\11/12オンライン開催/ネイバーフッドデザインを仕事にする 〜まちを楽しみ、助け合う、「暮らしのコミュニティ」をつくる〜

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亘理の”ふぐろ(袋)”が世界で人気に!主婦たちの雇用とコミュニティも生み出す「FUGURO」

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ものづくりからはじまる復興の物語」は、東日本大震災後、東北で0からはじまったものづくりを紹介する連載企画です。「もの」の背景にある人々の営みや想いを掘り下げ、伝えていきたいと思います。

あなたは、自分の生まれ育った地域独自の文化や風習を知っていますか?「ふつうのまちだし、そんなのないんじゃないかなぁ」と思っている方もいるのではないでしょうか。

宮城県亘理郡亘理町は、仙台市の南に位置する人口3万人ほどのまち。ここでは、東日本大震災を機に地域に眠っていた文化や風習が見直され、それをもとにした新たな製品が生まれました。『FUGURO』と呼ばれるその製品は、地元の主婦たちに新たな仕事を生み出し、地域内外でさまざまな人とのつながりをつくっています。

『FUGURO』の生みの親である引地恵さんに、これまでの軌跡と、亘理の風習を見直すことによって得られたものについて伺いました。

着物の残り布で袋を仕立て、お米を入れて人に贈っていた

引地さんは震災前から、郷土資料館の職員として亘理のお年寄りを訪問し、まちの風習を調べていました。その中で、「農家の人がお米を人にあげるときや贈りものをするとき、着物の残り布で仕立てた袋に入れて渡していた」という話を聞きます。袋に特定の呼称はなく、「ふくろ」が訛って「ふぐろ」と呼ばれていたといいます。ものを大事にして、感謝の気持ちを込めて手づくりし、相手に贈る。亘理の人のあたたかさを象徴する風習だと感じました。

引地恵さん
引地恵さん

東日本大震災により、亘理町も津波により大きな被害を受けました。市街地にも波が押し寄せ、半壊状態になった家屋も多かったといいます。引地さんは被災した呉服店から建物を取り壊すという連絡を受け、店を訪問。そこで目にしたのは、床や棚に散乱するたくさんの着物地でした。

資料館の企画で着物について調べていたとき、地元の高齢女性たちから着物に込められた想いを伺っていました。母が織り、縫ってくれた着物。嫁入りのときに自分で縫って持参した着物。着物を着るとき、人はそこに込められた想いも一緒に纏ってきたといいます。

そうした話が心に残っていたので、どうしても着物地に目が惹き付けられました。このまま処分されてしまうのはもったいない、何とかできないだろうか…そう思っていたら、以前聞いた「ふぐろ」の物語がぱっと蘇ったんです。この着物地を使って、「ふぐろ」を再現してみようと思いました。

いまの時代に合うようにデザインやアイデアを加え、再び世の中へ

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呉服店から着物地を譲り受け、お年寄りから貰った「ふぐろ」を見本に製作してみた引地さん。しかし、「“古き良きものの再現”には限界がある」と考えたといいます。

ものが廃れるのには理由があります。残念だけど、ビニール袋など便利なものが増え、お米を贈るという機会そのものも少なくなった現代に、「ふぐろ」は必要ないものなんです。だから、いまの時代に合うようにデザインやアイディアを加えて作り替え、再び世の中で回っていくものにしたいと思いました。

引地さんは亘理町にボランティアに来ていたデザイナーの角井功さん・典子さん夫婦に「ふぐろ」のことを相談。人に買ってもらえる“商品”になるよう、何度も試作をしてアドバイスをもらいました。

そうして完成したのは、表には着物地を、裏には差し色になる布地を使った巾着袋。和の奥ゆかしさがありながら今っぽいお洒落さも含む素敵な商品になりました。

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名前は、昔ながらの「ふぐろ」と区別するべく、「FUGURO」としました。試しにイベントで販売してみたら、嬉しいことにとても反響があったんです。百貨店の催事、イギリス大使館のイベント…と次々声がかかり、忙しくなりました。

引地さんは「FUGURO」の製作・販売に本腰を入れて取り組むため、「WATALIS(ワタリス)」という団体を発足。亘理町の“WATARI”に、お守りという意味の“TALISMAN”を重ねた造語です。最初は家族や友人たちと小さくつくっていましたが、売上が伸びるにつれ少しずつつくり手の人数を増やしていきました。現在では約30名がFUGURO製作に携わっています。

商品として売れるものをつくり、手から手へ技術を伝える

FUGUROを製作する中で、メンバーの心を悩ませていたのが子どもの着物地です。赤色で可愛い柄が入ったものがたくさんありましたが、元々の面積が小さく穴も空いていたので、FUGUROをつくることはできませんでした。

聴き書きをしているとき、「あずき3粒包める布は捨てるな、何かに使えるから」と教えられました。昔の人は、小さな布があればとにかくとっておいて、はぎあわせたり、つくろいものに使っていたそうです。先達にならって、子どもの着物地も捨てずに活用したいと思いました。

そうして思いついたのが、着物地の赤色を活かし、亘理の特産品であるいちごのストラップをつくること。黄緑色の紐を「梅結び」という伝統結びで結び、いちごのヘタを象りました。

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「結び」には豊富な種類があるのですが、いまどんどん結び方を知る人が少なくなっています。資料館でもそういった伝統技術を伝える講座や展示を行ってきましたが、一度体験してもいずれ忘れてしまいますよね。それに、そもそも資料館に来てもらえなければ伝えることができないというジレンマを抱えていました。

もちろん、資料館のようなあり方も絶対に必要です。世の中の流行や経済的なことに左右されずに必要なものを後世に残せますから。その一方で、資料館に興味を持たないような人たちに伝える方法もあるといいと思っていたのです。

いちごストラップが息の長い商品になれば、つくり手さんの手から手へ、技術を伝えていける。そう考えました。

伝統技術や文化を単純に守ろうとするのではなく、売れる商品をつくることで自然と伝わっていくことを目指す。それがWATALISの商品に共通する姿勢です。いちごストラップの売れ行きも好調で、WATALISのメンバーは愛情を込めて製作しています。

震災後に生まれた新しいコミュニティ

WATALISを構成するのは、30〜40代の主婦たち。スタッフの子どもが遊びに来ることもあり、事務所はいつも賑やかな笑い声が溢れています。

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震災で、地縁や血縁といったコミュニティが崩れてしまったので、こうして新たなコミュニティをつくることが必要でした。しかも、「ものづくりが好き」という共通項だけで集っているから、どこに所属しているとか、誰の親戚とかじゃなくて、その人そのものが前面に出る感じで心地良いんです。

たくさんの人に交流の機会を提供するため、イベントも開くようになりました。化粧品会社のメイクアップアーティストによる講習会やものづくりのワークショップなど、今まで都会でしか体験できなかったこと、会えなかった人を亘理に呼ぶことができるようになったそう。地方では文化的な刺激が足りなくなりがちですが、亘理の女性たちは充足感を得ている様子です。

地方に暮らしていると、外から来た人や新しいものを受け入れることに抵抗を感じてしまいがちです。でも、震災でたくさんの人がボランティアに来てくれて、垣根が低くなった。だから、こうした挑戦ができるようになりました。

ふぐろも、角井さんをはじめ外の人がたくさん知恵や力を貸してくれたからFUGUROになれたんだと思います。元々地域にあったものが、商品として生まれ変わることができた。もし、地元の力だけで何とかしようとしていたら、難しかったんじゃないかな。

イギリスの伝統柄リバティプリントとコラボレーションしたり、吉祥文様という縁起のいい柄のものをセレクトしたシリーズを販売したり、さまざまな人と協力しながらFUGUROは進化を遂げています。

WATALISの活動を通して、亘理町の外でも中でも、たくさんの人と出会いました。大変なこともあるけれど、動かなければ出会わなかったと思うと、始めてほんとうによかったと思います。

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亘理の「ふぐろ」を現代に蘇らせたいーー。引地さんの閃きは、地元の女性たちが誇りに思える仕事をつくり、地域内外でたくさんの出会いを生み、新たなコミュニティの礎となりました。

もしあなたが自分の生まれ育った地域の文化に少しでも関心があるなら、お年寄りに話を聞いてみるのも一つの手ではないでしょうか。あなたに見つけられ、紡がれるのを待っている物語があるかもしれませんよ。