greenz.jpの連載「暮らしの変人」をともにつくりませんか→

greenz people ロゴ

焦らなくてもいい。思いっきり無駄があってもいい。「グランドビジョン」中尾賢一郎さんに聞く、遠回りする人生の大切さ

tsuika2
福岡・天神にあるグランドビジョンのオフィス

特集「マイプロSHOWCASE福岡編」は、「“20年後の天神“を一緒につくろう!」をテーマに、福岡を拠点に活躍するソーシャルデザインの担い手を紹介していく、西鉄天神委員会との共同企画です。

面白い仕事がしたい。楽しく働きたい。こんな想いを持っている人、けっこう多いのではないでしょうか。

もちろん、理想と現実は違いますし、それを実現するのは、正直、容易いことではありません。でも、ここ福岡に、そうした想いをカタチにしている企業があります。

その名は、2011年の設立ながら、福岡のみならず全国的な注目を集める事業プロデュース集団「(株)グランドビジョン」。

ここ福岡の地に残る空海伝説にロマンを感じ、2011年より開催する「空海劇場」、同社で働く障がい者集団「ホームランチーム」が中心となって運営する「ホームラン農園」をはじめ、「面白い仕事」や「楽しい働き方」を実現。

そんな同社を率いる代表・中尾賢一郎さんに、これまでの経歴や仕事観、未来について熱い想いを語っていただきました。
 
nk

中尾賢一郎(なかお・けんいちろう)
(株)グランドビジョン代表。1975年生まれ。鹿児島市出身。鹿児島国際大学社会学部(現・福祉社会学部)在学中より、鹿児島の広告企業会社でアルバイトとしてコピーライティングなどの業務に携わり、その会社に就職。2001年に(株)電通九州に入社。プランナーとして行政の観光プロジェクトや企業の販促戦略マーケティングなどに携わる。2015年2月には東京・南青山にオフィスを開設。福岡県糸島市の休耕地で自然農法に取り組む障がい者雇用農園「ホームラン農園」の運営にも携わっている。

空海のイベントから農園まで

image-3
オフィス内に入ると大きなキリンがお出迎え

福岡の中心地である天神で、グリーンに包まれたひと際目を惹くオフィスビル。このビルの2・3階に、中尾さんが代表を務めるグランドビジョンのオフィスはあります。

オフィス内に入ると大きなキリンがお出迎え。ここが天神の真ん中であることを忘れてしまいそうな遊び心のあるオフィスに心が踊ります。

この個性溢れる空間でクライアントのパートナーとしての総合プロデュースを手掛ける(株)グランドビジョン。その業務や取り組みは、オリジナリティに溢れています。そのひとつが「空海劇場」です。
 

2014年11月24日に開催された「空海劇場2014」の様子

2011年3月に開業した九州新幹線の観光PRプロジェクトを手掛けていた中尾さんは、福岡に残る空海伝説に興味を惹かれます。

博多駅の近くにある東長寺を空海が創建したという事実を初めて知って興奮しました。

私の故郷には西郷隆盛という歴史的な人物がいて、鹿児島の人は彼に対して誇りを持っていますが、福岡の人たちは空海がここ福岡にいたことも、その空海が最初に創建した東長寺があることも、私自身がそうであったように、知らない人が多いんですよね。

東長寺は、「密教が東に長く広がるように」という想いで名付けられましたが、その名の通り、空海は全国各地に大きな革新をもたらせていきました。

彼の行動力や意志、思想は、現代に生きる私たちにも求められると考え、私は、従来とは違うアプローチで福岡の歴史や文化に触れてもらうことをテーマに、エンターテインメントを発信するイベント「空海劇場」をスタートさせたのです。

とはいえ空海といっても馴染みのない方がほとんど。そこで米良美一さんのライヴ、博多織や久留米絣を使ったファッションショー、アート書道家・本田蒼風さんの書道パフォーマンスなど、さまざまな文化活動と結びつけ、若い人にも接点を提供しています。

3回目からは、空海ファンであり、「空海劇場」の活動に共感した精神科医の名越康文さんや、イベントプロデューサーの深町健二郎さんといった協力者が参加。なんとオリジナルの焼酎をつくったことも!

正直、3回目までは大赤字で、社内からも大ブーイングが上がりました。けれど、やると決めたからには続けていこうと、昨年も開催したところ、本家本元の高野山からお声が掛かりまして。

高野山開創1200年という節目の今年、「空海劇場2015」を高野山で開催させていただくことが決まったのです。

ほかにも茂木健一郎さんやリリーフランキーさんを迎え、福岡で活躍している人々と土俵を舞台にトーク対談を行う「ディクショナリー倶楽部 福岡〜九州場所」(2013年5月)や、各界のスペシャリストから学び就活に活かすための参加型イベント「匠の羅針盤」(2014年11月)などを開催。

全国区の著名人と地元で活躍している人、頑張る人をひとつのイベントに出演させることで、まだあまり知られていない福岡の魅力的な人々を知ってもらう機会となっています。
 
tsuikatk
「ディクショナリー倶楽部 福岡〜九州場所」より

tsuikaysh
「匠の羅針盤」には空海好きのYOSH編集長も登壇。左から中尾さん、タレントの森下千里さん、YOSH編集長、高野山三宝院副住職の飛鷹全法さん、イベントプロデューサーの深町健二郎さん

一方、同社では、現在5名の障がい者を雇用しており、彼らは「ホームランチーム」として、他の社員が気持ちよく働けるようにお茶だしや新聞広告の切り取り、清掃などを担っています。

ホームランチームのリーダーから、畑を貸してくれる人がいるので、農園をやりたいという申し出がありました。

ただ雇用して仕事をしてもらうだけでなく、彼らが自立して社会の役に立っているという実感を得て欲しいという想いを持っていましたので、農園はいいきっかけになると思いました。

また、私の故郷である鹿児島を訪れると、昔は田んぼや畑だった場所が荒れ地になっている現実があり、このような休耕地を活かすことができれば、過疎化の問題を解決する糸口になるとも思っていて。

農業はこれらの課題や問題を解決するものになり得ますし、それを自分たちが実証し成功させることで、このモデルを他の企業などに横展開できたらいいなと思いますね。

ホームランチームのメンバーは、普段からステキな笑顔で社員たちを励ましてくれたり、ホームラン農場で収穫した野菜などを使ってカレーを振る舞ってくれたりと、同社にはなくてはならない存在となっているそうです。
 
SONY DSC
ホームラン農園の様子

広告だけでなく真のパートナー企業へ

さまざまな自社プロジェクトを展開するグランドビジョンですが、本業は総合プロデュース事業です。

「21世紀に最も必要とされる真のパートナー企業へ」という理念を掲げ、事業計画作成から広告プランニング、マーケティング調査、システム開発、商品開発、社員教育など、多岐に渡る事業プロデュースを展開しています。

そこには「広告の依頼をもらうことが仕事ではない」という中尾さんの思いがありました。

クライアントは広告を展開したいのではなく、売上を伸ばしたい、商品をより多くの人に知って欲しいという目的があり、広告はあくまでもその一部なんですね。広告代理店だからといって広告を売るのはこちら側の都合であって、クライアントには関係ありません。

私たちは下請けではなく、伴走者して寄り添っていきたいと考えています。

長年、プロモーションに携わってきた中尾さんは、イベントを打つことでどれだけ効果があるのかを訊ねても、「イベントさえ成功してくれればいい。効果はまた別の部門が考えるから気にしないでください」と言われることに嫌気がさしていたそうです。

そんなある時期から、通販会社のプロモーションに携わったことをきっかけに、通販業界に将来を見出します。

通販業界は投資対効果をシビアに見る世界。徹底的に数値化して広告という投資コストを見ていきます。これは面白いな、これからはこんな時代になるなと思いましたね。

そこでグランドビジョンでは、広告プランニングだけでなく、商品開発やコールセンターの運営など、多岐に渡る業務を手掛け、総合的な事業プロデュースを行っています。

現在、売上の9割は関東・関西のクライアントという状況。今年に入って東京・南青山に東京オフィスを設けましたが、中尾さんはあくまでも福岡本社にこだわっていると言います。

僕は福岡が好きだし、事業を通じて地方を元気にしたいという想いがあります。企業として事業を展開している以上、社会に貢献したいという気持ちもありますし。

大企業はうちがやらなくてもいいと思っていて、それよりも、地方の中小企業に埋もれているいい商品を、より多くの人に、より広範囲の人に知ってもらうようなお手伝いがしたいんです。

地方の中小企業が元気になれば、その地方に雇用が生まれ、家族が生まれ、税収が上がり、街がきれいになるという循環が生まれます。これこそ地域貢献ではないでしょうか。

国がお金を使って一時的な対策を打っても一過性で終わるだけです。やはり民間企業が力を付けることが大切で、私たちはそれらの企業のパートナーでありたいと考えています。

地域に雇用が生まれれば、若者が流出することも防げると言う中尾さん。

生まれ育った九州への愛着は強く、「いい商品はあるのに売り方がわからない」「もっと商圏を広くしていきたい」という悩みを持つ九州の中小企業も積極的にサポートしていきたいと話します。

人生のうち数回は絶対に間違ってはいけない選択がある

今でこそ地方に魅力を感じている中尾さんですが、鹿児島にいた頃は「東京で働く」という夢を持っていました。学生時代はラグビーとアルバイト三昧。そんなある日、阪神淡路大震災が起こります。

友人たちは現地に赴きボランティア活動をしていましたが、自分にはそんな行動力もなくて。大学では福祉を学んでいたものの、本当にそれがやりたいことなのか、自信が持てなくなっていました。

そんなとき、通信講座のチラシにあったコピーライター養成講座に目が留まったんです。

中尾さんは、なけなしのお金をはたいて申し込み、大学の掲示板で見つけたCM制作のアルバイト先の紹介で、地元の広告企画会社でコピーライター見習いとして働き始めました。

ある日、車を運転していると、ラジオから自分が原稿を書いたCMが流れてきて。それまで遠い世界だと思っていたラジオが急に近くに感じられて感動しましたし、表現することの喜びを知ったのもこのときです。

時給約600円だったけど、好きなことをやってお金をもらえるのもすごく楽しくて。

鹿児島の中ではいい仕事をしているとは感じていたものの、東京への憧れは変わらず、中尾さんは東京での就活を始めます。

マスコミ電話帳を買って、募集していない企業にも片っ端から電話して。100社くらいアプローチをした中のたった1社だけが、「君、面白いね。研修に来なさい」と言ってくださいました。

意気揚々と鹿児島に帰った中尾さんに待っていたのは、高校時代からおつきあいをしていた彼女の妊娠でした。「できちゃった婚」「授かり婚」という言葉すらなかった時代。中尾さんは結婚して鹿児島で生きることを決めました。

東京で華やかな広告の世界に身を置き、コピーライターとして活躍するという夢を諦めた中尾さん。アルバイト先の社長に事情を話し、その会社で働かせてもらうことになりました。

小さな失敗は取り返しがつくけれど、人生のうちで数回だけ絶対に間違ってはいけない選択があると思っています。このときに鹿児島に残るという選択をしたことは、今思えば神様のお告げだったと感じています。

鹿児島から福岡へ。20代は誰よりも働いたという自信がある

入社して約3年。コピーライターとしての限界を感じ始めていたという中尾さんに、電通九州鹿児島支社から契約社員として働いてみないかという声が掛かります。

環境を変えたいという思いがあったので、転職を決めました。もとはといえば、通信講座のチラシを見たことから始まって、大学の掲示板でCMのAD募集も、電通九州からの誘いも、絶妙なタイミングで向こうからやってくるんです。僕はとても運がいいんでしょうね。

東京を諦めた時点で鹿児島から出ることを全く考えていなかった中尾さんは、28歳で鹿児島市内にマンションを購入。20代はその時代の20代には誰にも負けないと胸を張れるほど、仕事に没頭したといいます。

そんなある日、中尾さんは福岡本社への転勤を命じられます。

鹿児島に面白い奴がいると噂になっていたようです。契約社員だから鹿児島から出ることもないと思っていたし、マンションも買ったばかり。参ったなと思ったけど、正社員になれて、呼んでいただけるというのは有り難い話。福岡で働くことにしました。

けれど、最初の2年間は全然ダメで。がむしゃらに働いたけど、やることなすこと全部否定されて。「みんな俺のこと嫌いなのかな?」とすら思いましたね。

当時、私は、広告プランニングに必要なプロセスをすっ飛ばし、直感的な企画だけを前面に押し出して勝負していました。そこが自分の存在価値だと思っていたんです。

そこで、周りの人たちに納得してもらうために、市場調査やロジカルな組立、コンセプトなども入れながら、自分の武器である直感力も大切にしていくことにしたのです。

学ぶところは学び、大切なところは譲らないという方法に転換したことで、社内外からの評価も高まり、周りから「一緒にやろう」という声が掛かるようになったそうです。

焦らない、ということ。

そうして福岡で仕事をし始めて5年ほど経った頃。中尾さんは次第に「このままこの仕事を続けることができるのだろうか」という漠然とした想いを抱えるようになります。

インターネットが登場し、コミュニュケーションのあり方やマーケティングの手法が変わっていく中で、「クライアントのパートナーでありたい」という理想と現実の仕事に少しずつギャップを感じ始めていたのです。

そして中尾さんは理想を追求するべく、電通九州を退社し、新たなスタートを切ることを決めます。そして2015年、一度は東京で働くことを諦めた中尾さんは、ひとめぐりして東京でオフィスを開設することになりました。

一度は諦めた東京でしたが、30代で南青山にオフィスを設けることができました。これは僕の人生において、とても意味のあること。

一度は挫折したけれど、自分が意図しないままに福岡に来て、今では東京にもオフィスを出すことができて。今では、著名なクリエイターの方とも一緒に仕事をさせていただく機会も多く、結局は、憧れていた東京で、憧れていた仕事ができているんです。

gvtokyo_2_s
東京・南青山に東京オフィス前で

何かを始めるときって「それは儲かるのか」と言われることも多いですが、それだけを見ていたら、何も始めることはできません。

私は常々若い子たちに対して「焦るな」と言っています。「それをすることにどんな意味があるんですか?」という子もいえば、「細かな雑務ではなく目立つ仕事がしたい」という子もいる。

早く結果を出したいと思うかもしれないけれど、思いっきり無駄があってもいいと思うんですね。本当に大切なことの結果が出るまでには、時間がかかるものです

夢を諦めたり、人一倍働いたりと、さまざまな苦労や努力を重ねてきたからこそ、中尾さんは今、「面白い仕事をする」こと、「楽しく働く」ことを、実現できるのではないでしょうか。

自分の理想や想いを実現するために、ときには遠回りする時間があってもいいのかもしれません。