こんにちは!元greenzインターン、現在ユナイテッドピープルの畠山千春です。
弊社が配給する映画「幸せの経済学」がきっかけで千葉県いすみ市に移住して約一年。今は房総半島の太平洋側(外房)のグリーンをテーマにしたネットワーキングパーティ「green drinks BOSO(以下gdBOSO)」のオーガナイザーとしても活動しています。
今回は、green drinks BOSOで行った、屠殺ワークショップのレポートをお届けします!
●みんなでにわとりを絞める
今回のgdBOSOは「いのち」を感じる屠殺ワークショップ。過去に鴨・鹿・イノシシなどの解体経験のある私が講師となり、参加者の方々と一緒ににわとりを3羽絞めました。ずっと実現させたかったこのワークショップ、だいぶ強烈な響きではありますが「食卓に並ぶ食べ物がどうやって作られているのか」をテーマに、大人から子どもまでそれぞれの過程を実際に体験してもらいました。
※一部生々しい写真がありますので、苦手な方はご注意下さい。
お肉になるまでのステップは、以下のような流れです。
(1)鍋にお湯をわかす
(2)お湯をわかす間、にわとりと触れ合う
(3)お湯が湧いたら、にわとりを捕まえる
(4)にわとりを殴って気絶させる
(5)首を落とす
(6)米袋に入れて、血抜きする
(7)お湯に入れる
(8)ビニール袋に入れて蒸す
(9)羽をむしる
(10)産毛をあぶる
(11)解体
解体の流れを説明し、見本として私が1羽目を絞めます。
まず、にわとりの痛みを減らすために棒で殴って気絶させます。意識があるうちに切ってしまうと暴れたりして一度に首を切り落とすことが出来ず、苦しめてしまいます。
※これは台所の包丁でも出来るようにと考えた方法ですが、もっとにわとりが苦しまない方法もあるのだと思います。どうやら首を折って締める方法や、にわとりが気づかないうちに締める方法もあるらしく、現在調べ中。まだまだ勉強中の身ですので、身近な道具でできる良い方法を知ってたらぜひ教えて下さいね。
首を落とした後は、お湯につけて毛穴を開かせます。このときしっかりとお湯につけると、羽がむしりやすくなります。
その後、みんなで羽をむしって丸裸に。ちびっこたちも、ビクビクしながらもしっかり見ていました。
●実際ににわとりを絞めてみる
2羽、3羽目からは参加者の中から希望する人に実際に絞めてもらうことになりました。 希望者の人たちに2グループに分かれてもらい、役割を決めていきます。
・にわとりを捕まえてくる人
・にわとりを押さえる人(暴れるので結構大変です)
・にわとりを殴る人
・にわとりの首を切る人
・血抜きする人
・にわとりをお湯につける人
にわとりを絞めるのが初めてどころか、にわとりを触るのも初めての方が多かったのでにわとりを捕まえるだけでもてんやわんや。無事、にわとりを抱き上げると「やった!」と拍手が起こるくらいです。
殴ってから首を切るまでは意識が戻る前に行わないといけないので、リハーサルをして立ち居地を確認しながら念入りに行います。
緊張しながらも、殴る練習をする参加者さん。
徐々に緊張感が高まり、実際に殴るときはみんなとても緊張していました…。
「憎くもないのに殴る」というのはかなり難しく、にわとりを殴るのは首を切るよりも抵抗がありました。「いのちを頂く」ということは、常にこの緊張感と向き合うことでもあるのだなあ、と改めて感じます。
そして、意識がなくなったところで首を切り落とします。
にわとりにも個体差があり、すぐに気絶する子、暴れる子などそれぞれ。何度もにわとりを絞めていると、それぞれのにわとりに個性があり、その度に「鳥を食べているんじゃなくて、ひとつのいのちを食べてるんだ」とひしひしと感じます。
首を落とした後は、羽をむしっていきます。
このあたりからだいぶ「お肉感」が出るようで、参加者のみなさんの表情にも余裕が出てきました。
参加者の中でも「どこまでがにわとりで、どこからが肉か?」という話題が出ていたようですが、やっぱり羽をむしるとお肉という感覚を持つ人が多いようです。ちなみに、私は産毛をバーナーであぶるときの香ばしい香りで「あ、お肉だ」という感覚が生まれます。
●解体へ
解体が始まると、やっぱり子どもは興味津々。
内臓を実際に出してみたり、部位を切り取ってみたり。絞めたばかりのにわとりの内蔵はまだ温かいのです。
こうやって着々とお肉になっていくんですね。
取り出した内蔵たちです。
砂肝、きんかん、ぼんじり、レバー、はつ。こうしてみると、焼き鳥は無駄の無い食べ物だなと改めて感じます。
●料理になりました。
解体したお肉は、敏腕シェフ(@koo1sさん、@cosmushさん)のおかげで美味しいお料理になりました。
胸肉は、上海名物の蒸し鶏にし、醤油と黒酢と薬味の聞いたタレをかけた「口水鶏」(ヨダレ鶏)に。
もも肉はから揚げにして、刻んだ長ネギをたっぷり入れた酢と醤油のタレをかけた油淋鶏(ユーリンチー)に。
内蔵は焼き鳥に。
鶏ガラはポトフに。
鶏の首&手羽&足はオイスターソース煮込みに。
すべて無駄なく頂きます。
インパクト大のにわとりの足は、うろこ(?)のようなものを一枚一枚はがすのにとても手間がかかりました。コラーゲンをしゃぶるようにして食べます。みんなで、「ありがたいねー」と話しながら食べました。
ちなみに、むしったにわとりの羽も無駄にせず、洗って干してアクセサリーにしました!こうしてみると、私たちの暮らしの中にはいろんな生きもののいのちが隠れているんだなあと改めて感じますね。
●ワークショップで感じてもらいたかったこと。
今回のワークショップは、にわとりを殴ったときの声や、お湯につけた後のにわとりの臭い、変化するにわとりの体の温度まで、持っている感覚全部でこれから食べる「いのち」を感じてもらうことが狙いでした。にわとりを食べることが「良い」とか「悪い」ではなく「かわいそう」「おいしそう」「こわい」「かわいい」全部混ざった、ありのままの気持ちを感じて欲しいと思ったからです。食べることや生きるということは、その複雑な気持ちの上にあるような気がしています。
普段の食事のときにも、「この食卓に並ぶ料理は一体どこからやってきて、どういう風にお料理になったんだろう。」と少しでも考えてもらえたら嬉しいです。
●屠殺を通じて感じたこと
最後に、私が今までにわとりを絞めて感じたことをさっとまとめたいと思います。
(1)自分の食べるべきお肉の量について
にわとりを絞めるためには、体力・精神力共にたくさんのエネルギーを使います。これだけエネルギーを使う食べ物なのだから、そんなにじゃんじゃん食べるものでもないのだな、と実感しました。自分が出来る範囲のものを食べる、「足るを知る」という感覚が少しずつ芽生えたような気がします。
(2)ご飯を一緒に食べることの大切さについて
今回のgdBOSOで、にわとりを絞めて一緒にご飯を食べると、強い一体感が生まれるということを感じました。さっきまで走り回っていたにわとりがみんなのおなかの中に入る「ひとつのいのちをみんなで分け合う」という感覚。ご飯を一緒に食べる・同じ食卓を囲むということには、こんなに大切な意味があったのか!と今更ながら気がつきました。
(3)にわとりを絞めることについて
私は屠殺に関して「肉を食べるならみんなにわとりを絞めるべき」とまでは思わないです。(もちろん、お肉になるまでの過程をちゃんと想像できる人が増えたらいいなあとは思いますが)
私が一番伝えたかったのは、(お肉に限らず)食べ物の「いのち」を感じることで自分の「いのち」をより強く感じられるんじゃないか?ということです。自分が、何によって生かされていて、「いのち」がどうやってつながっているのか。お肉を「ありがたい」と思うと同時に、そのありがたい「いのち」で自分の「いのち」が作られていくんだな、自分もありがたいんだ、と感じられること。それが生きることの「しあわせ」につながるといいな、と思うのです。
食べ物が簡単に手に入るようになったのは便利だけれど、その過程が見えなくなってしまったことで、自分と周りとのつながりが実感できない人、宙ぶらりんな人が増えているんじゃないかと思います。そんな中で、自然やいのちのつながりをダイレクトに感じられる手段の1つが「にわとりを絞める」ことなのかなあ、とも感じています。
今回のgdBOSOでは、その思いを参加者の方々としっかりと共有できたのではないでしょうか。
そして、こうしてチャレンジ出来る場があるということにも、心から感謝したいです。ありがとうございます。
●今後について
毎月第3日曜に開催されているgdBOSO、築100年の古民家改装や草木染め・味噌作りなどこれからも面白いテーマで開催していくのでぜひ遊びに来てくださいね!スタッフ一同お待ちしております。
また個人的にも3月にふたたび屠殺ワークショップを企画しているので、興味があったらどうぞお気軽にご参加ください。告知はブログ「ちはるの森」で更新します!
(text:畠山千春)
★この記事を読んでも大丈夫な方は、私の昔の解体記事も合わせてどうぞ。
(※生々しい写真が掲載されていますので、苦手な方はご注意下さい)
・普通の女子が鴨を絞めて、お雑煮にしたお話。
・イノシシの解体してきたよ。
・鹿の解体してきました。
・生まれて初めて、鶏を絞めた日。
★写真は鈴木菜央さんとcaztonyさんから頂きました。ありがとうございます!
★今回の会場は会員制農園「FARM CAMPUS」さんです。