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型にはまった知識や肩書きよりも、リアリティがほしい。学びの場に通い続けた新井優佑さんが、究極の“自分ごと”に出会うまで

あなたの「肩書き」は、何ですか?

一般的には職業を答える方が多い中で、最近は「お父さん」や「料理愛好家」など、いわゆる“生業”ではない表現や、複数の肩書きを使う方も増えているように思います。たとえば、グリーンズのメンバーが表現している肩書きは、こんな感じ。

鈴木菜央は、「編集長」兼「パーマカルチャー見習い」。
スズキコウタは、「副編集長」であり、「ミュージシャン」。
兼松佳宏は、「元編集長」そして、「勉強家」。

こうして眺めてみると、肩書きには、「私はこうです」という意味以上に、「こう在りたい」「こんな自分も知ってほしい」という願いや意志が込められているようにも感じます。

今日ご紹介するgreenz.jpライター・新井優佑さんは、つい最近、greenz.jp上の肩書きを「新井優佑」という、自分の名前に書き換えました。それは、長年抱き続けた「何者かにならなくてはならない」という想いから自由になり、「ごまかさず、自分を生きていこう」という気持ちに転換できたから。そしてそう思えたとき、本当の「自分ごと」に出会えたと言います。

自分は何者なんだろう?
何者かにならなければいけないのかな?
「自分ごと」って、いったいどういうことなんだろう?

そんな問いを抱えて生きているすべての人へ、新井さんの等身大の言葉を贈ります。このインタビューが、あなたの自分探求の旅路を軽やかなものにする、良き伴走者になりますように。

新井優佑(あらい・ゆうすけ)
1983年、東京生まれ。スポーツ三昧な幼少期を過ごしたのち、高校では帰宅部。「合コンに行ってほしい」という母のひとことで大学進学を決め、卒業後は「白夜書房」の編集者に。現在は「新井作文店」という屋号で取材・執筆を軸とする自由業を営む。20代前半からイシス編集学校、スーパースクール、池袋コミュニティ・カレッジなど、数多くの学びの場に足を運ぶ中で「green school Tokyo(現:グリーンズの学校)」に出会い、「マイプロジェクト&じぶんごとクラス(2011年)」「グリーンズの編集学校(2014年、2015年)」を受講。2015年秋より、greenz.jpライターとして数多くの記事を執筆。連載「マイプロジェクトの育て方」の編集ディレクターとしても活躍中

“まわり”がいての自分だった

私の知る新井さんは、greenz.jpライター歴2年にして、すでに多くのライター仲間に「あらちゃん」と親しみを込めて呼ばれる、愛されキャラ。取材先への思い入れと記事へのこだわりが人一倍強く、型にとらわれないチャレンジを繰り返している人。その強い想いは読者の皆さんにも届き、ヒット記事も多数。グリーンズの学校のファシリテーターや連載の編集ディレクターとしても活躍する、私も大好きなライターさんのひとりです。

新井さんの大ヒット記事のひとつ。塩田大成さんの人となりをも表すインタビュー表現に、思わず引き込まれる1本

そんな新井さんの原点をたどるため、まずは子どもの頃について語っていただきました。

身長が高くて運動ができたので、小学校ではサッカーとバスケットボールばかりやってて。勉強では目立てないけど、運動では活躍できたので、そっちのほうが楽しかったんですよね。特にバスケが好きで、放課後、友だちや近所のお兄ちゃんたちと、毎日ずっとやってました。

小学生時代、運動会で青組の応援団長として先頭を歩く新井さん。スポーツ万能でリーダータイプの少年でした

活躍できたから好きだったのか、好きだから上達したのか。それは新井さん自身も定かではないそうですが、自然な流れで中学でもバスケ部に入部。部活動に明け暮れるとともに、学年委員も務めました。

目立ちたがり屋だったっていうのもありますけど、とにかくしゃべってるのが楽しかったんです。授業の休憩時間はまわりに友だちを切らしたことがないですし、恋愛話でも、男友だちと2時間くらい盛り上がる、みたいな(笑)

同級生は150人くらいいたのかな。でも、女子とも仲良くて、しゃべってない子は数えるくらいしかいなくて。ほぼ全員の名前を覚えてましたし、全員友だちだと思ってましたね。

しゃべりだしたら止まらず、いつも誰かに囲まれている中学生の新井さんの様子が、手に取るように伝わってきます。しかし、あることをきっかけに、急に「不安」が押し寄せるようになったそう。

高校受験のあと、同じ高校に行く人が10人くらいしかいないことがわかって。9年間ずっと育んだ友だち関係が全部なくなるんだ、って、急に不安になっちゃったんです。

当時、身体にコンプレックスを抱えていたんですが、成長してきた過程も一緒にいる友だちなら、全然気にならなかったりするじゃないですか。でも、高校でそれがゼロになったとき、いじられたりするんじゃないかな、って。

自分がどうなっていくか、ということよりも、まわりのことばかり気にしてた。まわりがいての自分だ、って思ってたんだと思います。

インタビューは、新井さんが一番落ち着くという、井の頭恩賜公園で行いました

今までのおしゃべり好きで社交的な新井さんからは想像できませんが、その「不安」は入学後もつきまとい、とても「閉鎖的」な高校時代を過ごしたそう。

受験勉強で運動してなくて足も遅くなっちゃったし、勉強にすがりました。今思えば守りに入ってたんですが、勉強だけは、ここでやれば勝てるって思って。成績は学年5位以内でした。

でも優等生でもなく、人気者でもなく、体育会系でもなく、オタクな感じでもなく…本当に“なんでもないやつ”だった。なんでもないやつらで階段の踊場で、本当になんでもない会話をして、たむろって。ギリギリ高校生活をなんとか無難に過ごせたのは、その子たちのおかげでしたね。

“家族”という土台

“なんでもない”自分と向き合うことになった高校生の新井さん。一方で、ご家族との関係はどうだったのでしょうか?

ひとりっ子で、父ちゃん母ちゃんとは、ずっとしゃべってましたね。僕の恋愛遍歴も全部知ってますし、友だちのこと、部活のこと、ほとんど何でもしゃべってましたから。もちろん反抗期はありましたけど、反抗しながらもしゃべってたんです(笑)

なんでもしゃべることができる親子関係は、辛かった高校時代も、新井さんの支えになっていたに違いありません。そして高校から次のステップへの大事な決断も、お母さんのひとことで決まりました。

僕は「大学行かない」って言ったんですが、母ちゃんに「合コンに行ってほしい」って言われたんです(笑)「私が経験したことないから、できるならやっておけ」って。

父親とか学校の先生に「学歴が大事だから」とか言われても全然響かなかったんですけどね。でも、母ちゃんのひとことで、そこまで言われたなら受ける、って思って、大学受験することに決めました。

お母さんのリアリティあふれる言葉で、大学進学を決めた新井さんは、塾も行かずに勉強し、当時興味のあった映画の脚本づくりの授業が受講できる学部に絞って受験。芸術学部文芸学科に入学しました。そこで雑誌づくりを経験したことが、今の経歴へとつながっていることを思うと、新井さんの人生にとってお母さんの言葉がいかに大きかったかがわかります。

3歳の頃の新井さんと、母・時江さん

フリーランスで、本当に良かった

文芸学科で雑誌づくりをする中で、まわりの影響もあり、自然に編集者への道が見えてきた新井さん。卒業後は、出版社「白夜書房」でアルバイトとして働くことになりました。好きだったバスケットボールのムック製作に携わり、多忙ながらも自由度の高い仕事を楽しんでいた20代の頃、学びの場へ足を運ぶようになります。

スポーツ雑誌をつくる部署にいたので、みんな野球とかサッカーが大好きで、詳しくて。でも僕は、編集したくて入ったので、彼らほどは好きではなかった。

だからちょっと引け目を感じていて、編集では負けちゃいけないな、という気持ちがあって。それで、編集学校に行ったり、デザインの本を買ったり、そういう投資ばかりしていました。

自分の強みがほしくて、会社や家でも学び続ける日々。学んだことを仕事でも活用し、「自分はできる編集者だ」という自信を身に着けていきました。そんな中で、芽生えた「自分も書きたい」という想い。編集部に直談判してライターとして取材に臨んだところ、全く書けないことに気づき、そのショックから、フリーランスとして生きることを選択します。

でもこのタイミングでのこの決断は、運命だったとしか思えません。

完全にたまたまなんですが、そのすぐ後に母ちゃんの病気が発覚して、入院することになって。フリーになっていたから、ほぼ毎日病院に行くことができました。超ラッキーだな、って思いましたよ。

取材で出張の日以外は、毎日3〜4時間を病院で過ごす日々を10ヶ月ほど続け、最期も看取ることができました。

全然想定してなかったんですけどね。今考えても、フリーになって本当に良かった、って思っています。不思議なんですけどね。

“自分ごと”は見つからなかった。
でも、友だちができた。

しかし、新井さんの試練は続きます。今度は、お母さんの病気を気遣ってくれた元上司が病気で倒れてしまったのです。「戻ってきて」と言われ、またアルバイトへと働き方を変え、今度はその方が運用を一手に引き受けていた野球情報携帯サイトの更新作業を担当することに。

僕にとって更新作業は超キツかった。日中は会社へ行って、家に帰ってからも毎日深夜まで試合結果の更新を続けて…。野球も全然好きじゃなかったですし、誰もこのしんどさを知らなかったですし。辞めたい、無理っす、ってずっと言い続けてました。

精神的に追い詰められたとき、SNSで偶然目にしたのが、green school Tokyo「マイプロジェクト&じぶんごとクラス」の告知でした。

greenz.jpも読んでなかったし、自分でもなんでたどり着いたか分からないんですけど、「まずいな」と思ったんでしょうね。20代後半に入ってて、「このままじゃヤバイ」っていうのと、「自分にはこれってものがないな」って思っていて。

「俺は“◯◯×編集“だ」っていう○◯がほしくて、引っかかったのが“じぶんごと”って言葉でした。紹介ページで初めて知って、「そういうもんがあるんか」って。

以前、編集学校に通った動機と同じく、自分の強みを探し求めて足を運んだ「マイプロジェクト&じぶんごとクラス」。生徒も講師も同年代で、ダイアログや講師からの直接のアドバイスもある、これまでとはまったく違う学びの場でした。◯◯は、見つかったのでしょうか?

見つからなかったですよ。というか、無いってことはよくわかりました。ある意味、「助けてほしい」みたいな感じで通ったところがありましたから、落ち着いて考えられるはずもなくて。

でも、超良かったんです。世の中にはこんな人たちがいるんだ、って知って、同世代の人たちにバシッと言われる場所で。大人になってから友だちができた。できると思ってなかったので、それが本当にうれしくて。

出会えた「友だち」のひとり、塚越暁さんが卒業後「原っぱ大学」を立ち上げる際は、新井さんもお手伝いすることに。さらに卒業から4年後、今度は塚越さんが講師となった「マイプロジェクト&じぶんごとクラス」では、ファシリテーターを務めました。

green school Tokyoで出会った同世代の友だちとは、講師・生徒関係なく、今でも定期的に集まり気軽に言葉を交わせる仲。講師であったグリーンズの小野裕之、卒業後「原っぱ大学」を立ち上げた塚越暁さん、同じく卒業後greenz.jpライターになった鈴木絵美里さんの姿も。グリーンズの学校マネージャーの高橋奈保子さんとは「原っぱ大学」がきっかけで友だちに

探していた◯◯は見つからなかったけれど、それ以上に大事なものに出会えたことで得た充足感。これをきっかけに、新井さんはそれまでのテクニックや型を学ぶ編集学校ではなく、「自由大学」など、リアルな仲間たちと出会える学びの場にも足を運ぶように。その後しばらくして、ふたたびフリーランスという生き方を選びました。

ごまかしたくないから、「新井優佑」という肩書きで生きる

フリーランスのライター・編集者として再び「green school Tokyo グリーンズの編集学校」に通ったことがきっかけとなり、現在はgreenz.jpライターとしても活躍する新井さん。冒頭でご紹介した通り、「新井作文店」という屋号とともに、「新井優佑」という本名を肩書きに使っている理由について、聞きました。

本当の自分を語るのに、「編集者です」ってのも「ライターです」っていうのも、なんかリアルじゃなくてごまかしている感じがしたんですよね。

できることは、「取材」と「執筆」なんです。でも「ライター」って書くと、専門外のキャッチコピーを頼まれたりもするし、肩書きよりも経歴を話すことのほうが、自分を理解してもらいやすいな、というのを感じていて。ある程度しゃべらなきゃわからないから、もう「新井優佑です」でいいと思った。

「ごまかしたくない」。そんな想いから、新井さんは今、ライターとしてもさまざまな表現に挑戦しています。

特に僕はWebでの発信が多いから、どんなに本当のことを言っても、バーチャルな感じがしてしまって。読者の人に、まるでインタビューの場にいるように届くにはどうしたらいいかな、ってのはすごく考えてますね。

取材で相手の話を聞いていたら、たぶん自分だけが気づいていることがあって、それをそのまま出したい。記事の型に押し付けて整えるんじゃなくて、漏れているところにこそ、リアリティがあって、面白いな、って。

だからモノローグにしてみたり、語調を変えてみたり、エディターさんたちに迷惑かけながら(笑)、いろんな記事のかたちに挑戦しています。

話に何度も出てくる「リアル」や「リアリティ」という言葉が、新井さんの生き様を表している。ここまでの新井さんの話を隣で聞いた私には、そう感じられました。

思い返せば、大学受験を決めたのも、フリーランスで良かったと思えたのも、家族とのリアルな会話や体験が決め手となりました。編集者時代にライターを志願したのも、取材対象者とのよりリアルな関わりを求めたのだと思いますし、green school Tokyoが「良かった」と感じたのも、知識や自分の強みを得ることよりも、そんなものが無くても付き合える本当の「友だち」との出会いに価値を感じたから。

「新井優佑」という肩書きは、新井さんにとって一番リアリティのある表現であるとともに、きっと、「リアリティのある生き方をしたい」という想いの表れなのだと、私は思いました。

「ほしい未来」なんて、わからない。でも…

さて、greenz.jpのインタビューで聞くことの多い、「ほしい未来」。新井さんの隣でこの言葉をつぶやくと、「そんなのわからないですよ、関心がない」と、きっぱり。では、その手がかりとして、新井さんが今、一番力が湧いてくる瞬間はどんなときなのか、聞いてみました。

書くことは本当に好きですし、原稿が完成したときに、「うわぁ、こんなの書けた!」ってなるときもあって。今は、そのために生きてる感じです。

書き続けたいな、とは思うし、誰にも頼まれなくなっても書いて生きていけるように、出版社とかやりたいとも思うけど、別にそれで力が湧いてくるわけではないんですよね。

割と僕、現状に満足しているんですよ。やりたい仕事しかしてないし、月に1回親父に会いに行けてるし、誰かと飲む時間もあるし。

「ほしい未来」なんて、わからない。それが、新井さんの現在地。でも、人と人がリアルに交わりあうgreen school Tokyoに通った頃から、新井さんにとって大事なものが変わってきたと教えてくれました。

ずっとビクビクして生きてる感じで、積み上げてきたものが崩れるのが怖くて、「何か」がほしくてgreen school Tokyoにも行きました。

それがきっかけとは言い切れませんが、タイミングとしてはその頃から、友だちとか、家族とか、自分の目に見えている範囲の人々が幸せであることが、大事になったんです。「親父が死ぬまで死んじゃいけないな」って思うようにもなりましたし、フリーランスでいるのも、母親を看取れた経験が大きかったからですし。

でもその分、今は家族とかグリーンズの仕事への思い入れが強くなっているから、またそれが崩れることが怖くなっているところはありますね。なんででしょうね。

自分の内面と対話するように、ゆっくりと話す新井さんをそのままに感じていたら、ふと、顔をあげて、「わぁ、あります! 今やりたいこと」と、沸き上がってきたような歓声が。「やりたいこと」とは?

親父と話すときに、緊張しないでしゃべりたいんです。いつもぶっきらぼうにしゃべっちゃって、1ヶ月に1度しか会わないのに、意見がぶつかってケンカしちゃって、帰り際に仲直りする、の繰り返しなんです。わかってほしいと思って言えば言うほど、わかってもらえない言い方になっちゃって。

そうじゃなくて、本当は、「親父はそう考えてるんだ、そうなんだね」って聞いてあげられるようになりたいです。たぶん今一番近い存在の親父に対してそれができれば、ほかの人にもできると思うので。

3歳の頃の新井さんと、父・亨三さん

この思いの根底には、「ほかの人」との関係性も変えたいと思っている新井さんがいました。

いつもどこか、人としゃべるときに緊張していて。「楽しいのかな、この人?」とか考えちゃうし、飲み会でも、中学の頃の「笑わせなきゃ」みたいなのが染み付いてて、しゃべりまくっちゃったり…。

でも僕は、もうそういう時期は卒業したんです。話しぶりや振る舞いを変えることで、「こいつ、もう変わったんだな」って思ってほしい。それをまず、一番身近な、親父からやっていきたいです。

数多くの学びの場に足を運び、リアリティを追い求め、やっと見つけた、一番身近なお父さんとの会話という“自分ごと”。まわりを笑わせるための会話も、自分をごまかすような肩書きも、要らない。そう思えたとき、はっきりと浮かび上がったのは、やっぱり自分にとって一番身近でリアリティのある家族や友だちの存在でした。そして、新井さんの想いは、自分自身へ…

肩書きを新井優佑にしたのも、今一番考えなきゃいけないのは自分のことだ、ってことです。今年34歳ですしね、やばいですよ、そろそろやんなきゃ(笑)

究極の“自分ごと”が見えた新井さんの顔は、なんだかすっきり。まだまだ迷いも不安もありますが、それでも、少なくとも目の前の、大事な人に相対するとき、心の中にこれまでとは違う意識が芽生えるはずです。

グリーンズの「ほしい未来は、つくろう」というメッセージに共感しながらも、新井さんのように、「私の『ほしい未来』って良くわからないな…」なんて思っている方も実は多いのかもしれません。

でも、それを考える前に、まずは、自分にとってリアリティのあるものをゆっくりと感じてみる。その確かな手応えを、じっくりと味わってみる。それがたとえ、お金にならないことや、社会とつながらないことであっても、まずは自分の目の前の小さな社会を動かしてみる。

そんな“自分ごと”の体験、つまりは“自分になる”体験から、「マイプロジェクト」が生まれ、「ほしい未来」が見えてくるのでしょう。

新井さんの旅路は、続きます。

新井さんの等身大の言葉、あなたはどう受け取りましたか?
何か一つでも、あなたの心を動かす言葉が見つかったのなら、とてもうれしい。
そう願って、筆を置きます。

「何者でもない」ように思える自分自身も大事にすることから、明日への一歩を踏み出す人が増えることを願って。