新しい発想を導き出すために「視点を変えてみよう」と言ったりしますよね。この“視点を変える”という言葉、普段何気なく使われていますが、具体的にはどういうことなのか、あなたは説明することができますか?
今回ご紹介するハナムラチカヒロさんは、場所や物をデザインするだけでなく、“視点=人のまなざし”をデザインすることで風景は変えられるという“風景異化”の考え方を提唱し、数々の作品やプロジェクトを発表・実践されている方です。
正直、ひと記事では語り尽くせないハナムラさんの“まなざしのデザイン”の世界。その入口へと、みなさんをご案内したいと思います。
ハナムラチカヒロとは?
ほとんどの方が「まなざしのデザインとはなんぞや?」という状態だと思いますが、その話に入る前に、ハナムラチカヒロさんがどんな人物なのかを、簡単にご説明します。もとを辿れば、ランドスケープデザイナーとして、庭や公園などのデザインしていたハナムラさんですが、年々活動の領域が広がり、現在では大きく三つのことを行っています。
一つ目は、“研究・教育”活動。大阪府立大学21世紀科学研究機構 観光産業戦略研究所准教授であり、経済学研究科の社会人大学院生に授業を行う傍ら、大阪市立大学都市研究プラザ特別研究員、大阪大学の建築学科で非常勤講師も務めます。
二つ目は“法人・社会”活動。クリエイティブなネットワークをシェアする実験アトリエ「♭(フラット)」の代表であり、文化・芸術・芸能によって持続的かつ社会的な新しい価値の創造と共有を図る「一般社団法人ブリコラージュ・ファウンデーション」の代表理事でもあります。
さまざまな表現活動が行われる「♭」。ジャンルを超えたクリエイターが集まる“場”が次々と誕生しています
そして三つ目は“表現”活動。アート・インスタレーション・建築・空間デザインで表現するアーティストであり、ときに演劇・映画に出演する役者であり、コミュニケーションデザインも手がけます。
風景を異化すること=まなざしのデザイン
そんなハナムラさんの専門は“風景を異化する”こと。では“風景を異化する”とはどういうことなのでしょう? ハナムラさんにお聞きしました。
風景はさまざまな要素からできています。山や海といった“自然物”や建物や道路などの“人工物”も含めた物理的な物に加えて、往来や商売、祭りや出来事といった人が織りなす “状況”も風景に含まれます。“ルール“や“制度”といった目に見えないものも、その場所での人の振る舞いの風景を決めているかもしれません。
また風や雨などの“天候”や、“昼と夜との違い”も風景に影響を与えますし、花が咲く・虫がやってくるなど、生き物の“生態“も風景をつくります。こうした自然現象から物体までの全てが風景には含まれるのです。風景をデザインするということは、こうした場所にまつわる全ての事柄をデザインの対象として考えなければならない、という壮大なことなのだと思います。
そして、単純に場所をデザインするということではなくても「自らの視点を変えることで風景は変化させることができるのではないか」とハナムラさんは言います。
ある場所を見ている人の側をデザインすることで、風景の見方が変わるということがあります。例えば望遠鏡といった “ツール”が生まれることで手に入る風景というのがある。現代人が見ている風景の半分くらいは、パソコンやテレビのモニター越しの風景だったりします。飛行機からの眺めも19世紀にはなかったものですが、飛行機という視点場が生まれることで手に入った風景です。
これは“人の身体”の状態が異なれば、見える風景が変わることを意味しています。大人と子どもを比較してみても単純に目線の高さは異なるので、見ている風景は異なります。だから身体の状態を変えてあげれば、違った風景が現れる可能性があるということです。
「さらに」と、言葉を続けます。
“心の状態”を変えてあげることで、違った風景が見えるかもしれません。例えば“絵画・写真・映像”といったイメージは私たちの頭の中に風景をつくります。それだけでなく場所に “言葉や意味”を与えることで、実はその場所の風景をデザインしているのだと解釈することができるかもしれません。
簡単に言うと、風景というのは “場所”に対して“自分”がどのようなまなざしを向けるのかという、その“関係性”でできているのではないかと思っているのです。これまでのランドスケープデザインは、場所をデザインすることで風景へとアプローチしてきました。
しかし僕は、その場所を眺める “自分”の側をデザインできないだろうかと考えていて、いろいろな表現を試みているのです。 “場所”と“自分”との“関係性”が新しくなることで新しい風景が生まれる。そうしたことを“風景異化=まなざしのデザイン”と呼んでいるわけです。
“まなざしのデザイン”事例集
それでは、ここでハナムラさんのまなざしをデザインする代表作を5つ、ご紹介したいと思います。
-GULLIVER SCOPE-
1/87の鉄道模型の人形を町のさまざまな場所に設置し、写真に収めるという作品。普段気にもかけない場所に対するまなざしをデザイン。
これは子どもたちと一緒に実施するワークショップで、写真も子どもたちが撮影しました。僕たちには、普段見ているけど見えていないものがたくさんあります。それが視点を変えるだけで全く違う風景になり、見えるようになる。言うなれば、風景の半分は想像力でできていることを伝えている作品です。
-THE 4TH NATURE-
「現代アートの森」というイベントで、山の中で制作し、本物の自然の中に造花を紛れ込ませて、本物の自然と偽物の自然の区別をぼやかすという作品。山自体はいじらず、山へのまなざしをデザインしようという試みです。
訪れた人が作品を探して造花に触れた瞬間、今までの山の見え方がスライドし、全てが本物の自然かどうか疑わしく見えてしまうようにまなざしが変化するんですね。命のない物に囲まれた僕たち人間は、まだ命をちゃんと見分けることができるのか。そんな問いかけが、この作品には込められています。
そして最近の活動の舞台は、公共空間から医療空間にシフト。「人の生死に関わる公共空間として最も厳しい場所である病院。そんな場所で人々のまなざしをデザインし、人の心を支えることができたら、そのほかのどんなところでもできるようになる可能性が開ける」と、ハナムラさんは話します。
-TANGRAM SCAPE-
「大阪市立大学医学部附属病院」の小児科病棟、待合室につくられた仮設の壁面に海と空と大地を描き、子どもたちがタングラムという図形パズルで人物や動物などを登場させる“タングラムスケープ”を展開。完成までのプロセスを作品とする“ワークインプログレス”で実施しました。
大学病院の待ち時間って大変じゃないですか? 子どもは病気と退屈でつらいし、ぐずる子をなだめる親もつらい。そんな状況をなんとかできないかと考えてできたのがこの作品でした。うれしいことに、子どもたちは夢中になって、診察の順番がきても診察室に入らない子もいたほどでした。
二ヶ月後、この仮設の壁は撤去されますが、看護師さんたちが自主的にスペースをつくってこの作品を継続。「これが本当にうれしかった」とハナムラさん。
自分のクリエイティビティは、他人のクリエイティビティを自由にするためのものでありたい。僕がアートとして行った表現を現場の人が自分ごとして引き継いだ瞬間、それは文化になる可能性があると思っています。
-MESSAGE OF WIND–
翌年、今度は「外出のできない入院患者が自然を感じて元気になれるようなことができないか?」と病院から相談を受けます。そこで生まれたのが、入院病棟の空中庭園に500個の風船を浮かべて風を視覚化する“メッセージ・オブ・ウィンド”という作品。
ここの空中庭園は、入院している人たちが一人になりにきたり、少しリフレッシュしにくる場所だったんです。病院には長期入院中の患者さんもいますし、多くの人々は不安を抱えています。そういう人たちを少しでも元気づけられたらと。そこで、もっとも身近な自然現象を可視化できないかと考えたときに、風船を浮かべることを思いつきました。
この風船たちは、風が吹けば倒れ、雨が降れば沈み、凪になれば空に向かって立ちあがります。一部分だけ風が吹けば、そこに風の通り道が見える。そうやって自然へのまなざしをデザインできれば、自然をより強く感じることができるのではないかと思ったんです。
そしてさらに、この風船一つ一つに看護師さんたちから集めた患者さんへの言葉を記し、病室に持ち帰れるようにしました。言葉の贈り物とともに、風を持ち帰るというコンセプトです。
病院の中では、ひょっとすれば、人の心を支えられる芸術を考えられるかもしれないと思っています。劇場とか美術館は芸術を見られる人・見たい人が来る場所。それはそれでもちろんいいんですが、僕はこうした病院のような、芸術に出会いたくても出会えない人たちがたくさんいる場所において、救いになる表現とは何かということを考えたいんです。
人の命を支える芸術を医療へ
そしてさらに翌年、病院の吹き抜け空間で行うインスタレーション「霧はれて光きたる春」を発表します。
病院の吹き抜け空間で下から大量の霧を吹き上げて一旦視界を遮り、それが晴れるか晴れないかのタイミングで空から無数のシャボン玉が降ってくるというこの作品は、2012年の「日本空間デザイン賞」で2000以上集められた作品の中から大賞に選ばれました。
-霧はれて光きたる春-
この吹き抜けは病院の中心にあり、移動する際には誰もが、ここに隣接する通路を通ります。しかし、病院の関係者からも「なぜここに吹き抜けがあるのか分からない、ここをつぶして病室を増やした方がたくさんの人を救えるのに」と声があがるような、一見価値がない場所でした。でも、そのような“価値がない”と言われる場所やコトに価値を見出だすのが、アーティストの役割ではないかと思うんです。
この作品は1日30分だけですが、価値がないと思われている場所に、音とともに奇跡的な風景を起こします。患者も医師も看護師も、子どももお年寄りもみんなここに出てきて一つの奇跡的な風景を共有する。この空を見上げているときは、医師とか看護師とか患者とか、立場や病状といった病院内での“役”を忘れてみんなフラットになる。“ただの人”になるんです。
例えば、医師がずらりと並んで空を見上げている姿を患者が見る、病室からベッドを持ち出して患者と看護師が一緒に空を見上げるというように、普段と違う何かが起こることで人々のコミュニケーションの距離が変わる。
それは、そこにいる人々のまなざしをデザインし、それまで役割の中で固定化されていた関係性が相対化されること。「つまり医師と患者ではなく、個人と個人のコミュニケーションが起こる瞬間なのではないか」とハナムラさんは考えます。
この取り組みは既に2つの病院で実施していますが、前回は大阪市の芸術文化の助成金でやらせてもらいました。しかしこういった取り組みが“芸術領域”の話として捉えられているだけではダメなのだと思います。
こうした取り組みから対話が始まり、将来“医療領域”の話として認識されるよう、病院や厚労省が考え始めるきっかけになれたらと。病院内での“心のケア”に芸術表現が必要とされることになれば、社会は次のステージに進むだろうし、そうなれば良いのではないかと思っています。
自らのまなざしを自らデザインする
そしてハナムラさんは、自身の“風景異化”という取り組みは、まなざしを“つくる”と“壊す” を同時に行うことだと表現します。
同じ道を毎日歩くと新しい発見が減っていくように、私たちのまなざしは徐々に固定化していきます。この固定化してしまったまなざしをデザインすることで、新たな見方をつくる。つくられたまなざしがあるからまた壊すことができる。こうしてつくることと壊すことは巡りながら、まなざしが深まっていくのだと思います。
これはまなざしだけではなく、意味や価値という言葉に置き換えても良いかもしれません。そして、意味や価値を“つくる”ことをしているのが実はデザインで、“壊す”ことをしているのがアートなのではないか。物事のソリューションに向けられたデザインと、物事へのクエスチョンへ向けられたアートの両方が、“風景異化”には含まれているのではないかと考えています。
私たち人間は、簡単に何かの物事に囚われてしまいます。金に、欲望に、ときにイデオロギーに固執してしまいます。囚われることで僕らは思考を止めてしまいがちです。でも、この思考停止の状態は、きっと私たちから成長のチャンスを奪ってしまう。
そうならないために、僕らは自らのまなざしを自らがデザインすることで発見したり疑ったり、何かを見出だしたりしながら、何ものにも囚われずに自由であるような、そんな心を育てることが、これから尚更に必要になってくるのではないかと思っています。
高度成長期以降の大量生産・大量消費を続けてきた社会に対し、何らかの変革が求められている今の時代。ハナムラさんの言う、物のデザインだけではない“まなざしのデザイン”は、これからの社会の新たな価値を見出だす糸口になるかもしれません。
この記事を読んでくださったあなたもぜひ、新たな発見を求め、疑い、普段目を向けないところにこそまなざしを向けてみてください。そこにこそ、あなたがほしい未来をつくるヒントがきっとあるはずです。
ハナムラさんは、この「霧はれて光きたる春」を次の病院で実施するために、2月6日からREADYFOR?を通じてクラウドファンディングに挑戦中です。ハナムラさんの活動や思いに共感された方、ぜひご協力ください。