12/21(木) green drinks Shibuya「ご近所づきあい2.0」を考える

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子どもの将来を考えることより、“親子の今”が大事だと信じている。父として、「原っぱ大学」ガクチョーとして。塚越暁さんのあり方が教えてくれること

「生きる力を育むために、こんな体験をさせるべき」とか、
「脳の発達は、◯歳までが勝負」とか、
「あの人を育てたのは、こんな教育」とか。

私たちのまわりには、あふれるほどの情報が流れています。子育ての参考にはなるものの、ときにそれらは親世代を試すようでもあり、飲み込まれてしまいそうになることも。

子どもたちは、そのとなりにいる大人たちは、ちゃんと深呼吸できているだろうか。青い空を見上げているだろうか。私はふと、不安になることがあります。

今日ご紹介する塚越暁さんは、親子のための“遊びの学校”「原っぱ大学」のガクチョー。海も山もあり、自然環境豊かな神奈川県逗子市をフィールドに、どろんこ遊び、磯遊び、秘密基地づくり、焚き火など、参加者の「やりたい!」に寄り添い、ルールもゴールもない“遊びをつくる”時間を提供しています。

塚越さんは言い切ります。

僕らのやっていることが、子どもの将来のためにどう役立つかなんてわかりません。

と。

「わからない」けれども、強い意志を持って活動を続ける塚越さん。それは、自らの体験を通して「大事だと信じている」ものがあるから。彼の言葉には、情報社会を生きる私たちが見失いがちな、大切なメッセージが込められていると感じました。

日差しが眩しい夏の午後、「原っぱ大学」の活動拠点「村や」で聞いた塚越さんの言葉を、子どものとなりで生きるすべてのみなさんに贈ります。

塚越暁(つかこし・あきら)
「原っぱ大学」ガクチョー。HARAPPA株式会社・代表取締役。雑誌編集、ECサイト運営、経営企画と11年の会社員生活を経て独立。2012年、自然の中で遊ぶことに自分の根幹を見出し「原っぱ大学」を立ち上げる。神奈川県逗子市在住。11歳男子と8歳女子の2児の父。

あの頃は、子どもと公園で遊ぶのが苦痛だった。

「村や」で、鳥たちの鳴き声と心地よい風を感じながら、インタビューさせていただきました

塚越さんは、逗子生まれの逗子育ち。東京で会社員生活を送っていた8年前、家族で生まれ故郷へ戻ってきました。それがご自身のあり方を変える一番大きなきっかけだったと振り返る塚越さん。私はまず、その話を聞いてみたいと思いました。

僕はもともとこのまちの出身で、就職したらアホみたいに働く気だったので、東京で一人暮らしをして。そのまま結婚して、世田谷に家を借りて、家族で暮らしていました。

最初のキャリアは編集者。超体育会系の現場で、深夜まで働いて、飲みに行って…みたいな、“仕事ありき”の暮らしだったんですね。

「仕事が人生のすべて」と言うほどやりがいを感じ、多忙な毎日を楽しんでいたという塚越さん。26歳で結婚し、27歳で若くして“お父さん”になった後も、やはり「仕事中心」のあり方は、変わりませんでした。

平日は、朝も夜も子どもに会えない。だから「週末くらい」って良くあるパターンで公園に行くんだけど、それが本当に嫌で。すべり台とかずっと同じことするし、つまんなくて、早く帰りたくて、子どもが遊びに集中しはじめたら、その横で携帯見て…(笑)

若さゆえではありましたが、当時は子どもの成長の喜びとか、正直ほとんど感じなかった。都会の仕事バリバリの、子育てにまったく意識のない、自分中心のお父さんでした。

「原っぱ大学」の子どもたちから絶大な人気と信頼を得ている今の塚越さんを知る人からは、「意外」という言葉が聞こえてきそうなお話。ちょうど「イクメン」という言葉が流行りだした頃で、そんな世の中の風潮に苛立ちさえ覚えていたのだとか。

それでも、社会人6年目で逗子へのUターンを決めました。その背景には大きな価値観の変化があったのかと思いきや、それもまた、ちょっと違ったようです。

たまたま帰省したときに、逗子の駅前にマンションが建つことを知って、冷やかしで見に行ったんですよ。そのとき、ピキーン! ってひらめいたのは、朝イチでサーフィンができる、ってこと。会社まで電車一本で行けるし、ちょうど仕事一辺倒じゃなくてもいいかな、とちょっとだけ思い始めてた時期だったこともあって。

それで、「いや〜、海と山のあるまちでの子育てっていいと思うんだよね」とか、奥さんを説得して。本当はサーフィンが圧倒的なモチベーションで、子どもの教育とかまったく考えてなかったんですけどね(笑)

心惹かれるままにマンション購入を決め、長男の創太くんが幼稚園に入る年に、故郷の逗子へ。でもこの決断が、塚越さんの人生を変える大きな一歩となりました。

僕の通ってきた道がないと、
「原っぱ大学」は生まれなかった。

逗子へ戻り、朝イチのサーフィン後に東京行きの電車に乗り、“イケてるサラリーマン”っぷりに酔いしれる毎日。でも移住して最も大きく変わったのは、休日に子どもと過ごす時間だったそう。

子どもとの時間が楽しくなったんです。海岸で流木を集めて焚き火したり、山で秘密基地づくりをしたり…超楽しくて。「そういえばこういうの好きだったー」って、心の深〜いところに置いて、すっかり忘れていた小学生の頃の原体験みたいなのが、子どもとの時間を通して追体験されていきました。

極めつけが、葉山の海で長男とシュノーケルしていたとき。キビナゴの群れが僕らを囲んで、ギラギラって太陽が射して、もう脳みそがとろけるような感覚。東京で凝り固まっていた自分が解きほぐされていくような体験でした。

子どもがいたからこそ得られた体験だったと思いますし、子どもとの時間に感謝できるようになりましたね。

逗子の海で、お子さんと。2011年、塚越さん撮影

そんな感覚を持つようになったことに、一番驚いたのは、塚越さん自身でした。

子どもとの時間が楽しめるものなんだ、っていうのが、とてもびっくりした気づきで。僕にとって180度の大転換でした。

僕の場合は、「自然体験をさせたい」みたいなのが全然なくて、“頭”から入ってない。たまたま僕が好きな遊びだったし、子どもと一緒に遊んでたまたま僕が楽しめた、という感覚に近くて。

こういうこと言っていいのかわからないけど、「子どもと共有したい」という気持ちより、「自分が楽しくて子どもも楽しんでいたら、それが最高の幸せだ」って思っていて。僕自身が純粋に、楽しかった。

頭ではなく、心で、全身で、子どもとの時間を楽しめるようになり、オン・オフのバランスが取れるようになってきた頃、東日本大震災が起こりました。ビルの40階で揺れを体感し、「このままでいいのかな?」と疑問を感じ始めた塚越さん。

偶然Facebookで目にした「グリーンズの学校(当時の「green school Tokyo」)」に足を運び、出会った仲間との対話の中で「自然の中で遊ぶのが好きだ」という自分の揺るぎない根幹と出会うことに。スクールの仲間の協力も得てマイプロジェクトをかたちにし、「原っぱ大学(当時の「子ども原っぱ大学」)」の立ち上げに至りました。

その後のストーリーはこちらの記事に譲りますが、当時イメージしたのは、東京にいた頃の自分だったと振り返ります。

僕が逗子に引っ越して海や山で子どもと遊ぶ中で得た気づきや体験を、東京で子育てに苦しんでいる人たちに提供したら、きっと救いになるんじゃないかな、って思ったんです。

だから、それまでの経験、全部必要だった。小学校の頃の原体験も、東京での時間も、逗子に戻ってからの子どもとの時間も、全部大事。僕の通って来た道がないと「原っぱ大学」は生まれなかったんです。

“予定調和”に抗い続ける

こうして2012年に始まった「原っぱ大学」は、立ち上げから6年目を迎えました。最初はイベント形式だった活動も、2015年からは1年間の「コース」制に。2017年8月現在、逗子と千葉県柏市で展開されるコースに通った親子は、のべ300組近くにのぼると言います。

参加者のコミュニティも賑やかになり、その名の通り「学校」へと成長した今、塚越さんは“原っぱ大学の究極命題“と向き合い続けていると言います。

安全を守ることと、“ライブで遊ぶ”ことのバランスを、正解のない中でやっているんです。

「ノコギリで怪我したらどうする?」とか、「マムシに出会ったらどうする?」など、起こりうるリスクは事前に想定しています。でも、危ないからNG! ではなく、どうすれば怪我を最小限に防げるか、どうすれば遊びを楽しみながら身を守れるのかを常に考える。

境界線ギリギリでいつも遊んでいるというのが「原っぱ大学」なんです。

道なき道を行く探検やハードな崖登りは、当然リスクも伴う。スタッフも参加者の親も、全力で子どもたちをサポート

境界線ギリギリで遊ぶ。そんな場であり続けるために、塚越さんは「人と人の関係で一緒に遊ぶ」ことを大事にしているのだとか。

子どもを「遊ばせる」とか何かを「やらせる」という言葉が僕はすごく嫌いで。ある程度用意されたフレームの中で、自分が外側から提供している感じで、おこがましい。

「大人と子ども」とか「主催者と参加者」という関係ではなく、「人と人」として一緒に遊ぶ。

そのためには、僕自身が安全圏のちょっと外側に出てボーダーを感じることがすごい大事な気がしていて。

この前、山の地主さんがマムシを持ってきて、スタッフと一緒に食べることにしたんですよね。子どもたちが帰ったあとに、ドキドキしながら首を落として焚き火で焼いて食べたんですけど、それは僕にとってライブなんですよ。

そういうナマ感みたいなのが遊びの中に入っていないと、ここが“遊びの箱”みたいになっちゃう。そうなると「原っぱ大学」が死ぬと思っているんです。

大前提として、「原っぱ大学」が“自然ありき”ではないというのは、塚越さんが繰り返し言っていること。都会でも「隙間」さえ見つけられれば遊びようがあると考え、東京のど真ん中にダンボール小屋をつくって泊まるなど、さまざまな遊びを提案してきました。

都会の中でも遊びがライブになり得る。一方で、自然の中でも“予定調和”な遊び方になってしまうこともある。実は塚越さん自身も、一度、逗子のフィールド「村や」で遊ぶことに飽きそうな時期があったと告白してくれました。

ライブ感がなくなっていたというか、自分自身に新鮮な気持ちが薄れていったことで、予定調和や過去の成功パターンに寄った遊びを仕掛けるようになってしまった。みんなが気づいていたかはわからないけど、その時期は僕の中ではこのままじゃダメだ!という焦りがあった。

同じ場所なんだけど、顕微鏡を覗くようにいろんな楽しさを見つけていけるように自分の解像度を高めていかなきゃ、やっぱり枯渇しちゃう。それって超クリエイティブで、ライブミュージシャンの気分なんですよね。それに今、ドキドキしながら向き合っているところです。

予定調和に抗い続ける塚越さんを後押ししてくれるのは、子どもたち。中でも、一緒に参加することの多いスタッフのお子さんたち(小学生中心)の存在なのだとか。

僕はある程度これをやろうってイメージして場をつくる。でも、スタッフの子どもたちは「俺知ってるし〜」「つまんねえし〜」と平気で言い出すわけですよ。「俺たちの秘密基地つくろうぜ」「でっかい落とし穴、掘ろうぜ」とか言って、彼らが僕のイメージしていたものを思い切りぶっ壊してくれる。

それはやっぱり子どもの素晴らしさというか、イメージしている仕掛けの先まで飛び越えて自分たちのセンスで遊びをどんどんつくりだしていくから、それに乗っかると、すごいライブが楽しくなるんです。

もちろん参加者の方々も同じで、関係性によって出てくるものも変わってくるし、それに僕らがいかに乗っかれるか、というのがすごい大事なんだろうな、って思っているんですよね。

参加者の「やりたい!」から始まった“エクストリーム流しそーめん”。今や「原っぱ大学」の夏の風物詩に

今年5月には「柏かわせみキャンパス」も開校し、活動は広がりを見せています。

これまでもこれからも、「原っぱ大学」が「原っぱ大学」である続けるために。子どものとなりで、自然と対峙しながら、「今」をめぐる塚越さんの挑戦は、続いていきます。

心震える“今”を、
子どもと一緒に生きる。

塚越さんの話を聞いて、私は、「“予定不調和”を大事にする」というサービスのあり方は、ときに難しさを伴うのでは、と思いました。「これができます」とか「こんなことが得られます」とか、親にとってのわかりやすい価値を伝え難いのではないか、と。

サービスの「意味」や「リターン」を求めがちな社会の中で、塚越さんは今、何を伝えようとしているのでしょうか。最後に改めて、「原っぱ大学」を通して届けたい価値を聞きました。

それは少しずつシフトしていて。最初は「子どもとの時間を大事にすることで大人自身が開かれていく」っていう自分の中の気づきを、大人にシェアしたいという気持ちでした。

子どもは勝手に育っていくし、子どもに向けて何かを伝えるなんておこがましい、と思っていて。やっぱりいまだに「自然の中での遊びの素晴らしさに気づいてほしい」とかは、まったくないんです。

でも、これだけ多くの子どもたちと遊んでいるうちに、当たり前のように、大人だけでなく、子どもも何かを感じてくれたら、と思うようになった。子どもも大人もいろんな人がいて、ご縁で出会えて、「遊ぶって楽しい」というのをみんなで共有できたらうれしいな、って。

友だちや家族と思いっきり遊ぶ時間を共有するバイブレーションや、気持ちよさを感じることが一番大事だと思っています。

私はこの言葉を聞いて、「原っぱ大学」のホームページに記されている「遊ぶことは生きること」という言葉を思い出しました。「生きている」という実感は、先を考えて行動するのではなく、「今」目の前にあるワクワクやドキドキを、大切な人たちとともに感じることで生まれるものなのだ、と。

今、遊びのサービスってたくさんありますよね。でも「子どもに○○力が身に付くから遊ぼう」といった目的思考に縛られているものも多い。不安が最初にあって、それを払拭しようと、「20年後に食いっぱぐれないために、今何をするか」と考える。今の世の中、こういったシーンが無意識でもすごく多いな、って思っていて。

僕はそういうのを全部、ぶっ潰したい。先に向かって今を計画したってうまくいかないし、ものごとは変わるし、それじゃもったいないと思うんですよね。

僕らのやっていることが、将来にとってどう役に立つかなんてわかりません、と言い切ります。なんだけども、なんだけども…。

この一瞬、子どもと一緒になって焚き火をする、どろんこになって遊ぶ、そういうことに心が震えませんか? って。

この時間を、今を、一緒に生きる、共有すること。何より自分自身が感じることが、すごく大事な気がする。大事だと信じている。

それを、つないでいくこと。僕自身が、僕の子どもが、原っぱに来た子どもたちが。その結果きっと、いい世の中にたどり着くって、漠然と信じているんです。

塚越さんは「家族の関係に、投資とリターンの思考を持ち込みがちだ」と言います。教育費にいくら投資して、こんなリターンを得て…。そこには子どもに対して、「こうすればこう育つ」という考えを当てはめている大人の姿が浮かび上がります。

そんなに都合のいいリターンなんてないだろうし、いろいろ迷いながら、でもなんとなく積み重なっていくという方が真実に近いというか。楽しいし、それでいいんじゃないか、って思うんです。

順調に積み上がっていかないし、予定通りにならない。それは、自然や子どもたちが教えてくれたこと。逗子へ移住して、「原っぱ大学」をはじめて、塚越さん自身のあり方も大きく変化してきました。

生き方として、仕事と遊びと家族と、その境界線がなくなったんです。家で遊んだことを「原っぱ」に持ってきて、「原っぱ」で遊んだことを自分の子どもに持ち帰って。ぐるぐるつながってる。すべてがそのまんまの自分になった。

自分の子どもには大したことできてないけど、一緒に時間を過ごすことで、 “人と人”としての関係性を築けるようになりました。

東京にいた頃と、まったく違う。こんなに変わってきたんだから、今度会ったら、また全然違うこと言ってるかもしれないけど(笑)

大人が変われるって、かけがえのないこと。
塚越さんのあり方を肌で感じて、私は心からそう思いました。

大人自身が変わることができれば、子どもが成長し、変わっていく姿も信じられる。子どものことを信じていれば、将来への不安も拭い去り、親子の「今」を大事にできるはず。塚越さんが「今が大事だ」と信じられるのも、自分自身が身をもって変わってきたからなのだろうな、と。

親子の時間は、有限です。

もちろん暮らしのすべてを、「今」を軸にすることは難しいでしょう。でも、私たちのとなりには、子どもという最高のお手本がいる。

ときには、頭でばかり考えずに、意味なんて求めずに、自然のなかに身をおいて、本気で遊んでみませんか? そんな親子の“今”が、信じられる未来を育んでいくのだと、私は信じていたい。

今この瞬間も、子どものとなりで。

(撮影: 小禄慎一郎

社会全体で子どもの育ちを見守る文化を育むために。「世界と日本、子どものとなりで」は、子どもを中心とした社会づくりに取り組む方々の声を聞く連載企画。greenz people(グリーンズ会員)からの寄付により展開しています。