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漁師歴40年の中村さんが魚をとるところからこだわって干物をつくり売る理由とは?「美味い魚、食べたいでしょ」だけじゃない持続可能な海への挑戦

「地球温暖化」、「環境破壊」。そんなキーワードを耳にする昨今。
しかし、日々の暮らしの中で常に危機を感じながら生きている、という人は都会の暮らしをしていると少ないかもしれませんね。

では、自分の暮らしや仕事と、自然の変化が直結していたとしたら。

今回は、千葉県いすみ市で約40年間漁業を営む中村享さんのちょっとユニークな物語をお届けします。

いすみの海もこの40年でものすごく変わったよ。海面も70cmは上がったし、海水温も信じられないぐらいに変化した。自然に人間は絶対勝てないんだよ。

そう話す中村さんですが、なにやらただの漁師さんではない様で…。

例えば、自分が漁で釣ったアジを丁寧に処理した究極のアジフライをつくってマーケットで販売したり、無添加オーガニックにこだわった干物をつくって物々交換したり、地元のNPOに頼まれれば魚のさばき方教室の講師を引き受けたり。

漁師として魚をとり、出荷する。それだけに止まらず、漁師と関わる様々なきっかけづくりをしている中村さん。その理由とは一体どんなものなのでしょうか。

中村さんの豪快で、美味しそうで、そして、わたしたちの日々の暮らしをちょっと考えさせられるストーリー。どうぞお楽しみください。

中村享(なかむら・とおる)
幼いころから家業である漁師の仕事に携わり高校卒業後、漁師に。32歳で独立、拓永丸を開業。現在も現役の漁師として活躍する傍ら、いすみの地域通貨「米(まい)」に賛同、魚のさばき教室の講師等、漁師以外でも地域コミュニティに貢献している。

知ってもらうために漁師の敷居を下げる

まずは、現在のいすみの漁業と中村さんのちょっとユニークな取り組みについてご紹介しましょう。

いすみ市に広がる海は黒潮と親潮が交じり合う全国屈指の好漁場。伊勢海老やタコは全国的にもトップクラスの水揚げ高です。そんな大原漁港で漁師を生業とする中村さん。いすみの名産、伊勢海老やタコ、タイやヒラメといったものをとり、市場へ卸すのが仕事です。

しかし、中村さんによると、この40年で、かつては海水浴場だったという大原の砂浜は消え、海水温も激しく変化しているそうです。
これは獲れる魚の種類や漁獲量にも大きく影響するのだとか。

漁業環境の変化への対応や、漁師の減少も日本全国で共通の課題ですが、こういった流れの中、大原漁港でも一時期は100隻ほどあったという漁船が現在は60隻ほどに減ったといいます。

中村さんの基本的な仕事は魚を水揚げし、市場へ出荷することだそう。また、漁師の仕事もしつつ、釣り船も出しています。そして、10年ほど前から始めたのが、安心安全な魚の加工品づくりです。

塩からこだわりつくる干物。沖合の黒潮を汲み、究極の塩づくりに挑戦したこともあるそう。

通常、漁師さんが家庭で食べる干物をつくることはあっても、加工品として手間をかけるのは珍しいとのこと。
現在は一部のオーガニックショップで、不定期での販売のみと貴重な中村さんの加工品。つくり始めた当初は漁師自らがマーケットに出店することもまた、滅多にないことだそうですが、その美味しさはもちろん、釣った人の顔の見えるお魚として、ファンは増える一方に。

また、網の掃除のボランティアの募り方もユニークです。
本来、時給で雇い行う整網作業ですが、数年前から中村さんが始めたのは、いすみの地域通貨「米(まい)」を利用した整網作業のボランティア募集です。手伝ってくれた人に「米」と釣った魚、そして朝ごはんを振る舞う。これは、地域通貨を入り口に、より気軽に漁業と関わってもらえればという思いだそう。

蛸壺漁の準備の様子。「貴重な経験になる」とリピーターや移住者の参加も多いのだとか。

いすみの漁師の減少という課題にも尽力する中村さん。数年前から漁師仲間と共に魚の「活け締め」という、獲ったその場で魚を絶命させることで鮮度を格段に保つという手法を取り入れはじめたそう。これは、活け締め技術を持つことで、魚の味が格段に上がり、より良い値で出荷できることから漁師たちの生活の安定と、もっと漁師を魅力的な職業にして、新規参入者を増やしたいという思いがあると言います。

昨今、顔の見える農家さんは増えていますが、魚を見て誰が釣ったか、どういう釣り方をしたのか、顔がまだまだ見え辛いのが漁業の世界。
漁師仲間のコミュニティで完結することの多い漁師という仕事の中で、中村さんのように、釣った魚を自ら加工して売ったりすることは実はとてもまれなことだとか。

「俺は漁師の知り合いより、漁師じゃない知り合いの方が多いんだよ。」
そう笑う中村さんですが、様々の取り組みの先にあるのは、「今の漁業をもっと知ってもらいたい、本当に美味しくて安心して頂ける魚を届けたい」、そんな中村さんの強い思いがありました。

この先はない。だから自ら動く。

ただ、魚をとって売る、だけに止まらない。中村さんが今に至った理由とはなんなのでしょうか。伺ってみると意外なバックグラウンドが見えてきました。

10年くらい前、当時近所に「タルマーリー」というパン屋ができてね。天然酵母で地元の小麦をつかったこだわりのパンだよね。様子を見ていると遠方からわざわざお客さんがたくさん来るんだよ。値段じゃなくてこだわったものがちゃんと商売になる、そこがまずすごいなって自分の中で衝撃だった。他にも、いすみには食や暮らし方、そのカリスマ的な人が増えてきて、そういった人たちに興味が沸いてどんどん会いにいくようになってったんだよね。

こだわった食べ物をつくったり、暮らし方をするいすみの新しいコミュニティと関わるようになっていったという中村さん。そんな中でのある会話が中村さんを動かしたと言います。

いすみには、農の部分と海の部分があって。農業はオーガニックでこだわってつくる農家がいるけど、じゃあ、海はどうなのっていう話になった。

例えば、釣り方も環境に配慮した魚で添加物もない干物は、なかなか見つけにくいって言うんです。でも、僕ら漁師が自分の家で食べる魚はただ塩ふって、干してるだけ。あれ、やってるじゃんって(笑) 

だったら、俺がみんなの分もつくってやるよってことになったんですね。それまでは、漁師だから魚を市場に卸すだけだったけど、手間がかかっても価値があるものをつくるとか、そういう考え方があるってことを気づかせてくれた。目から鱗だったよ。

最初は、タルマーリーの軒先でアジの開きやイワシの丸干しをぶらさげて、「本物の干物の味を知って欲しい」と、パン屋に来るお客さんに無料で振舞っていたという中村さん。するとだんだんと欲しいという人が増え、次第に販売をするように。さらにマーケット出店などにつながっていったと言います。

実際、私たちがつくる干物はグレードが違う。絶妙にうまいタイミングで出すために、逆算して海から獲ってくるってとこから始まるんだから。手間だし、漁師やりながらだからもちろん大変。でも、普段、漁師と魚を食べる人が対話することって滅多にないんだよね。だから、マーケットに最初出て、そのプロセス、ストーリーをお客さんに直接説明して、わかってもらえるって体験は貴重だった。

自分が獲ってきたものを食べた人の反応がダイレクトに見える嬉しさ、「うめったっぺよ!(うまいだろ!)」ってなるんですけどね。ストーリーを伝えることの大事さもマーケットに出て、学んだことかな。

さらに、もうひとつ、いすみに移住してくる人たちの暮らしに触れた時のある気づきも今につながっていると言います。

マーケットに出たりしてるうちに、ナチュラルなライフスタイル、動きがあるってことに気がついた。そこからオーガニックにこだわった食べ物をつくる人や持続可能な暮らしを実践する人を尋ねたりし始めた。興味、もの珍しさからだったんだけどね、シンプルに。

そこで気づいたんだけど、オーガニックな生活っていうのは、我々が生まれたころ、戦前から戦後すぐの普通の暮らしとまったく一緒だってこと。

田舎暮らしを求めて、いすみに移住してくる、その人たちが求めてるライフスタイルを覗くと、「それ、おれが小さいときやってた暮らしと同じじゃん」って。(笑)

実は、中村さん、中学、高校時代を祖母とふたりで暮らしていた経験があるそう。山の中、お風呂は薪焚き、近くには店もない、水道はかろうじてあるという暮らし。食べるものは畑から、魚は海からの自給自足だったというから驚きです。

まさにオーガニックな生活ですよ(笑) 

暮らしが自分の手の届く範囲で循環していて、持続可能な暮らしだったんだって気づいた。そういうバックグラウンドがあるのも、人生の中では大きなウェイトがあるかな。

そこがあるから、今一度、見直さければならないなって思う部分は多い。当時は暮らし方にしろ、とにかく不便。だから不便は必要だと思う。便利さを追い求めてたら、この先はないと思う。干物をつくるのだって、保存料などの添加物を使えば、長く日持ちもするだろうし。でも、そうじゃないよねって。あえて、不便な方法でつくることで、本物ができる。それは味にも反映されるしね。

日々自然を相手に仕事をし、暮らす。その変化を前に「このままでは未来が無い」と動き出す。中村さんが今に至る理由は理屈ではなく、自然なことだった、そう感じるお話でした。

ストーリーをつたえる、受け取る。

普段、漁師さんとは接点のない人も、漁業の今を知ることでより良い未来をつくる。

中村さんが感じているこれからの漁師と私たちのあり方とはどんなものなのでしょうか?
伺ってみるとこんな答えが返ってきました。

僕ら漁師はずっと現場を見てきて、世界的にもこれからは無秩序無制限に魚をとるって時代じゃないとわかっている。

例えば、マグロが絶滅危惧種だって言われてますよね?でも、マグロってひとことで言ってもいっぱい種類があるわけです。とり方にも、巻き網で一網打尽にするやり方もあれば、命がけで一本ずつ釣り上げるやり方もある。じゃあ、消費者が手に取る時にそれが見分けられるかというとできない。

だったら、消費者とちゃんとつながって、こちらからも「これはこういう風にしてとって、こういう加工をした魚」という判断材料を提示しないといけないし、そのストーリーを伝えることで、どれを手にするのか、その値段が妥当なのかを考えてもらうことが必要になっていくんじゃないかな。

そこにはやはり「ストーリーを伝える」ことがやっぱり大事だと中村さんは続けます。

この先、伊勢海老もタコもいなくなるかもしれない。

海面の上昇、環境の変化、これは個人的にはどうしようもないことだし、今までのようにはいかない。経済的な先見性でいくと漁師を辞めて、釣り客を乗せて漁場に運べばお金になる釣り船を始める人が増えていくんじゃないかな。でも、それじゃあ漁師はいなくなるよ。漁師はとる魚が変われば船の仕様も変えなくちゃいけない。

タコを丁寧に処理しても、スーパーで外国産のタコの方が安いって理由で売れていく。もっと、漁師の現状やどうやってこの魚をとったのかとか、いろんなことを発信して、知ってもらって、魚を食べる人もつながっていけばいいんじゃないかな。僕はもともと人とつながるのは好きだし、マーケットでストーリーを伝えることで、「値段は高い、だけどこれがいい。」と言って魚を喜んでくれる人に会えた。その気づきがよかったと思う。

「だってみんな、うまい魚、食べたいでしょ(笑)」そう言って笑う中村さんの言葉には、肌で自然の変化を感じ、やってきたからこその強い説得力と漁師魂のような、「うまい魚を届ける」という信念が伝わってくる、そんな気がしました。

自然に対して謙虚さをもつこと

ちょっとユニークな取り組みをする中村さんのストーリー、あなたはどんなことを受け取りましたか?

最後に印象的だった中村さんのことばを送ります。

自分が海っていう自然の中で仕事して生活してきて感じるのは、当たり前だけど自然には勝てないってことだよね。鉄腕アトムの時代が目の前にきてもね、自然ってのは絶対的だよね。受け流すというか従うしかない。
人間が利口になったからってどうこうできるもんじゃない。

AIがどうなろうが、予測つかない。仲間の漁師を亡くしたり、事故のニュースも聞くよ。色々あるけど、家を出てから帰ってくるまでに、海の上でどんなことに遭遇するかわからない。海の上で絶対ってことは絶対にない。漁師は一歩間違えば明日はここにいないってことだよ。謙虚さをもってこの仕事をするだけだよ。

自分は漁師だから、海のことをするだけ、謙虚さを持って。
中村さんのストーリーにはそんなシンプルな思いも添えられていました。

当たり前のことですが、環境のこと、減少しつつある様々な仕事のこと、社会の課題、それらはひとりの力ではどうすることもできませんが、人と人がつながっていくことでできることは増えていくもの。

まずは知ること、つながることから始めてみませんか?

そして、最後にもうひとつ言わせてください。
中村さんのつくる究極のアジフライが食べたい!