「働く」で社会を変える求人サイト「WORK for GOOD」

greenz people ロゴ

僕にもできる、やれると思えたから。「グリーンズの学校」に通った井上豊隆さんが、自分ごとの挑戦を始めるまで。

44歳、サラリーマン。キャリアパスの中で、実績、裁量、体力を一番活かせるであろう、この時期に、不動産運営会社に勤務する井上豊隆さんは、自身の働き方を大胆に変える一歩を踏み出しました。

具体的には、担当物件を満室にしさえすればいいと、考えていたノルマ体質を捨てて、一室一室に暮らす、住民の声に耳を傾ける、能動的な働き方をはじめたのです。

経験豊富になるほど、路線変更するのが苦しくなるであろう、働き方という基本方針を、井上さんが変えようと思ったのは、「グリーンズの学校」に通ったことがきっかけでした。「自分ごと」というキーワードを知り、講師やファシリテーターとの学びを通じて、「変えたい」と思ったのだと言います。

一体、どんな学びを体験したのでしょう? 「グリーンズの学校」での体験を、井上さん自身の言葉でお届けします。

井上豊隆(いのうえ・とよたか)
1971年生まれ、5人家族のパパ。バックパッカー時代に、フランス・パリで出会った女性と結婚。2011年3月に、とある経験をしたことで、グリーンズの学校に通うことを決める。卒業後、マイプロジェクトの立ち上げに挑戦するも、挫折。現在は不動産運営会社に勤務

働き方を変える以前
仕事はイケイケだった

バックパッカーをしていたとはいえ、結婚してからの僕はずっと“自分で動かない”人間でした。

自宅にいても、喉が渇いたら座ったまま、カミさんに「お茶ぁー!」って、頼んでしまうような、面倒臭がる性格で。タバコも吸うし、お酒も飲むし、ぶくぶく、太っていましたし。

そのくせ、会社ではイケイケで、部下には「オレも30までは、無茶を我慢して頑張ってきたから、お前もそれぐらいやれ」みたいに、相手のことを考えない物言いをしてきました。

2008年には、勤務先の会社が倒産して、関係各所を謝罪して回ったんですけど、深く頭を下げる一方で、正直に言って「俺が潰したわけじゃないんだよな」と思っていたんですよ。

カミさんは心が病んでしまうほど思いつめていたのに、僕は「次の勤務先ぐらい、すぐに見つかるでしょう」と思っていて、確かに自分の身に起きたことだけど、どこか他人事のようでした。

そんな僕にとって、転職した不動産運営会社の同僚たちと体験した、2011年のあの出来事は本当にショックだったんです。

井上さんが価値観を見直す転機になった
「国立駅北口タクシー乗り場事件」

その日は3月11日でした。僕はJR中央線の国立駅と立川駅の間で緊急停止した電車に乗っていました。2〜3時間は缶詰になった後、車内に「みなさん歩いて帰ってください」というアナウンスが流れて、会社の偉いさんや同僚と一緒に国立駅まで行ったんです。

電車から降りた時の記録

自宅は横浜なので、偉いさんからタクシーチケットをもらった後、南口の飲食店で飯を食って、携帯電話を充電しました。それで4、5時間してから飲食店を出て、北口のタクシー乗り場まで行きました。

井上さんは、ここで人生の転機になる体験をします。

北口には、まだタクシーを待つ人が大勢いました。そんな中、僕もタクシーに乗るために並んでいたんです。すると、列の先頭に並んでいる人が、

先頭の乗客 次、A方面に乗る人いますかー!?

って呼びかけたんですよ。よく聞いてみると、台数の少ないタクシーにきっちり乗るため、先頭の人と同じ方角の人が優先的に乗車できるようなルールができていることに気づきました。

しかも、1台に3名まで乗車する中、必ず1名は高齢者を乗せるようなしくみになっていたんです。高齢者の行く先は問わず、必ずその人の自宅まで寄ってから、他の乗客の住まいに順番で向かうことになっていて、その光景に僕は「すげぇ……」と圧倒されてしまいました。

自分自身のことを、振り返らざるを得なかったようです。

僕は腹ごしらえをして、携帯電話まで充電して、タクシーチケットまで持っている、最強の状態で帰ろうとしていたんですよ。何なら、1、2人抜かして先に乗ってしまおうとさえ考えていましたし。

そんな浅ましい根性を持っている僕には、きっとこんなシステムを考えることは100%できなかっただろうなと感じました。そうしたら、何だか今までの生活すべてが本当に恥ずかしくなってしまい……。

「恥ずかしい」。それで終えなかったところが井上さんの変化。

そんな体験をしたから、ここで変わらなきゃ自分はダメだと思ったんです。そのあとすぐに何か自分を変える情報はないか探しはじめていって、見つけられたのがgreenz.jpでした。

グリーンズの学校に
通うことにした経緯

僕にとって、greenz.jpは他の情報源とインパクトが違いました。「こんなことを考えて、動いている人たちがいるんだ」と思ったんです。とはいえ、まだまだ他人ごとで、「じゃあ、僕は何をしたらいいの?」って感じでもあったんですね。

とりあえず建築業界にいたから、「被害のあった場所では建物をどう回復しているんだろう?」って、2012年には世田谷区の勉強会に参加していました。でも結局はすぐに行動できなくて2015年になってしまった頃に、グリーンズの学校の「集う場づくりクラス」を知りました。

井上さんが参加した「集う場づくりクラス」の様子。写真左で話しに集中しているメガネの男性が井上さん。第1期のレポートはこちら

たとえばマンションの建て替えをする時に、権利変換交渉という仕事があるんですね。それは建物Aから建物Bに行く時に「建物Aから考えて、あなたの部屋の資産はこの金額になるから、建物Bではこの部屋ですよ」と移動させるための交渉なんです。

でも、それって算数でしかないんですよ。そうじゃなくて、心や実生活に対して何かしたくて、なぜだか場づくりに関心が向きました。

それで第1期の集う場づくりクラスに参加したんですけど、実のところ僕は、初回の授業で何を言われているのか、さっぱり理解できなかったんですよ。

「あなたは何に興味があるの?」

これはグリーンズ・プロデューサーの小野裕之さんが初回の授業で参加者全員に聞いた質問です。正直、「いや、何もないですよ」って感じで、本当に困る質問をするなぁと思いました。

集う場づくりクラス。焚き火を囲んで、ダイアローグ

小野さんのしゃべりは、淡々としているからこそすごい熱量が伝わってきます。クラスの先生だった長島源さんも、人生に厚みがあってしゃべりが温まり出したら止まらない人でした。

ファシリテーターの塚越暁さんを含む3人からは、どうやって場づくりをしていけばいいか、アイデアの善し悪しは別としてこんな風にやっている人がいるんだよということを教わりました。

クラスでは僕がどんな場づくりをしていくのか考えていきました。

集う場づくりクラスで、井上さんはまたも自分自身と向き合うことになりました。

でもスムーズにはいかなかったんですよ。だから小野さんから、ズバズバ言われたんですよね。

小野 ちゃんと“じぶんごと”にできていない。それはマクロっぽく語っているようで、逃げているだけだね。

とか。それでどうしたらいいかなと思っていた時、塚越さんが前にgreenz.jpの記事で答えていた、

塚越さん 何を始めるかよりも、何から捨てるか考えた。

ということをやってみました。でも僕の場合は捨てるものが山ほどあり過ぎて、まず何から捨てようか優先順位ばかり気にして動けなくなっちゃいました。

井上さんは、自分に合ったやり方を探しはじめます。

やっぱり動くことって難しいじゃないですか。このままじゃダメだと思いつつも、どうすればいいか見えていない中、1000本ノックのように、“じぶんごと”に関するフィードバックを小野さんからみっちり受けたんですよ。

そうしていたら、もう現実逃避したくなっちゃって。クラス期間中にもかかわらず、トランジション藤野が開催している1DAYツアーに参加しちゃいました。

すると、ツアーで会えた藤野町の人たちがご自身のやりたいことを好き勝手にやっているように見えて、もしかしたら、こういうことなのかもしれないって感じたんです。

藤野町の人たちも3月11日以降に活動を始めていて、同じタイミングで行動を意識した人たちが実際に動けているんだってことを、形で見せてもらえたような気がしました。

それで僕の場合は「できること“しか”やらない」って決められたんです。そう思えたのは、企画を考える間に小野さんが、

小野 またマクロに逃げてるよ。もっともっともっと考えごとを絞ってみなよ。カミさんでいいんじゃない? 横にいる人だけを幸せにすればいいんだよ。

ということを教えてくれていたからです。そのやりとりがきっかけになって、僕は旅行好きなカミさんのために、子どもがいる主婦でも旅行できるようにするプロジェクトを考えました。

このプロジェクトは、主婦って家族旅行の行き先ですら子守をしなくちゃいけない状況があるから、地域で子供を預かる場づくりをするっていう内容なんですね。すると、小野さんも塚越さんも、

小野&塚越さん グッと説得力が上がったね。

って反応してくれて、これが僕の企画になりました。

もちろん、クラスを卒業したら実行してみるつもりだったんですよ。それが……。

思わぬ展開にも屈せずに
できることへ進む

クラスに通った2015年には、近所のおじさんたちと集まって「おやともの会」という活動にジョインしたんですね。小さな活動なんですけど、地元の人しか気づかない“お宝探し”を企画したり、メールマガジンを書いたり、自分にできることをしていきました。

おやともの会。みんなで楽しく流しソーメン

活動していくと、近所の奥さんたちも集まるようになってきました。それでおやともの会という集う場所が持てたことだし、もしもこの人たちの子どもを僕が預かることができたらプロジェクトを実行できるかもと思って、10人ぐらいに聞き込みしてみたんです。

ただ、急に子どもを預かるっていう話をしたので、人によっては気持ち悪がられちゃいました。

結局、僕がYesかNoか二択で聞いちゃったのもあって、なかなか「預けたい」と言ってくれる人は現れませんでした。小野さんからは、

小野 このプロジェクトは仕事じゃないんだから、もっとホワホワして聞かないと。結論の見えた話を相手にしても、ちゃんと本音が聞けないでしょう。

って言われて、落ち込んだりしました。ただ、うちのカミさんほど旅行好きな奥さんがいないことも、よくわかりました。

「できること“しか”しない」。井上さんは、自分で決めた方針を続けます。

それで、マイプロジェクトはうまく動けなくなったから、何だか違うことを始めたくなって、その時にオフグリッドDIYクラスの参加募集を見つけました。太陽光なら“僕にもできる、やれる”と思えたから参加したんです。

藤野電力と一緒に学ぶ「オフグリッドDIYクラス

僕が参加した第1期のクラスは、別でgreenz.jpに紹介されていたソーラーパネルをつくるミニワークショップの開催日とクラスの初日が重なっていました。

僕はとにかく始めたかったんですね。だからクラスの初日はカミさんに代行してもらって、僕はミニワークショップに参加してソーラーパネルをつくっちゃいました。

クラスを卒業した後も、ミニワークショップでつくったソーラーパネルを改良していき、その様子をSNSで共有していました。

そうしたら、ファシリテーターの前嶋葵さんから「第2期のDIY会場になりませんか?」って声がかかって、いろいろ考えた結果、会場にしてもらって、うちの2階の電力を太陽光発電に変えることになりました。

DIY当日までは、クラスの講師と面通ししに行ったり、娘と協力してご近所の方々にDIYすることを伝えるチラシをつくって配り歩いたりしましたよ。そして、第2期の参加者と一緒にDIYして、みんなの力で2階の電力が太陽光発電に変わりました。

受講生が、井上さんのマイホームをオフグリッドする様子

2011年の転機を経て、井上さんはどのように変わっていったのでしょう?

「国立駅北口タクシー乗り場事件」から6年が経ちました。僕の場合はまだ自分でプロジェクトを起こすところまでに至っていないですけど、考え方は本当にシンプルになったように感じています。それはサラリーマンとして仕事をしていても実感しています。

シンプルに考える?

シンプルに考えるっていうのは、たとえば、お客様本位なのだとしても、顔が想像できない誰かを相手にするような仕事のやり方はしないってこと、ですかね。

以前なら、マンションの新築を計画するにしても、「20代 男性 会社員 目黒勤務の人のために20平米で賃貸マンションを計画しよう」という考え方をしていました。でも今なら「それ誰?」「どこにいる人?」って考えられるんです。

井上さんは、具体的な誰かのために、自分から動くようになりました。

実際に僕が運営を担当しているデザイナーズマンションに対しても、今後の運営をどうしていくか考えるために、住民の方々に会いにいきましたし。住民の人たちがどれだけ部屋を気に入っていて、それに合った家具を揃えようとしてくれているのかという話も聞けて、すごい嬉しくなりましたよ。

昔だったら、絶対にこんなことしてないですよ。まだまだマイプロジェクトとは違うけど、そんなアクションを起こそうと思えるようにはなりましたね。

これってグリーンズの学校で長島さんや塚越さんが、

長島さん&塚越さん それって、誰のこと?

と聞き続けてくれていたのと同じなんです。これなら自分でできる、という覚悟というか、いい意味で肝をすえて丁寧に考えられるようになりました。

(モノローグここまで)

井上さんは、どこか恐縮するようにご自身の経験を話してくれました。そんな様子を見ていて、私は井上さんが「まだまだマイプロジェクトとは違うけど」と言っていることが気になりました。

地元での活動に取り組んだりご自宅の2階をオフグリッドにできていたりして、会社でも自分の考えを持って働けているのに。

そこで「どうしてマイプロジェクトにはまだまだ達していないと思っているんですか?」という質問をしました。すると、井上さんが考えてくれました。

井上さん それは、サラリーマン独特の、用意された看板を背負って動いているという気持ちがあるからなのかもしれません。

そんな僕を見て、もしも本当に「考えながら動けているから大丈夫」と思ってくれているのだとしたら、やっぱり僕は、会社が示した大きくて太いベクトルの中でしか動けていないことに“マイ”を感じていないんだと思います。

井上さんにとってのマイプロジェクトは、大人になってから持つことができた新しいハードルのひとつなのかもしれません。自分でハードルを用意できる人だからこそ、井上さんは変化していけたんだろうなと思いました。

あなたには、自分自身へのハードルはありますか? 時に思い悩む種になるかもしれませんが、悩むからこそ芽生える思いが「ほしい未来」を咲かせるのかもしれませんよ。