくらいだと思いますけど。特に資本主義とのつなぎ目でうまくいかない人は多いので。

小野 どういうことでしょう?

友廣さん たとえば友人の「森の案内人」の三浦豊さんは5000箇所を超える日本全国の森や庭を歩いてきたけど、趣味の山歩きをお金にするのは難しいですよね。森案内を仕事にする前にモニター的に体験させてもらったり、最近も企業さんとのつなぎをさせてもらったりしたときにいろいろ相談に乗らせてもらったのですが、好きなことをすり減らさずに仕事にしていくってすごく難しいんですよ。

豊さんは自分でプロデュースできている人だけど、彼のように自分の好きなことで積み上げてきたものをどう仕事に落とし込めばいいかわからない人って多いと思います。だから僕みたいな役割を求めていただけるのかもしれません。

小野 友廣さんはプロデューサーみたいですね。

友廣さん うーん、プロデューサーって指標がお金しかない感じがするんですよね。もしくは外部指標による評価というか。それで成果を測るので、その軸でのインパクトをいかに大きくできるかを考えますよね。でも僕は、「その人がしっくりくるところってどこにあるんだろう」という観点を大切にしたいんです。だって成功しても幸せに生きられていなかったら本末転倒だから。あまりいないタイプかもしれませんね。

自分でお金をつくるという経験を積むことが大切

小野 でもやっぱり事業をするうえで、お金は切り離せないですよね。逆に、友廣さんみたいになるにはどうしたらいいと思いますか?

友廣さん 僕は偶然こうなったからなぁ…。ひとつ言えるのは、大学時代からビジネスに関わってきたことは大きかったかな。小商いでも、お金を扱うことを早くやったほうがいいと思います。

墨田区で「すみだ青空市ヤッチャバ」という下町版ファーマーズマーケットを立ち上げて、今も仲間たちが運営してくれているんですけど、たまに大学生が自分の親とか地元の野菜を販売したりするんです。たとえば100円で仕入れたものを120円で売るとか、時給で働くんじゃなくて、「これくらいがんばったらこれくらいお金が得られる」という感覚をもつことはとても大事だと思いますね。

雇用されると、給料が20万円から30万円に上がるのはわかっても、0円を20万円にするのってわからないじゃないですか。その手応えがないから、「会社をクビになったら人生終わっちゃう」みたいな危機感があると思っていて。誰にも頼らずに一人で儲けをつくることができたら、それがたとえ小さくても、生きていくうえでの自信にもなります。

小野 いまはECサイトでも簡単に商売ができるし、やってみると向き・不向きもわかりますよね。

友廣さん 若いときって何が向いているのかわからないもんね。やっぱり場数を踏まないと。自分の場合は、旅に出たときにそこで会った人たちから相談してもらえる機会があって、「求められているならやってみよう」という積み重ねでした。こんななんの専門性もない若造に相談してくれるなら、それはやる必然性があるんじゃないかって。

手探りで一つひとつやっていったら、「意外とこういうことが求められて、こういう力を伸ばしていったら仕事になるかも」ってだんだんわかってきて、効率は悪かったけど十年くらい経った今となってはなんとなく仕事になってますね。

「すみだ青空市ヤッチャバ」の様子。毎週土曜日に曳舟駅前で開催されています。コミュニティナース養成講座のフィールドワークもここで行ったのだとか。

小野 いつごろからその“フィット感”が出たんですか?

友廣さん どうなんだろう、震災のあとかな。
「つむぎや」をはじめた当時は事業をやると決めたら会社をつくって、人を雇って、マネジメントしないといけないという感覚が残っていたけど、でもあとから「そんなことやらなくてよかったんだな」って気づきました。いろんな人たちと日々さまざまなことに挑戦させてもらうなかで、組織運営についても反省を繰り返しながらきましたね。そういうことを乗り越えて、先入観にとらわれずにできるようになった気がします。

相手のことを理解し、伴走する役割

小野 友廣さんはフリーランスなのか、コンサルタントなのか、経営者なのか、あまり形を気にせずやっていますよね。改めて友廣さんの役割って、何なんでしょう?

友廣さん 定義が難しいんですよね。何をやりたいのか、どういうことを目指しているのかを同じ目線で見る人。言われたからやるというよりは、一緒に当事者としてやりたいと思っています。関わる時間は違っても、そういう気持ちでいたいなと。

小野 お手伝いじゃないんだよね。

友廣さん そう、コンサル的なことがスキル的にできないというのもあるけど、基本はその先の未来を見たいと思ってはじめるので、ここで終わりますって感じの関係が難しいんですよね。提案したら伴走もする。さっきも言ったけど、一緒に山を登っていく感じかな。ただ広げるというよりは、その人にとって本当に幸せな広がり方を考えて、できれば一緒に歩んでいきたいなと。

小野 いま、友廣さんみたいな働き方は一般的になりつつありますよね。

友廣さん 答えのない時代だから、今までの延長線上に自分たちの描いている世界や未来を描けないと、みんなどこかでそろそろ気づいてきたんでしょうね。小さいことやっている人たちのほうが手応えを感じやすいのかも。おのっちの仕事も僕と似ているよね?

小野 うん、ほぼ同じだね。

友廣さん いまは何に関わっているんだっけ?

小野 グリーンズと「ANDON」と「SIRI SIRI」が中心で、あと「a.school」と「福岡移住計画」のアドバイザーをやったり、岡山・西粟倉村の「sonraku」で社外取締役的な動きをし始めたり、あと小倉ヒラクくんとやっている「発酵ツーリズム展」とか。

僕もさっき友廣さんが言っていたように「エンジンのない船」なんです。でもエンジンのある人がたとえば入れるガソリンの種類を間違えているのを見ていてわかるから、指摘するというよりは感想を伝えるようにしています。「ちがうよ」ではなくて「僕にはこういう風に見えているよ」という風に。

小倉ヒラクさんが渋谷ヒカリエで開催中の「Fermentation Tourism Nippon 〜発酵から再発見する日本の旅〜」では事業プロデュースを担う小野さん。写真は関連トークショーの様子。

友廣さん アドバイザーとかになって、はじめに何をするの?

小野 はじめは、計画の話をする。課題とかは雑談するなかでわかるけど、設定した課題を問いたり前に進めたりするには計画が必要だから。たとえば「a.school」は、いつか新しい校舎を開くことも考えて、一緒に物件を探したり、資金調達のやり方を考えたりしています。

アドバイスを受けたら、必ず実践して、報告する

友廣さん おのっちはどうしてそんなにアドバイスできるの?

小野 やりながら、かな。あと、この連載に登場してくれた「クラシコム」の青木耕平さんが教えてくれる。(笑)

「北欧、暮らしの道具店」を運営する「クラシコム」の社長・青木耕平さんとは兄弟のような関係だとか。同連載にも登場いただきました。

友廣さん それは大きいね。

小野 だいぶ大きい。たとえばファイナンスでいうと、「経費性のものは必ず株式で調達して、在庫とか家賃設備投資とか換金性や資産性の高いものは借り入れで調達しても良い」のような金言が雑談のなかから出てくる。換金性が高いものはそのまま売れば利益にならなくとも赤字にならないので。それがわかっているだけでだいぶちがいますね。

僕の場合は株式を発行するほど大きな規模ではないから、代わりにクラウドファンディングをやったり行政の委託事業を探したりしています。

友廣さん そういうことを学べる場所ってないのかな。

小野 ないよね。言葉だけ知っていてもわからないし。事業って、慎重になるべきだけど、恐る恐るやってもなかなか成果につながらない。かと言って、無限にリスクを取れるわけでもない。自転車に例えるなら、ある程度思い切って漕がないとフラフラするけど、どこまで漕いでいいか、その加減を教えてもらっている感じです。

友廣さん 原理原則を知っている人に出会えるかは大きいね。

小野 先輩たちは大変な思いをして学んでいるからね。だからアドバイスされたことは必ず実践して報告するようにしています。相談されてアドバイスするとき、その後の反応を知りたいじゃないですか。アドバイスをもらってもやらない人は多いけど、僕は必ずやって、やったら言うようにしている。そうするとまた声をかけてもらえます。

友廣さん 大事なことだね。ローカルの起業家たちって、あんまりそういうビジネスについて学べる機会がないのかも。先行事例も少ないし、オリジナルでやらないといけない。

小野 地域おこし協力隊向けのプログラムはあるけど、経営のノウハウというよりは、地域のなかでのコミュニケーションとかが中心なんですよね。だから商売の楽しさを知るところまで行き着いてなくて、むしろ商売は怖いものだと思っている人が多い。

友廣さん そこを抜けないと自由にできないよね。自分が健やかにいるためには、逆に社会の仕組みをちゃんと理解して、少なくとも自分の人生の主導権を握リ続けられるように上手(うわて)にならないと。

他人の期待ではなく、自分の軸で生きていく

小野 友廣さんは誰かに相談することってあるんですか? 影響を受けている人とか。

友廣さん うーん、学生のときからお世話になっていて、影響を受けた方はいます。

小野 影響というのは、経営について?

友廣さん いや、生き方について。全然メディアに出ていない人で、それがけっこう衝撃的だったんです。メディアに出ない選択肢もあるんだな、と。

人って承認欲求とかお金で道を踏み外すことが多いから、自分でコントロールできないといけない、ということを学びましたね。僕も20代のときは心のどこかで「大きくなりたい」とか「有名になりたい」と思っていて、それがいいものだと刷り込まれていたけど、彼のようにすべて手にしてから手放した人の自制心を見たのは大きかったですね。

小野 友廣さんもあまりメディアに出ないですね。

友廣さん うん、事業についての紹介ならいいんだけど、自分が出てもあんまりいいことないよな、と思って基本出ないようにしています。下手に注目されて期待されても、他人の期待で生きたくないので。でも今回の取材は、若い人たちや働くうえでの選択肢が少ない人に、なにかヒントになればと思って受けたんですけど…ヒントになったかな。(笑)

小野 月並みですけど、友廣さんのような人が増えたらいいなと本当に思いますね。結果だけ真似してもなれないけど、この記事を通してまずは友廣さんの根っこの部分が伝わればと思います。

(対談ここまで)

旅人のような、経営者のような友廣さんの仕事観、いかがでしたか?
さまざまな事業に携わるなかで一貫しているのは、友達の「こういうことをやりたい」という思いに寄り添い、実現に向けて伴走する、という姿勢でした。特に、相手が望む規模やスピードで実現していくところに友廣さんらしさを感じました。

自分で仕事をつくる人が増えているいま、友廣さんのような伴走するプロデューサーはさらに必要とされていくのだと思います。とはいえ、結果だけ真似しても近づくことはできないので、まずはふたりが言うように自分でお金をつくる経験を重ねることが一歩のようです。

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