神奈川県逗子市の森の中にある「ごかんのもり」、山の麓の住宅街に佇む「ごかんのいえ」。“保育とパーマカルチャーとアート”を掲げた2つの保育園を営んでいるのが、NPO法人「ごかんたいそう」です。2012年から始まった保育事業については、約2年前にこちらの記事で紹介しました。
海や山といった身近な自然をフィールドにした野外保育を基本に、パーマカルチャーガーデンでの農作業、アートのワークショップなど、子どもたちの“ごかん”をくすぐる体験に溢れた「ごかんたいそう」の保育。“カラフルな社会”を思い描き、そのベースとなる“自分の個性を誇れる自尊心を育む”ことを大切に、日々の暮らしを積み重ねています。
6年目を迎えた今、その取り組みは園を飛び出し、まちへ。そして、社会へ。
たとえば、自然・アート・ひとのつながりによって、心の居場所となるパブリックスペースをつくる社会実験「ごかんのたねプロジェクト」が進行中。逗子駅前に登場した「ごかんのえき」では、野菜の種つきフリーペーパーも配布しています。
また、子どもたちが育てた無農薬・在来種の野菜の苗を、「ごかんのもり」での「プラントセール」や「青山ファーマーズマーケット」で販売することで、社会との接点を築いてきました。
さらには、小中学生が子どもならではの感性を活かし、クライアントから請けた仕事に本気で取り組む「こどもクリエイティブエージェンシー」や、保育に関わる大人向けの学びの場「ごかんゼミナール」を立ち上げるなど、その想いを、世代や地域を越えて伝え続けています。
ご縁で出会った人々とともに、ゆっくりと、丁寧に、大切にしたい価値観を育み、伝えていくその歩みは、まるで“文化”をつくっているかのよう。私はそんなことを感じながら、2015年の取材以来、「ごかんたいそう」のその後を見守ってきました。
「ごかんのことば」という贈り物
2017年11月、ふとしたきっかけで訪れた「ごかんのもり」。そこで、「ごかんたいそう」の代表・全田和也さんは、一冊の小冊子を見せてくださいました。
手作業を感じるミシン目がかわいらしく、小さく控えめに『ごかんのことば』と題されたその小冊子は、2015年4月から約2年間に渡って毎月発行してきた園だよりに寄せた全田さんのコラムをまとめたものでした。
「パーマカルチャー」や「予定不調和」といった、「ごかんたいそう」が大事にしている哲学が、日々の暮らしの中でどう活かされているのか、どのような眼差しで子どもたちを見つめているのか、何を大切にしているのか。
「ごかんのことば」には、子どもたちと日々の暮らしを積み重ねている全田さんの眼差しが優しく謙虚に、そして力強く表現されていて、私はその言葉たちが持つ力に、圧倒されてしまいました。想いを伝えるって、きっと、こういうこと。届けたい相手への“贈り物”としての眼差しが、そこにありました。
通常は保護者の方々だけが目にする、園だより。今回は特別に、みなさんにその一部をご紹介したいと思います。
「ごかんたいそう」が広く社会へ伝えようとしている想いが、ぎゅっと凝縮された「ごかんのことば」。子どもたちの日々の暮らしを思い浮かべながら、味わってみてください。
(コラムは、原文のまま掲載します)
予定不調和・安全第二
予定不調和
親も保育士も大人はつい、自分たちが先回りして準備したり、経験からこうすべきだろうと思う「予定調和の世界」に子どもたちを引き入れようとします。でも、子どもたち(とくに乳幼児期の子どもたち)は、好奇心(sense of wonder)の固まりであり、また、それが全ての成長と気づきの原動力。好奇心の芽が開けば、大人が予測した行動をはずれることはしばしば、いわば、子どもは予定不調和の世界の生きものといえます。だから、私たち大人は、子どもたちが好奇心をくすぐられて予想外の行動にでても、すぐに予定調和の世界に引きずり戻そうとするのではなく、自分の中にある子ども心を呼び覚ましながら、子どもたちと同じ目線で向き合う・見守ることができたらと感じています。(2015年4月)
安全第二
あえて誤解を招くような言葉ではありますが、これは決して安全をないがしろにするという意味ではありません。安全はもちろん第一なのですが、大人って「安全だけ第一」と、つい考えがちではないか、と感じます。ごかんの子どもたちをみていて、私が一番気づかされるのは、子どもたちの自ら育つ力がすさまじい、ということです。子どもたちの世界、子どもたちだけの世界の中で、一人一人が日々、いろんなことにチャレンジし、失敗を繰り返したり、成功をしたりしながら、成長をしていく場面は本当に感動を覚えます。
是非、安全だけ第一にして、なんでも大人がすぐに介入せずに、子どもたちの自ら育つ力を保護者の方も一緒になって信じていけたらと思います。(2015年4月)
前回の記事でもご紹介した「予定不調和」と「安全第二」は、「ごかんたいそう」が大切にする価値観の大きな柱。先日訪れた「ごかんのもり」でも、全田さんは、予定不調和な子どもたちの様子を、楽しそうに話してくださいました。
たとえば、園庭の脇に置かれたコンポスト。生ゴミや落ち葉を分解して堆肥化させるものですが、子どもたちが落ち葉を入れすぎてしまい、なかなか堆肥にならないのだとか。
さらには、パーマカルチャーガーデンで成長を続けるグミの木。植えたかった場所が子どもたちの追いかけっこの通り道になってしまって、大人の計画どおりのガーデンはつくれなかったそう。
こんなだから、いつも失敗だらけですし、ガーデンはいつまでたっても未完成です(笑)
と、あれもこれも、笑い話として語ってくれる全田さん。
ガーデンを立ち入り禁止にしたり、コンポストを大人が管理したりすれば、思い通りのパーマカルチャーガーデンをつくることもできるはず。でも、そうしない理由は、「予定不調和」「安全第二」という考え方を知れば、明白です。
「ごかんたいそう」が大切にしているのは、子どもの予想外の行動を「安全第二」で見守り、「予定不調和」な存在の子どもが介入することで生まれる世界を、ともに味わう姿勢。
作業中は危ないから、ちゃんと堆肥ができないから、と子どもを遠ざけるのではなく、興味を持った子どもたちの好奇心を大事に、もちろん安全には最大限の配慮をしながら、見守る。そして、楽しむ。
園だよりに紡がれた言葉からは、そんな「ごかんたいそう」の日常を、うかがい知ることができます。
成果第二〜Solution is the problem〜
「ごかんたいそう」の保育の大きな特徴は「パーマカルチャー」の哲学を取り入れていること。それを象徴する言葉のひとつに「Problem is the Solution」(問題や壁が発生したことをネガティブに捉えずに、大きな学びと成長の機会と捉える考えかた)というものがあります。
その姿勢は別のコラムで語りつつ、全田さんは「Solution is the problem」というオリジナルのメッセージを伝えています。
成果第二 / Solution is the problem
なんのことやらって思われるかもですが、僕が、最近、子どもたちの暮らしをみていて感じるのは、「解決すること、乗り越えること。結果や成果がでること」って子どもたちそれぞれのペースがあるのに、大人はすぐに成果や結果を求めすぎていないかな、ということです。そこに関心が向かうタイミング、勇気をもって伝えたり表現するまでその子の中で感情や思考が膨らんでいくスピード、そもそもその子自身がもつ個性や世界は、一人ひとり異なると思いますし、異なっていいと思っています。
今の時代はすぐに結果・成果が求められる感じがしますし、情報があふれているから、なんでもわかったつもりにはすぐに到達できる。だけど、実際やってみるとうまくいかなくて試行錯誤する時間が必要だったりします。
自戒の念を込めて、僕は、子どもと向き合う大人として、自分の感覚・野生や思考力をつかってリアルな世界で試行錯誤していく子どもたちの姿、その行程自体を尊重する心をわすれないようにしたいと思います。(2016年7月)
先ほどのコンポストやガーデンづくりの例でも、「成果第二」の姿勢が見られました。どちらも、言ってみれば「失敗」です。でも、全田さんは、
失敗もあって当然。自然界では普通に起こることですからね。
と笑い、失敗も含めて一緒に体験すること、体験を通してともに学び成長することを大切にしています。
前回の記事でも、大切に育てたサツマイモがひょろひょろだったのに、子どもたちは不満を言うどころか、葉っぱを入れたお味噌汁を「おいしい!」と言って食べたというエピソードをご紹介しました。
大事なのは、「成果」ではなく、その試行錯誤も含めた「過程」を体験すること。それはいわば、子どもたちをサービスの「お客さん」にしないということなのでしょう。お客さんではなく、ともに生きる暮らしの「当事者」であることで、子どもたちの中にある種の「責任」が生まれ、失敗という結果をも、自分ごととして受け入れることができる。
私自身、4歳の娘を前に、「喜ぶ顔が見たいから」と、ついついお膳立てをしてしまうことがあります。でも、それは子どもが本当に求めていることではないのかもしれない。本当の自尊心を育むことにつながらないのかもしれない。そんなことを感じながら、「成果第二」という言葉を受け取りました。
自尊心は世界をひらく
「成果第二」という言葉を受けて、私の中に、「成果ではないかたちの自尊心って、どうやって育まれるのだろう?」という疑問が湧いてきました。成果を求め過ぎないのはいいけれど、「できた!」という達成感は、きっと子どもたちにとって大きな自信となるはず。「ごかんたいそう」では、自尊心を育む環境をどのようにつくっているのでしょう。
その答えをくれたのが、このコラムでした。
自尊心は世界をひらく
だんだん年度末が近づいてきましたが、毎年、この時期になると、子供達がいきいきと育っているな、と実感する機会が多くなります。そして、一人一人の子を見ていると、なにか一つのことでえた自尊心は全方位にひろがっていくものだなって感じています。例えば、靴を履けなかった子が自分で履けるようになると、着替えも自分でやろうとしたり、お散歩で斜面登りにチャレンジし始めたり。斜面登りを怖がっていた子が、そのうち斜面登りできるようになると、以前になかったようなお友達との関わりでのリーダーシップを発揮しはじめたり。引っ込み思案気味だった子が、お散歩でみんなについていけるようになったら、他のいろんな場面でも自分からチャレンジしはじめたり。
僕は、こういう様子をみていて、なにか一つのきっかけで培った自尊心は、なにもその特定の分野にだけ発揮されるというわけではなくて、全人格に染み渡って、その子がいろんな場面でチャレンジすることに発展し、結果として、その子の世界がひろがっていくのだな、と気づかせてもらいました。
そして、僕達大人が気をつけたいなとおもうのは、子供達が自尊心を培う瞬間は、大人の固定概念で思い浮かぶようなわかりやすい結果を出した時では必ずしも無い、ということです。長縄跳びで◯◯回跳べるようになった!というのももちろん大きな達成感です。でも、ある子にとっては、長縄跳びで失敗した姿をみんなに見られるのがいやで、本当はやりたいけどチャレンジする勇気がでなかったのに、数日間いろいろ心の葛藤と戦った末に、勇気を持って順番の列にならんだ瞬間が大きな一歩だったかもしれません。
僕は、こういう何気ない日常にあるささいな自尊心の種をなにげなく大人の感覚で先回りして摘み取らないように見守ることを常に意識したいですし、こういう瞬間をできるだけ見逃さない感受性もあわせて持ち続けたいなと思っています。(2017年2月)
全田さんに聞くと、この長縄跳びのエピソードにおいて保育者は、なかなか勇気が出ないでいるこの子の様子を気にしながらも、何気なく一緒に過ごし、無理に誘うようなことはしなかったそう。その結果、この子は、自分の「意志」で列に並ぶことができたのです。子どもの気持ちに寄り添い、感情が揺れ動く過程を丁寧に見守ったからこそ、保育者も「大きな一歩」として祝福できたのでしょう。
わかりやすい「成果」ではない子どもの行動を、「大きな一歩」として見られるかどうか。大人の眼差しや感受性次第で、子どもの自尊心が花開くということが見えてくるエピソードです。
多様性は多面性を認め合うこと
“自尊心を育む”ことの先へ。今度は、全田さんの“カラフルな社会”への想いが感じられるコラムを紹介します。パーマカルチャーというレンズを通して社会を見つめている全田さんの眼差しが、力強く響きます。
多様性は多面性を認め合うこと
パーマカルチャーの原理の一つに、「多様性を利用し、尊ぶ」という考えかたがあります。元々、ごかんたいそうを立ち上げたときに思っていたことも、「自分の個性を誇れる子を育むこと。社会が多様な個性に溢れ、カラフルになること」。これって、概念としてはわかるけど、実社会に当てはめるとそう単純なものじゃないよ、って感じる方も多いかと思います。気が合うもの同士、境遇が近いもの同士で一緒にいる方が楽だし、とか、あの人は●●なところが短所だからもうかかわりたくない、とか。
でも、自然の世界をよく観察していると、面白いことに気づかされます。例えば、カラスは、畑を荒らすみんなの嫌われ者だと思われがちですが、別の面からみれば、畑をもっと荒らすヒヨドリから畑を守ってくれていたりします。どんどん繁殖して手がかかる雑草だと思われがちなクローバーも、見方をかえれば、根っこを通じて、土に栄養をあたえてくれるマメ科の働き者なのです。パーマカルチャーの考えかたを通して自然をみていると、一面的な見方をすれば存在が否定されるものでも、別の見方からすれば、生態系にプラスの貢献をしてくれているものばかり。生態系にとってまったく意味がない生き物などひとつも存在しない。ということに気づかされます。
ごかんの子どもたちには、自分の個性を誇れる自尊心を育んでもらうだけでなく、単純な好き嫌いで人を否定したりせずに、人にはいろんな多面性があって、それぞれの個性・存在自体は、社会を構成する多様な人格の一つとして尊重する心(おおげさにいったら人類愛ということかもしれません)を育んでもらえたらと願っています。(2016年5月)
子どもの原体験をつくるということ
この記事の最後にお届けするのは、この1本。大人の役割は、“子どもたちの「原体験」をつくること”だと、全田さんは教えてくれています。
乳幼児の子供達がみる世界
ここ最近、ごかんのもりのパーマカルチャーガーデンでの子供達の遊びがとても広がっています。野菜を育てる楽しみだけでなく、石材や木材の端材をつかってアースオーブンづくりのまねっこをしたり、左官ごっこをしたり、そうかと思えば、ともさんと一緒に楽しそうに、給食の生ゴミをコンポストに運んでみたり。最近は、ごかんのいえの1,2歳児もよく遊びにきて野菜をとってかじったりしています。そんな光景をみていて、ふと思うのが、大人の私と違って乳幼児のこの子たちにとっては、彼らが見て感じるこの光景・この世界が原体験だということ。乳幼児は、こういう原体験に触れる中で、人格形成をしたり、社会や世界に対する認識をしていくように思います。
ごかんの子供達が、「世界は自然と人が共生して成り立っている」ということを、おおきくなってから頭で学ぶのではなく、心のそこから、「そんなの当たり前でしょ」と感じられる人にそだっていってくれたらな、と願っています。(2016年3月)
あなたのとなりにいる子どもたちは、どんな原体験に触れているでしょうか。
この記事で紹介したすべての眼差しが、「ごかんたいそう」の子どもたちの原体験・原風景をつくっていくように、子どもに贈りたい原体験を思い浮かべれば、自然と大人のあり方は定まってくるのかもしれません。
想いが文化に変わる日まで
一人ひとりの自尊心から、豊かな個性が花開くカラフルな社会を思い描く全田さんの「ごかんのことば」、みなさんはどう受け取りましたか?
私にとっては、子どものとなりで生きる自分のあり方、子どもに贈りたい原体験を、ゆっくりと思い浮かべるきっかけになりました。でも、そこに「こうすべきだよ」という押し付けのようなものは一切感じません。常に子どもに対して謙虚に向き合い、学ぶ姿勢を忘れない全田さんの眼差しが、心地よい余韻として心に残っています。
こんな園だより、保護者として受け取ったら、涙が出てしまいそうだな、とも。
そしてもうひとつ、この小冊子を手にして感じたのは、言葉を紡ぎ続けることの、果てしない可能性です。
園だよりは、一般的には行事予定などを知らせる保護者の方々へのお便りですが、一方で、月に一度、定期発信する小さな“メディア”でもあります。そう考えると、そこに“想い”をのせることで、ご家族が日々の暮らしやあり方について想いを馳せるきっかけをつくることができますし、共感を得た眼差しがじわじわと読者(=保護者)の暮らしの中に浸透し、子どもの原体験や自尊心という未来への贈り物に変わる可能性もあると思います。
それは、マスメディアによる一度きりの取材記事では、おそらく成し得ないこと。時間はかかるけれども、伝えたい相手を想いながら言葉を紡ぎ続けることで、一言では表現しづらい想いは哲学や価値観として伝わり、その結果、やがて文化をつくることにもつながる。全田さんの想いの詰まった言葉たちに触れ、私はそんなことを感じました。
「ごかんのことば」の続きは、逗子や葉山、鎌倉など近隣のまちを中心に都内でも配布している種つきフリーペーパー『ごかんのたね』に掲載されています。現在配布中のvol.03には、ほうれん草の種を同封。
その想いがじわじわと、まちへ、社会へと伝わっていく日を楽しみに、私はこれからも、「ごかんたいそう」の歩みを見守っていたいな、と思います。
子どもの環境をつくることは、未来をつくること。その「環境」は、あなた自身があり方で示し、そしてそれを表現することによって、より確かなものとして伝わっていく。いつかきっと、文化になっていく。
私が記事を通して言葉を紡ぎ続けるのも、そういうこと。「社会全体で子どもの育ちを見守る文化をつくる」ことを諦めず、ささやかながら、これからもこの連載を積み重ねていきたいと思います。
言葉は、ライターや作家だけのものではなく、みんなのもの。わたしたちの暮らしのなかにある、ちょっとしたメモ書きだって、想いを伝える“メディア”です。
もうすぐ2018年。まっさらな手帳を開いたら、まずはあなたの大切にしたい想いを、言葉にしてみることから始めてみませんか。それがあなた自身のあり方をつくり、誰かへと伝わり、未来への贈り物になるのかもしれないのですから。