「茶太郎」こと松村太郎さん(左)と、豆央こと河邉未央さん(右)
「サードウェーブコーヒー」と呼ばれるムーブメントを聞いたことはありますか? 今、その発祥の地であるアメリカのみならず、日本でも注目を集めている新しいコーヒーカルチャーです。
このムーブメントの一大発信地として知られるサンフランシスコから、日本へと情報を届け続けているのが、松村太郎さん・河邉未央さんご夫婦です。「茶太郎豆央」というユニット名で活動するふたりは、書籍の出版などを通して、今や日米のコーヒーシーンで広く知られる存在です。
今回は茶太郎豆央のおふたりに、これまでの活動とそれを通して感じたサードウェーブコーヒーの魅力を語って頂きました。
サードウェーブコーヒーとは?
茶太郎豆央のふたりの詳しい話を聞く前に、まずはサードウェーブコーヒーが生まれた背景を知るところからスタートしてみましょう。
一般的に、コーヒーの流通・消費のスタイルにはこれまで2度の大きな変化があったと言われています。
1度目が、19世紀後半から1960年代までのファーストウェーブ。安価なコーヒー豆やインスタントコーヒーが流通するようになり、家や職場でコーヒーを飲む習慣が広く根付きました。
そして2度目が、1960年代から2000年ごろまでのセカンドウェーブ。スターバックスに代表されるチェーンによって、良質なコーヒーが世界中で飲まれるようになりました。
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ファースト、セカンドの流れのなかで大規模なコーヒー市場が確立されましたが、生産地への配慮やサステナビリティなどの問題が次第に指摘されるようになりました。そこで生まれたのが地域の小規模ロースター(焙煎所)が主役となるサードウェーブです。
サードウェーブの特徴は、豆の個性を活かした味わい、そして豆の生産地とのフェアで持続可能な関係づくりです。
ローカルコーヒーとの出会い
茶太郎豆央のふたりがサードウェーブコーヒーに出会ったのは、2011年11月に東京から移住したサンフランシスコ近郊の街バークレーでした。
太郎さん 昔からコーヒーはほぼ毎日飲んでいたんですが、だいたいスタバ(スターバックス)で済ませていました。でも引っ越してみたら、家の周りにスタバがなかったんですよね。それで地元のカフェに行ったり、自分で淹れたりするようになりました。
“どこで飲んでも同じ味という安心”に浸っていた生活から、そうではないコーヒーに目が向いたという意味で、大きな転換でした。
そして自分で豆を選ぶようになって気付いたのが、地元ロースターのコーヒー豆の存在でした。スタバの豆のパッケージのようなビニールコーティングではなく、ざらっとした紙製の袋に見慣れないロゴ。「これは何なんだ?」と好奇心をくすぐられました。
スーパーに並ぶ地元ロースターのコーヒー豆
未央さん ローカルのものの流通に関して、バークレーは目を見張るものがありますね。スーパーや食料品店など、地元の人の手に届きやすいところに、地元のものがちゃんと置かれています。
それはコーヒーについても同様で、生活のなかで自然とチェーンではないローカルなコーヒーを飲める、ローカルコーヒーフレンドリーな環境がありました。
こうして始まった新しいコーヒー生活に、引き込まれるような感覚を覚えたと太郎さんは言います。やがてコーヒーはふたりにとって、共通の関心ごとになっていきました。
始まりは誕生日プレゼント
そんなふたりがコーヒーをテーマにしたユニット活動を始めたのは、誕生日に未央さんがリクエストした、あるものがきっかけでした。
東京で生活していた頃、太郎さんはテック系ジャーナリストとして、未央さんはファッション誌の広告企画担当として忙しくも充実した日々を送っていました。しかし東日本大震災をきっかけに、ふたりは「死ぬまでにやらないと後悔すること」を考えるようになったそうです。
ふたりが人生でどうしてもやりたいことのひとつが、アメリカでの生活でした。バークレーは、新しいサービスが絶えず生まれるサンフランシスコまで目と鼻の先、テック系企業のメッカであるシリコンバレーまでも車で1時間圏内。
テックビジネス最前線の地でジャーナリスト活動を始める太郎さんに未央さんは会社を辞めて寄り添い、憧れが現実のものとなりました。
シリコンバレーのGoogle本社前
こうして始まったアメリカでの暮らしでしたが、生活スタイルの急激な変化は、未央さんに悩みをもたらしました。
未央さん 日本での全力疾走の毎日から一転して、時間がありあまる生活。何かやりたいけど、どうしていいかわからない。しばらく悶々とした想いを抱える日々が続きました。
そんなときに太郎くんに誕生日に欲しい物を尋ねられて、思わず言っちゃったんです。「やることを下さい」って。
思いがけないリクエストに太郎さんはうなりましたが、未央さんに“やること”の提案を約束します。そして数ヶ月後に満を持して発表されたのが、ふたりが渡米して出会った豊かなコーヒーカルチャーを発信するユニット活動だったのです。
未央さん 意外な提案でしたけど、嬉しかったです。夫婦としての道が新しい方向に開けたような感じで、そこからどんな風景を見られるだろうと心が躍りました。
そう話す未央さんも、隣でうなずく太郎さんも、少し照れた様子。そして、優しくやわらかな表情。茶太郎豆央というユニットがあたたかな場所から生まれ育ってきたことが伝わってきました。
メルマガから本の出版まで
茶太郎豆央としての活動が実際にスタートしたのは、2012年10月1日、“コーヒーの日”のことでした。
最初に行ったのは、メールマガジンの配信。月に1度の配信ながら毎号A4の記事5、6ページと、ボリュームのあるものでした。計6回の配信の後、ふたりはその内容をまとめて電子書籍化。
『サードウェーブ!』 と題して、2013年5月にkindleでセルフパブリッシュ(出版社を通さない個人出版)しました。
『サードウェーブ!』の表紙。Amazonから購入可能
手応えは、すぐに返ってきました。出版から間もなくして飲食カテゴリなど計3カテゴリでランキング1位を獲得。全体ランキングでも最高で10位に入るなど、ふたりの試みは予想以上の反響を呼びました。
現在までの販売部数は、なんと3000部を記録! そして出版から約1ヶ月後には出版社からのオファーが舞い込み、紙の書籍化が決定したのです。
『サードウェーブ・コーヒー読本』 表紙 。全国の書店やインターネットで手に入ります
2013年11月に発行された『サードウェーブ・コーヒー読本』(枻出版社)には、『サードウェーブ!』をベースに主要ロースターCEOへのインタビューなども新たに盛り込まれました。
この本によって、さらに多くの人が茶太郎豆央の名前を知ることになったのです。
Seed to Cup
二冊の本を通してふたりが伝えたかったことのひとつに、サードウェーブの担い手たちのコーヒーへの向き合い方があります。
サードウェーブコーヒーのカルチャーでは、“Seed to Cup”という言葉がよく使われます。種からカップまで、つまり、コーヒーノキの作付けから実際にカップでサーブされるまでの、全行程を大切にする姿勢を表す言葉です。
ふたりによると、多くのサードウェーブのロースターでは専属のバイヤーが農園から直接買い付けを行っており、オーナーが現地に足を運ぶことも珍しくないと言います。 彼らが持つ “コーヒー豆のバックグラウンド”への深い理解は、そうして現地に行くことで育まれているのです。
コーヒーノキの実。種を取り出し、焙煎することで私たちがよく知るコーヒー豆に
太郎さん 現地での直接取引は、これまで市場に流通しづらかった豆にもスポットを当て始めています。
大量消費が前提となっていたファースト、セカンドウェーブが産地に求めるのは均質な豆の大量確保であり、高品質でも少量生産の豆はなかなか受け入れられませんでした。
サードウェーブでは、市場からこぼれ落ちてしまっていた少量種の豆も評価され、それぞれの個性にあわせた焙煎・ドリップが研究されています。
いい豆がちゃんと世に出るようにするこの取り組みは、適正な価格での取引とともに、生産地を大きく変える可能性を感じさせてくれます。
未央さん 途上国でつくられる他の多くの農産物と同様に、コーヒーの生産においても、生産者になかなかお金が還らない仕組みができあがってしまっています。
サードウェーブは、そんな既存のシステムからの脱却を目指す、“コーヒー解放運動”と言えるかもしれません。
サードウェーブにみつける、働き方のヒント
しかし、こういったある意味“重い”信念が、 サービスの前面に出てくることはありません。サードウェーブコーヒーの店舗にはくどくどした説明などは無く、おいしいコーヒーを心地よい空間で楽しめる場になっています。
人々が自然にコーヒーを楽しむなかでコーヒーを取り巻く環境がよくなっていくサイクルをつくる。そんな彼らの社会問題へのアプローチ方法は、軽やかで、心惹かれるものがあります。
Four Barrel Coffeeの店舗
未央さん 街の小さなロースター、小さなコーヒーショップがビジネスを通して社会問題にアプローチし、そしてそのビジネスが周囲に受け入れられてしっかり成立しているという点が、サードウェーブのなかの非常に面白いポイントだと感じています。
サードウェーブコーヒーのビジネスを今日まで支えているもの、それは地域消費の意識が強い消費者の存在、決済ツール「Square」をはじめとするインフラ環境、そしてそれ以上にコーヒーピープル同志のオープンなつながりであると言います。
太郎さん サードウェーブコーヒーは、盛り上がっていると言っても巨大な産業のなかのマイノリティ。携わる人のなかには、みんなで育てて行こうという意識があります。
違うお店の人ともオープンに情報交換をしたり、一緒になってイベントを開いたりする姿は、本の取材中にもよく目にしました。
“もっといい明日”のために働く。同業者を競合ではなく文化を広げ育てる仲間だと考える。そんなサードウェーブのあり方には、日本の若者にとって参考になる点が多いのではないかとふたりは考えます。
太郎さん 今の日本の20代〜30代のなかには、働き方に悩む人が少なくないと思います。また、社会起業家として社会問題へのアプローチ方法を模索している人たちもいるでしょう。
僕たちが届ける情報から、何かヒントを得てもらえたら嬉しいです。
日本独自のコーヒー文化を
さまざまな魅力を持つサードウェーブコーヒー。そのなかには、これまでの日本のコーヒーカルチャーには無かった面もあります。しかし、だからといって日本が遅れている国、アメリカが進んでいる国、ということは決して無いというのが、ふたりの強い主張です。
太郎さん 日本独自の喫茶店文化や優れた器具、確かな技量を持つバリスタなどは、こちらのコーヒーピープルから深く尊敬されています。また、サードウェーブのカルチャーのなかには、豆へのこだわりやおもてなしの精神など、日本に通じる要素がたくさんあります。
独自の歩みを進めてきた日本のコーヒー文化がサードウェーブに出会った時、どう変わっていくのでしょうか。歴史に裏打ちされた素地がある国として、その変化に期待を持っていると未央さんは言います。
未央さん サードウェーブをそのまま日本に当てはめるのではなく、それをエッセンスとして再編集を行い、新たな文化をつくっていってほしいです。
サードウェーブに続くニューウェーブが日本から生まれてほしい、そう願っています。
海の向こうから茶太郎豆央のふたりが日本に届けたかったもの。それは、日本に住む人への熱いエールなのかもしれません。
茶太郎豆央のふたりが教えてくれたサードウェーブコーヒーのさまざまな側面、いかがだったでしょうか。
もはや多くの人にとって生活の一部となっているコーヒーですが、普段何気なく飲んでいるなかではその背景になかなか思い至りません。しかし関心をもって目を向けてみることで、一杯のコーヒーの後ろにあるストーリーが少しずつ見えてくるでしょう。
あなたのコーヒーからは、どんなものが見えてくるでしょうか。
まずは今日これから飲むコーヒーを、その背景に想いを巡らせて飲んでみませんか?昨日までとはまた違う味わいになるかもしれません。