食べることは、最も身近な毎日の行為。
みんなおいしいものを健康的に食べたい、と思うけれどそれがあまりに日常的なことでありすぎるために、その一食一食が「一体何を意味するのか」と省みることはほとんどありません。
ところが、毎日食べるものであなたの人となりが決まるのだとしたら?
そしてそのひとくちが、実はあなたと誰かを不幸せにしているとしたら?
サンフランシスコ近郊の学生街バークレー市にある全米一のスローフード・レストラン「Chez Panisse(シェ・パニーズ)」の創始者・オーナーであるAlice Waters(アリス・ウォータース、以下、アリスさん)。
1971年のオープン以来「シェ・パニーズ」では、できるだけ近郊の大規模ではない生産者から有機農法で育てられた野菜や果物を調理してテーブルに届けるといったユニークな食材調達法で、私たちの食に向かう考え方を変えてきました。
その取り組みはのちに「ファーム・トゥー・テーブル(農場を食卓へ)」、アリスさん自身は「おいしい食の革命家」だと評され、2015年にはオバマ元大統領により米国人文科学勲章を授与され、これまでに著した15の書籍は18の言語に翻訳されました。アリスさんは、全米のみならず世界中にオーガニック農業やスローフード文化を普及させた立役者なのです。
そんなアリスさんは「食べることは、農業行為だ」という哲学者ウェンデル・バリーの言葉を用いながら、私たちは単なる受け身の食の消費者ではない。食料の一次生産から始まるフードチェーン(食品供給)を担う最終責任者だと提言してきました。
私たちが何を食卓に選ぶのかという決断は、私たちの暮らし方。それはどう食べものを育み、流通させて、何を食べ、どのような形で廃棄するのかという環境活動の一環であり、社会のあり方。それは一人ひとりが積極的に参画できる政治活動でもあると言うのです。
今から27年ほど前、地元の新聞『オークランド・トリビューン』に取材を受けたときに、通勤途中に目にする地元の公立中学校の荒廃した様子に心を痛めていると述べたアリスさん。
その記事が当時の校長の目に止まったことから1995年、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア中学校のアスファルトに覆われた校庭に菜園をつくり、生徒たちが教師やボランティアスタッフとともに野菜や果物を育てて調理してランチにする。そしてその過程を歴史や英語や生物の授業カリキュラムに組み込むという壮大なプロジェクト「エディブル・スクールヤード(食べられる校庭)」を始動させました。
現在では菜園を教室に変えるという体験的な学習ビジョンを「エディブル・スクール・プロジェクト」として、日本では東京都多摩市の愛和小学校を始め、世界64か国5510校が食を通じて健康や環境、コミュニティを大切にすることを体験的に学ぶエディブル教育に取り組んでいます。
そんなアリスさんが、このたび来日。「健康しが」をスローガンに子どもからお年寄りまで全ての人がいつまでもその人らしく活躍し、地域や社会の支え合いのなかで健康的に生きていくことを推進する滋賀県のびわ湖ホールで開催された無料の一般公開シンポジウム「アリス・ウォータースさんに学ぶ 食・農・くらしの持続可能な未来」に登壇しました。
その人気ぶりは目覚ましいもので、告知開始まもなく600名の席が満席、キャンセル待ちが出るほどだったと言います。今回は、その基調講演のなかでアリスさんが語った、食を通じた社会変革、「私の夢」をご本人のお言葉でお届けします。
私たちの食べ方は、私たちの暮らし方。
今から100年以上も前、フランスの思想家・政治家であるサヴァランが言いました。
「国家の運命は、国民の栄養状態(育まれ方)で決まる」と。
それは”どのように食べるか”ということが、根源的な意味で”どんな世界(国家)に生きているのか”とつながっているのだということ。
私たちの食べ方は、私たち自身のみならず、この惑星の健康状態にも影響を与えています。健康とは貧困、飢え、病気についてのことだけを示すのではありません。社会不平等、公共教育の低下、不誠実な政治や暴力、さらに踏み込むと気候変動といった私たちが直面している深刻な問題はひとつの例外もなくすべて、私たちが「どう何を食べるのか」ということで導かれた必然的な結果なのです。
それは一体どういうことなのでしょうか。食に関する啓発記事を多数執筆しているジャーナリストであり、『ファストフードが世界を食いつくす』の著者であるエリック・シュローサは、アメリカをファストフードが主流文化である国だと指摘しました。
たとえば20%のアメリカ人は食事を車のなかでとっています。そして、二人に一人の子どもが肥満・糖尿病の危険にあります。しかし、一体そんな事実を何人の人が知っているというのでしょう。
私自身もやっとここ10年ほどで理解したことで、多くの人はそれに気づいていませんが、ファストフードというのは単に食事の問題にとどまりません。それはもっと大きなもので、文化の荒廃をもたらしているのです。
文化というのは、知識であり、経験、心、行動であり、社会の慣習や謎でもあります。それは私たちに潜む見えない道徳構造をなしているとも言えます。
そっと私たちを導き、気づかないうちに行動すべてに影響を与えて、世界や自分をどう捉えるのか、どのように表現するのか、どう感じるのか。
一体どのようにビジネスを動かし、娯楽、報道、建物をどんなふうに建設して、子どもをいかに扱い、人とどう関わり、対応するのか。着るものの選び方や、売り買いするもの、公園、学校、政治に至るまで本当に多岐にわたってわたしたちの身の回りのあらゆる構造様式を定めるものなのです。
アメリカで主流となったファストフード文化ですが、今やそれはこの世界の主流文化であると言っても過言ではないでしょう。他の文化と同じようにファストフード文化にも独自の価値観があります。
ファストフード店であなたが食事をするということは、その食べものだけではなく、その価値観をも消化吸収し、あなたの一部にするということなのです。その結果、あなたは異なるものの見方、意見(批評)、道徳基準、期待を持つようになるでしょう。気づかないうちに、ファストフードの欲望があなたを支配していくのです。
ファストフードがもたらす6つの弊害。
ではどんな価値観がファストフードに備わっているのでしょうか。ひとつずつみていきましょう。
1. 均一性 (Uniformity)
「ニューヨークで食べられるハンバーガーとパリのハンバーガーが同じじゃないとおかしい」、「ポテトは紫色であるはずがない」といったように、世界中のどこでも食べものの味や見掛けが同じでなければならない考え方です。
この条件付けのもとでは、よく知らない場所を訪ねたときに、いつもと同じものを食べるということが安全だと感じさせます。どんな街にいっても馴染みのファストフード店で同じものを食べ、馴染みのテレビ番組をみて、同じデザイン建築のホテルに泊まって、アウトレットモールで同じブランドの商品を買いものをする……。均一性こそが良いという考えのもと、慣れ親しんでいないものや違うことへの疑いや恐れを感じるようになり、試さなくなっていきます。
すると次第に自分に本当に必要なものが何なのかもわからなくなっていくんです。その結果「同じじゃないとダメだ」と個性を重んじる心を失わせ、独自性や違いを軽んじるようになっていきます。最終的には、「卵は同じ姿形じゃないといけない」「同じ服を着ないといけない」と、コントロールや偏見を生むことにもつながるのです。
2. スピード (Speed)
「時は金なり」。早ければ早いほどいい。ほしいものはすぐに手に入るべきだという判断です。でも物事には本来時間がかかり、待つことも必要なのです。
食べものを育て、それを調理すること。そして、言語学習や人と知り合うためにも振り返りや熟成、忍耐の時間がいります。
牛を一度に何頭食肉化できるのか、どれだけ大豆の成長を早められるか、どれだけ早くランチをすませられるか…。このように速さにこそ重きを置くファストフード文化では、「今すぐ」でないものに対し、それがふさわしくないと、イライラして、気も散りやすくなってしまいます。でも手間暇かけて生み出すといった良いものには時間がかかってしかるべきなのです。
3. 入手可能性 (Availability)
24時間いつでもどこにいてもほしいものが手に入ること。そこに価値を見出します。たとえば真冬のスイスでアボカドが、エジプトのナイロビでエビアンの水がといったように、です。
でもそれって少し不自然だと思いませんか?
たとえばカリフォルニア州では、桃は本来、旬の時期である4月まで食べ頃を待たなければなりません。けれども「なんでもほしいものはすぐに手に入るべきだ」というねじ曲がった価値観のもとで、なぜ今すぐに食べたいものが得られないのかと不満を感じたり、手にしている食物が一体どこで採れたのかもわからなくなってしまう。この入手可能性は、人々を過度に甘やかせ、物事の成り立ちをわからなくするんです。その結果、食材の旬やここでしか食べられないという希少性や固有性をありがたく感じたり、敬意の気持ちを持てなくなってしまいます。
4. 安さ (Cheapness)
「安ければいい」というものの見方です。米アマゾン・ドットコムが高級スーパーマーケットチェーンのホールフーズを買収しましたが、それは生鮮品の価格を下げるためだと言います。
ではそれに付随して、地元や小規模農家や食材を市場に届けてきた流通先はどうなっていくのでしょう。
環境、健康、人権、国際関係の問題は?
ファストフード文化は都合よく、私たちを安さの裏にある本当のコストに目を向けなくさせます。私たちを安価さに夢中にさせることで、その品質や安全性がどれほどかということや、補助金などどんな方法で価格が操作されているのかということ、そして地球にいかに負担をかけているのかということから人々の関心をそらすのです。
食べものは手の届く適正な価格であるべきですが、決して安く手に入ることが正しいわけではありません。安さの裏で、ふさわしい対価を得られない人が必ずいることに意識を向けましょう。
5. 質より量 (More is Better)
ものが多ければ多いほど良いという価値観です。ディスカウントストアに行けば、たくさんの食品が陳列棚に並べられているでしょう。また、たくさんのアプリケーションでみんなとつながっている気分にもなるのかもしれません。
いろいろあって選べる方がいいということですが、選択肢が少し多すぎると感じませんか?
その結果、ゴミや無駄もたくさん出てしまいますし、アメリカでは肥満問題もあります。「シェ・パニーズ」には選べる献立がひとつしかないので、批判されたこともあります。でも、そこには一皿をしっかりと味わい、向き合ってほしいという意図があるのです。
6. 不正 (Dishonesty)
利益追求型のファストフード文化のもとで、言葉の概念が歪められています。たとえば”新鮮さ(Fresh)”、”(特定の)地方の(Local)”、”オーガニック(Organic)”、”持続可能な(Sustainable)”、”フェアトレード(Fair-trade)”、などといった用語が無差別に使われています。
恐ろしいことにこういった言葉は広告やマーケティングの力を利用されて、消費者、そして社会全体にあっという間に広がるんです。一体、収穫して何週間も経ってから店頭に上がるものが本当にフレッシュなのでしょうか。たった2週間しか牧草を食べていない牛を、牧草で育った牛だと宣伝していたりもします。
農薬不使用とは?
殺菌とは?
いったいその食品表示に明確な基準はあるのでしょうか。
あるとしたら、それはどこからなのでしょう。
コーンシロップ(異性化糖)が天然成分だとか、化石燃料が公害を出さないクリーンエネルギーだとか…。ものを売るためにそう見せかけたいのです。
そんな企業やアメリカ政府が抱き込む間違った情報のもとで、不健康な価値観がどんどん消費されていきます。「シェ・パニーズ」では浄水器にかけた水を利用していますが、それは不正な情報を流す食品業界からお金を受け取っているアメリカ政府の食に対する安全基準を信用してないからなのです。
抵抗手段としてのスローフード文化。
ファストフード価値観に対してスローフード価値観というものもあります。それは持続可能性(Sustainability)、平等(Equality)、正義(Justice)、地域のつながり(Community)に価値があると判断します。
スローフード文化は、ファストフード文化のように歴史が浅いものではなく、文明化の初期から深く息づき根づいてきたもの。それは土地を管理し、種を蒔き、大地の恵みをみんなで分かち合いながら、スローフード価値観に基づく人間性を育み培ってきた文化なのです。
そこでは人々は相互のつながりの中で生かされていると自覚し、上流の水をきれいに保つことで下流の肥沃な地を育み、ゴミを分配して周囲に迷惑をかけないように助け合いながら生きてきました。いっぽうでファストフード文化は、この調和の中で生かされているということを私たちに忘れさせるのです。
日本人の偉大な自然農法提唱者であり、1975年に出版された『自然農法 わら一本の革命』の著者、福岡正信の哲学は、私を深く啓発し導いてきた素晴らしいものです。
それは農業や農法といった領域を超えて、私たちや植物、そして食の循環は自然の調和の中で育まれているのだという精神的な教え。彼は私たちの生活が、この自然、環境の中でいかに豊かに幸せになれるのかを説きました。
幸運にも私たちは食べることでその豊かな自然の営みと調和を感じることができます。本物の食材はすべて、大地の恵みだからです。それを育て、収穫する人、運搬する人、販売する人、調理する人、食べる人…。食を通じて、みんながつながっているのです。意識的に食に向かうということは、そのつながりを取り戻すための環境活動であり、政治運動でもあるのです。
(福岡正信も述べた)多様性(Diversity)とは、重要なスローフードの価値観です。多くの異なる要素が織りなすことで、適合性、回復力、肥沃さといった全体をひとつにつなげて強化する磁力を生みます。それは真の統合ともいえるでしょう。
つまり、さまざまな作物を植えて土地を肥やすことで、自然の農薬や肥料にするのです。キッチンでも香りや形、大きさがさまざまな彩りに満ちた食材を調理することで視野を広げる好奇心(Curiosity)や創造性を育んでいくのです。
また、食を通じた協働作業(Collaboration)のなかで人々は真のチームワークや助け合いを育んでいきます。そこではそれぞれに得意不得意があるという個性のもとでみんなに役割があって尊重しあえるのです。違いがあるからこそ、互いの長所に頼ることができます。このような助け合いや活かし合いのもとで、ひとりの力は小さくても大きな活力が生まれるのです。
ファストフード文化のもとでは、「無料で与えられるものなどない」「必ず見返りが求められる」という思想に人々の心が操作されます。
いっぽうでスローフード文化における社会では、寛大さ(Generosity)が育まれます。それは、菜園や農場で収穫したものをシェアすること。
病気の友人に食事をつくったり、フードバンクやボランティアに携わるなどといった寛大さに基づく行動で、与える人も受ける人も気持ちが満たされ、プラスの影響を受けます。感謝の心を通じて、密接なつながりが持てるのです。温かい交流のなかで恵みをほかの人と分かち合い、社会や国家に繁栄や成功がもたらされるのです。
簡潔さ(Simplicity)は、「多ければ多いほどいい」という考えとは反対のスローフード価値観です。それはひとつのことに集中し、何が不可欠なのかを見定めるということです。
ファストフード文化のもとで私たちはあまりにもいろんなことを増やしたり、持とうとしたり、やり過ぎてしまっているのです。
たとえばいろいろな包装のシリアルが溢れていますね。これは選択肢が豊富なように見えて、実は食材は基本的に同じ。まぼろしなんです。どれだけたくさんのおもちゃを持っているか、何台車や何軒家を所有しているかということに囚われず、ものを減らして簡潔さに豊かさを見いだすことで、今この時間が大切だという気持ちも増していきます。その瞬間をより深く生きることができるのです。
美しさは全てのシグナル。
私にとって、美しさというのは社会が正しい方向に向かっているかどうかを見極めるシグナルです。
美しい山並み、透明な海水、都市、学校など…。それは生活サイクルが健康的で、豊かで、思いやりに満ちているのかどうかの合図です。
たとえば美しい教室は、生徒たちが大切にされているというサインです。この来日中に滋賀県、そして東京都の小学校を訪問させていただきましたが、子どもたちが家から各自のお箸を持ってきて、テーブルクロスを机に並べ、料理を互いについで並べていく。そしてみんなで片付ける。私の暮らすアメリカの学校では見られない、本当に素晴らしい光景でした。
先日東京のお茶屋で食事をした際も、その調理場はとても美しく清潔で、働く人が重んじられていると感じられるような場所でした。このような美食の文化が根付くみなさんの住む日本では、素晴らしい美や伝統といった武器をすでにお持ちなのです。
食を入り口にして社会を変える。
私たちには本来、スローフードを呼び起こす本質的な美しさ、その価値観が備わっています。ファストフードに変わる新しい食べ方を、子どもたちが心を開き学べるうちに伝えていくことは、真の民主主義行為の最後の砦だともいえるでしょう。
子どもたちは自然のキャンパスに学ぶことで、相互のつながりのなかで地球に生きるものとしての自己を発見していくでしょう。それは持続可能な形で社会を変えていくことにつながります。
また、学校が支える農業としての活力のあるサポートネットワークを教育の場を通じて地元の農家ともつくっていけるはず。
その結果、食を入り口とした学校という場を使って、気候変動などの大きな問題にもボトムアップという形で立ち上がることができるのです。
最後に再び思想家・政治家のサヴァランの言葉で締めくくりたいと思います。彼は私たちにこのように問いかけます。
「あなたが毎日食べるものを教えてください。あなたの人となりがわかるから」と。
これは本当に真実をついた言葉だと思います。ファストフードの食生活は、私たちを一体どんな人間にするというのでしょう。お気に入りの車の後部に貼るバンパーステッカーの小話があるのですが、そこにはこんなふうに書かれていました。「毎日の食事が私を表すなら、私は安くて早くて簡単だよ」と。恐ろしいことですね。
スローフードを私たちの未来、子どもたちに伝え提供していくことで、私たちと地球は一体となり一つになるでしょう。私はそう強く信じています。そしてキッチンのドアから自然が素晴らしい形で私たちの中へ入り、息づくのです。これこそが私の夢である食の改革、”おいしい革命”なのです。
アリスさんのお話を伺うまで、私は毎日の「食べる」において、おいしさやヘルシーさ、利便性といった個人の欲望や健康にのみフォーカスしていました。
でも、今はこう思います。
真の喜びや健康とは、自分だけではなくみんなと分かち合うもの。
それは家族やコミュニティ、社会や地球なのです。
スローフードの価値観が導く、画一化を超えて多様に彩られた美の中にこそ、自然や人、街や社会がつながる持続可能な強い結びつきが生まれるのです。
強者主導で行われる均一化やスピード、利益の追求のもとで、地域や自分自身に根付く独自のアイデンティティー、自分の体、周りの人々、自然、地球とのつながりを知らず知らずのうちに失ってしまう…。とても恐ろしいことだと感じました。
誰かや何かを傷つけるとわかっていながら、その消費活動を行うというのは、その問題に積極的に関わっているということ。
そしてまた滋賀という地でこの基調講演が行われたことは、超首都圏集中型の社会と過疎化という問題を抱える私たちの目を「食」における「地方創生」とは何かと向かわせます。
つまり、毎日の食べるを中心にしてその中心課題である地方の人口減を食い止めること、そして持続可能な地域経済をどうデザインしていくのか。「なんとなく」を超えて、経済循環のあり方をいま一度把握し、いったいどういう街や社会に生きたいのかを踏まえた選択をする。
Power of One。
ひとりの力は小さくても、世界を変えることはできます。そしてそれは私たちの誰もが参加できる、「普段の食べ方を変える」という革命から起こるのです。
(撮影: 中村寛史、鈴木菜央、スズキコウタ、土居彩)
(取材協力: 滋賀県)
(編集協力: 盛岡絢子、内田範子)
(編集: スズキコウタ)
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