せわしない東京・日本橋の朝。
半径1キロ以内に46万人のワーカー(働く人)がいると言われています。
「この人たちがみんな友達になって、“街の仕掛け人”になったら!?」
そんなことを考えて、東京のど真ん中で集合をかけちゃった人がいます!
それが、300年級の老舗話や江戸随一の食文化など日本橋の歴史を体感する朝活「アサゲ・ニホンバシ」や、夜な夜なビジネスの融合がおこるコワーキングスペース「Clipニホンバシ」を仕掛ける川路武さんです。
日本橋が創業地である三井不動産の社員でもあります。
宴会部長のごとく街を盛り上げる川路さんに、日本橋におけるコミュニティづくりの仕掛けについてお話を伺いました。根底にあるイントレプレナー的なエネルギーも感じてください!
1998年、三井不動産入社。官・民・学が協業する街づくりプロジェクト「柏の葉スマートシティ」など、大規模案件におけるコミュニティづくりや、環境マネジメント案件の企画開発に多数携わる。三井不動産レジデンシャル出向時(マンション事業の新商品開発等を担当)に、朝活「アサゲ・ニホンバシ」を開催するNPO法人「日本橋フレンド」を立ち上げる。 2014年10月より三井不動産のビルディング本部・法人営業グループの統括。私生活では3児の父親。
時空の贈りものを楽しむ朝活
日本橋の朝活「アサゲ・ニホンバシ」は毎月第三金曜日の朝、7時45分スタート。すでに熱気で溢れています
「アサゲ・ニホンバシ」(以下、アサゲ)は、日本橋WIRED CAFE NEWSにて開催される、ちょっとユニークな日本橋ワーカー向けの朝活です。
日本橋にちなんだ朝ごはんとともに味わえる最大の目玉は、2人のゲストスピーカーからの“時空の贈りもの”。
1人目は「前の100年(マエヒャク)」と題して、老舗と呼ばれる100年以上この地にいらっしゃる方、「後の100年(アトヒャク)」には、NPO、ベンチャー起業、クリエイターなどの新しい息吹を吹き込む方が登壇します。
今までにマエヒャクとして、カステラの「文明堂」・代表取締役社長の大野進司さんや、宮内庁御用達の漆器店「山田平安堂」・代表取締役の山田健太さん。
アトヒャクとして「有限会社ASOBOT」・クリエイティブディレクターの近藤ナオさんや、「日本橋パパの会代表」・鹿子木亨紀さんといった方々がゲストとして参加。毎回150人参加するほどの人気企画になっています。
マエヒャク・老舗の講演(左)。会社が乗り越えてきたいろんな瞬間に出会える。アトヒャク(右)からは、未来の日本橋に対する新しい試みが
川路さん自身、「マエヒャクさん以外の話で100年の歴史を感じることってない」と言うように、その空間は、日本橋の歴史に圧倒される驚きに満ちています。
例えば、創業300年の店主による「その昔、店頭を参勤交代の大名が行き交った」という逸話、交通渋滞する店頭を懸念した山本海苔店さんがあみ出した「日本初のドライブスルー」、そんな話がバンバン飛び出します。
そして、日本橋の未来に向けて挑むアトヒャクの話が続けば、「いつもは通勤電車で会社にいくだけの会社員が、超興奮しちゃうんですよ(笑)」と川路さん。
その高揚から隣の人と話せば、「会社が日本橋」という共通項でさらに盛り上がり、やれ飲みに遊びにと、自然にコミュニティが広がるようになりました。10年来勤める会社の上下階同士で、初めてここで会話したという人さえも。
また、登壇された老舗も、「アサゲに参加し初めて店に来てくれたお客さんがいる」「予約してきてくれる人も増えた」と喜んでくれる。地元に愛される店をめざす街の商人にも貢献ができているのでは、と川路さんは手応えを感じています。
「え?私、その同じビルに勤めています!」という驚きも
働く街を、第二の地元に
2年半前よりスタートし、2014年10月で31回目を迎えるアサゲ。しかし、川路さんは単なるお祭りさわぎをやりたかったのではありません。もともと、現代人に流れる空気に、強い違和感を覚えていたそうです。
どんな時でもそうなんですが、今ここで誰かと誰かがつながったら、もっと楽しくなるのに!って思うんです。外国にいくとバス停とか、どこでもおばちゃんが話しかけてくるじゃないですか。かたや東京では、たまたま居合わせた他人同士で話すことって稀だと思うんです。
言葉を交わさない中で感じる日本人のセンスもすばらしいけれど、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の日本を紹介する本に出てくるような、おしゃべり好きで世話好きな昔の日本人からすると、今、こんなにも人々がしゃべらない状況っていうのが、すごく気持ち悪くって。
一方で、日本橋で働き始めて約15年。ずっと通って地元よりも長くいる場所なのに、この街をよく知らない自分にも気づきました。
通勤中や移動中に、大きな駅で偶然知り合いに会うことってありません?肩をたたかれて、「よ、久しぶり!」なんて瞬間、気持ちがあがってたり。
そんな場が地元じゃなくても、働く日本橋であったらワクワクするな、と。“大人の文化祭”みたいな、会社の就業時間以外で仕掛けられるってことが何かできないかな、と思ったんです。
調べてみれば、日本橋以外の人を街へ呼び込むイベントはあれど、ワーカー向けのイベントはほとんどなし。「ワーカー同士をつなげる何かイベントを…」と会社へも相談するものの、上手く理解が広がらず、先輩のアドバイスもあり、NPOというフリーな立場で進めることを決断。
そして、日本橋をワーカーで盛り上げるNPO法人「日本橋フレンド」を立ち上げ、出会いの場・アサゲはじめ、さまざまなイベントを仕掛けてきました。
アサゲのひろがり。全国各県の食や業を味わい尽くす「ニホンバシ46ドウフケン」(左)、日本橋川を手漕ぎボートでクルーズする「ミズベ・ニホンバシ」(右)
日本橋で粋に夜遊び、「ドロケイ」を企画。ワーカーの遊びは本気度100!
顔でつながる街へ
その土地に住む同士の地縁じゃない“働く場がつながり”のワーカーたち。彼らと共にもっと日本橋を盛り上げられるかもしれない。2年半を経てアサゲが一応の成功をみた今、川路さん率いる日本橋フレンドは新たな試みをはじめます。
「東京24区日本橋」は、ワーカーが、働く街の魅力を掘りおこしていく、日本橋フレンドの新しいプロジェクトです。
23区ならぬ「24区」 と名付けたのは、まだ何もできあがっていないから。
例えば、会員になったワーカーの口コミを編集することにより、ウェブサイト上で「OLが教えるランチMAP」「部長が教える仕事がはかどるスポットMAP」「企画開発部が教える深夜飯MAP」などが生まれていきます。
多くの時間を勤務地で過ごし街と関わりが深いのに、行政サービスなどを受けることができない。まちづくりの主流からは外されていたそんなワーカーたちが、もう一つの街をつくったら?そんな試みとして、“ワーカーの顔でつながる新しい街”を目指していきます。
法人の皆さんにも日本橋フレンドへの協賛・広告の見返りとして、街の顔となっていただく。東京都からの助成金でアプリを開発、会員情報からいろんなマップができる仕組み
「この店長に会いたいな」「あの人がこんなこと書いているから行ってみよう」みたいな、食べログの3.5じゃない軸で地元を愛する行動を促せないかなぁと。
渋谷や新宿のターミナル駅と違って、日本橋は店主が根付いているのでホントに会いにいけるんですよ。超狭域のローカルのレコメンド(おススメ)をもっとつくれないものかなという、実験ですね。
アサゲはじめワーカーの集まる場をもっている日本橋フレンドとして、今後どんどん会員登録を増やしていき、例えば日本橋OLにコスメを広めたい企業ニーズとマッチングさせるといった方向で、事業収益につなげていけないか。サスティナブルな組織へ向けて、模索を続けています。
インフォメーションセンターに並ぶ街の主役たち
イントレプレナーが育つ場、マイプロを温める場を
アサゲ真っ盛りのなか、川路さんに日本橋を別の角度から活気づけるチャンスがやってきます。それが2014年4月にオープンした、三井不動産の日本橋コワーキングスペース「Clipニホンバシ」です。
コンセプトは“イントレプレナーを目指すワーカーたちの社交場”。社外での様々な出会いをもとに、アイデアをビジネスに育てていく場を提供しています。
きっかけは “他部門”の新規事業コンテスト。川路さんが「新規事業などのアイデアを着想する場面は人が集まるところだから、そのような場所をつくりましょう」と、空ビル再利用の方法として発案。他部門の新事業立ち上げチームに加わることになります。
Clipニホンバシ。ビジネスマンに向けて、会社の外でアイデアを育てビジネスへと変えるチャンスをつかむ場を提供
イントレプレナーを目指すワーカー向けにいろんなイベントを開催
納涼会や、女子会などゆるーいイベントでも交流が活発
ここでは、自分のプロジェクトをショートプレゼンする「チラミセnight」、ゼロから起業を立ち上げる体験「ゼロイチnight」、イントレプレナーによる「イントレnight」、企業が検討中のアイデアを皆でふくらませていく「モチコミnight」などなど、イベントが盛りだくさん。
そしてここ最近、会社と会社がつながり始めて、あちこちビジネスの芽が出はじめました。
ここからは川路さんの真骨頂。もっと柔らかい、ビジネスの芽の芽かもしれない、そんな「ワーカーのマイプロジェクト」を応援していこうと提案します。
マイプロジェクトって、最初にビジネスありきじゃなくて、ちょっとふわふわとした、なんかおもしろいからやろっか、ってくらいがちょうどいいんじゃないかって思うんです。
ボランティア事業のお手伝いでも、趣味が高じたサークルのイベントでも、それこそ三人麻雀を広める会なんかでも(笑)。
でも根源的に何かをやりたいって気持ちがあるんですよね。アサゲも立ち上げの瞬間はまさにそんな感じだったんです。
そんな自分だけの熱い衝動を大切にして、周囲に話したり、Facebookを開設しているうちに、きっと、NPOなどの組織をつくり体制を整えたくなる瞬間がある。ひとり一人がプロジェクトの主役になっていく、その流れを応援する場にしたいんです。
日本橋ワーカーが、忙しい日常で見過ごしてしまっているかもしれない、小さなきっかけ。
川路さんは、アサゲやClipニホンバシの活動を通じて、そんな種を一つひとつ拾い上げ、ワクワクしながら見守っているかのようです。
壁に貼られたみんなのマイプロジェクト
宴会部長に足りなかったことは “みんなを主役にすること”
人と交わることをいとわない自分を、「母の影響が強い」と振り返ります。小さい頃、共働きで忙しい人の子供たちを預かり面倒をみていた母親でした。
「土曜日には鉄板を囲んで焼きそばが定例」という、子供たちがいつもひしめき合う家庭で育ちます。時には、近所の見知らぬ外国人を招き入れご飯をふるまうことも。「そんなことを普通にする母親で、子供の頃のダイバーシティ、半端なかったですね」と川路さん。
大学時代はアメフト一色。「あんまりいい選手じゃなくって、夏合宿のしおりをつくって歌をうたったりして賑わせる、宴会部長でした」と笑います。
三井不動産入社は、「楽しいことをつくりだせる会社だったから」。日本初のモール型ショッピングセンター「ららぽーと船橋(現「ららぽーとTOKYO-BAY」)」を見て育った川路さんは、そんな会社が大好きだと言います。
事務部門や個人住宅の営業を経て、30歳になったころ、重大な転機が。
「柏の葉スマートシティ」という、行政・大学・市民一体で、次世代型都市モデルをつくっていく一大プロジェクトの事業プロデューサーに着任し、そこで初めて“コミュニティづくり”を迫られました。
柏の葉スマートシティ。駅前に住宅、商業施設、企業や大学、最先端の研究施設がそろう
焦っていましたね。いつもだったら受発注の関係で、先週の続きやります~議事録読んでください~…の会議が、完全フラットな立ち位置で、関わる行政、大学、市民代表、ゼネコン、設計、それぞれの意見を出し合い、形成合意をはかっていかないといけない。
ファシリテーションやプレゼンテーションスキル、あれこれ決めないでアイデアを発散していくワークショップ型のやりとりなどを必死で身につけました。
「宴会部長に足りなかったことは、自分が前にでて楽しませることではなく、みんなを主役にしていくこと」。この教訓は、後のアサゲ立ち上げにもオーバーラップしていきました。
それってあるかもね!で生み出していく
NPOを通じ新しい出会いの場を生み出し続け、会社の新事業にも乗りだす。イントレプレナーといわれるほどに、縦横無尽に活躍する川路さんですが、当の本人は自負がないよう。
信念としていることは、「楽しいものはずっと続く」とシンプル。そのために必要なデザインについて語ります。
音、照明、話す内容、テーブル・椅子の配置を含めて、場をデザインすることも重要だけれど、レストランを流行らせたいんじゃなくて、僕らは人と人とが心地よく話はじめたり、いろんな人に出会えるデザインをしている。
例えば、ありきたりの日常に変化を起こす、セレンディピティのデザイン。アサゲ参加者は、自分の選択で来てくれるんだけど、アサゲで出会う人は、偶然なんですよね。でもその偶然で同じビルの他人と仲良くなったり、街の魅力を知り、幸せを感じる。
つまり、相手をおもんばかるあまり空気を読みすぎる国民だから、ITの効率化で失ったものがあるように、楽しみやイノベーションにつながるファシリテーションをも自ら捨て去っているんじゃないかと。だから、そういうものを生み出すきっかけづくりを、ずっとしていきたいんです。
そのようなNPOで培った経験が、手掛ける住宅における新規開発の現場でも大いに活きていると語ります。
異なるセクターとコラボレーションする時にも、素直に楽しいことにフォーカスをあてて、おもしろいことがうまい人と組んで、自社の売りこみなどは一切排除して。
つくっていく過程で、“わくわくする雰囲気”や“アイデアにつながる会話”をすごい意識してみたら、やっぱりおもしろいものができるんだ、と実感しています。
楽しいだけの追求にリスクはないのか。「確かに世のスタンダードを決めているような会社は無責任なことはできないので、決定が慎重になることも多い」と前置きしたうえで、川路さんは続けます。
でも、おもしろいことに素直に突き進むのも、会社の中で新事業に手をあげるのも、長い目で見てそれが会社の価値につながっていくと信じているから。
世の中に、こんなのあり?と投げかけてみて、「それならありかもね、というレベル」を探り、多少あるかも、ならプロトタイプとしてつくっていっちゃう。ひょいっと乗り越えられる軽さを持ち合わせた、そんなものづくりの発想転換をしていけたらなぁと。
ずっと続く楽しいことってなんだろう、と模索する感度を、会社やNPOで自在に循環させていく。川路さんにとって、「働く」とはそのようなひらめきの連鎖なのかもしれません。
日本橋ワーカーが主役の慣習をつくりだせたら
最後に、日本橋でコミュニティづくりを考える瞳の先には、どんな風景が見えているのでしょう。
毎月ある日は、日本橋ワーカーは着物をきてきてもいい、って街にしたいんですよ。例えば毎月10日は着物の日。その日は仕事を早くあげ、5時に終わって日本酒を飲みにいく(笑)。“クールビズ”とか“ノー残デー”と似たようなムーブメントを、僕ら普通のサラリーマンがやりたいなって。
それと、年末に会社でやる納会をこの中央通りでみんなでできないかなぁと。いろんな社長や社員がわーっと道に出てきて、町会長さんが「商いに携わっているみなさん!お疲れさまでした、いよぉ~、ぽん!」なんていうと、すっごく素敵な街じゃないですか!?そういうのをプロデュースできたらおもしろいなぁと思うんですよね。
自分が生き生きと働くことで、街の主役になり、コミュニティが生まれ、まちづくりにつながっていったら。
そんな発想で働く街を見てみると、楽しい夢が見えてきませんか?
(Text: 青木朋子)