日本に暮らしていると、どうしても”アフリカの家”のイメージは限られている。多くの日本人は、マサイの牛の糞で作られた小さな家や、草原に立つエチオピアのわらでできた黄金に輝く集落などを思い浮かべるかもしれない。筆者のルワンダ人の友人は、「アフリカ人は木の上で寝ているの?」と、聞かれたことがあるらしい。
アフリカには、もちろん普通の人が住む家も、高層アパートも、そして何ヘクタールもあるような豪邸もたくさんある。その中でも、今回ぜひ紹介したいのは、アフリカの“かやぶき屋根の家”だ。著者が暮らすダーバンの郊外にある豪華なゴス邸がそのひとつ。敷地面積はなんと4900坪。敷地内にアフリカの原生林をもつ豪華な空間だ。この家は1972年に建築されたそうで、ゴス一家が購入し、ここに越してきたのは1983年だと言う。
- アフリカの原生林をもつ豪華なゴス邸
- かやぶき屋根と西洋文化の美しい融合
日本と同じように、アフリカでもかやぶきの屋根は古くから使われていた。かやは、その地域のかやであることが一番よいと言う。それは、その地域の気候に慣れたかやを使うことで、その地域の気候にもっとも適応する屋根となるからだ。
もともと多くのアフリカの人々が住んでいた家は一部屋のみのシンプルなつくりで、建造も家族あるいは親戚総出の一日仕事で終わるものだった。しかし、西洋人がこの大陸に入り、自分たちの住まいに欧州の趣を残しながらも、このアフリカのかやぶきの屋根をそのままスケールを大きくして利用し始めたのだ。
ゴス邸の内部は、エレガントながらも、天井に見えるのは最初のかやの層だ。このかやと、豪華なインテリアの対比が、アフリカならではの自然と人間の共同のゆったりとした空間を醸し出している。
実は、私たち家族もこのゴス邸ほどではないが、ダーバン近郊のValley of a 1000 Hills という景勝地にかやぶき屋根の家を購入した。我が家のつくりは至ってシンプルだが住み心地には大満足。高い天井は夏の暑さをしのぎ、冬は少しの暖房で家中が暖かい。真冬の3〜4週間を除き、一年を通して冷暖房が必要でない暮らしのなんと贅沢なこと。さらに、目の前にこの線の谷の丘が広がり、空気の澄んだ日にはインド洋まで見渡せる絶景の眺めがおまけについてきた。
- 著者のかやぶき屋根の家(正面)
- 著者のかやぶき屋根の家(裏側)
かやぶきの屋根は自然素材であるから、新しい建築素材が引き起こすアレルギーとも無縁。また、かやぶき替えの際に交換されるかやでさえめったに捨てられることがなく、馬用の敷ワラになるのだという。その後は、焼却かコンポストで土に還るだけ。使用後も役に立ち、ごみとなることのないかや……。
いいこと尽くめのようであるが、このかやにも欠点があった。かやぶきの屋根はメインテナンスがやっかいなのだ。ほぼ5年ごとにかやをコーミング(特別の用具で、かやの表面を揃える作業)し、10年ごとにリキャッピング、つまりアフリカ式ふき替えのことで、2層になっているかやの上の部分だけを新しいかやにする作業だ。我が家程度の大きさでも、このふき替え作業に職人6人がかりで丸2か月かかった。
ミセス・ゴスは、その豪壮なかやぶき家のオンナ主人として、「そうね、私に選択肢があったらかやぶきにはしないわね。5年に一遍とは言え、コーミングの際のホコリ、いえ、毎日のホコリだって馬鹿にできないですよ。……でも、この家は私たち家族の歴史と誇りがつまっています。だから、このかやぶき屋根を取り替える気は毛頭ありません。これは、こういった家に住むことのできる者の責任、とでも言ったらいいのかしら」とにっこりと微笑んだ。
- 著者の家の2層になった屋根
- ミセス・ゴス
日本ではこのかやをふき替える職人がかなり少なくなってきていると聞いたが、アフリカにはまだまだかやぶき職人はたくさんいる。そして、長年アフリカ文化として延々と引き継がれてきたかやぶき技術を、新しい世代が現代的に応用して、昔では考えられなかったような新しい形の屋根の建設も可能になっていると言う。アフリカは工業先進国から技術を教えてもらうことが多い。でも、このかやぶきの屋根の建築や修理、補修なら、アフリカから技術者が参上することだって、不可能ではないのではないか。
メインテナンスはちょっとやっかいだけれど、私はかやぶきの屋根の魅力にとりつかれたまま。日本から南アフリカに移住して、ここでアフリカ式かやぶき屋根の家に住む幸せをしみじみ感じている。
ライタープロフィール
吉村峰子(よしむらみねこ)南アフリカ、ダーバン在住
1977年より米国、欧州、アフリカ(リベリア、エチオピア、マラウィ)と日本を交互に生活する。2003年12月より、南アフリカ共和国ダーバン近郊に移住。専門は国際理解教育と英語教育。家族は夫と子ども2人、犬2匹