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住みたい街で美味しく、自分らしく暮らす。それを実現する鍵は「近さ」だ。泉北ニュータウンで新しい地産地消のあり方を模索する、柴田美治さんと山口香代子さん

梅田や難波をはじめ都会的なイメージが強い”大阪”ですが、大阪府をぐるっと見渡すと、大阪湾や大阪平野、そして和歌山との県境を接する和泉山脈と、海・山・川に恵まれた自然豊かな場所が多くあることがわかります。

なかでも大阪府南部にある堺市は、大阪市に次いで人口の多い市でありながら、大阪府下で野菜の産出額1位。大阪市内まで電車で約30分の便利な立地であると同時に、大阪の食を支える生産地としての役割も担っています。

そんな堺市の南区にあるのが、今回の舞台である「泉北ニュータウン」です。

ニュータウンとは、1960年代から都市の郊外に開発された市街地のこと。大阪府南部・堺市南区にある「泉北ニュータウン」もそんな場所のひとつです。2017年には、まちびらき50周年を迎え、住民の入れ替わりや生活スタイルが変化するなか、現在ここでは住民・企業・行政・大学が連携し、「泉北ニュータウンまちびらき50周年事業実行委員会」が結成され、新しい市民主体の取り組み「SENBOKU TRIAL」が進められています。

そこでgreenz.jpでは、泉北ニュータウンで今起こっているさまざまな事例を通して、これからの暮らしについて考える連載「これからのニュータウン入門」を展開しています。

今回ご紹介するのは、農と人をつなぐ収穫体験や駅前マルシェを開催する「“泉北・ファーム”プロジェクト」の柴田美治さんと、泉北の立地を活かした新たな自宅活用に挑戦する「地域密着いただきます プロジェクト」の山口香代子さんです。

”食”というキーワードでつながる2人は、日頃から互いのプロジェクトを支え合う関係でもあります。泉北の”食”について2人はどのような魅力や課題を感じながら、ニュータウンの未来を描いているのでしょうか?

それでは早速、柴田さん、山口さんのそれぞれの活動についてお伺いしましょう。

すべてはご縁。知識も経験もない
環境・農業分野に61歳からチャレンジ!

まずお話を伺ったのは、「“泉北・ファーム”プロジェクト」の柴田さんです。

柴田さんは、「特定非営利活動法人ASUの会」の理事長として、家庭の使用済み天ぷら油からバイオディーゼル燃料をつくる取り組みや、シニアの生きがいづくりのためのコミュニティカフェ「まちかどステーション」を運営しています。

また、「一般社団法人堺南すこやかファーム推進会」の理事長も務め、準農家(農家以外の人が小規模から農業経営に参入できる大阪府の制度)を目指す方を対象に、「みないき農業塾」やマルシェを開催するなど、環境・農業分野で活動中です。

柴田さん

柴田さんは現在75歳。民間企業を61歳で退任後、仲間と共にまったく知識も経験もない環境分野でNPO法人を立ち上げ、地域に関わり始めたそうです。なぜ柴田さんは、未知の分野で事業を始めようと思ったのでしょうか?

柴田さん 会社退任後はしばらく温泉やゴルフに行き、老後を楽しんでいました。でも精力的に遊びすぎたのか、友達から「柴田のペースには付き合ってられない」と言われてしまいまして(笑)

これからどうしようかなと思った時に、大阪倶楽部という紳士の社交場のランチ会に参加したんですね。そこで作家で元経産省の堺屋太一さんが講演に来られて、「これからの時代、シニアは頑張らないといけない」と話をされたんです。

現代は、実年齢と体年齢には差があるので、実年齢に8掛けして考えましょう。75歳に8掛けしたら60歳。昔は60歳還暦ですから、今を生きる私たちは75歳までは有償・無償に関わらず、社会的な役割を果たすのが大事なんじゃないでしょうか、と。

この話をきっかけに、柴田さんは自分も何か活動できないだろうかと考えはじめます。ちょうどその頃、シニアの生涯学習支援を行なう大阪府シルバーアドバイザー養成講座が南大阪でも開講されることになり、柴田さんはそのボランティア養成講座に通うことにしました。

修了後、講座で出会った男性7名・女性3名の仲間と共に1人10万円ずつ出し合い、2007年にスタートしたのが、「特定非営利活動法人ASUの会」でした。女性メンバーは、泉北の高齢化問題を解決するお手伝いができないかと、シニアの生きがいをつくるコミュニティカフェを立ち上げ、男性メンバーは当時注目されはじめていた環境問題に着目し、家庭の使用済み天ぷら油からバイオディーゼル燃料をつくり始めます。

泉北ニュータウンの街並み

製造したバイオディーゼル燃料は、堺市のゴミ収集車にも使われ、メディアにも取り上げられました。その様子を見て、柴田さんに堺市からこんな提案が舞い込みます。

柴田さん 堺市の環境局長から、バイオディーゼル燃料の使いみちをもっと広げましょう、とお話をいただきました。そこで地域の農家の協力も得ながら、耕運機やハウスなど農業分野にも使ってもらうことにしたんです。

しかし農家さんにバイオディーゼル燃料を進めても、本当に安心・安全なのか信用してもらえず、なかなか導入してくれません。そこで自信を持っておすすめするために、自分たちで農業を始めることにしたのです。

柴田さん 2012年から農地を借りて、農業の担い手を増やす「みないき農業塾」を開講しました。農業塾の畑はもちろん、塾の卒業生にもバイオディーゼル燃料を使ってもらうことで、安全性を伝えていこうとさまざまな取り組みを進めていきました。

NPO法人では農家さんから農地を借りにくかったため、新たに「一般社団法人堺南すこやかファーム推進会」を設立。現在、「みないき農業塾」で栽培した野菜は、女性たちがオープンしたコミュニティカフェ「まちかどステーション」で販売されるほか、市内の飲食店にも使われています。

また2017年に迎えた泉北ニュータウンまちびらき50周年事業では「“泉北・ファーム”プロジェクト」として、野菜の手入れや収穫の仕方を学ぶ体験会や、泉ケ丘駅前のいずみがおか広場で近郊農家の野菜を集めてマルシェを開催しました。

柴田さん 環境も農業も、経験のないところから事業を始めました。スタートも含め、いろんな人との出会いがありご縁で関係が深まり、活動が広がっていったんです。これからもその輪を大切に、みなさんに感謝していきたいですね。

専業主婦から起業
地域の食と人をコーディネート

つづいてお話をお聞きしたのは、「地域密着いただきます プロジェクト」の山口さんです。山口さんは泉北の食材を使ったお菓子づくりや、専門学校の講師、料理教室、堺市役所のレストランメニューの考案など食に関わる幅広い活動をしています。

山口さん

今でこそ精力的に活動する山口さんですが、短大卒業後すぐ結婚。専業主婦として15年、子育てや家庭に専念していました。子育てや子どもの教育に必死な毎日、「ずっと家にいることに疑いを持たなかった」と振り返る山口さんを変えたのは、自身の病気でした。

山口さん 36歳の時に病気になり、2週間ほど入院したんです。病室でがん患者さんとおしゃべりしていたら、「あなたは、元気になったら何かやらないとダメよ」と。

働いた経験もろくにないし、何をしたらいいんやろと思っていましたが、病院で背中をおされたことを素直に受け止め、「私は料理が好きだから、大好きな料理を仕事にしたい!」と思いました。でも誰が料理好きなだけの主婦を雇ってくれるんだと思い、栄養士の専門学校へ行ったんです。

自分より若い先生、初めて自分で払う学費…子育てや家事に追われながらも、料理を仕事にするため山口さんは猛勉強し、無事に卒業。栄養士資格を手にすることができました。 

山口さん 資格を取って終わりでは、家族にも示しがつかへんので働くことにしました。でも私、栄養士になってから2015年に起業するまでの11年間に、11回も転職しているんですよ(笑)

どれだけ転職しても、絶対に栄養士はあきらめないと決めた山口さんは、ある時は保育園や病院で、またある時は大学の研究員として働きながら、栄養士として本当にやりたいことは何かを考えました。その中で、起業の原点とも言える出来事が起こります。

山口さん 保育園の給食は、アレルギーのある子どもに対して除去食をつくるんですね。でも、私はアレルギーのある子もない子もみんなが同じものを食べられるように、卵や乳製品を使わなくてもおいしく食べられるメニューを考案しました。

これを「なかよし給食」と名付けレパートリーを増やした結果、保育園としてレシピ本を出版することになったり、メディアに取り上げられたり、自治体の給食にも導入されたりして、新しいアレルギー食の形として受け入れられるようになりました。

この時、過去に誰もやっていないことを進めていく難しさと、できた時の達成感を実感しましたね。

栄養士のやりがいを味わい、「これからもっと頑張ろう」と思っていた矢先、山口さんは再び入院。保育園を退職することになります。

そして体調が回復した2015年4月からは、堺市役所内にある食堂「森のキッチン」で働き始めました。「森のキッチン」は、堺市の食の魅力を発信する場であり、障がい者の就労支援施設でもあります。

山口さん 勤務を始めてから、”毎日食べても、食べ疲れない”というコンセプトのもと、揚げ物メニューの提供を辞めようと提案しました。それまで揚げもののない日はなかったので、かなりの抵抗感はありましたが、健康的な食事を毎日とっていただくためにやりましょうよ、と進めていきました。

飲食店の定番である揚げ物をなくし、堺市内の食材をいかしたメニューに切り替えた結果、女性客が増え、「ヘルシーでおいしい」という声が聞こえるようになったといいます。

”普通”や”当たり前”を疑い、挑戦をつづける山口さん。その根底には、食へのこんな思いがあります。

山口さん 息子が小学生の時、大規模な食中毒が発生しました。その時、食は人を健康にもするし、命をおびやかすこともあると知って。だから何を食事として提供するか責任重大やなと。食事で命の危険がないのは当たり前で、さらに食の安心・安全と言うけれど、それを支える栄養士や調理師にかかるプレッシャーはとても大きいと痛感しました。

保育園、病院、レストランなどで働く中で山口さんは、自分が好きなこと、向いていることを見つけていきました。そして2015年12月、起業という道を選びます。

山口さん 「森のキッチン」に集まってくる堺市内の食材を扱ううちに、私のやることは食材をコーディネートすることと思ったんですね。泉北唯一の養鶏場「ヨシダファーム」の卵と、水の綺麗な土地で育った「上神谷(にわだに)米」があるから、組み合わせてみようと、米粉のシフォンケーキを完成させました。

泉北の米と卵、レモンなどでつくるシフォンケーキ「お米のハレすがた」

さらに活動の幅を広げるため、山口さんは2016年に自宅をリノベーションして菓子工房をつくりました。今後はお菓子づくりに留まらない仕事をしていきたいと考えています。

山口さん これからは泉北のみなさんの食のお悩みやお困りごとを解決する存在でありたいです。衛生的にやる方法や、B級品の野菜を活かす方法などを相談してもらう中で、アイデアを提案したいですね。

生産から販売までニュータウンで。
仕事もお金ももっと循環させたい

このように柴田さんは農業で、山口さんは料理で食に関わっています。日頃から一緒に仕事をすることもあるという2人。50周年を迎えた泉北ニュータウンで、どんな未来をつくろうとしているのでしょうか。

ここからは柴田さん、山口さん2人の対談をお送りします。

山口さん 今、泉北の食材を使ったお菓子づくりなどをしていますが、私が足を棒にして食材を探したわけではなく。全部柴田さんにお願いして、「こういうのやりたいんですけど、ありますか?」って聞いているんです。

柴田さん 本当は自分で行かないといけないですけどね(笑)

山口さん その通りなんですけど、食材を集めるところからやると倒れると思うんですよ。農家さん一人ひとりに声をかけて、旬を見極めて、調整がすごく大変ですよね。

柴田さん 「まちかどステーション」に農家さんが野菜を持ってこられるんですが、栗や原木しいたけなどスーパーに並ばないようなものも届きます。食材が届くと、「山口さんなら、どう加工するかな?」と考えて、「こんなのあるけど、何かつくる?」と相談することもあります。

山口さん 料理教室をする時も、「レモン5個、ネギ400g…」と少量でお願いできるのがありがたいです。柴田さんは細かく丁寧に、いつ、どのくらいの量の野菜があるか教えてくれるので、助かっています。

柴田さん 泉北の野菜は良いものが多いです。知られていないけれど、堺市は大阪府で野菜の出荷額が一番大きいんです。

山口さん おいしいのはもちろんですが、泉北の食材を使う魅力は近さですね。すぐそこにあるから。トラックに載せて、遠くからやってくるのとは違う、ご近所づきあいの延長のような関わり方です。注文メールをしたら、「了解!」って返ってくる距離感。

農家さんが「まちかどステーション」に持ち込んだ栗を、柴田さんが山口さんに相談し、つくったパウンドケーキ(左)

柴田さん 今年は台風の被害も大きく、白菜や小松菜がダメになった農家さんも多かったです。生食で出荷するのは難しいけれど、加工に使える野菜を泉北で循環させる仕組みを考えたいですね。

山口さん 農家さんも今は災害でやられてしまったら、「もう終わり」と思っているけれど、用途があると分かっていれば安心ですよね。小松菜はカルシウムが豊富なので良く使うのですが、ピューレやふりかけにすると、手軽に栄養をとれていいんですよ。

私は去年、自宅を改装して工房をつくって菓子製造の免許をとりましたが、瓶詰め、缶詰めなどは製造・販売できません。だから泉北に共同の加工場があるといいなと思います。柴田さん、つくってください(笑)

柴田さん 私は75歳で高齢ですから、そこは若い人が(笑)

山口さん 加工場があれば、たくさん採れたトマトをケチャップにできますし、ピクルスをつくって瓶詰めで売ることもできます。いつでも出せるように試作してレシピは準備しているのですが、販売するとなると免許の壁があります。せっかく生産現場が近いので、加工、販売と良い循環を泉北につくれるといいですね。

柴田さん 加工品は日持ちもするし、生鮮よりも良い値段で売れるから、やりたいですね。

山口さん 正直、泉北にある食材を組み合わせてシフォンケーキをつくったことで「つないだ、つないだ」と自己満足していた時期もあったんです。でも、ちがうなと。次は、農家さんが採れすぎたり、規格外で困っている野菜を活かす道を考えて、価値をつくりたいです。

柴田さん 私はね、農福連携を進めたいので、泉北で障がい者の人達が働ける場をつくれたらいいなと考えているんです。

山口さん 「森のキッチン」で障がい者の人達と働いていますが、みんな一生懸命だし、やれることがどんどん増えていく。可能性がありますよね。お菓子を一緒につくったり、包装をしたり、一人ひとり得意なことをいかしてもらえたらいいなと思います。

柴田さん 授産品として販売するのではなく、「おいしそう」という動機で買って食べたら授産品だったというくらいに、売れる力がある商品をつくって、工賃も上げられるようにしたいです。

山口さん 小学生の頃から泉北ニュータウンに住んでいますが、泉北の食材に注目するようになって、すごく良い町だなと改めて思いますね。京都にも負けないと思えるほど、四季折々の景色が広がりますしね。

柴田さん 私は住んで25年ほどになりますが、住環境としてすばらしいと感じています。泉北ニュータウンの周辺には農村部が残っていて、神社やお寺もありますし、代々の農家さんもいらっしゃいます。これからは泉北ニュータウンだけではなく、周辺の地域ともうまく融合しながら、自然と文化を育んでいけるといいですね。

(対談ここまで)

泉北ニュータウンは大阪の中心部から少し距離があるので、中心部に勤務する人にとっては通勤時間と交通費から懸念されがちです。でも柴田さん、山口さんのように、自分が住む町をフィールドに仕事をつくれば、住みたい場所で自分らしく生きていけます。

身近に自然や田畑のある暮らしは、農村に住まないと難しいと思われがち。しかし思いきって農村へ移り住まなくても、都市のような利便性と緑が広がる自然、そして多くの人が住む泉北ニュータウンなら、仕事と暮らしのバランスをとりながら経済を循環させていくことは十分に可能だと、2人から教えてもらいました。

自分ができること、やりたいことを積み重ねて、2人の活動はゆっくりと広がりをみせています。今後さらに多様な人を巻き込み、生産から加工、販売まで泉北でぐるぐる循環する新しい地産地消の形を、2人はつくっていくでしょう。

つなげる、ひろげる、つたえる。
まちを楽しくする小さな一歩を、あなたも踏み出しませんか?

(撮影: 寺内尉士)