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“遊び”から希望は生まれる。釜石の子どもたちへ贈られた「こすもす公園」、その与え合いの物語

強い生命力を持ち、太い根を張り、空に向かって成長を続けるコスモス。ときに“復興の花”とも呼ばれるこの花の名前を掲げた公園があります。

「こすもす公園」。2012年5月、岩手県釜石市に生まれた子どもたちの遊び場です。

東日本大震災による津波で、中心市街地など多くの地域が被災した釜石市。震災後、公園や学校の校庭、サッカー場などには仮設住宅が建てられ、子どもたちは遊び場を失ってしまいました。

そんな状況を目にした釜石内外の人々が、約1年の月日を重ねて完成させたのが、内陸部の甲子(かっし)地区にある、この公園。河川敷で邪魔になっていた大木、近所の人の山から提供を受けた木、廃棄予定だった土管…などなど、地元にあるものを活かして遊具をつくり、釜石の子どもたちの居場所をつくりあげました。

“土に還る”こと、“食べられる”こと、など、パーマカルチャーの哲学が取り入れられたこの公園、自然そのままのかたちを活かした遊具をはじめ、屋根に花が咲く東屋も、ウォシュレット付き(!)コンポストトイレも、実にクリエイティビティにあふれていて、大人が見ても楽しめる要素がずらり。今や、遠足の子どもたち、施設のお年寄り、海外からの視察など、釜石市内外から年間4万人もの人々が訪れる場所となっています。

その背景にあるストーリーをたどるべく、昨年12月、「こすもす公園」を訪れ、公園づくりを中心で支えた藤井サヱ子さんにお話を聞きました。ゆっくりと、当時を思い返すように語ってくださったサヱ子さんの言葉から浮かび上がってきたのは、「遊び」をキーワードにつながり、できることを差し出し合う、だれよりも無邪気な大人たちの姿。

その与え合いの物語を、一緒にたどってみましょう。

藤井 サヱ子(ふじい・さえこ)
釜石市出身。盛岡市の児童センターにて、子どものためのワークショップづくりを手掛けたのち、ご両親の介護のため2000年に釜石へUターン。内陸の甲子(かっし)地区の休耕田にコスモスを植え、集まる人々のために地元野菜の産直を立ち上げたのち、2007年に「レストランこすもす」をオープン。地元の食材を使った創作郷土料理が人気となる。2011年の東日本大震災後は、ボランティアに無償で食事と寝床を提供するなど支援活動に注力し、自宅に合計500人もの宿泊を受け入れた。2012年には、遊び場を失った釜石の子どもたちのために「こすもす公園」をオープン。今や全国から多くの人々が集まる、遊び場となっている。

設計図のない公園づくり

物語のはじまりは、2011年4月。同じ釜石市でも、被災を免れた甲子地区に住むサヱ子さんは、ご自身が営む「レストランこすもす」で、ボランティアの人々に無償でごはんを提供していました。毎日毎日、寝る間も惜しんでごはんをつくり続けるサヱ子さんでしたが、ある日、こんな話を耳にしました。

子どもたちの遊び場だった公園、運動場など、すべてに仮設住宅が建って、子どもたちの遊ぶ場所がない、という情報を得たんですね。校庭も自衛隊が野営していて、体育館も避難所になって…本当に遊ぶところは制限されていました。

被災地にいながら被災しなかった自分にできることはなんだろう、って。そう思ったときに、未来がある子どもたちに、ちょっとでも津波の情景を忘れさせたい。コスモス畑を子どもたちの遊び場所にしたい。じゃあ、公園つくろう、と思ったんです。

レストランの前に広がるコスモス畑は、サヱ子さんが約16年前、約3,000平方メートルの休耕田に種を撒き、育ててきた場所。コスモスの名所として、秋にはたくさんの人が花を愛でに訪れるようになっていました。サエコさんと、夫の了さんは、ここを子どもたちが自由に遊べる公園に変えようと、子どもをサポートする基金などに企画書を提出。助成金を受けることが決まりました。

少額ながらも資金の目処がたち、遊具や植物の手配など、おふたりは公園づくりのために本格的に動き始めます。そんなある日、毎日のようにレストランに食事に来て親しくなっていたボランティアの男性にふと、公園づくりの話をしたサヱ子さん。すると、「そんな楽しい仕事、独り占めにしないで。一緒につくりましょう!」と、目を輝かせながら言われたのだそう。

彼の名は、本間・フィル・キャッシュマン。greenz.jpにも何度かご登場いただいている、パーマカルチャーのスペシャリストでした。

被災した保育園の厨房をつくるため、ボランティアで釜石に来ていた本間・フィル・キャッシュマンさん。撮影:Namaiki and Friends

そこから話は急展開。了さんが最初に思い描いたのは、小さな遊具があって、芝生があって…という、誰もが想い描く“素敵な公園”でした。でも、その設計図を見たフィルさんは、「お父さん、そういうものは僕ら、つくれない。お金のかからない有機物、土に還る木を使って、材料探しからやりたい」と提案。ご夫妻も、想像がつかないながらも「面白そう」とすぐに賛同しました。

うちにある木はいくら使ってもいいし、寄付してくださる方もいましたし。木って、ぬくもりがあるんですよね。私も木が大好きなので、いいな、って。

木が朽ちたら(公園を)おしまいにしてもいいし、土に還して、また畑にしてもいいし。じゃあ、それでやろうって。即、賛成しましたよ。

こうして、“あるものを活かす”こと、“土に還る”こと、そして“食べられる”ことをコンセプトにした、設計図のない公園づくりがスタートしました。

“与え合い”の物語

フィルさんが声をかけた“遊び仲間”が続々と集まり、最初に取りかかったのは材料探しでした。裏山に出かけたり、流木を拾いに行ったり、ご近所さんから木材をいただいたり。シンボルとなっている「ピノキオすべり台」の素材となった大きな木は、町内の河川敷で邪魔になっている木があることを聞きつけ、いただいてきました。

邪魔になっているから、ほしい人は使っていいっていう情報を聞いて、それをフィルに話したら、「じゃあ見に行こう」って。

見に行って目をつけてきて、3人で切り倒して、1日がかりでここ(こすもす公園)に運んできて。みんなで皮むきをしました。

大木が運び込まれた当時の様子。撮影:Namaiki and Friends

完成間近の「ピノキオすべり台」 撮影:Namaiki and Friends

実はこの滑り台、切り倒した木を逆さまにしてつくりました。現在上になっているのが、もともと根っこだった部分。足に見えているのが、枝だった部分です。滑り台の手すりの部分は、ご近所の山にあった杉の木をいただいてつくったもの。根本が曲がっていた部分を、地面との着地の形状に活かしました。

あの木を滑り台にしようだなんて、私たちではあの発想はできなかったんだろうな、と思うんですけどね(笑)。

まだまだアイデアは尽きません。大きな穴を掘って子どもの遊び場をつくり、その土を活かして小高い展望台に仕立てました。展望台の下は、一息つける東屋に。

撮影:Namaiki and Friends

盛った土に大きな土管を埋め込むことで、トンネルもできました。もちろん、この土管もある企業が廃棄するという噂を聞きつけて、もらってきたものです。

撮影:Namaiki and Friends

本当に、そういう情報をどうやって入手しているのかは分からないけど…(笑)

トンネルの中は、子どもたちが絵を描きました。東屋の上には、春には花が咲いて、秋にはコスモスが咲くんですよ。

極めつけは、排泄物を自然に還すコンポストトイレ。なんとウォシュレット付きで、つくったフィルさん本人も「おそらく世界初」と自負しているのだとか。4つのドラム缶にためて循環させる方式で、「第1回日本トイレひと大賞」(2016年、日本トイレ研究所)から表彰されるほど、高いデザイン性と機能性を兼ね備えています。

トイレの下の扉を開けると、車輪付きの台に載せられた4つのドラム缶が。ここに排泄物をためて堆肥にし、土へと還していきます。

さらに滑り台のまわりにプランターをつくり、野菜や果樹を植えることで“食べられる”というコンセプトも実現。コンポストトイレの堆肥を利用して育て、有機物を循環させる仕組みです。

野菜やハーブのほか、ブルーベリー、ラズベリーなどの果樹も植えられました。撮影:Namaiki and Friends

パーマカルチャーのスペシャリストであるフィルさんはじめ、アートディレクター、ツリーハウスビルダーなど、入れ代わり立ち代わり、来られる人が来て作業を続けること、約1年。サヱ子さんはその間、来る日も来る日も彼らの食事をつくり、寝床を提供し続けました。

それぞれが自分のできることを差し出し、与え合うなかで、2012年5月、「笑顔と希望のこすもす公園」は誕生したのです。

2016年秋の「こすもす公園」。オープン一年後には壁画も完成して、ますます賑やかになりました

経営ではなく、楽しいことを

公園づくりの前後にも、レストラン横にみんなでピザを焼ける大きな窯をつくったり、隣の工場の方が“背中を借して”くださったことから約1年かけて「きぼうの壁画」を完成させたり、与え合いの物語は、今もなお続いています。

実はフィルさんが最初に取り組んだのは、サヱ子さんの夢だったというピザ窯づくり。泥と砂、パレットのみを使ってアースオーブンをつくり、レストランの横に設置しました。今ではここで焼くピザが週末ランチの名物メニューになっています。撮影:Namaiki and Friends

公園のすぐ隣は、工場。その薄汚れた壁を見た少女が「津波のときの景色を思い出す…」と、つぶやいたことから、「きぼうの壁画プロジェクト」がスタート。このプロジェクトも、工場の社長、塗装業者、アーティスト、地元の建設会社など、様々な人の与え合いから生まれました。詳しいストーリーは、絵本『あしたがすき: 釜石「こすもす公園」きぼうの壁画ものがたり』(ポプラ社)を、ぜひ

本当に、みんなで力を合わせてつくった公園ですので、たくさんの人に使ってほしいな、と思います。

最初の構想は、釜石に限らず「子どもならどこからでも来てほしい」と思っていました。でも今は、老人施設や障害者施設の子どもたちも来たり、日本全国や、海外からも、本当にいろいろな人が来てくださいます。

私がよそに行けないぶん、みんながここに来てくれて話ができて、うれしいですね。

昨年と今年は、幼稚園の親子遠足で、大型バス5台、200名の人々が一度に来園したこともあったのだとか。オープンから4年半。キャンドルナイト、コンサート、クリスマスイベントやワークショップなども次々に開催され、特にPRをせずとも、訪れる人々は後を絶ちません。

2013年より毎年クリスマスには、「サンタが100人やってきた!」を開催。了さんとサヱ子さんもサンタに変身してイベントを盛り上げます

ピノキオすべり台は、いつも大人気。子どもたちの行列が絶えることはありません。撮影:Namaiki and Friends

当然のことながら、サヱ子さんは、震災から今日までずっと大忙しでした。実は公園づくりやレストラン経営だけではなく、釜石でボランティア活動をする方々のために自宅を「民泊」として提供。噂が噂を呼んで、国内外の人々延べ約500人が泊まりに来ました。

朝昼晩、休む間もなく、訪れる人々のために食事とおやつをつくり続ける日々。釜石の復興に携わる人々を後方から支援するという重要な役割を、自分のできること、そして暮らしのすべてを差し出すかたちで全うしたのです。

地元の野菜をふんだんに使ったサヱ子さんの創作郷土料理は、訪れる人のお腹と心を満たします。ランチタイムに「レストランこすもす」で味わうことができます

バタバタしているけど、楽しいですね。うんうん。

やっぱりね、こういうことをやったら、自分が楽しまないと。楽しいところには人が集まってくる。いいものがあっても、そこにいる人がいつも暗かったり対応が悪かったりしていたら、子どもも大人も集まって来ないですよね。

だから、ここでは、経営ではなく、楽しいことをして自分の生きがいにしよう、と思ってやってきています。それが少しでも釜石の元気につながればいいかな、って思いがずっとあるんです。

よそのひとから見たら、バカげたことやってるな、そんなことやったってまちが元気になるわけないって思われるかもしれないけど。

でも、いちいち気にしていたら前に進めない。それでも私には釜石を元気にしたいという夢があるので。それを今までやってきましたし、これからも、やっていきたいです。

みんなの力で、歩み続ける

釜石の山あいにある小さな公園に起こった、与え合いの物語。つくる人、描く人、奏でる人…。取材時には、公園をつくる過程を撮影したたくさんの写真を見せていただきましたが、そこにはいつも、今というときを全力で楽しむ人々の姿がありました。

山間にある「こすもす公園」は、これまでに2度、大雨による浸水に見舞われました。オープン直前に浸水するも、いかだをつくったり、泳いだり、トラブルをも楽しむ人々の姿がありました。撮影:Namaiki and Friends

「毎日宴会だった」とサヱ子さんは当時を振り返ります。どんなときも、楽しむ気持ちを忘れません。一番右がご主人の了さん。撮影:Namaiki and Friends

子どもも大人も、逆境をも「遊び」に変え、与え合うことを楽しみ、つながりあう「こすもす公園」。今、多くの人がここに、導かれるように集まってくるのは、やはりサヱ子さん自身が毎日を楽しみ、この場所で、笑顔で迎えてくれるからでしょう。

そう伝えると、サヱ子さんは照れくさそうに、「違う違う。私の欠けている部分を補わなきゃなって思ってくれているんですよー」と、笑いました。

夫とも話をするんですけど、フィルやみんなと出会って本当に良かったね、公園づくりも壁画も、やってよかったね、って。

本当に、みんなのおかげ。みんなの力で、今日までやってきました。

そしてこれからも、まだまだやることは盛りだくさん。実は今、「ピノキオすべり台」は、木の老朽化により、使えなくなっている状態です。自然そのままの素材を使い、塗装も防腐剤も何も施さずにつくった公園ならではの悩み。現在、フィルさんを中心に、修復に向けた動きを具体的に検討しているそうです。

昨年末、公園の補修について話し合うため、当時の仲間が再集結しました

場合によっては、「クラウドファンディングに挑戦するかもしれない」と了さん。これからも、みんなの力で、「こすもす公園」は歩み続けていきます。

子どものとなりで、どうありたい?

物語の終わりに、この連載の問いに対する、サヱ子さんの答えをみなさんと共有します。プロフィールにも掲載したとおり、サヱ子さんは、盛岡で6年間、児童センターに勤務し、子どものためのワークショップなどを企画してきた経験を持つ、“子どものとなりで”生きる人です。

虐待とかいじめとか、悲しいニュースを聞く度に本当に心が痛みます。

でも、 親も子も、楽しい生活をしたら、世界中がみんな楽しくなって、事件とかもなくなるんじゃないかなぁ。 親も子も、楽しい思いで生活できるような環境ができていくといいかな。

親も子も、楽しめる環境。そのために必要なことを聞くと、サエコさんは、「こんな表現をしたら叱られるかな」と言いながら、ゆっくり答えてくださいました。

あまり欲張らないことかな。あそこのお家みたいにうちもこうしなきゃ、とかね。そういうこと必要かなぁ?

それよりも、子どもが生きる知恵を身につけて、楽しいことをして、成長していくことが大事だと思います。

アースオーブンでピザを焼くワークショップは、毎回子どもたちに大人気。ピザ生地から自分で捏ねてつくります

キャンドルナイトをやったときに、子どもに自分でローソクに火を付けさせたんですよね。そうしたら子どもたち、それが一番楽しかったって。「うちでやったことがないから」って。

親は危ないからダメだって言うけど、子どもはそういうところで楽しいって覚えるんだな、って分かったんですね。

キャンドルナイトは、毎年夏至に開催される恒例行事。準備から子どもたちも関わり、夜にはゲーム大会やコンサートも開催されます

サヱ子さんはいま、災害時のような、ガスも電気もない状態で生活するワークショップを、この公園で、子どもたちと一緒にやってみようと計画しているのだとか。かまどに火を付けてご飯を炊いて、野草を見つけてきておかずをつくって…。まだ構想段階とのことですが、“生きる力を身につける”体験を子どもたちと一緒に楽しみたいと語ってくれました。

自然にあふれた「こすもす公園」で、自分で遊びをつくり出していく子どもたちの姿から、「教えてもらうことばかり」と言い、「欲張りだね」と笑いながら次々とアイデアを思いつくサヱ子さんの表情は、実にいきいきと輝いています。

そんなサヱ子さんに「ほしい未来」のことを聞くと、「年齢が年齢ですからね。でも元気なうちは、やりますよ」と前置きをして、ご自身の原点をたどるように、言葉を続けてくださいました。

2000年に、盛岡から釜石に帰って来た時から、私の“遊び”は始まりました。コスモスを植えて、産直を立ち上げて。それからこのお店を完成させて…すべて、遊びです。

だから私に「これをやろう」という企画書はないんです。流れを見ながら、「今は、これかな」って。まわりの人の言うことを受け止めて、それを私なりにやっていく。これからも、出会った人と。

コスモスの見頃は9月中旬〜10月。今年もたくさんの笑顔が咲くことでしょう。撮影:Namaiki and Friends

何かを差し出すこと、それは決して簡単なことではありません。でもそれを自己犠牲ではなく「遊び」と捉えたとき、見える世界が変わり、つながりが生まれる。「遊び」だから、ずっと、続いていく。「希望」は生まれる。

そんなメッセージを受け取って、私は帰路へつきました。釜石駅で手を振って見送ってくださった了さんとサヱ子さんに、「また必ず遊びに来ます」と、心の奥で誓って。

みなさんも、与え合いの物語の続きを一緒に楽しみませんか?藤井ご夫妻はいつも「こすもす公園」で、遊びに来るあなたを待っていてくれるはずです。

社会全体で子どもの育ちを見守る文化を育むために。「世界と日本、子どものとなりで」は、子どもを中心とした社会づくりに取り組む方々の声を聞く連載企画。greenz people(グリーンズ会員)からの寄付により展開しています。