一人ひとりの暮らしから社会を変える仲間「greenz people」募集中!→

greenz people ロゴ

暮らすだけで若者が育つ街へ。仙台発、実践型インターンで課題発見力を引き出す「ワカツク」 [マイプロSHOWCASE東北編]

dandelion
Some rights reserved by cone_dmn

特集「a Piece of Social Innovation」は、日本中の”ソーシャルイノベーションのカケラたち”をご紹介するNPO法人ミラツクとの共同企画です。

仙台市にちょっと変わった名称の組織があります。一般社団法人「ワカツク」。「若者と共に地域をつくるプラットフォーム」という趣旨を略してそのまま団体名にしました。企業やNPOなどで学生が実践的に学べるインターンシップの機会をつくり、課題発見と解決の力を引き出しています。

自分の力で立つ若者がこの地にたくさん育っていけば、街も世界も変わっていく。夢を広げる、ワカツク代表の渡辺一馬さんに話を伺いました。

「志」ある起業家、リーダーの下で若者が成長する

ワカツクの活動の大きな柱の一つが、長期実践型インターンシップです。受け入れ先リストには、「東北のどこかに存在し、結と縁でつながる仮想の村づくり」「地産地消・大人の食育!飲食ベンチャーをブランディング&企画開発」といったように、社会人でも興味を引かれるプロジェクトが並んでいます。

wakatsuku1
学生向けに開いているインターンシップの説明会の様子

ワカツクは震災後の2011年7月に発足しました。企業やNPOと学生をつなぎ、半年間のインターンシップの場を創っています。基本のビジネスマナーを知らない学生でも、サポートを受けながら段階的に仕事を覚えていく仕組み。企業もお客さんのような扱いはせず、正社員並みにやりがいと責任ある仕事を任せるそうです。

社会の課題に挑戦する企業や団体を受け入れ先としています。復興支援に関わるNPOのほか、新たに事業を創出したいという企業が多いですね。志あるリーダーの下で働くことで、若者は「課題解決の現場」を目の当たりにします。自分の頭で課題を考え、解決する方法を模索していこうとするんです。

wakatsuku5
ワカツク代表の渡辺さん

受け入れ先となった企業・団体は約30件。参加学生は60人を超えます。中には大学を卒業して、インターンシップ先だった被災地の教育支援に取り組むNPO法人に就職した女性もいました。インターンシップの期間中に、法人の事務局機能をつくるという重要な仕事に取り組んだことがきっかけになったのです。
 

ワカツク設立前の会社経営時代からインターンシップ事業を続けています。以前も学生が受け入れ先に就職する例はありましたが、こちらではより頻繁になっています。若者に挑戦させることで新たな仕事が生まれ、雇用が生まれることを実証していると思います。

ワカツクはほかにも、数百件の復興支援の活動をまとめて紹介するポータルサイトの運営、自治体の人材育成事業などを手掛けています。どれも若者と一緒に地域をつくること、そして若者自身がもがきながらも力を付けて育っていくことを大切にしています。

挑戦の場を与えられた学生時代と起業後

着実に成果を生み出しつつあるワカツクですが、実は渡辺さんは子どものころ、いじめられっ子だったそう。ある日テレビで、裕福なアメリカ人家庭の子どもの笑顔と、アフリカで飢えた子どもの無気力な表情をそれぞれ目にし、「泣く子の多い世の中じゃなくて、笑っている子が多いといいな」と思ったと言います。いじめられる側、いじめる側、お金のあるなしにかかわらず、「世界中の子どもたちを笑わせる」という夢を抱くようになりました。

高校卒業後に進んだ宮城大学は新設校で、渡辺さんたちが初めての学生です。サークル活動をしたくても部室を使えず、大学の職員に頼むと「前例がないので貸せない」と冗談のような断られ方をしました。
 

そのとき、当時の学長に「自分たちで問題解決してみなさい。それが高等教育を受ける者の義務だ」と言われました。はっとしましたね。

そこで渡辺さんは有志で動き始めました。サークルとは何なのか。どうしたら部室を使えるのか。鍵の管理は…。さまざまなことを考え、話し合いました。そして有志でルールをつくり、全学生の署名を受けて大学側に部室の使用を認めてもらえたそう。その経験が原点となり、大学祭の運営や学生会の設立など学内の課題解決に次々と取り組んでいきます。

卒業後は、在学中に入った起業サークル「デュナミス」を株式会社化することになり、その社長に就きました。デュナミスはウェブ制作などIT系の事業を手掛けていましたが、次第に若者と地域づくりに関わる仕事を増やしていきます。インターンシップ事業を始めたのは2005年ごろ。仙台ではまだ浸透していない時期でしたが、大学側に必要性を説き、受け入れ企業を開拓し、地道に学生の参加を呼び掛けました。

wakatsuku2
インターンシップ期間中に受け入れ先の経営者や担当者を招いて研修をする。プロジェクトの目標をどう達成するか、学生も交えて話し合う。

起業後、あらためて自分の夢と向き合いました。子どもたちみんなが笑えるようになるには、世界を変える人材を多く生み出さなければいけない。その仕組みの一つがインターンシップでした。

学生時代に自身が経験したように、自分で課題を見つけ、自分で解決の方法を模索する。企業やNPOの課題解決の現場に学生が挑める環境づくりを、渡辺さんは自分の役割だと考えるようになっていきました。

師匠との最後の約束

渡辺さんのもう一つの顔が、NPO中間支援の活動家です。師匠は、市民活動家の草分けとして全国的に知られた加藤哲夫さん。渡辺さんは2008年、加藤さんと一緒に社会起業家を輩出するための育成塾を始めます。塾には仙台をはじめ、山形や福島からも若手が集まり、地域の課題を事業として解決する方法を学んでいきました。

加藤さんは、社会の課題を考えて解決することは、苦しいことでなく、ワクワクすることだと教えてくれました。ボジティブで、人間の力や場の持つエネルギーを信じられる人。目の前にいて「世の中は自分たちの力で変えられる」と証明してくれた人でした。

しかし、2011年8月、加藤さんは亡くなりました。最後に渡辺さんにこう言ったそうです。「復興に向かう東北の課題は複雑になり、どんどん見えにくくなる。だからこそ若者が自ら課題を見つけ、解決する力を身に付けられる環境をつくらなくちゃいけない」。ワカツクが、加藤さんと渡辺さんの最後の約束になりました。

ただ、ぼくが会社で事業を展開するだけでは突破できない壁があった。被災地で求められる復興案件は山のように生まれてくるのに、会社の経営にも力を入れなければいけない。多額の負債を抱えていたし、一方で復興案件はお金にならない(笑)。極限まで悩みました。地域や学校、若者と一緒になってやっていこうと腹をくくり、会社を整理してワカツクをつくったんです。

仙台、東北が変わるなら、世界も変わる

wakatsuku4
インターンシップの期間終了後には、参加者が成果を報告する。半年間で大きく成長し、笑顔を見せる学生たち

設立から間もなく2年。渡辺さんはワカツクの成果が芽生え始めていると感じています。

昔はインターンシップによって受け入れ先の企業と学生がともに成長するという効果をなかなか示せなかった。自信はあったんですが、再現性を生むほど実績が多くなかったんです。説明も下手でしたしね。

でも、いまはお話したように雇用や事業の創出につながるケースが増えています。主体的に動く若者への期待は潜在的にあったんでしょう。ただ、場がなかった。震災後の社会状況とも相まって、必要とされる機会は増えてきた気がします。

今後は大学や行政と連携し、若者が自主的に課題解決に取り組んでいけるようなプラットフォームづくりを進めていくそうです。目標は、いつか街全体が若者の成長のプラットフォームになっていること。学生生活を送っていれば、楽しく街に関わることができ、いつの間にか課題解決の力がついている。「仙台をそんな都市にしたい」と言います。

もちろん、理想までの道のりは平たんではありません。

現代の日本は若者の可能性を信じて挑戦させるような文化じゃない。特に学校や行政は「挑戦させない文化」だった。まして地域全体に入り込んでやろうというのだから、難しいのは当然でしょう。ですが、既存の組織の中には変えたいという熱を持っている人たちがいます。連携し、少しずつ楔を打っていきます。

wakatsuku3
ワカツクは学生団体の活動支援にも力を入れている。支援団体の学生と記念撮影

課題解決型の若者が増えれば街が変わることは想像できます。でも、それで世界は変わるのでしょうか?渡辺さんの答えは「Yes」です。

世界を変えるのは偉大なリーダーではありません。できることを精いっぱいやる。一人ひとりが一隅を照らすことが大切なのだと思います。

いまの日本では誰の役に立っているか分からないまま仕事をして、幸せを感じられない人が多い。そうではなく、本当に誰かの幸せにつながる仕事をし、自分も幸せになる。そんな若者であふれたら仙台、東北はきっと変わる。

日本中、世界中の人が同じように考えて行動すれば世界も変わるでしょう。僕は信じています。

目の前の課題を解決しようと頑張る若者が、数十年後の地域をつくります。若者が積極的に関わり、楽しく生きていける街は、大人たちにとってもきっと素敵な街になっているはず。それは仙台だけでなく、あなたの街にも言えることかもしれません。

(Text:鈴木美智代)

鈴木美智代
福島県いわき市出身、仙台在住。宮城県の新聞社で記者として勤めた後、フリーランス。
東北の良いところ、素敵なところをたくさんの人に知ってもらいたいと思い、伝える方策を考え中。ただ、いまは大変なことも多いので、素敵なものを「守る」方策を考えることが先かもしれません。農業や漁業、自然の中の暮らし、里や山村の文化に関心を持って取材しています。百姓ライター。ときに木工品ショップの店員、ベンチャー企業の事務手伝い。