野菜や果物のクズ、生ゴミが微生物によって分解されて堆肥になり、再び私たちの食べ物の栄養になる。
植物が光合成で排出した酸素を私たちが呼吸して、体から出した二酸化炭素は次の光合成へと使われていく。
そんな世界の成り立ちを注意深く観察すると、すべては循環の中で生かされ、始まりも終わりも無いということ。それぞれみんなが”違う”からこそ完璧な調和のもとで存在し合い、役割を果たしているということ。そして究極的には不必要なものなどは無いという事実にハッとさせられます。
とはいえ今あるこの姿で全く同じ設定で生きるという条件では、誰もがみんな生きる時間にリミットがあります。
そこで「限りがある人生だからもっと○○しなくちゃ」という緊張感や義務感のなかで、
「あの人にはたやすくできることが、私にはどうしてできないんだろう?」
「自分のできることって?」
「天職とは?」
「やりたいことって?」
「働く理由は?」
誰だってそんなふうに一度は自問自答したことがあると思います。
みんな同じ方向、お墓に向かって歩んでいるのに、なにをそんなに焦って先を急ぐのですか。
”今ここ”に生きる大切さ、マインドフルネスを説く禅僧ティク・ナット・ハンは、未来志向でせわしなく生きる私たちに、どうして心ここに在らずで先を急ぐばかりなのかと問いかけます。
私自身も常日頃、未来思考に押しつぶされそうになってしまう一人です。
14年間勤めた会社を辞めて、アメリカで学生に戻るためにキャリアストップ。その後「本当に届けたい記事だけを書く」と覚悟を決めましたが、現在それで生活できているわけではなく、貯金を切り崩しながら暮らしています。
だから正直、先の事を考えて不安になってしまわずにはいられない日はありません。親になっていたり、稼いでいる人と自分を比較して無価値観に苦しむことだって日常茶飯事です。そこには私の甘さもあって、焦ったり、落ち込んでしまったりするのです。
過去の行いを後悔し続けたり、未来の不安にトラップされず、今を生きるのはなぜ難しいの?
苦しくなるとわかっているのに、どうして誰かと自分を比べてしまうんだろう?
そんな問いを抱えながらの一時帰国中に、とても会いたい人がいました。それは、中島ナオさん。ナオカケル株式会社の社長で、36歳の若さ。輝きながら、今を生きている人です。
ナオさんは、「N HEAD WEAR(エヌ・ヘッド・ウェア)」という、かぶるだけでその日の装いがグンとスタイリッシュになるヘッドウェアをデザイン・企画・販売しています。
「髪があってもなくても楽しめる、あたらしい頭のファッション」
「心地よい頭に着替えよう」
というのが、このヘッドウェアのキャッチコピー。いったいそこにどのような想いが込められているというのでしょうか。
「N HEAD WEAR」誕生の背景である、ナオさんが試行錯誤しながらひとつずつ積み重ねてきた道。そして仕事とは、生きるとは何かを伺ってきました。
乳がんステージ4で500円玉貯金を開け、起業。
コツコツと貯めてきた500玉貯金箱を開けてナオさんが起業したのは、2017年の末。それは乳がんの転移がわかり、ステージ4と診断されてちょうど1年が経ったときでした。
発症したのは、2014年の3月。31歳の頃でした。すでにガンはリンパ節まで転移し、ステージ3C。「5年で長生き」と言える状況であることを知りました。
そして翌月から抗がん剤治療開始、秋には手術。診断されてからの数ヶ月間は、事態はどんどん進んでいくけれど自分の身に何が起こっているのかをきちんと受け入れられず、「ガン」のガの字が言えないときもありました。
若年性乳がんの告知。想像を絶するような手術を体験し、抗がん剤治療を受けながらの受験を経て、2017年に東京学芸大学大学院 美術教育専攻を修了、教員免許(美術)を取得します。そして同年9月より東京造形大学の後期学期に週に1度、非常勤講師として空間デザインを大学2年生の学生たちに教えているというナオさん。
ないないづくしの状態で受けた告知。
告知された当時は今よりもずっと、ないないづくしだったんです。当然持っているものもたくさんあるのですが、世間でよしとされたり、あって当たり前とされるようなもの、たとえばお金とかパートナーとか子ども、社会的な立場とか、全く無かったんですね。当然どれも望んですぐ手に入るものじゃない。だから「これからそこへ頑張って向かっていこう」と思っていたときに診断を受けたんです。
有名だったり、肩書きがある人が病気になると、「Aさんがガンを患った」と言われますよね。でも、何にもない私は「ガン患者」の先に立つものが無いんです。告知されてからは常にその事実を突きつけられるようで。「ガン」という言葉が持つマイナスの力と共に、何も成し遂げられていないということを痛感しました。そこで、これから生きていくなかで「ガンの前に立つ何かを持とう」というのが目標のひとつとなったのです。
「すごいね」「強いですね」と言っていただけることもありますが、常に不安を抱いて、模索し続けながら歩んできました。
今の私があるのは、“ないないづくし”だったから。そうせざるを得なかったんです。収入が無くなるという状況が目前にあって、医療費や生活費を捻出するためには働く必要があった。
当時はフルタイムの仕事をしていましたが治療と並行するのは難しく、やむを得ず休職。が、独身で養ってくれる人は居ません。治療を続けながら生きていくためには仕事をしない生活は思い描けませんでした。そこで、毎日8時間の勤務が難しいのであれば、時間給を上げて自立できればと切実な思いで大学院へ進学したんです。
治療で脱毛に悩んできたからこそ、大学院時代に考案したヘッドウェア。帽子やウィッグとひと味違って、髪が無い状態でもオシャレに着用できるものをとデザイン、そして肌にやさしいものをと素材にもこだわった。それが「N HEAD WEAR」の原点となったのです。
「N HEAD WEAR」のサイトのモデルを今自分がやっているのも、資金がないなかでのスタートだったからですが、髪の毛がある人が被るだけだと説得力がないというのもあります。名前や顔を出さずに、進めていくというのには限度があると思うんです。
たとえばどんな風に生活しているのか、どう着用しているのかと、SNSでも写真があるとわかりやすい。ガンのイメージを変えるためにも、オシャレを楽しむ一人の女性として、なんら変わらないんだなというのを伝えたいんです。
だから、すごくお金持ちだったらまったく違った人生を歩んでいたのかもしれませんね。パートナーがいて「目立つことをしないで」と言われたら、「N HEAD WEAR」も今のような形では実現しなかったのかもしれない。養育者であった場合も自分のやりたいことや、やらなければいけないことの優先順位が変わっていたでしょう。
「ない」からこそ「ある」ものがある。
ナオさんは、非常勤講師の仕事を始める3か月前より日常や思いを綴るブログも開始。「がんになって仕事や趣味を辞めたり諦めたりする人も多いと聞くなかで、あえて逆走したい」と表現・発信の場を設けました。そこにはパラリンピックの父ルードヴィヒ・グッドマンの「失われたものを数えるな。残っているものを最大限に生かせ」という言葉も。
不安を抱えながら新しい挑戦をしていくなかで見えてきたものでもあるのですが、世間であってよしとされるものがないというのは、辛そうかもしれない。でもこれだけある意味好き勝手できるというのは、なんにもなくて自由だからでもあるということ。
たとえばこれが大企業の社長さんやお医者さんだったら発言できることにも制限があるのかもしれません。責任や周りとの関係に縛られず発信できるのは、当事者であるということも含め、今の私だからできることだと思うんです。
また経済的に余裕があるわけではない私ができることなら、より多くの人にも届けられるのではと価格に対する自分なりの基準を持つこともできます。どんなに健康に良くても、素敵でも、私にとって毎月支払う額が数万円などになると現実的ではないですから。そこは製品をデザインするうえで念頭においています。
それから副作用のこと。毎日気にしていたらきりがないのであまりフォーカスしていないんですが、たとえば手術のために左手で重いものが持てません。手足にはしびれがあったり、薬の副作用で更年期障害に近いような症状もあります。
旅行中に手に取ったお皿を落としてしまったときはさすがにショックでしたし、先日も階段を一気に登り終えたら足が動かなくなって両手両膝、おなかまでつくような酷い転びかたをしてしまったりもして。
ガンがわかってから、生活が大きく変わりました。でも、これらはある年齢になったら多くの方が経験するもの。私はその年代でしか体験できないものを今少し極端な形で体感している。それは問題とされることを自分のものとして実感が伴う形で捉えられるということ。そこを逆に活かしたいと思っています。今は叶えたいことがたくさんあるんです。
「ガンになっても大丈夫」といえる社会をデザイン
実は彼女がデザインしているのは、ヘッドウェアにとどまりません。それは、「ガンになっても大丈夫」といえる社会の実現。ヘッドウェアは、そのためのひとつの形なのです。
たとえば今後、重い荷物を運べるうえに全体のコーディネートを素敵に見せられるキャリーバッグは? 左右の乳房を寄せてボリュームを出す、という価値観とは異なる形でバストの魅力を引き出せる下着とは? など。
ナオさんがデザインして現実化したプロダクトとともに投げかけたい社会への問いかけは、まだまだたくさんあるのです。それは「当たり前だ」と見過ごしてきた社会常識や社会通念について、再び私たちが「それって本当?」と一緒に向き合えるとても重要なインビテーション。
「がんになったら何もできないのでは? というイメージを変えたい」との思いで企画されたプロジェクト「LIVING WITH CANCER MAKEUP & PHOTO supported by SHISEIDO」。ナオさんが着用しているのは、「N HEAD WEAR」の「A」ライン。指でひとつひとつ丁寧に編んだニットキャップに、ボリュームを出すためのリボンをあしらってポップに。オートクチュールラインで販売展開は、現在調整中です。©Masato Kanazawa
選択できる喜び、装う楽しさは生きる力になる。
生活のなかでウィッグもヘッドウェアも並列としてあって選択肢が増える形になるといいなと思うんです。それぞれのアイテムが適する場所や、その人がどんなふうに生活したいかでチョイスは変わりますから。選択に対応できるものが社会にあるといい。そう考えてデザインしています。
ヘッドウェアが最終的にはメガネのように、補うものだったものがみんなに親しまれるファッションアイテムになるといいなと思うんです。髪があってもなくても楽しく装えるような。
戦後1946年に出版されたスタイルブックのなかで編集者の花森安治さんの「おしゃれは明日の世界を作る力」という言葉があります。アイテムだったり、デザインの力でそこを持ち上げられるなら、それを私の仕事にしていきたい。
抗がん剤で髪の毛が抜けて、まばらになって。ステージ3のときの「この治療が終わったらまた元どおりのヘアスタイルになる」というときと、ステージ4で治療を受け続けている現在では状況が違うんです。
今後ずっと髪の毛がない状態かもしれません。でもおしゃれで風に飛ばず、もみあげや後頭部も包んでくれて、毛が無いことが気にならないようにデザインされたヘッドウェアがある今は、毛が無いストレスはほぼ無いんですよ。
JR京都駅の伊勢丹の手洗いで、ヘッドウェア姿のナオさんは品ある70歳ぐらいの女性に「素敵ね」と褒められたのだそう。京都の織物、西陣織を使った「Fライン」を着用していたときだったので本当に嬉しかったのだと言います。
たとえ何かがそれを邪魔したとしても毎日をワクワク過ごしてほしい。そのために今の自分を、装う喜びをたくさんの人と共有していきたいんです。私にとってそうだったように、それは希望につながるはずだから。
支援や寄付ではない形で、ガンともっと関われる企画を。
二人に一人がなる病気と言われていますから、思っていた以上に身近なんですね。そこで突き詰めたみんなの願いは、「治る病気にしたい」ということしかないと思うんです。
そこに向かうムーブメントというか、支援とか寄付とかではない形でもっと多くの人が関われる動きや仕組みができないか。そのために人が注目したり集まったりするものをデザインすれば、いろんな企業もビジネスの視点を持って関わってくれるんじゃないかと考えているんです。
社会という周りを含めて描く。
デザインをするときに、自分だけが前提の人はいないと思うんです。社会という周りも含めて描いている。このヘッドウェアだって、”同じように脱毛に悩む人をサポートしたい”、とかそういう思いばかりがすごく強いというわけでもないんです。ずっと私一人がかぶっていたら、すごく目立ってしまうじゃないですか(笑)
ガンでもガンじゃなくても、より多くの人が「いいな」と何気なく着用できたときに、病気のイメージも変わっていくのではないか。そこで、たった一人の人が被った姿をデザインするのではなく、その人が生活する社会全体を設計するという視点でいるんです。
みんなに届けられることで、自分も生きやすくなる。
このままで生きにくいならその生活を変えていきたい。
このままで生きられないなら、その状況を少しずつでも変えていきたい。
問題を考えたときにやはり生きている以上、人や社会との接点はさけられないというナオさん。
避けたくもないですし。そう考えると自分だけではなく、みんなにも届けられることを進めていくというのは、自分が生きやすくなるということでもあるんです。私だけの見え方というのではなく、ガン患者の見え方をデザインしたい。ガンという病気の印象を変えていきたい。その過程の先には究極的に、今問題とされるものが問題でなくなるかもしれないんです。
ステージ4になってから、余命やあとどれぐらい生きるんだろう? という点にはあまり意識を向けていないというナオさん。1年後の自分は描かない。今を少しでもよくするために明日の自分を描きながら生きると言います。
もちろん死は、リアルに向き合う問題としてあります。マイナスにもできるものだけど、今この状態だからこそ言えることや考えられることもすごく多くて。たとえば今はまだ具体的ではありませんが、死を切実に考えながら、ふと、お葬式について考えることもあります。
一昨年に旧友のお父さまがガンで亡くなられたんです。当事者ということもあって勝手にですけれど、どこかその方の立場になって周りの状況を見てしまうんですけど、お葬式もそうで。すると、そこはその人を思う人がたくさん訪れる場で、家族写真なども飾ってあって。集った人たちが思い出話を交わしたり、悲しいだけじゃないんですよね。
弔う場とは、共に過ごしてきた時間を振り返って、語り合って。離れていた人も再びつながる場所だな、と。そう考えたときに、私だったらそこに居たいな。一体みんながどんな話をするんだろう、聞きたいな、そして感謝を伝えたいなって思ったんです。
取材(5月8日実施)の行われた週、自らが主催するお誕生日会を控えていたナオさん。会いたい人には今の自分を伝えつつ、会える機会を積極的につくっておきたいと言います。
お誕生日会のように人が集える機会をつくると、思いがけない人が会いたいと思ってくれているのだと気づかされる。そして、そこからまたご縁がつながったりする。
死を改めて考えたときに、生きるというのは人と会える。行動できる。死はそれができなくなることだと思います。だから、今のうちにできるだけ人に会っておきたいと、ご縁を手繰り寄せるような意識でいます。
何かときがきたときに何もしていなかったら絶対に後悔するなと思うんです。動いていなければ、やっとけばよかったなと。病状や状況がガラッと変わる現実が避けられないからこそ、今できることをするしかないんじゃないかなと思っています。
告知を受けてから、今の自分にできる仕事を探してきたというナオさん。「わけあり人材」という言葉があるけれど、彼女は自分のことを「わけがあること」前提で働いているのだと言います。無理したい、頑張りたい。と同時に、治療を続けながら穏やかな生活を送れることは大前提で、数年計画もできない。そこには当然葛藤があり、悩んだ時期もあると言います。
大学での授業風景でも、デザインの世界では「絞ったり決めたりすることはとても大切」と学生たちに指導するナオさん。周囲や自分の状況を見ながら選択に向かうためのプロセスを大切にしてきたからこそ、最終的に選んだものを納得し責任が持てるのだと言います。
社名「ナオカケル株式会社」のカケルには、叶えたいところに向かって一緒に展開し、関わってくれる人との力を”掛け合わせる”というコラボレーション、”願いをかける”、”駆ける”など様々な意味があります。そのなかで、”欠けた状態”でも”なお”(ナオ)進んでいくという想いも込められています。そして最終的には、わけが気にならないような仕事をしていきたいというナオさんの決意も。
だから今後は頭に「ガン」がつくよりも、たとえばヘッドウェアのデザインの可愛らしさから興味を持ってもらい、「あ、そういう経緯だったんだ」と後付けで気づいてもらえるようなアイテムに育てながら、新たなデザインも生み出していきたいというナオさん。それこそがガンという病気の持つイメージを変えることにつながるから。
今までやってきたことができなくなっても、他の人と比べると不得意なことがあっても、できることはまだまだたくさんある。自分そのままを目一杯活かせることを仕事にする。「生きるためにはガンをデザインするしかなかった」というナオさんからは、隠さない、比べない。今ここにある最高の自分を表現することで、外側にある状況を転じて変えていこうという強い意志とそれを実現する力を感じました。
(編集: スズキコウタ)