前回に引き続き、「Blog Action Day in Japan 2008 総まとめ」としてgreenz.jpの編集長 鈴木菜央がくまなく調べた(と思う)Blog Action Day in Japan 2008のブログの中から印象的だったブログTOP16をご紹介する。
今回は、いよいよTOP5をご紹介!
第5位
来年の2月、スペイン巡礼の道を1ヶ月かけて1人で黙々と歩く計画を立てている、大学2年生「しぇすた」さんによるブログThe Origin of BP Spiritはエントリー急遽、貧困について考えてみたにて、スペインの移民問題について書いている。
かつての移民送り出し国から移民受入国へと変わったスペインは、人口4,500万人に対し、外国人は約450万人(人口の10%)(2007年10月時点)。2006年、スペインは約64万人の移民を受け入れ。EU全体が受け入れた移民総数の44%に相当するという移民大国。そのスペインに、アフリカからの不法入国がおおきな問題となっているそうだ。
ピレネー山脈越えたらアフリカ、と言われるように、スペインとアフリカはめっちゃ近い。
北海道と青森の感覚?www沖縄と鹿児島ではないね。アフリカで苦しい生活をしている人たちは、ヨーロッパでの生活を夢見て、モロッコからスペインへ入ろうとします。金と運さえあれば、密入国の成功率は上がります。この難民の手助けをしているのはマフィアだからです。国境の柵を越えようとするのは貧乏向け。マフィアに物凄い金額を出して麻薬船に乗ったり、別ルート使ったりして、移民はなんとかして密入国を図ります。
が、このマフィア、相当ひどい。満員電車のように難民を狭いところにギュウギュウ詰めにて運んだり、ゴムボートに難民を乗せて船で引っ張ったりします。
見つかったら強制送還。送還されたらされたで、待ち受ける強盗による衣服の強奪、強姦。ゴムボートは大抵が転覆し、子どもや女性の死体が岸に流れ着くありさま。スペインはそれでも、在スペイン日本国大使館のデータからも分かるように、移民をかなり受け入れています。そして移民がスペインを支えているのも事実です。受け入れる一方、受け入れていないほかの国を脅しています。EU加盟国の権威。
その矛先は主にモロッコです。モロッコが移民を受け入れてくれたら、スペインが受け入れる数も減ります。モロッコはEUから莫大な援助を貰っているので、止められたら非常に困るわけです。いくら産業が発達していても、EUあってのモロッコなので。
移民のたらい回し;根本的解決方法は、移民を発生させないことでしょうか。ついでに、この移民たちはほとんどは教育を受けてきた人たち。それでも仕事がないんですね。
貧困問題はさまざまな問題を引き起こすんだ、と実感する話ですね。いますぐ解決はできないかもしれないけれども、こうやって人々に現実を伝えることから始めていくしかないんでしょうね。
第4位
greenz.jpにも記事を書いてくれているLanaさんが運営するブログ北CAL発★エコ便りはエントリー貧困って何?そしてできることを考えてみた – Blog Action Day 2008で、そもそも、貧困ってなに?ということについて、調べ、まとめている。
ところで貧困とはそもそも何なのかを、自分が分かっていないことに気がついたので色々調べてみました。定義は国によっても様々で、アメリカでは4人家族の世帯年収が約2万1千ドル(約210万円)以下の世帯を指すらしい(アメリカ国勢調査局の2007年度のデータより)。日本語のウィキペディアを読んでいると、絶対的貧困と相対的貧困とかいう言葉まで出てきて、何か小難しい。英語版の方が分かりやすかったので、ここに抜き書きしたいと思います。
・世界人口60億人のうち、約半数の人々が貧困に陥っている。
・世界銀行によると、貧困層のうち1日1ドル未満で生活する人たちは「著しく貧しい人々(=最貧困層 ”extreme” or “absolute” poverty)」、1日2ドル未満で生活する人たちは「比較的貧しい人々(=貧困層 ”moderate” or “relative” poverty)」と定義される。2001年の時点で前者は推定11億人、後者は27億人。
・1981-2001間に最貧困層は半分にまで減少したが、状況の改善が見られたのはほとんどが東南アジアにおいてである。
・それとは逆に、アフリカのサハラ以南では最貧困層は1981年の41%から2001には46%に増えている。
また、貧困問題を解決するために、できることとして、実際のレポートを交え、わかりやすく解説している。
- フェアトレードの商品を選ぶ
- 国際援助を呼びかける
- ビッグイシュー日本版を応援する
- kiva.orgで起業家を応援する
- ゲームでお米や水を寄付する
- 貧困について知る
とくに、「国際援助を呼びかける」は面白かったので引用。
国際援助を呼びかける
参照サイトPoverty.com貧困による飢餓や病気の蔓延はすべてストップできると言われています。これを実現するには、国連の推定によると一年当たり1950億ドル(約20兆円)が必要だそうです。そして下の表の22ヶ国は、国民総所得の0.7%をその費用に充てるという国際的な合意目標を掲げました。
表にも書いてある通り、リストの上位5ヶ国であるノルウェー、スウェーデン、ルクセンブルグ、デンマーク、オランダはその目標をすでに達成しました。他の国々も目標達成に向け動いていますが、スイス、オーストラリア、カナダ、ニュージーランド、日本そしてアメリカは未だに目標達成のための具体的な計画すら作成していません。
そこでこれを機に日米両国政府にすでに用意されている手紙を出して、国際援助のための目標を達成するよう呼びかけることに決めました。興味のある方は以下の手順をお読みください。
とあります。興味がある方はエントリーを読んでください。
そして、Lanaさんもオススメの映像が「The Story of Stuff(モノのお話)」。字幕入り日本語バージョンをどうぞ。モノができるまでを学ぶことで、どのような行動を取ったら、貧困が無くなる方向にアクションができるかが、わかります。
第1章:イントロ
第2章:採取
第3章:製造
第4章:流通
第5章:消費
第6章:処理
第7章:別の道
第3位
山好きの数人が運営しているグループブログHELLO MOUNTAIN[ハローマウンテン]は、【Blog Action Day 08/貧困】と題したエントリーで、自身の旅の経験を振り返り、日本には、心の貧困があるのではないか、と書いている。
一般的に貧困は「経済的に苦しい状況」を表すようだが、その他にも
「必要なもの、大事なものがとぼしいこと」という意味もある。
経験上、東南アジアに行くと前者の貧困と呼ばれる人は沢山いる。
そんな人たちは決して暗い生き方をしているかというとそんなことはないと思う。
旅行者としてなので実際の生活まで深く理解しているわけではないが
僕が感じる限り、人は生き生きとし、生活を営んでいる。
一方で日本でどうだろう。
格差社会、、自殺者、ワーキングプアーと負のキーワードをあげたらきりがない。
【貧困】と言う言葉は経済的な意味合いが強いかもしれないが
日本に住む僕たちは心の面では貧困国の国民なのかもしれない。
そして、「貧困」を理解し、国として進むべき道を示している国として「ブータン」を紹介している。
【貧困】とは何か、どういうことか?
そのことを理解し、国の進むべき道を示している国があることをご存知だろうか?
インドと中国の間に挟まれた小国【ブータン】である。
詳しい説明はしないので興味があればもっと調べてもらいたいのだが
この国は経済的発展度の尺度である「国民総生産(GNP:Gross National Product」での国の発展を
目指すのではなく、「国民総幸福量(GNH:Gross National Happiness)」という概念で
国を発展させようとする方針を国王自らが唱えている。
この国民総幸福量というのは文字通り国民の幸せ度の尺度である。先日、テレビで石川次郎さんがブータンを訪れる番組があった。
ブータンはロハスの面で注目されている場所ではあり、
番組はその理由を検証していこうと言う目的であったように思う。
そこで見たものとは自分たち(ブータン人)の立場をわきまえ国として何ができるか、
自分たちにとって大切なものとは何かというのを客観的にとらえる
ブータン人の姿だったりする。驚きなのはカフェにいた若者たちが英語で会話をし、ブータンの民主化について
冷静に分析し、意見を述べている。それだけではなく
インタビューした大臣が
「私たちは近代化は行っていくが、西洋化は行ってはいけない」と言い張る。
その際に日本という国を引き合いに出し、決して否定的な意見ではなく、
私たちは進むべき道が違うのだと。ある地方では電線を通すと、渡り鳥が来なくなることを懸念し、
電気のある生活を住民投票により諦めた。以下、大臣のインタービューを丁寧に書き写しているサイトを見つけたので引用します。
(引用元:SmartAgeing日記)■なぜ今GNHに注目があつまるのか?
「私たちが特にこの50~60年で成し遂げた科学的、経済的、物資的、技術的な発展が結局より良い社会を築き上げることができなかったということに気づいたのです。」「人間の真の発達のためには、身体的な成長が必要だといいう信念に基づいた考えです。身体のニーズに応え、精神を発達させそして心の欲求にも応えるのです。私たちの国民総幸福という理念は国民一人一人に物質的および精神的な成長のバランスを取るように努力することを求めています。」
■日本について
「経済発展を遂げる過程で独自の価値や伝統や慣習の多くを失ってしまった日本を見つめ直すのです。」「日本人には才能 知識 そして知恵があり精神や魂の開発、幸福のための人間関係という面に注目し始めるだろうと私は信じています。
ブータンに目を向けるだけではなく、自分自身に注目してください」
エントリーにも貼り付けられていたが、ブータンの考える「貧困」「幸せ」がわかるYouTube映像を貼り付ける。
第2位
文筆家の萱原正嗣(かやはら まさつぐ)さんのブログレールから、外れてみました。〜脱線男の視点〜は、日本に巣食う病理 -Blog Action Day 2008 –と題したエントリー。「魂の貧困」に耐えられず、自らレールを外れた彼が、自分の人生を考えながら、日本の貧困を考えた良エントリー。とてもよいので、ほぼ全文引用。ちなみに、greenz.jp主催のgreen drinks Tokyo vol.13「BIG ISSUEと貧困」に参加してくださった際のエントリーもステキです。
厚生労働省が平成20年(2008年)に行ったホームレス実態調査によると、
日本全国で16,018人のホームレスがいるとのことだ。
平成15年(2003)年時の調査では25,296人、
平成19年(2007)年には18,564人ののホームレスがいたことを考えると、
減少傾向にあるようだ。
景気が(当時と比べると)上向いていることが減少の理由だという。とはいえ、ネットカフェ難民も近年社会問題化している中で、
この数字を単純に回復の兆しとみなすことも難しいのではないかと感じている。
実際、2007年の厚生労働省の調査では
推定約5,400人のネットカフェ難民がいるとのことだ。
それに、先日のリーマン破綻を端に発する金融収縮で、
世界中の経済が打撃を受けているようで、見通しはそれほど明るくない。
ところで、ホームレスになる原因は様々あると言われている。
企業の倒産、リストラ、借金苦、家庭の崩壊など。
自殺の原因と同じような項目が並んでいる。
ちなみに、自殺者は、年間3万人を超えている。
自殺は、苦しみから逃れる手段だと思っているが、
ホームレスになるということは、本人にとってどういう意味を持つのだろうか?
逃げてきた先なのか、それとも、目の前に突然降りかかってきた現実なのか?
ホームレス経験のない僕にはよく分からない。でも、はっきりと思うのは、これだけ多くの人が路上で生活をしたり、自殺をしたりするというのは、
日本という社会が病理に陥っているのではないか、ということだ。先日、”BIG ISSUE”の佐野さんの仰っていた言葉が気になっている。
「家や仕事を失っただけではホームレスにはならない。
希望(hope)を失い(less)、hopelessになるからホームレスになるんだ」佐野さんの話によれば、ホームレスの低年齢化の傾向がみられるという。
自殺者の数も、若年層が増えてきている。このことはまさしく、若者から希望が失われていることの証ではないかと思っている。
若い世代が未来に希望を抱けなくなってしまっては、
社会の活力はどこから生まれるんだろうか?とはいえ、その事情も分からなくはない。
終身雇用の幻想は潰えたにもにもかかわらず、
年功序列制度は多くの企業で厳然として残っている。
そして、バブル崩壊後の長い不景気を経て、
世界規模での経済競争が激化している昨今、
どんな大企業がいつその寿命を終えてもおかしくない時代になってきている。
そんな状況において、給与が上がるはずもない。
一方で社会は高齢化へ急速に進み、高齢者を支える負担だけが増えていく。
さらに、数字の目標にこだわる企業において、
その数字の意味が顧みられることは少ない。
そして、数字のプレッシャーは、働き盛りの若い世代へと苛烈に向けられる。
報われる可能性も見いだせないままに…そして、二重の意味で「意味」を感じられないプレッシャーに、心が悲鳴を上げる。
そんな時代において、未来に希望を見出せる訳がない、と。。。僕は前職時代、幸か不幸か、
数字のプレッシャーに追い立てられることはあまりなかった。
でも、会社の中では数字だけが意味を持つ、
その空気感は肌身で毎日のように感じていた。そして、僕はその空虚さに耐えられず、
働く意味を求めて会社を去った。「魂の貧困」に耐えられなかった。
このまま黙っていては、何も変わらない。
むしろ、悪くなっていく一方だと感じている。
今の状況を打破しなければ、社会が、人が壊れていく。時代の流れを変えたいと思った。
「頑張っても何も変わらない」、
「時代の流れに抗ってみても何も変えられない」、
そんな諦念こそが、この社会に巣食う病理、「魂の貧困」だと思っている。そんな病理が蔓延っているこの状況を何とかしたい。
自分の中の空虚さや違和感を誤魔化して生きていって、
数十年後に割りを食うのは僕たちの世代だ。
老い先短い年配者に任せっきりで、
テレビ越しに文句だけを言う、そんな何も生まない人生は真っ平だ。変化の激しい時代だからこそ、
「希望」という名の灯りを携えて未来を見据えていきたいと思う。
そして、魂の豊かな人々が集う社会だけが、
次の世代へ「希望」の灯をつなぐことができる。
「家や仕事を失っただけではホームレスにはならない。希望(hope)を失い(less)、hopelessになるからホームレスになるんだ」という佐野さんの言葉。きっと、人間にとって、一番厳しいことは、希望を失うことなのではないか、と考えました。
第1位
鯱美(とらよし)さんがつづる、かのん-35゜のエントリーBlog Action Day:貧困についてでは、かつては派遣社員として数々の会社に派遣された経験をもつ彼女が、自身の経験をもとに、非正規雇用の現実について、「非正規社員も、貴様達と同じ人間なのだと思い出してほしい」と語ります。彼女の心から出てくる、怒り、抑圧、でもそれを抑えて、「考えてほしい」と冷静に呼び掛ける。生の声の、迫力のあるエントリーです。
「貧困」というサブジェクトを突きつけられたら、本来なら、アフリカの飢餓の実態であったり天災によって全てを失った人々であったりと、援助が無ければ生きられない人々に思いを巡らすべきかもしれないが、私の脳裏に真っ先に浮かんだのは昨今話題になっている『ワーキングプア』であり『不当解雇』であり『賃金カット』、『非正規雇用』である。
貴方の会社に派遣社員、日雇社員やアルバイト、は居ないだろうか・・・?
もし貴方の会社にそういった方々がいるとして、貴方や会社はそういった方々に正社員と同じ接し方をしているだろうか?私もかつては派遣社員として数々の会社に派遣されたが、派遣先のどの会社も同じスキル・同類項の業務でありながら、派遣に対する扱いがそれぞれ違っていた。
- 自社で補えない仕事をサポートしてくれているので感謝している・・・というスタンスの会社
- 俺達でも出来ないことはないけど忙しいから、安い賃金払ってやってくれるなら雇わないでもないよ・・・ってな会社
- 正規雇用社員に適用される福利厚生など与えられていないのに、社員以上に働かせる・・・ふざけた会社
- 社内回覧を回さない・社内レクにも誘わない(眼中に無い)・挨拶しても無視など、呆れた礼儀知らず・・・人間以下ばかりの会社
貴方の会社の非正規雇用者は、一体貴方の会社をどう思っているか考えたことあるだろうか?
日本企業は戦後の高度成長期〜バブル期あたりまで終身雇用制度がほとんどだったが、今はどうだろう?
企業は軒並み新規採用も中途採用も控え、採用するのはもっぱら利益追求のために賃金の安い外国人や派遣、日雇労働者ばかり。
必要無くなれば、人の生活などおかまいなしに簡単に、一方的に解雇通知だけですませるシステムを作りあげてしまった。就職難の語句さえ知らずに終身雇用を約束された人々が、就職難で喘ぎ『とにかく仕事に就きたい』という弱者の気持ちなど分かるはずない。
例えば大企業の役員様、貴方のご子息・ご息女が貴方に頼らず、採用試験を受けても受けても採用されず、日雇労働に頼り場所を替えネットカフェで毎夜を過ごしていると想像してみるがいい。
貴方の憂いと怒りは何処に向くだろうか?かつての日本の首相が使った言葉で、忌々しい『自己責任』という言葉があるが、
これは力の無い弱者に求める言葉であってはならず、権力を持つ、企業経営者であり、その役員であり、政治家であり、終身雇用という恩恵を受けている者であり、お気楽な公務員であり、転職などしたことのない苦労知らずの者のために使われるべき言葉なのだ。非正規社員を奴隷のように扱いモノを捨てるように簡単に首を切る、こんな不条理があってはいけない。
その不条理が、想像を絶する程の不条理だから人は狂う。
当たり前ではないだろうか。日雇労働者の年収は200万前後といわれている。
グッドウィルのような下賤な会社を介していれば、労働者に渡る賃金は僅かなもの。現在、課長、部長、次長、常務、専務と呼ばれ崇め奉られている貴方方にはとうてい理解できないだろうが、現実がそこにある。
抑圧され続け・・・
狂った低賃金労働者は、人を襲う。
誰でも良かったと・・・。
希望すら無いから。或いは自分を殺す。
疲れたと・・・。
夢みることすら忘れたから。この現象は、あなたのご子息・ご息女であるかもしれないと考えてみるべきだ。
想像すら出来ず一笑で終わるのなら、その貴方こそこの非正規採用者からなる奴隷制度を作り出した張本人だと、こちらこそ嘲笑するしかない。
そして忍耐強い人種と言われる日本人よ!何時まで我慢するのか?
非正規雇用者の貧困に喘ぐ人々を見て見ぬ振りをし、更に年金だけが頼りの一人暮らしのお年寄にまで重税をかける日本。
それでも腐った権力者に自己責任といわれたら黙るしかないのか?
ならば、政府は何を成しているのかと思わないか?この日本では。基本的人権が憲法で約束されているはずなのだ。
最低限度の幸せが保障されているはずなのだ。それなのに企業が若者を正規雇用しない社会現実、それによって彼らが失う収入と強いられるネットカフェ生活=貧困
それを容認する能無しの政府。人権を侵害したとして、かの昔、有名な朝日訴訟などもある。あの時の訴訟人と同様な立場の人が、この現代にどれだけ居るか、衰えた思考回路が働くなら是非想いを馳せて欲しい。
貴方方は、未来を担う子供たちに、どのような権利があって苦しみを与え
どのような権利があって搾取し、どのような権利があって簡単に切り捨てるのか?非正規社員も、貴様達と同じ人間なのだと思い出してほしい。
最後に番外編
最後に、俯瞰した視点からブログアクションデーについて書いた記事を紹介。
「脳内宇宙飛行士」のLove S. DoveさんのブログEntheorg :: エンセオジェン・アーカイブ〜人類と幻覚性植物・ドラッグにて、ブログアクションデー:インターネットと集合無意識と題するエントリーでBlog Action Dayについて、集合無意識の観点からとても興味深い記述がありました。
実は、私たちはみんな、ふだん自覚できないものの、意識の深いところでは知っているのではないでしょうか。未来におきることを、はっきりと。そして、私たちがコンピューターに打ち込む言葉のひとつひとつが集積され、ある臨界点に達した時、インターネットは集合無意識的に働き、なんらかの意志を持ち始めるのではないか、と。そのインターネットの「意志」の方向性を決めるのは、私たちです。つまり、究極的には、実は私たち自身が未来を創造しているわけです。私たちは未来を変えることができます。
明るい未来を築くためには、私たち一人一人が、今ある世の中をつくっているんだという自覚を持つことが鍵になると思います。それが、美しい地球に住まわせてもらっている地球人の義務じゃないでしょうか。人も植物も石ころもみんな繋がってるし、誰もが重要な地球のメンバーだもんね。その自覚は、偽善でも流行でも押しつけでもなく、心の底から湧いてくるような本物の思いでなければならない。
(中略)
さてさて、10/15のブログアクションデーには、みなさんも、ブログやミクシィ日記などになにか書いてみてはいかがでしょうか。テーマは「貧困」です。量子サイズの小さな思いが、世界中から電気信号にエンコードされて集まり、未来の行方に影響を及ぼすかもしれません。
Blog Action Dayについて、「たかだか少数の人間が書くくらいで、世の中変わらない」という考え方もあるでしょう。しかし、これだけの数の人が、「貧困」について考え、表現し、人々に伝え、それが伝播していったら、それが地球上に張り巡らされた情報のネットワークを飛び交っていて、人々の一人ひとりの無意識に影響を与える。そしてそれは、すこしずつ、行動に影響を与える。それは確実に未来を変えていくことだと思いました。逆に言うと、人間が、世界に影響を与えない行動はなにひとつないのです。
Blog Action Dayは、そんな地球に住む人間の可能性を感じさせてくれるイベントだったように思いました。みなさんはこのBlog Action Dayから、何か、感じたり、学んだりできましたか?