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きっと福島のこの先の、同じ景色を見ているから。 吉祥寺から福島へ移転した「食堂ヒトト」の現在地

2016年9月30日。一軒の食堂が、福島のまちにオープンしました。

東京・吉祥寺の雑居ビルに「ベースカフェ」として6年、その後「ヒトト」に名前を変え3年。
オーガニックの食材や在来種の野菜にこだわった料理が楽しめる場所として愛されてきた名店が、入居していたビルの取り壊しに伴い、福島市中心部のとあるビルに移転オープンしたのです。

「なぜ今、福島に、食堂を移転するのか?」

この問いを思い浮かべたとき、心がざわめく人も、多いかもしれません。しかし、その食堂は確かにそこにオープンし、既に福島のまちの一つの“台所”として時を刻みはじめています。

(写真:馬場わかな)

オーガニックベースの奥津爾(おくつちかし)さん。そして、移転先のビルのオーナーであり、福島市で5代続く眼鏡店を経営する藪内義久(やぶうちよしひさ)さん。このふたりが出逢い、言葉を重ね、“福島の食堂ヒトト”は生まれました。

今、福島に、食堂をひらく。
それは、一昨年、greenz.jpに掲載した「今の福島には、日本のこれからが詰まっている。2011年の中止から5年ぶりの復活「FOR座REST」が育んだ、そのつながりの物語」の、続きのお話の一つとも言えます。

ひとがひとを呼び、つながり、なにかが生まれる。
それをみんなで一緒に支え、育てていく。
それが、今の福島というまちがもつ、力強さなのです。

“福島に育ててもらった” 自分ができることは

福島市中心部に位置する、ニューヤブウチビル。そのオーナーである藪内さんは、2014年に先代である両親から経営を引き継ぎ、ご自身の眼鏡店「OPTICAL YABUUCHI」の店舗、そして3階建てのビル全体と共有部分を大幅にリニューアルしました。新たなテナントも加わり、その存在は多くの市民に知られています。

2007年から音楽イベント「FOR座REST(フォーザレスト)」の副代表を務めるほか、仲間とともにさまざまなイベントを企画したり、市内散策マップを制作したりと、このまちに住む人々の暮らしをより豊かにするために奔走する日々を送ってきました。

表通りに面した「OPTICAL YABUUCHI」では丁寧な検眼やメンテナンスが行われ、日々、お客さんとのつながりを紡いでいる。

震災後、賑わいを失ってしまった福島のまちを眺めながら、ここで商売が続けられるのかと悩んだ日々。自主避難をしたり家族を県外に避難させながらも、家業である眼鏡店を開け続けた藪内さんは、「自分はこの福島のまちに育ててもらったんだから、去るわけにはいかない。人が戻って来たときに、活気のあるまちで“おかえり”と迎えたい」という強い想いから、福島市の洋服店「PICK UP」の社員・藁谷郁生(わらがやいくお)さんとともに、商業振興をベースとする団体「LIFEKU(ライフク)」を立ち上げました。

事業のひとつである「F-PINS」は全国で約4万個を販売、売上の一部は原発事故の影響で避難した子どもや若者を支援する「たまきはる福島基金」等へ寄付を行っています。

震災を忘れないというメッセージを込めたピンバッジ「F-PINS」。福島だけにとどまらず、熊本地震の際にもいち早く募金を始め、想いを届けた。(写真:八巻ともや)

個性豊かな店舗が集まる、まちのビル

DJ Marcyさんの「Little Bird」は福島の音楽好きな若者のセンスを磨いて来たお店。いつも開け放たれたドアから、音楽が溢れ出す。

ニューヤブウチビルには「OPTICAL YABUUCHI」の他に、全国的に活躍するDJ Marcyさんのレコード店「Little Bird」、植物を幅広く扱う人気の花屋「Total Plants bloom」、「LIFEKU」の小さなオフィスペース、そして多目的に使えるギャラリーが。イベント開催時には屋上や1階の店舗横のスペースも活用され、たくさんの人で賑わいます。

1階店舗横のスペースには藪内さんが仲間とともにDIYで小屋を建て、イベント時にはコーヒースタンド等として活用。店舗の内装など、自分の手を動かしてなんでもつくってしまう。

経営を引き継いだ翌年の2015年2月。3階に入っていたオフィステナントが退去することが決まり、藪内さんに転機が訪れます。

「このビルに飲食店があったらいいと思うんだよ」と、たびたび語っていた想いを叶えたい。そのとき真っ先に相談を持ちかけたのが、ヒトトの経営者である奥津さんでした。一方の奥津さんも、ヒトトが入っていた吉祥寺のビルの取り壊しが決定しつつあるというタイミング。

ここから、藪内さんと奥津さんの、距離を超えた心のやり取りがはじまったのです。

台所を変えることが、日本を変える力になると信じて

一方で、2003年、妻の奥津典子さんとともに東京・吉祥寺に「オーガニックベース」を開業し、料理教室を軸にしたマクロビオティックのコンテンツ、書籍づくり、イベント等を幅広く手がけてきた奥津さん。通信講座も含め、その受講生は国内外に1万人を越えるほど存在しています。

奥津さん 台所を変えることが、政治家になるよりも社会活動家になるよりも、大きな何かに近づく近道だと感じて料理教室をはじめていて。東京の台所から、一人ひとりの消費から変えていけたらすごいこと。手紙を一人ひとりに届けるみたいに、せいぜい1000人、2000人でいいから影響できるようになればって。

2007年には吉祥寺の雑居ビルに「ベースカフェ」を開店。カフェの運営と料理教室の企画、経営までを一手に担うこととなり、生活が激変。毎日朝方に帰宅し、家でご飯を食べる機会は全くなくなってしまったといいます。日本の台所を変えたいという純粋な想いと、家庭での現実との乖離に、奥津さんは思い悩んでいました。

奥津さん 人間って台所を中心に生きてきて、その土地の風土とか暮らしとか、経済的なことや政治的なこと、全部が台所に投影されて、それを中心に家族なりコミュニティをつくってきたはず。だから、今日本で起きているいろんな問題って、とどのつまりは台所の不在が原因だと思う。加工品や冷凍食品が増えて、親の手料理を食べる機会が年に何回かしかない子もいてさ。

そもそも飲食店って本当にいるのかな?って。俺たちみたいな店でホッとするよりも、本当に必要なのは、家庭でおにぎりでも握って食べること。
この方向性はやりたいところまでやったし、もっと違う冒険がしたいなって考えていた時、偶然出逢ったのが、福島だったんだよね。

「FOR座REST大学」ではじめて触れた、福島の手ざわり

2011年6月に予定されていたFOR座RESTが中止となり、翌年に開催された屋内型イベントFOR座REST大学。「楽しみ・学び・共有・発信・継承」をテーマに、音楽のほか講義やトークなども行われた。(写真:八巻ともや)

2012年3月、「FOR座REST」のメンバーが震災後に行った「FOR座REST大学」がきっかけとなり、奥津さんは初めて福島市を訪れました。

友人に勧められてふらりと参加した奥津さんは、噂には聞いていたFOR座RESTを自分の心と体全部で楽しみ、そのままスタッフたちと一緒に飲み明かし、雑魚寝をして朝を迎えたそう。プロのイベント主催者ではなく、地元の商店主や学校の先生など、福島で暮らし、働く人たちによる手づくりの、意思のある場がそこにはありました。

また、イベント翌日には友人に福島市を案内してもらい、その地で30年以上愛される服屋「PICK UP」と出逢います。

PICK UP店舗の前で、オーナーの高橋省吾さん(中央)と社員の田中栄さん(左)、藪内さんとともにLIFEKUの共同代表も務める藁谷郁生さん(右)(写真:赤間政昭)

奥津さん 本来、小売っていうものは、そこに暮らしている人と真剣につくられているものとの幸せな出逢いを創造すること。お客さんを観察して、今ある選択肢の中からプロの最適解を提示してくれる、その手つきが心地よくて。

FOR座REST大学でも、やけにおしゃれな子、自分に合った服を着てる子が多いなと思ったんだけど、ああこれかと。30年、若い子たちのセンスを磨いて引っ張ってきた店があったんだ、って。

ああ、これだなーって思った。もう一度自分の仕事や社会のあり方を、こっち側から考えたいなって。どこにニーズがあるとか、マーケティングが云々じゃなくて、「しあわせな場をつくる」。やっぱりこれだよね、って。

偶然出逢った福島での商売のあり方。きっと料理教室やカフェをはじめた頃には持っていたはずの、この手ざわりを取り戻したい。これが一つのきっかけとなり、奥津さんは仕事と家庭、そして“住む場所”をも見つめ直す、大きな決断をします。

吉祥寺から雲仙へ。家族との時間を取り戻すための引越し

家から車で5分の場所に広がる棚田と海。(写真:田渕睦深)

2013年夏、ベースカフェは「ヒトト」にリニューアルし、奥津さん一家は尊敬する種採り農家の岩崎政利さんが住む長崎県の雲仙へ引越し。夫婦ともに、今まで通り吉祥寺での仕事は続けつつも、家族のルールとして「1ヶ月に1週間以上は家を空けない」ことを約束し、家族で食卓を囲む暮らしがはじまりました。夫婦で料理教室をはじめた頃、まだ小さかった息子さんは、もう中学校2年生になっていました。

奥津さん このタイミングを逃していたら、もうほとんど言葉を交わすことのない父と子の関係になっていたかもしれない。家族みんなで台所を囲んで飯食うって、年に数回しかなかったから、本当に間に合ったと思って。

雲仙に移って、やっぱり台所って偉大だなって再確認したの。今っていろんな諸事情があって、時間が合ったからついでに、みたいな感じで家族で食卓を囲むでしょ?これ逆だったなと思った。何が何でも食卓を囲んで、そこからいろんなことを整理していけば、家庭で抱えてる問題のほとんどは解決できるんじゃないかな。

自分は「食」にまつわる仕事をしてきて、どうしてこれをやらなかったんだろう?なにを大事にしてたんだろう?って、すごく実感して。

毎朝汲みに行く湧き水。奥津家の料理はすべて、江戸時代から地元の人に愛されるこの水で。(写真:田渕睦深)

雲仙と吉祥寺。家族との時間を中心に、農家さんとの関係を深め、地域と都市をつなぐ新鮮な日々。そんな折、2015年のはじめに、ヒトトが入居するビルの取り壊しが決まり、2016年1月末の閉店が決定しました。ヒトトにリニューアル後はスタッフが中心となり店の運営を行っていたとはいえ、いつも店のことを考えてしまっていたという奥津さんは、正直ホッとしたといいます。

奥津さん もう9年やったしね。またいつかはやるかもしれないけど、それがもう東京ではないことは確かで、うっすらと、福島みたいなところでならって、思ってなかったかと言えば、嘘になる。

その土地の食材をつかって、その土地の風土を表現する料理を出すことをトライするとしたら、俺たちみたいな立ち位置のお店。今の福島でやったら、どういう落とし所になるんだろうって、挑戦してみたいことだなとは思ってたの。使命感とかじゃなくて、ただ単純に自分の興味としてね。

「福島に来て欲しい」純粋な想いに心揺さぶられた1年

奥津さんの念願叶って開催された、吉祥寺ヒトトでの「PICK UP展」。PICK UPの3人とヒトトスタッフとでつくられた会場には多くのファンが駆けつけ、奥津さんは第3子出産間近の典子さんとともに雲仙でその様子を見守った。

ヒトトの閉店が決まった頃、なんとも示し合わせたようなタイミングで、藪内さんのビルの3階のテナントが空くことに。LIFEKUでともに共同代表をつとめる藁谷さんと藪内さんは、「福島に来て欲しい」と、その純粋な想いを奥津さんに伝えました。FOR座REST大学で出逢って以来、二人はたびたび吉祥寺のヒトトを訪れ、同じ商人としてそのあり方を見つめ、尊敬し、交流を続けてきたのです。

奥津さん 藁谷くんから何回も電話がかかって来て。誘われるなんて1ミリも想定してなかったから、びっくりしたよ。俺、福島でやりたいって言ったっけ?酔っ払った時に話したのかな?って(笑)
ああ、やりたいなあ、やるんだろうなあって直感があったけれど、でもやっぱりまずは家族を納得させなきゃいけないし、もちろんお金もかかることだし、保留させてもらったんだよね。

雲仙での暮らしが順調に回りはじめた矢先の誘い。また家に帰らなくなるんだね、と、家族は不安を隠しきれませんでした。福島は挑戦する場として尊いのはわかる。でも、じゃあなんのために雲仙に?雲仙の人たちの期待にまだ応えられていないのに?

夫婦で議論を重ね、何度も断わりを入れる奥津さんに、藪内さんは諦めず粘り強く交渉を続け、吉祥寺へ、ついには雲仙へも足を運びました。典子さんや子どもたちとも直接話をし、何ヶ月もかけて関係を築いたのです。藪内さんの想いはまっすぐどこまでも直球。雲仙と福島、その距離を超えた心のやりとりはじっくりと続きました。

「あれが最終確認だったね」と奥津さんが語る、赤ちゃん連れの典子さんと長男の初めての福島市訪問。帰って来たふたりからは「いいんじゃない」という言葉。そして典子さんからは「私たちも彼らとともに、当事者になりたい」という決意。その直後に、奥津さんは藪内さんに「やるよ」と電話を入れました。2015年の12月。交渉開始から1年近くの月日が流れていました。

ビルのテナントではなく、コミュニティに呼ばれるということ

実際にニューヤブウチビルの物件を見て、奥津さんが思い至ったお店のコンセプトは、「福島の台所」。遊びに来て、ご飯を食べて、信頼できる食材も買える。福島のいい野菜やいい調味料を紹介して、生産者とつなぐ媒介となることができれば、このまちに住む人たちがそれに誇りを持ち、それぞれの家の台所が少しずつ変わっていく。そんな「顔の見える」関係性の中での、近い未来を思い浮かべました。

そして、今の福島にある放射能の問題。リスクと隣り合わせの中で、伝統的な発酵食品や調味料などで自分の体や抵抗力を強くするという提案は、なにもここだけで必要なことではありません。加工品だらけの食卓、食の貧困化…。食にまつわる社会問題に立ち向かう術を、ここ福島から提案していければ。そんな大きなビジョンも同時に描いたのです。

奥津さん 福島であったたくさんのトライは、きっと何十年後か、何百年後かわからないけど、どこかで今回のような原発事故や災害が起きたときに、まちが再生する一つの道しるべに、光に、なるはず。それは原発とともに生きている、俺らの普遍的な問題だよね。どこにでも、いつだって、起こりうることだから。

きっと福島のこの先の、同じ景色を見ているから

新しいヒトトのメンバー3人。左から、千葉夢実さん、藁谷志穂さん、大橋祐香さん。全員、福島で生まれ育った。(写真:馬場わかな)

面接の際には履歴書の他に、玄米ごはん、お味噌汁、オリジナル料理一品を持参という、奥津さんとの真剣な対話の末に選ばれた、3人の新しい仲間。奥津さんは家族との約束通り、1ヶ月に1週間しか家を開けられず、福島に来られるのはせいぜい4〜5日。お店を動かす主役は、他ならぬ、彼女たち3人です。

奥津さん 自分たちがやることで福島の何かになりたい、福島のみんなの勇気や力になりたいんだっていう、強い意志。自分の夢以上に大切なものに捧げてる彼女たちだから、気を遣わずになんでも言い合えるし、要求できる。

この店の一番の目的は、福島の、具体的に顔が思い浮かぶ人たち、今日来てくれるであろう、ここ福島で暮らしている彼ら、彼女たち、子どもたちが喜んでくれること。もうね、そこだけ。そこだけは絶対にはずさない。

それを、3人は明確に理解してくれているから、現状は未熟でも、失敗しても、まったく構わない。ただ、俺も言うことは言うからねって。

福島で生まれ育ち、これからも福島で暮らしていくことを決めた、彼女たちの強い想い。それは、福島の、この先に広がる何年かを一緒に見つめているということ。

お店という場でその想いを表現するために、オープン前には典子さんから素材との向き合い方からヒトトの料理の基本など様々なことを学び、オープンの日まで駆け抜けていきました。

ピースが揃った、ニューヤブウチビル


ビルの前には新しい看板、そして屋上には小上がりやバーカウンターも完成した。


2016年9月末。食堂ヒトトを迎えたニューヤブウチビル。ビルの環境の整備は、まだヒトトの移転が確定していないときから藪内さんがコツコツと自らの手で進めてきたもの。もし今回は移転が叶わなかったとしても、将来的にこの場所を選んでもらえるようにと考えての行動でしたが、この先また地震が起きるかもしれない、原発事故がシビアな状況に転じるかもしれない、そんなリスクを抱えて整備に資金を投じることに、心配する声もあったと言います。

藪内さん いっぱい逃げたんだ。もういっぱい逃げたから、逃げるのはもういいやって。いろんなことがあったけど、腹くくってここでやるって決めたから全力でやる。
動けるとき、無理できるときなんて、限られてる。しかも震災があって、いつ何が起こるかなんてわからないってことが、本当にわかった。やらなかったら絶対後悔するからさ、いつ死んだっていいように、本当にそのとき、懸命にやるしかないんだよ。

強い決意とともに、このビルを通じて、このまち福島に表現していきたいこと。次の世代に伝えていきたいこと。藪内さんの目もやはり、福島のこの先の、同じ景色を見つめています。

藪内さん 今回、奥津さんが、東京から来て出店するっていう普通ではあり得ないことをやってくれた。しかも気持ちも乗せて。これから奥津さんが起こす風で、福島の人がどう感じて、若い人たちがどういうふうに動くのか、背中をを見てほしい感じで。

20代の子たちが、やっぱり地元に戻りたい、福島でお店をやりたいって言ってくれたら勝ちだなって思う。いつも聞くのはさ、「福島、なんもねー」って。自分も昔、同じこと言ってたけどね。でも今は、自分たちに言われてるみたいで悔しいから(笑)

ワクワクするようなビルをつくって、余裕があったら隣のビルや目の前のビルも借りたいくらい。福島でこんなことやってるんだ!っていうことが、やりたい。
なめんなよ、福島!みたいなさ(笑)

お披露目会での乾杯。(写真:馬場わかな)

藪内さん あとはもう、奥津さんの人柄。来てくれたのがめちゃくちゃ嬉しいんだ。俺とやったら面倒だよって、何度も言われたけど、全然。自分たちと同じようにやっていたらおもしろくないし、やっぱりこの人のやり方が見たいから、こんな人の意見を聴きたいから、来てもらいたかったんだよね。

時を刻みはじめた“福島の食堂ヒトト”


(写真:馬場わかな)


オープン前に行われたお披露目会には、全国からお祝いに駆けつけた人たちと、FOR座RESTメンバーをはじめとする福島に住む人たちが混じり合い、賑やかな声が響き渡りました。選び抜かれた食材と丁寧に向き合ったその一品一品は、味わい深く、体に沁み渡ります。

2016年9月30日のオープン以来、毎日多くのお客さんが訪れるその場所は、福島のまちに確かな、新しい風を生み出しています。このまちに支えられ、育まれながら。


(写真:馬場わかな)


この食堂ヒトトという場所に通うすべての人が見るであろう働く彼女たちの姿と、料理を通じての表現は、きっとこのまちの原動力になる。そして、このお店が存在する事実は新しい物語を紡ぎ、奥津さんとスタッフ一人ひとり、そして藪内さんが描く、この先の福島の景色と重なり合っていくでしょう。

奥津さんが目指した台所から日本を変えるという挑戦は、今の福島の、このお店だけの挑戦にとどまらず、きっと日本全体を目覚めさせるムーブメントになっていくはずです。

福島をまっすぐに見つめる台所。
さあ今日も、食堂ヒトトの扉が開きます。

2016年12月には宍戸佑三子さん(左)も加わり、4人で店を開ける。(写真:馬場わかな)

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