「都市」のことを考えると、自分の望むものが見えてくる。60年代ニューヨークで闘った都市活動家に学ぶ「闘争」の意味。『ジェイン・ジェイコブス:ニューヨーク都市計画革命』

みなさんは「都市」について考えたことはありますか? 自分が住んでいる都市について考えたことがあったり、都市(都会)と田舎の関係について考えたことはあったりしても、意外と「都市」そのものについて考えたことはないのではないでしょうか?

いま、田舎に移住する人や都市と地方の二拠点居住をする人が増えている一方で、都市の人口は増え続けています。ということは、地方のことばかりではなく、都市のことも考えなければ、これからの社会の有り様を考えることはできないのではないか、私はそんなことを思います。

特に、田舎から都会に出て、郊外に住んで都心に通うという生活の理想像が崩れつつある中で、新たな理想の暮らしにおいて都市はどのような役割を果たすようになるのか、それを考える必要があるのではないかと思うのです。

前置きが長くなってしまいましたが、今回紹介する映画『ジェイン・ジェイコブス:ニューヨーク都市計画革命』は、1960年代のニューヨークの「まちづくり」をめぐる作品です。主人公のジェイン・ジェイコブスは「都市計画の教科書」ともいわれる「アメリカ大都市の死と生」を書いたジャーナリストで、ニューヨークの街を破壊的な都市計画から救った活動家でもあります。

約半世紀前に彼女がニューヨークで成し遂げたことは、いまわれわれが直面していることを考える上で大きなヒントになります。そして、まちづくりのみならず、現状に変化を起こそうと活動するあらゆる人に考えるきっかけを与えてくれるのです。

現在のニューヨーク ©Thought Equity

人々に都市をあわせるという考え方

この作品は、モダンな都市をつくろうとするデベロッパーのロバート・モーゼスと、それに異を唱えたジェイン・ジェイコブスの対決の物語です。

ふたりの簡単な紹介が終わると、1930年代のニューヨークから物語は始まります。いまのニューヨークは「最先端!」という印象ですが、ここに映し出されるニューヨークはとにかく雑多な人で溢れかえっていて無秩序、活気はあるけれど汚かったり機能的ではないという印象も受けます。

そんなニューヨークの街を近代的な街にしようと立ち上がったのがデベロッパーのロバート・モーゼス。進歩主義者の彼はスラムを一掃してニューヨークをモダンな都市に変えようと活動し、権力を手にします。その動きは第二次世界大戦を経た1950年代に加速、モーゼスたちはスラムを潰し、郊外にモダンな集合住宅を立てて人々を移し、高速道路を建設して都市圏をつくろうとするのです。

このようなことが起きたのはニューヨークだけではありません。アメリカの各都市はもちろん世界中で同じようなことが行われ、日本でも「ニュータウン」と呼ばれる団地が各地に誕生しました。

彼らの構想は公園などのパブリックスペースを備えた高層の団地をつくり、そこで快適で近代的な生活を送れるようにしようというものでした。そのモデルは、清潔で整然としていて、スペースもあるしいい暮らしが送れそうに見えます。実際に日本では、多くの家族が夢を持ってニュータウンに引っ越し、幸せな暮らしを送っていました。

しかしアメリカでは事情が違いました。実際につくってみると、団地に活気は生まれず、スラム化していってしまったのです。その理由は人種や経済格差、公共政策の問題など様々あり、それも語る価値があると思うのですが、今回はとりあえず置いておきます。とにかくモーゼスの計画はうまく行かなかったわけです。

壊される公共団地©Controlled Demolition Inc

この失敗を受けて、ジェイン・ジェイコブスはその都市計画に疑問を抱くようになります。そして彼女は実際に活気ある都市を観察し、都市がどのように機能しているかを考察するのです。彼女が導き出した答えは「人々が都市をつくるのだから、建物ではなく人々に都市を合わせるべき」というもので、さらに「都市は生き物であり、秩序ある複雑性が重要だ」と言います。

都市というのは一日中利用されつつ多様性がなければいけない、朝、昼、夜、それぞれの時間に、それぞれの人々が活動し、都市としては1日中が活動時間でなければいかないというのです。そうすれば夜女性がひとりで歩いても安全だし、昼間に子どもたちだけで遊んでいても危なくない。常に人の目があり、それが街を生かしているのだと。

このような都市の有り様は、いま私たちが知っている都市とは少し違っている気がします。私は東京にいるので主に東京について考えてしまうのですが、都市というのは働く人たちがいる都心と住まう人たちがいる郊外でできているものだというイメージがあります。しかし、これが実は現代的な都市計画の産物で、ある種の分断が行われたのだということが、ジェイコブスの考えから導き出せます。

本来の活気ある都市はそうではないとジェイコブスは主張します。新しいものと古いものが共存し、建物も人も多様性があるのが生きた都市だと。東京でも下町に行けばそのような場所が残っていて、日本に置き換えてみると、それがジェイコブスの思い描く都市の姿なのかなぁなどと私は考えたわけです。

なので、ジェイコブスは古くて良いものは残すということに心血を注ぎます。それはまさに、都市を建物で見ているのではなく人で見ているからです。ジェイコブスは街を守る活動に身を投じていくわけですが、彼女とともに活動する人たちの言葉からは、土地や街への愛着がにじみ出ます。都市はそのような人たちに愛されてこそ初めて生きた都市になるのです。

映画の中で誰かが「死んだ都市は美しい」というようなことを言うのですが、外側から見て美しい都市を目指すと都市は死んでしまう、都市を生かし続けるには、その中にいる私たちが自分を起点に考えていかないといけないということをジェイコブスは言っているのではないでしょうか。

体制ではなく人々が決める

この映画のひとつの側面は「都市」ですが、もうひとつの側面は「闘争」です。

ロバート・モーゼスたちの都市計画はジェイコブスの身にも降りかかります。彼女が暮らす家の近所にあるワシントン広場公園に幹線道路を通す計画が持ち上がるのです。この公園は周辺の人々の憩いの場であり、ジェイコブスが子どもたちを遊ばせた公園でもありました。そこでジェイコブスは近所の人たちと反対運動を始めます。

©Corbis

モーゼスは主婦たちのやることだと高をくくっていたのですが、運動はどんどん盛り上がり、ついにはエレノア・ルーズベルト(フランクリン・ルーズベルト元大統領夫人)をも巻き込み、計画は白紙に戻されます。しかしモーゼスとの対決はその後も続き、彼女の住むウェストビレッジのスラム指定、マンハッタンへの高速道路建設への反対運動も彼女は展開します。

この彼女の闘争と時を同じくして、公民権運動、環境保護運動、フェミニズム運動が起きたということが映画の中で語られます。これが意味するのは、ジェイコブスの闘争はこの時期に巻き起こった市民対権力の数々の闘争のひとつだったということです。

ジェイコブスの文脈では都市を人々が自分を起点に考えた結果、行政と対立することになったわけですが、同じことがさまざまな文脈で起きていたのです。

これは約50年前の話ですが、現在を考えてみても、市民対権力の闘争は続いています。むしろ闘うべき相手はさらに大きくなり、課題も増え、闘いはさらに困難になっているようにさえ思います。

そのような状況の中で私たちはいま何をすべきなのか、具体的にどうすればいいかをジェイコブスは語ってくれません。もう亡くなっているのですから当然です。しかし、ジェイコブスは「人々が自分の望むものを知らない」というようなことを言っていました。そして「自分の目を信じる」ということも。

彼女の数々の言葉から思うのは、自分が望むものは何かを考え、それを実現するために闘っていくことが重要だということです。

この映画はジェイン・ジェイコブスの言葉で溢れています。インタビュー映像と著書からの引用が中心ですが、その言葉は色々なことを考えさせてくれます。考えることが多すぎて、一度観ただけではどう捉えていいのか私にはわからなかったくらいです。

なので、ぜひ皆さんにも彼女の言葉に触れていただきたいのですが、彼女の言葉を聞いて考えてしまうのは、彼女が本当に人間のことを考え、一人ひとりの人間を尊重しているからなのだと思います。私はこの映画のキーワードのひとつは多様性だと思ったのですが、多様な人々の多様な有り様を尊重する姿勢、それが彼女を魅力的な存在にしているのだと思うのです。

50-60年代のニューヨークの都市計画というニッチなモチーフを扱っているようで、実は非常に普遍的なことを語っている映画をみて、ぜひあなたが本当に望むものとは何なのか考えてみてください。

– INFORMATION –

『ジェイン・ジェイコブス:ニューヨーク都市計画革命』

CITIZEN JANE Battle for the City
2016年/アメリカ/92分
監督: マット・ティルナ―
2018年4月28日(土)、渋谷ユーロスペースほか全国公開
配給: 東風+ノーム
http://janejacobs-movie.com