※以下、注釈がある場合を除き、引用は上記の書籍からの引用とします
ただの化粧品店ではありません
あなたは、「ザ・ボディショップ」をご存じだろうか? 街で見かける緑色の化粧品店? その通り。でも、これがただの化粧品店じゃない。ザ・ボディショップはほかのどの企業もまねのできないほど、環境キャンペーンを展開したり、社会的なテーマをビジネスに結びつけることで有名な企業なのだ。しかし、それでもザ・ボディショップはCSR(企業の社会的責任)という言葉を使いたがらない。なぜなら、企業の存在自体が社会貢献的で、「社会と環境の変革を追求し、事業を行う」ことが会社の使命だ、と宣言しているのだ。
「ザ・ボディショップ」について、ひとことで言えば、世界各地に伝わるハーブや木の実など天然の原料を使ったスキン&ヘアケア製品を製造・販売する企業ということになる。現在、54か国に2100店舗以上を展開している。しかし、お店に入るとフツーの化粧品店らしからぬものが目に入ってくる。明るい雰囲気のお店の壁に貼られた家庭内暴力根絶キャンペーンのポスターや、AIDS啓発キャンペーンや地球温暖化防止キャンペーンのリーフレットなどなど。思わず「化粧品と家庭内暴力の根絶になんの関係があるの? そんなことしてももうからないんじゃないの?」と思ってしまう。
- ブラジルの熱帯雨林焼き払い中止を求めたキャンペーンの様子
- DV=配偶者からの暴力を撲滅するキャンペーンのロゴ
これは、いったいどういうことだろうか? それを理解するために、一番わかりやすいのは彼らの出発点を見ることだ。
ザ・ボディショップの始まり
ザ・ボディショップは1976年3月、イギリス南部の都市ブライトンにて開店した小さなお店に始まる。
- イギリス南部ブライトンにオープンした第1号店
店主の名はアニータ・ロディック(以下アニータ)。彼女のパートナーであるゴードンが長年の夢だったブエノスアイレスからニューヨークまで馬に乗って旅をする間、当時小さかった2人の子どもを育てながら生計を立てられる小さな自然化粧品店を開いたのだ。
当時といえば、化粧品はまだ非常に高価で、商品のサイズもひとつしかなく、必要以上の量を買うほかなかった。また、彼女は化粧品メーカーが安全性を確認するという名目で動物実験をするということに対して、腹を立てていたという。そこで彼女はさまざまな容器のサイズで、天然原料をベースにした化粧品を販売する店を開くことにしたのだ。
店全体をダークグリーンに塗ったのは、壁のシミをすべて隠せる色がほかになかったからだった。また容器を買うお金がなかったため、空いた容器やお客さんが持ち込んだ容器に商品を詰めて販売した。環境運動が一般的になるずっと前に、資源リサイクルや再利用を始めたのだ。それは環境意識からではなく、「とにかく、お金がなかった」からだった。
- ボトルに詰めるアニータ
- ザ・ボディショップ 初期のボトル
ビジネスの本質は人間同士の心のやりとり
アニータはイギリス南岸沿いの小さな街リトルハンプトンで、身を粉にして働くイタリア移民の大家族の中で育った。両親は「クリフトンカフェ」というカフェを開き、朝の5時から夜中まで働いた。アニータほか4人の子どもも週末と祝日、夜はカフェで働いたそうだ。この経験が、のちのザ・ボディショップのビジネスの土台となる価値観につながっていく。それは彼女のこの言葉にも表れている。「ザ・ボディショップ一号店を開業したころ、私にとって仕事とは生計を立てる手段だった。家の延長であり、台所の延長だった。ブライトンの店では恋の花が咲き、友情が生まれた。買い手と売り手がひとつになる魔法の場所で、ビジネスとは売買だと学んだ。いい製品をつくると、人々がそれゆえに利益をもたらしてくれる。それこそがビジネスで、コミュニティだ」。ビジネスの本質は、売ったり買ったりを通した人間同士の心のやりとりであり、それこそがコミュニティだというのだ。
1976年、ブライトンに1号店を出してから現在、54か国に2100店舗以上を展開するまでに成長したボディショップ。その成功の土台には、「コミュニティ」の思想にあるようだ。次回は、彼らの価値観の中心にあるこの「コミュニティ」について考えてみたい。