”アート”と聞くとどんなイメージが思い浮かぶでしょう。もしかしたらなんだか贅沢なもの。そして難しいもの。多くの人にとって、絶対に不可欠、といえるものではないかもしれません。
例えば災害などの未曾有の自体が発生したときや社会の問題に対して、アートに何かできることはあるのでしょうか。
2011年の東日本大震災が発生した当時、一時文化的なイベントは自粛のムードがありました。しかし、その直後にはアートによってできる支援が話し合われ、地域コミュニティの再生やその土地に根付く文化をサポートする目的で、たくさんのアートプロジェクトや文化・芸術の復興支援ファンドが立ち上がりました。
その他にも、人口減で衰退していく地域に活気を取り戻そうと、2000年代以降全国の様々な地域で大小のアートフェスティバルが新しく興っています。ただ、観光客が増え、地域にお金が巡ると喜ばれる一方で、アートとは地域に人を呼び込むためのものだろうか、地方創生の名の元にアートが消費されているのではないか、とアートの役割やその作品の質を問う議論も巻き起こっています。
今改めて、アートの可能性や有用性とは何なのか考えてみたい。
そんなことを考えているとき、福祉とアートをつなぐプロジェクト「dear Me(ディアミー)」を知りました。
「すべての子どもが夢や希望を持てる社会づくりを目指す、アートや表現を通じた自由な学びと、未知のものに出合う場づくりを行うプロジェクト」と称する「dear Me」は、社会的支援が必要な子どもや、児童養護施設など美術館に行く機会が相対的に限られた子どもたちのほか、さまざまな子どもたちを対象にアートプログラムを実施しています。
まずは現場を見てみようと、児童養護施設で行われたワークショップを見学したとき、プロジェクトを運営するスタッフの方から聞いたのは「子どもたちが今の自分の存在を客観視できるような視点を得ることを大事にしている」ということ。その言葉が気になって、もっとお話を聞いてみたくなりました。
子どもとアート、社会とアート、そしてアートの可能性について考える手がかりがこのプロジェクトにはありそうです。
dear Meというプロジェクトを通して描く世界、そして見えてきた景色を、プロジェクトを運営する「NPO法人アーツイニシアティヴトウキョウ(以下、AIT)」のスタッフ、堀内奈穂子さん、藤井理花さん、青木彬さんに伺いました。
子どもも大人も発見があるプロジェクト
dear Meは、現代アートの教育プログラムや展覧会の企画・運営を行うNPO法人AIT(エイト)が立ち上げたプログラムです。
AITは2001年の設立以来、教育プログラム・MAD(マッド:Making Art Different=アートを変えよう、アートを違った角度で見てみよう)で学びの場づくりを行なってきました。2003年からは、海外のアーティストやキュレーターを日本に招いて活動・制作支援を行うレジデンス・プログラム、そして、企業との協働によるアート・プログラムを継続。そうして、AITがアートに関する、様々な知識・情報・表現が集まるプラットフォームになってきたことを下地にして、日本財団から助成を受け、2016年にdear Meの活動が始まりました。
「dear Me」では主な活動として、社会的支援が必要な子どもたちほか、さまざまな個性あふれる子どもたちを対象に、美術館を訪問するお出かけ鑑賞ワークショップや、国内外から現代美術のアーティストを招いた体験型のワークショップ、分野を横断するレクチャーや勉強会、シンポジウムなどを通した学びの場づくりを展開しています。
2018年1月、美術家ユニット「Kosuge1-16」の土谷享さんを招いて、東京都赤羽にある児童養護施設・星美ホームで「どんどこ! 巨大紙相撲」が開催されると聞いて、現場へ見学に行ってきました。
ワークショップでは、はじめにアーティストの土谷さんから子どもたちに相撲の仕組みや役割が説明され、子どもたちとボランティアで参加した大人たちがチームに分かれて力士を作成します。
ダンボールから切り出された力士は、大人の身長ほどもあるとても大きなもの。
かつて星美ホームを訪れたことのある、マイケル・ジャクソンや小錦などの有名人をモチーフにした力士のほかに、スズメの“チュン関”やパンダの“シャンシャン関”など思い思いのキャラクターがつくられ、対戦が行われました。
対戦が始まると、子どもたちは大はしゃぎ。ドンドコドンドコ、力をこめて土俵を叩きます。勝ち負けが決まると「やったー!」「あぁー!」とあちこちから大きな歓声が。
印象的だったのは、大人も子どもも立場や世代の違いを超えて、本気で一緒に取り組んでいること。ときには子どもがチームのイニシアチブを握るような場面もありました。
「答えはひとつじゃなくていい」
アーティストが作品に向き合う姿勢から得られること
藤井さん 私の班は小学生の女の子3人と“リラックマ関”をつくったんですけど、使っていた茶色のポスカのインクが切れてしまったんです。他に似た色もあったのですが、「どうしてもこの茶色じゃなきゃいやだ」っていう子がいて、リーダーシップを発揮して周りの大人たちにどんどん指示を出し始めるんですよね。「水持ってきて、このインク伸ばして」って。
中には力士づくりからはぐれる子も。そんなときは、力士のかつらや、行司の衣装、お相撲さんのまわしづくりなどに取り組みます。参加した子どもや大人たちがそれぞれ多様な関わり方で紙相撲というイベントを盛り上げているようです。
藤井さん そうした突発的な自由な発想を、作家の土谷さんが面白がってくれましたよね。試合でどちらが勝ったか判断がつかないときは、子どもも大人も審判に入ってとことん話し合いをさせる「物言い」のシーンが何回かあって。子ども行司も大人に負けじと本気で意見を言い合う。あれもよかったですよね。
アーティストの土谷さんは、基本的な相撲のルールや役割を共有しながらも、関わり方の余白をつくり、またその場に参加した人みんなが同じように夢中になって取り組めるようワークショップを構成しているようです。
現代美術家にもいろんな方がいますが、「dear Me」では、アーティストを選ぶときに大事にしているポイントがあるのでしょうか。
堀内さん 表現を介して自分たちが今置かれている時代や社会を考えるきっかけをくれるような作家の方に、ワークショップをお願いしています。そうした作家たちの姿勢として、ひとつの答えを大人が渡してしまわない、ということが徹底しているんですよね。子どもたちが大人と一緒に考えていく。答えはひとつではなくてもいい、いろんなものがある、ということを再確認できる場になるのです。
そもそも作家の方の自然な表現や思考の中にそうしたものが存在しているから、子どもも大人もやっていて何か持ち帰るものがあるのかなと思います。
そうした活動の中で、児童養護施設の職員やいつも関わっているボランティアの方たちも新しい発見があるのだとか。
藤井さん 子どもたちに10何年も付き添っていたボランティアや職員の方々も、子どもたちの言葉や発想に触れて、「あの子がこんな表現するんだ」「こんな表情はじめてみた」とおっしゃるんです。普段その子を見ている人に、別の一面を発見してもらえるというのは大切なことだなと思いました。
アーティストの表現を通して、
自分や周りを客観視できる視点を持つ
一方で、「dear Me」では、ただ「つくって、できて、楽しかった」というだけでは終わらせず、その先をデザインする工夫をしているそう。
堀内さん 私たちが大事にしたいのは、アーティストの表現やアーティストが表現をつくるために考えている思考を通して、子どもたちも自分の環境や大人たちをさまざまな視点から眺め、参照したり客観視する手がかりができるということです。ときには批評性や疑いを持ってみたり、これまでの世界や選択肢を広げたりするような。そういう視点を一緒に持ちたいということが活動の軸として大きいですね。
そのためにも、活動をただの体験として終わらせず、横展開していくことも考えていえるそう。例えばワークショップの後にアーティストたちにそこから得た構想をもとに新作を制作してもらい、それを発信することで、子どもたちのことを多角的に伝えます。また、つくったものを制作に関わった子どもたちの身近な場所に置いたり、グッズとしてマルチプルなものをつくったりして、より多くの人へ波及していくことを目指しています。
堀内さん 土谷さんには、ワークショップの後、お相撲さんのミニ版プッシュトイ作品のdear Meバージョンを限定10体でつくってもらいました。売り上げは子どもたちの支援やアーティストのサポート、dear Meのプログラム運営資金にできたらいいなと思っています。
また、それを見ることで子どもたちも、ただ体験して終わったことじゃなくて、自分たちの表現が何かの役に立つ、あるいは誰かを感動させるっていうことをわずかにでも実感できるんじゃないかと思っているんです。
藤井さん この活動を成果としてどうはかるのかというのは難しいかもしれません。でもお会いした施設の職員さんたちは、「大人になってぽろっと思い出してもらって、いろんな価値観を持った人たちがいたんだということがちょっとでも心に残っていくといいな」とおっしゃっていました。日常とは少し違う体験って、もしかしたら10年や20年経った後にふと思い出してもらえるかもしれないですよね。
体験をどう伝え、届ける仕組みをどうつなげていくか
2018年度で3年目を迎えたプロジェクト。1年目はリサーチに力を入れながらワークショップを開き、2年目はワークショップの数を増やし、外部から専門家や現場スタッフを招いて勉強会を開催。3年目は2年目までの活動に加えて、AITの教育プログラム・MADの中でレクチャーをシリーズ化して学ぶ場と実践を進めました。
特にMADでは、2017年より全体テーマに「ホリスティック(全体性=健やかに生きること、ものごとを癒すこと)」を掲げ、社会や共同体のなかでよりよく生きるための視点を軸に多彩な講座を毎年開講しています。
子どもたちへの体験を提供しながら、そこに関わる大人たちも常に活動を振り返り、専門家や参加者同士の意見を聞いて、学びを深めています。
スタッフのみなさんは、分野を越えて学ぶ場をつくることで、福祉やケアに携わる人もアートの必要性や可能性を感じている、とわかったことに手応えを感じていると話します。
例えば福祉側の人はアートのことを知りたいし、現代アートの側にいる人たちも福祉のことを学びたい。現状ではお互いへのリーチが少ないため、協働できる機会も限られていますが、そうしたニーズが合致して、これから何かひとつ一緒に新しいものを生んでいけそうな予感を感じているそう。
また、対象となる子どもたちや参加者の所属が特定されない、いろんな人が混じり合う空間が一番の理想で自然な姿ですが、施設の特性上オープンにできないことも。そうしたことも含め活動や子どもたちの声をどう発信していくかが課題のひとつでもあるといいます。
藤井さん 入所児童には、親の不在や精神疾患、仕事や家庭の都合による一時預かりなどのほか子どもたちにはいろんな事情があって、例えば親から隠れて施設にいるので、顔は一切外に出せないという子もいると聞きます。
虐待やネグレクトと聞くとネガティブに思われがちなイメージがありますが、実際そこで出会う子どもたちは生き生きとしていて元気いっぱいで、たくさんユニークな表現があるんですよね。困難な時期があったとしても、今を精一杯生きている子どもと大人たちがいる、そうしたことをどうしたら発信していけるか、私たちもこれからみつけていきたいと思っています。
子どもの問題は大人の、社会の問題
「児童養護施設」や「福祉」という言葉は、直接関わっていないと、どこか遠いできごとのように感じられるかもしれません。実際私もそうでした。ただお話を伺っていると、決して他人事ではないということが感じられます。子どもの話をしているはずが、しばしばそれは大人の話としても捉えることができます。
例えば、児童養護施設にいる子どもたちのひとつの傾向として、「自分で考えてはいけない」ということを親から強制されてきた経験がある子も少なくないそう。
そうすると、「なんでもやっていいよ」と言われると逆にわからなくなってしまうといいます。その時に、アートの作品の「色」や「かたち」などを手がかりにしながら少しずつ言葉を紡ぎだし、「この部分は自由に考えてみようか」や「どう思う?」など少しずつ問いを立てていくことが有効です。
しかしそうして「自由に話すこと」ができないのは、子どもに限らないと堀内さんは続けます。
堀内さん 大人こそが、さまざまな固定観念や規則の中で、想像力や思考力の幅が狭くなっている時があリます。例えば、教育システムの中で「答えはこうあるべき」とか、「こうやらなきゃいけない」などの刷り込みがあり、自由にやっていいですよ」って言われたときにどうしたらいいかわからなくなってしまう人もいる。子どもに限ったことではない社会の縮図が見えてくるなって思ったんです。
それを聞いてなんだかドキッとしました。「児童養護」や「福祉」という別の世界だと思っていた子どもたちの問題は大人の、そして社会の問題と密接につながっています。福祉は本来誰にでも必要な、しあわせによりよく生きるための社会サービスであることを改めて意識しても良いのかもしれません。
藤井さん 問題の根本には大人への支援が足りていないということもあるんですよね。親たちも苦しんで孤立していて、支援を必要としているというところもあって。SOSのサインを周りが気づいてあげられなかったり、ちょっとした相談ができる人がいなかったり。
堀内さん 子どもの虐待や孤立の問題を考えれば考えるほど、特に「母親」という、女性に与えられた社会的プレッシャーと無関係ではないことに気づきます。つまり、ジェンダーの問題とも深く根付いていると言えるのです。保護者や母親は「こうあるべき」といった神話が社会の中で形づくられてきて、そうした抑圧の中で苦しみ、その矛先が子どもに向かうという状況も考えられます。
実は保護者など大人をケアしたり「孤立」を解消することで、虐待は減るんじゃないかという話があります。それを聞くと、本当に子どもたちの問題ではなくて今いる私たち、あるいは周りのみんなのことなんだなというのは実感として改めて感じました。そうした社会的な秩序や固定観念、時に「常識」と考えられてきたことを疑い、問いを立て、違う思考や解を想像させてくれるのが、アートの意味のひとつだと考えています。
青木さん 児童養護施設の方にとっても、アートの思考法やスキルを持った第三者が入ってくることではじめて見えてくるものがあると思っています。そして、子どもだけではなく、大人も一緒にこれまでの価値観が揺らいで行く状況をつくっていけるところが、アートを用いる「dear Me」の意義があるところかもしれないですね。
アートの可能性とは
2019年3月末で3ヵ年の助成は終了になります。しかし今後も、海外からアーティストやキュレーターを招くレジデンス・プログラムや企業とのプログラム、そして学びの場「MAD」など、AITのプラットフォームを活用しながら、活動は継続していきたいと考えているそうです。
最後に、どんなところにアートの可能性を感じているのか、3名それぞれに伺いました。
青木さん 今までアートにも児童福祉と同じく制度があって、その中で自分たちが「アートとはこうである」みたいに縛られていたものを、もっとアートとはこういうことがあっていいんじゃないかと戸惑うプロセスがプロジェクトの中にあります。それを実際にこれから大きくなっていく子どもたちと共有していけることが一番、アートの思考を持ってしかできないところなのかなと思っています。
藤井さん アートやデザインは使い方によってはいろんな視点をもたらしてくれる装置のようなものになりえると思うので、子どもも大人もそれに触れたときにいろんな価値観や視点を思い起こすきっかけになる。時にはユーモアや批評性を帯びた表現が思いもよらない化学反応を起こしたり、未知なものをもたらしてくれるものとして、すごく面白いなと思います。
また、3.11後にお聞きしたKIITO(デザイン・クリエイティブセンター神戸)の永田宏和さんのお話の中で、「阪神大震災の時、毎日焚き火を囲んで皆で過ごしただけで生きていられた」と言っていた方たちがいたことや、「例えば同じパンを渡す時に冷たいまま渡すか、温めて渡すか、そのひと工夫がアートでありデザインなのではないか」という言葉がとても印象に残っています。
日常でのちょっとしたクリエイティブな考え方や複数の視点を想像することはいろんな場面で必要とされていくことだと思うし、大切なものではないかと思ったときに、アートのものの見方にはやはり可能性があると思います。
堀内さん 「アートを通して私たちは未来を練習(Practice)することができる」と、キューバのタニア・ブルゲラというアーティストが言っていますが、それに共感します。
例えば100年前に常識だったことって今は非常識かもしれないし、今、政治や社会規範の中で言われている「当たり前」のことは、100年後もう存在しないかもしれない。そう思ったときに、一度100年後の世界を想像してみることで、未来の社会や自分の生き方みたいなものを想像してみることができるのがアートの強度なのかと思います。
今あるルールや人の生き方に、別の考え、別の道、別の思考を提示してくれるのがアート。dear Meではそうした考えを軸に展開していきたいと考えています。
みなさんのお話を伺っていて、子どもの問題は大人の問題である、そして福祉の問題は社会全体の問題である、というところに私はドキッとしました。
美しいものを提示し、それを観賞して心動かされるのもアートの体験。だけどそれだけではなく、dear Meが大切にしているアートの思考法は、当たり前だと思われていたものを揺るがすことができます。もしかしたらそのことに、アートの普遍的な価値と可能性があるのかもしれません。
– INFORMATION –
AITが今春開講する「MAD2019」では、福祉やアートの考えが交差するレクチャーシリーズを行い、映画監督や哲学研究の専門家ほかゲストによるさまざまな語り合いの場が設けられる予定です。
詳しくはこちら MAD Webサイト