greenz people限定『生きる、を耕す本』が完成!今入会すると「いかしあうデザインカード」もプレゼント!→

greenz people ロゴ

香川から世界へ。まだ誰も見たことがない、”日本の現代サーカス” を生み出す挑戦「瀬戸内サーカスファクトリー」

「クレイジーな人たちがいる。」

あの有名な広告コピーを思い出すような愛すべき人たちに、日々たくさん出逢っていると、思っています。だけど、こんなにもクレイジーな人には久しぶりに逢った気がするのです。一般社団法人「瀬戸内サーカスファクトリー」代表、田中未知子さんのことです。

「瀬戸内サーカスファクトリー」は文字通り、瀬戸内、主に香川県を舞台に、サーカスを創作する団体。しかしここで言うサーカスとは、動物の曲芸やものすごいアクロバットを見せるような昔ながらの“いわゆる”サーカスとは、少し違います。

“ヌーヴォー・シルク=現代サーカス”と呼ばれるそれは、1970年代にフランスで生まれたと言われる総合芸術。人の肉体をつかった表現の可能性を探求する新しいアート(創造活動)であるとともに、空中ブランコや綱渡り、ジャグリングなど、かつてのサーカスから継承された技術をさらに深めた表現も存在する、一言では表せない多様性を持つものです。

日本ではまだまだ馴染みのない現代サーカスを紹介する本「サーカスに逢いたい〜アートになったフランスサーカス〜」を2009年に出版し、現在は香川県を拠点に「瀬戸内サーカスファクトリー」を主宰する田中さん。

彼女がこの香川という土地を選び、アーティストとの創作活動を通じて MADE IN JAPAN の現代サーカスを世界に発信し続けるその熱量を追って、2018年9月15日(土)・16日(日)、今年で4回目となる国際創作サーカスフェスティバル SETO ラ・ピストを訪れました。金刀比羅宮で有名な琴平町での初の開催となった今回のフェスティバルのタイトルは、「こんぴらだんだん」。

むかしむかしから人々に愛されてきた「こんぴらさん」の存在感、そして歴史的建造物や古き良き芸能・文化が残るこのまちに、現代サーカスの舞台を立ち上がらせる。突拍子もないようなそのアイディアも、田中さんの頭の中にはくっきりと、ここで見たい景色、つくりたい風景が浮かび上がっていたのです。

田中 未知子(たなか みちこ)
瀬戸内サーカスファクトリー代表 / アーティスティック・ディレクター
北海道出身。新聞社事業局で勤務していた2004年、フランス現代サーカスの招聘に携わり、サーカスアーティストたちの「身体いっぽんで生き抜く」その生き方に衝撃を受ける。数年後、プロデュースの専門家になるために退職、渡仏。2009年に日本初の現代サーカス専門書「サーカスに逢いたい〜アートになったフランスサーカス〜」を出版。越後妻有大地の芸術祭、瀬戸内国際芸術祭2010のパフォーミングアーツ担当をつとめる。2011年に「瀬戸内サーカスファクトリー」の活動を始め、2014年一般社団法人化。香川を拠点に全国で作品を創作・発表、人材育成にも取り組み、2017年にはアジア初となる「シルコストラーダ」(EU認定の国際サーカスネットワーク)正規メンバーに承認される。

北海道からフランス経由で、香川へ

15年ほど前、北海道の新聞社の事業局で働いていた田中さんが関わることになった現代サーカスの公演。新聞社に挨拶に訪れたサーカスアーティストたちとの出会いで、田中さんの人生は全く予期せぬ方向に転がりはじめました。

田中さん 彼らの、上からでも下からでもなく、まっすぐにこちらを見つめる強くてやさしい視線に…こんな人たちに出逢ったことないって、とにかく惚れ込んでしまったんです。自分や他人の体の重さや感覚、強さと脆さを日々体感してるからこそ、人間には上も下もなくそれぞれがただ一本の身体にすぎない。それを知っているんだって。
自分の身体一つで表現し、生きていく。そのあり方に衝撃を受けましたね。

2005年に手がけた現代サーカス公演「Grimm」は、今はもう解体されてしまった札幌メディアパーク・スピカの円形舞台で開催した。

以降、数年に渡り新聞社社員として現代サーカスの公演に関わり、さらにはフランスに出向いて招致する演目の選定も担当。しかし、事業局からの異動を機に「私もサーカスで生きていく」と決意し、退職。現代サーカスをとにかく体感し、研究するためにフランスへ渡りました。

田中さんの著書「サーカスに逢いたい〜アートになったフランスサーカス〜」は、多くのサーカス・カンパニーの紹介やサーカス学校、フェスティバルなどが丁寧に紹介された、サーカス愛溢れる一冊。

現代サーカスが芸術として認められているフランスには、サーカスアーティストを育成する国立学校や研究機関、振興団体などが充実しています。また、多くのアーティストたちがトレーラーハウスで共同生活をしながら、大きなシャピトー(=テント)と共に国内外を移動して巡回公演をし、時に子どもたちも動物たちも一緒にコミュニティ丸ごと旅をしながら、その密度の中で練習を積み重ね作品をつくり上げているのです。

テントの周りにはトレーラーハウスがぐるり。昼間は人もまばらだった公園の一角に、夜の開演時間になるとたくさんの観客が集まった。フランス、シャロン=アン=シャンパーニュにて。(写真:佐藤有美)

日本にはその土壌はもちろんなく、現代サーカスのことを知る人すらいない。
けれど、なんとしても、日本で現代サーカスをつくりたい。

そのまっすぐな情熱をますます大きくして帰国した田中さんは、国内の芸術祭などに関わったのち、「瀬戸内国際芸術祭」の仕事で初めて香川を訪れました。

田中さん この瀬戸内海の景色を見て、ここだ! と確信したんです。少し歩けばこうして海を見ることができ、風光明媚な景色が広がる。私が生まれ育った北海道も自然や景色の点では最高ですが、外で創作をできる期間が夏しかなくて、短すぎるんです。でも、気候が温暖なここなら、より長期間にわたって海外からアーティストを呼んで、日本のアーティストと交流しながら作品づくりができる。そして何より、香川や四国には、古くから脈々と引き継がれる文化芸術もしっかりと残り、息づいています。

瞬く間に移住を決め、2011年に高松へ。友達も後ろ盾も何一つない、かつて出逢ったサーカスアーティストたちのようにまさに“自分の身体一つ” で香川に乗り込み、たった一人での“現代サーカスの文化づくり” がはじまりました。

地方活性化ではなく、“文化の血流をいきわたらせる”ということ

田中さんはフランス各地で現代サーカスの取材をする中で、小さな地方都市でも活発な文化芸術センターがあり、サーカスや舞台公演を招致したり、一流のアーティストが滞在制作を行なっている事例を数多く見てきたと言います。

フランス西部のアンジェで毎年開催されている大道芸のフェスティバル。芸術センターの横も舞台になり、古い街並みの中でサーカスやパフォーマンス、音楽などさまざまな催しが繰り広げられる。(田中さん撮影)

田中さん 今の日本は、文化芸術については特に東京に一点集中しすぎています。これでは文化が育つはずがありません。文化芸術は人々を生き生きと、元気にする栄養。血流を良くして毛細血管まで行き渡らせることで、社会全体が生き生きするのだと、私は信じています。瀬戸内サーカスファクトリーの長期的な目標はそこなんです。

そのためには、小さなまちに存在しなかった仕事をつくりだすことが必要。さらには、アーティストを育てる仕組みも、文化を理解し愛する観客を育てることも……。気が遠くなるほどたくさんのあれも、これもに押し潰されそうになりながらも、田中さんは見たい未来のために走り出しました。

大きな目標を見据えつつも、まずは地道に“サーカスが好きな人を増やす”ことからと、カフェなどで現代サーカスの映像上映&トークの場を定期的に続けながら、フランスと香川をつなぐ創作を開始。世界的な現代サーカスネットワークとの関係性づくりも併行しながら、発信を続けていきました。

2012年に「ことでん仏生山工場」を舞台に行った一日限りのサーカス公演「100年サーカス」。映像上映とお話会を1年間続けたあと「”やっぱり本物を見せないと伝わらない!” と、勢いでやった感じでしたね」と田中さん。

2017年には坂出市民美術館で「サカイデマングローブ berceau de la vie」を上演。フランスの演出家ベルナール・カンタルさんと香川県在住の美術家カミイケタクヤさんが共同で演出を手がけた。

自分の目で見て惚れ込んだ日本のアーティストやミュージシャンとフランスのアーティストや演出家、そして香川という土地との化学反応。田中さんが手掛ける公演はそこでしか起こり得ない、誰も見たことがない驚きで溢れています。

2017年、瀬戸内サーカスファクトリーはEU公認国際現代サーカスネットワーク「シルコストラーダ」の正式会員にアジアで初めて認定されました。毎年の創作や公演プロデュースなどの実績と、田中さんによるシルコストラーダ視察団への働きかけが実を結び、世界とつながる仕組みが整ったのです。

2016年にはシルコストラーダ視察団一行が高松市長を表敬訪問。瀬戸内サーカスファクトリーによる第2回国際創作サーカスフェスティバル SETO ラ・ピストの見学やシンポジウムのほか、滞在制作や琴平町にある木造の歌舞伎芝居小屋「金丸座」の視察などを行った。

琴平のまちで、現代サーカスのフェスティバルを!

フランス南部、トゥールーズの西にある小さな町・オーシュ。ここでは毎年10月に国際現代サーカスフェスティバル「CIRCA(シルカ)」が開催され、2017年で30周年を迎えました。

人口約2万人の、観光地でもない静かな町のあちこちにサーカスのテントが現れ、フランス内外から20以上の作品、80以上の公演が行われる10日間。全世界から現代サーカスのイベンターたちが集結し招致するサーカスカンパニーの発掘や情報交換をする場であり、フランス全土のサーカス学校の学生が集まりパフォーマンスを披露し合う場にもなっています。

まちを歩けばジャグリングをしながら歩く学生や一輪車の集団に出逢い、サーカス一色に染まるオーシュ。30年の年月がサーカス好きの市民を育て、フェスティバルは市民ボランティアで運営されている。(写真:佐藤有美)

田中さんはこのフェスティバルにヒントを得て、香川でも、まちの中のあちこちがサーカスの舞台になるようなフェスティバルの構想をはじめます。思い立ったらすぐに行動に移すのが田中さん流。日本最古の木造の歌舞伎芝居小屋「金丸座」をはじめとする歴史的建造物やこんぴら詣での文化が息づく琴平町に、その情熱とアイディアを持ち込みました。フランスのオーシュと琴平が現代サーカスでつながる“予想図”は、田中さんにはもう見えていました。

田中さん 前・琴平町長と役場の方に初めてプレゼンさせていただいたのが3年前。「琴平は昔から芸ごと好きな人が集まり、庶民もそれを楽しんできたまち。現代サーカスをフックに、新しい形で世界から人があつまる芸能の町として再興しよう!」と。もちろん、役場のみなさんは頭の中が「???」状態(笑)

でもその後、琴平で滞在制作や技術研修を行ったり、個人的に琴平のイベントや会合に参加したり…何度も何度も通ってラブコールを送り続けて、だんだん応援していただけるようになりましたね。

人口1万人足らずの琴平町。金刀比羅宮からまちを望む。山々の向こうは瀬戸内海だ。(写真:Shigeru Yamada)

小さな自治体に自由に使えるお金なんてないのは現代の常識。であれば予算はいらないから、町がすでに持っている素晴らしい資産を活用させてほしい。一緒に、香川から現代サーカスの文化を発信する夢を追ってほしい。

そうして、琴平町の全面協力のもと「こんぴらだんだん」の開催が決定。国の登録有形文化財「琴平公会堂」をメイン会場に、その他の施設や金刀比羅宮の参道、地元の酒蔵の元・酒造庫「金陵の郷」など、いくつかの公演を点在させました。

「人形浄瑠璃ヌーベルバーグ」を上演した木偶舎 勧緑さんの一座と、地元アーティストによる「実験劇場」に出演した大道芸人のみなさんが、金刀比羅宮の参道を歩いてフェスティバルを宣伝。(写真: Shigeru Yamada)

2018年5月、韓国・ソウル市立大道芸創造センターの呼びかけで、韓国、日本、カンボジア、中国、台湾、モンゴル、インドネシア、オーストラリアの劇場やフェスティバルディレクターが集まり結成された現代サーカス・アジアネットワーク「CAN」のシンポジウムも開催。台湾の「Formosa Circus Art」による公演も行われた。(写真: Shigeru Yamada)

縁を紡いでできあがる、
その時、その場にしか立ち上がらない舞台

ロープの上に静止したあと、空中に飛び込むジュリアンさん。会場が静けさに包まれるとき、風が木々をわたる音や鳥の声が響きわたる。(写真: Shigeru Yamada)

今回の「こんぴらだんだん」のメイン公演となった、日仏共同作品「ルフラン – 風の記憶」。歴史的な木造建築である琴平公会堂をバックに、その庭園には高さ9メートルのサーカス用トラス(空中芸の器具を吊るための土台となる構造物)がそびえ、日本ではほとんど馴染みのないクラウドスウィングという空中技がフランス人アーティスト、ジュリアン・クラミエさんによって披露されました。

公募で選ばれた二人の若手アーティストや、田中さんがYouTubeで見つけて直接オファーをしたというミュージシャンたち。誰一人が欠けても成し得ない、絶妙なバランスを引き出したのは、フランス人演出家のベルナール・カンタルさん。田中さんが絶大な信頼を置き、2017年から共に制作をしています。

開演とともに観客を出迎え、自ら誘導するベルナールさん。もう物語ははじまっている。(写真: Shigeru Yamada)

田中さん ベルナールとの縁はとても不思議です。彼がフランスで有名な馬のサーカス「ジンガロ」で活躍した後に所属したカンパニーの公演の映像を私は見ていて、その存在感が妙に印象に残っていたんです。そして、2005年にCNAC(フランス国立サーカス学校)の取材をした時、学校の案内をしてくれたのが当時教授をしていたベルナールでした。

あなたのこと知ってる! と話が弾み、いつか北海道の馬を使ったサーカスをやりたいという夢があったので、実際にやる時は協力してねって。

それから何年も連絡を取ることはなかったのに、2014年、何かの公演を見に行った帰りに、その劇場の階段でばったり遭遇したんです。そこから交流がはじまって、今こそベルナールの力を借りる時だと、昨年から実際に一緒に仕事をすることになりました。

ベルナールさんは全体の演出を手掛けるだけではなく、一人の演者として出演し、歌ったり、ミュージシャンを肩車したりと、物語の中で重要な役割を果たします。彼の存在が一人ひとりのテクニックやキャラクターをつなぎ合わせ、物語全体を立体的にしていきます。

公募で選ばれたアーティスト・大旗遣いの麻風さん(右)。庭園の中を駆け回りながら、大きな旗をダイナミックにはためかせる。(写真: Shigeru Yamada)

田中さん どの公演も、最初に私の頭の中にある“こういうところで、こういう世界観で、こういうアーティストと、こういうことを語りたい”というイメージを演出家に伝えて、アイディアを往復させながらつくり上げていきます。

琴平公会堂という特別な場所に、いまはもう見えなくなってしまった昔の賑やかな姿を呼び起こしたいということ。そして、ここの場合は特に、この庭に、この公会堂をバックに人が飛んでいるのを見たい! そこからですね。

(写真: Shigeru Yamada)

いつもは一人で全ての演出を手がけることが多いベルナールさんにとって、田中さんとの制作は珍しいスタイル。滞在期間が長く取れない中で、この場所のこと、文化のことをよく知る田中さんと一緒だったからこそできた、豊かな作品だったと振り返ります。

ベルナールさん この場所を尊重して作品をつくらせてもらって、最後は仲間にしてもらえたように感じています。空中技用のトラスは設置しましたが、それ以外は何も手を入れていないんです。その中で誰と、どんなことができるかを考え抜きました。

一人ひとりのアーティストやスタッフたちはもちろん、技術協力をいただいた香西鉄工所のみなさんや、毎日美味しい食事を準備してくださったJA女性部のみなさん、練習から何度も見に来てあたたかく寄り添ってくれた琴平町長さん…そして海の神様を祀っている金刀比羅宮。ある意味、みんな家族になってしまったなあって、思っていますね。

フェスティバル初日の夜に開催された出演者との交流の場「ナイト・セッション」では、ベルナールさんとジュリアンさんが即興でロカビリーを歌い上げる爆笑シーンが。サーカス学校で教授をしていたベルナールさんは教え子からの信頼も厚く「彼と仕事ができるなら」と来日してくれるアーティストも多いそう。

滞在制作にこだわり、文化をつくる

田中さんは瀬戸内サーカスファクトリーの次のステップとして、滞在制作の拠点を持つことを思い描き、その場所を探し続けて来ました。

ルフランの制作から上演のため、ベルナールさんは今回1ヶ月半日本に滞在しましたが、アーティストたちが揃って制作できるのは本番も含めてせいぜい2週間ほど。高さのあるサーカスの器材を常設できる稽古場と宿泊場所が一体化した施設は、海外からアーティストを呼び共同制作をするのに欠かせないものです。特にこの “高さ”がネックとなり、都市では低コストで稽古場を確保するのが難しいため、こうした施設を準備できるのはローカルならではの利点とも言えます。

瀬戸内サーカスファクトリーでは、2015年に廃校になった高松市塩江町上西地区の小学校を活用し、2016年から滞在制作を行ってきました。現在、この小学校と学校近くの空き家を活用した現代サーカス滞在施設「Shiono-Air」を発足させるべく、クラウドファンディングで資金調達をはじめています

2016年には空中パフォーマンスの練習・公演ができる本格的サーカス用トラスをフランスで制作し、2ヶ月かけて船で輸送。フランスで伝説的な空中芸パフォーマーのブノワ・ベルヴィルさんを招いて、日本人アーティスト3人と作品を創作した。

海外のアーティストと一緒に暮らしながら創作することで、日本のアーティストを育て、現代サーカスの文化を育てていく。作品をより安全に、豊かにするための技術者の養成も同時進行です。

サーカス器具を安全に設置するための“サーカス器具設置専門集団”を養成すべく協力してくれたのは鳶さんたち!フランスから技術者を招聘して技術指導を行った。

滞在制作をする上で欠かせないのが、地域のコミュニティの理解と協力。食事などのサポートから、時には制作に参加してもらうことで、作品を自分たちのものとして捉えてもらうことができます。

かつては温泉郷として賑わっていた上西地区。今では過疎化が進み、年々温泉やお店が閉まっていく状況を、現代サーカスの力で元気にできないだろうか?

世界で活躍するアーティストがまちへやって来て、美しい自然やそこに暮らす人たちに刺激を受けて作品の世界観を広げていく。その喜びを地域の方に知ってほしいと、2016年からお世話になってきたこのまちに拠点を持つことを決めました。

小さなまちが世界とつながり、新しい文化が生まれる場所になる。田中さんの挑戦は続きます。

田中さん 私たちの活動は、サーカス周辺の業界では知られてはいても、香川県内でさえも本当にまだまだなんだなあと、途方に暮れることはしょっちゅうです。地元メディアには結構出ているんですけどね。「サーカスって…あのサーカス?」って、8年前と同じ質問を今でもされるたびに、「私がやっているのは…」と伝える難しさは変わりません。

だからこそ、塩江に拠点を持ち、通年で活動をできるようになることは悲願でした。今までは「活動を見せてください」と言われても、すぐ見せられるものがなかった。それが、とりあえず施設だけでも見せられるようになるし、創作や練習を同じ場所でやるので取材などで訪ねて来る人も増えると思うし、必ず認知アップにつながると信じています。

そして年に一度の大きなお祭りが琴平。これはまた違う角度、違う次元で知ってもらう切り口になるから、その両輪が揃ってこそ、と思っています。

滞在制作での人材育成は職の創出をもたらす。営利部門として子どものためのサーカス教室も準備中。(瀬戸内サーカスファクトリーブログより)

2016年に高松で実施した、香川県出身のエアリアルパフォーマー・長谷川愛実さんによるワークショップ。文化をつくるには子どもたちの巻き込みは欠かせない。

サーカスは、私の人生そのものだから。

ルフランの公演が終了した後、田中さんに「頭の中に思い描いていた風景を表現することはできましたか?」と聞くと、小さな女の子のようなニコニコ顔に戻って、

「できましたよ。本当に、こういう絵が見えていたので。」

と即答。しかし、この絵を実際のものにするまでにした努力や調整やメールのやり取りや打ち合わせの数々…それは想像するだけで恐ろしくなるような、果てしない道のりだったのだろうと思います。

2004年に現代サーカスと出逢ってから、休むことなく走り続けて来た田中さんは、自分の身体一つ、サーカスアーティストのように、これからも休むことなく走り続けていくのでしょう。その胸には、現代サーカスへの抱えきれないほどの愛。そんなふうに走れるその姿を眩しく、羨ましく感じるほどです。

「できましたよ」の後に続いた言葉は、こうでした。

田中さん できましたよ。本当に、こういう絵が見えていたので。

でもね、唯一の計算外は……、わたしが一番見たかった空中技はジュリアンは好きじゃないからって言って、やらなかったっていうこと(笑) いつアレが出て来るんだろう? ワクワク! と思って見ていて、もう少し体が温まってからかな〜って。3日目くらいに我慢できずに、アレいつ出てくるの? って聞いたら、ああアレね〜、クラウドスウィングの人はみんなアレやるけど、僕嫌いなんだよね〜って。その一言で終わりました。激烈に痛いらしくて、足を痛めやすいんですって…。

でも、でもねえ………見たかったなあーーー!!!

誰よりもサーカスが大好きで、サーカスにクレイジーな人。
彼女のやり方、そして生み出すものを見て、フランスの友人たちは「未知子は、何もない空気しかないようなところから、魔法みたいに何かを生み出すようなことをしている」と驚いていると言います。それでも、

「サーカスは、私の人生そのものだから。」

この一言で、どんな困難も乗り越えていってしまう。そんなふうに言える何かを、私はこの人生で持てるだろうかと心配になってくるけれど、田中さんの挑戦を応援しながら、一緒に、まだ誰も見たことがない日本の現代サーカスの白昼夢を、見させてもらいたいのです。

– INFORMATION –

▼上西現代サーカスアーティストインレジデンス「Shiono-Air」クラウドファンディング実施中です!

▼瀬戸内サーカスファクトリー ウェブサイト

▼2016年 日仏共同創作公演 空中パフォーマンス「YA!」
 サーカス用トラスを使ったパフォーマンスや滞在制作の様子が見られます