住みたい団地をつくるには?「茶山台としょかん」としょ係、東善仁さん・恭子さん夫妻が1年半をかけて見つけた答え。

「まさか、いつもの団地がこんなにも晴れやかになっちゃうの?」

2017年6月3日、大阪・堺市にある茶山台団地では、「団地deウェディング」が催されました。団地の大階段は七色のバージンロードに大変身。手すりには色とりどりの風船が揺れて、その向こうにはご近所さんや団地の子どもたち、そして友人たちの笑顔が並んでいます。白いパラソルを差して腕を組み、ゆっくりと階段を下りてくるのは新郎新婦の東善仁さん恭子さんです。

東さん夫妻は、2年前の冬に茶山台団地の集会所で「茶山台としょかん(以下、としょかん)」をオープン。知り合いもいない土地で、完全にアウェイな状況から、力を合わせて団地のコミュニティづくりに取り組んできました。

団地の大階段が七色のバージンロードに。誰もが顔を輝かせて新郎新婦を待ちました

「団地deウェディング」は、「東さん夫妻は新婚なのに披露宴をしていない」ことを知った団地の住民さんたちが企画。バージンロードから花嫁のブーケまで、何もかもを団地の住民さんたちが手づくりしたそう。この写真を見ると、ふたりがこの団地でどれだけ豊かなご縁に恵まれたのかがよくわかります。

でも、「としょかん」ができたばかりの頃は、未来にこんなハレの日が待っているなんて、誰ひとり思っていませんでした。いったい、約1年半の間に茶山台団地ではどんなことが起きたのでしょう?

東善仁(ひがし・よしひと)
1976年奈良県生まれ。企業広告のディレクター、編集者、ファシリテーターの仕事のかたわら、「greenz.jp」のプロデューサー/ライターとしても活動中。ときにはスティールパンを演奏するバンドpandelight(パンデライト)のメンバーとして幼稚園、イベントなどでの活動も。大阪大学ワークショップデザイナー育成プログラム12期修了生。
東恭子(ひがし・きょうこ)
1978年島根県浜田市生まれ。神戸大学キャリアセンター学生ボランティア支援室にてコーディネーターを務め、東北支援等に関わる。また就職以外のキャリアモデルとなるゲストを招き多様な働き方を提示する「なりわいカフェ」を学内で企画運営。2016年4月より堺市南区の団地に転居し、団地集会所を活用したコミュニティルーム「茶山台としょかん」を運営。大阪大学ワークショップデザイナー育成プログラム12期修了生。
※(ご夫婦の場合、「善仁さん」と記載すべきところですが、本記事では筆者にとって長年の呼び方である「東さん」と書かせてください)

思わず言ってしまった「僕、住んでみますわ」

ことの始まりは、2015年春。東さんが、大阪府内で約2万戸の賃貸住宅などを管理する大阪府住宅供給公社(以下、住宅供給公社)の50周年記念プロジェクトに関わったときでした。

東さん 住宅供給公社の担当者の方から「住宅が余る時代に、どんな価値を提供できるのか検討する機会にしたい」とお話があり、最初はブランディングの仕事として受けたんです。

東さんたちは、「住宅供給公社はこれから何を供給するのか?」を考える「コーシャミライ会議」を企画。1回3時間のワークショップを約150人の全職員に実施しました。そのなかで生まれたのが、「住宅×○○で、できること」を考えて生まれた50のアイデア。一つひとつのアイデアには、職員のみなさんの熱い思いがこもっていました。

「せっかくなら、このアイデアをどこかの団地で実現したい」。東さんは、アイデアを実践するためのプログラムを提案しますが、「現状の公社内の枠組みでは実現が難しい」という壁が立ちはだかります。

他の集会所より使用率が低かった19棟集会所が「としょかん」の活動場所になりました

東さん みなさんのなかで生まれたいい流れを、制度の壁で諦めるのが悔しくて、つい言っちゃったんですよ。「たとえば、僕が1年間住んで、50のアイデアから3つくらいやってみるのもアリですかね?」って。そしたら、住宅供給公社の方たちが「お願いします!」って(笑)

うっかり言ったひとことが現実となり、東さんは「団地滞在生活型コミュニティ支援」という名目で1年間の期限つきで団地に住み込んで活動することに。東さんの家賃を含めた活動の年間予算が組まれ、団地内に新しいプロジェクトが立ち上がったのです。

団地の集会所に「としょかん」をつくろう

2015年11月17日、東さんが引っ越して入居したのは、団地再生のモデル地区にもなっている茶山台団地の一室。さっそく、50のアイデアのひとつ「3rd プレイスづくり」に着手しました。

「団地のなかにあっても抵抗感がなく、幅広い人たちに来てもらえる場所は?」と考え、思いついたのが「まちライブラリー」の取り組みをヒントにした「としょかん」でした。あえて、ひらがなの「としょかん」にしたのは、本を貸し出すだけの場所にするつもりはなかったからだと東さんは話します。

「としょかん」のニュースレター。開館からずっと、毎月団地にポスティングしつづけました

通りかかった子どもたちに声をかけて敢行した、本箱づくりワークショップ。2年後、この本棚は団地の人が持ち寄った300冊の本で埋まりました

ところが、開館イベント「本箱づくりワークショップ」を企画したところ、Facebookでの告知やチラシ配布にも関わらず申込みはゼロ(当日勧誘で5組が参加)。その後も、宣伝をしてもイベントに人が集まらない状況が続いたため、東さんは次の手を考えました。

東さん 待っているだけでは全然ものごとは動かないし、自分から前に出て行こうと思って。友だちのデザイナーが設計した屋台の設計図面をもらって、必死で屋台を組み立てたんです。「としょかふぇ屋台」と名付けたこの屋台は、やがて開館日のシンボルになりました。

初めのうちは、寒風に震えながら屋台でコーヒーを湧かしても、「誰も来ない道を見つめているだけ」という日もあったそう。それでも「開き続けることが大事!」と東さんは、通りかかる人に声を掛けつづけました。すると、少しずつご近所に顔なじみが増え、子どもたちが気軽に集まってくるようになりました。

子どもたちが遊びを発明するのを待っていたらいい

春になると、東さんは屋台のそばにスティールパンを出しました。実は、スティールパンの演奏は、東さんの特技のひとつ。子どもたちといっしょに練習をして “茶山台楽団”としてイベントに出演することにしたのです。

「としょかん開館日のシンボル」になった屋台のそばに、スティールパン

2016年3月6日、団地の隣にある大蓮公園で開かれた市のイベントで演奏する「茶山台楽団」

やわらかくてきれいな音がするスティールパンに、子どもたちは興味津々。イベント後も、スティールパン目当てに「としょかん」に来るうちに、常連になる子どもたちも増えました。

東さん 「来ていい場所、なんか面白いものがある場所」として、子どもに認知が生まれていったんですね。この頃、僕のなかで「いったん、大人は置いておこう」と心が決まりました。はじめは、あらゆる世代が集まる場所をイメージしたけど、まずは子どもに注力しよう、と。

「としょかん」に集まる子どもたちと触れ合うなかで、東さんも “としょ係”としての自らの役割と方向性を明確にしていきました。

東さん 子どもたちは、自分たちで自由に遊び方を発明します。それを見て、「僕が何かをしてあげるのではなく、遊ぶ場と素材だけを提供して、器としてここを毎日開けていればいいんだ」と方向を転換しました。

マラカス用のビーズで、女の子たちはブレスレットづくりをはじめました

夏休みには「第一回こども会議」を開催。こどもたち自ら「としょかん」のルールを決め、みんなの「やりたいこと」をリストにまとめました

追い風となった、NHKによる取材のようす

NHKによる取材も追い風になりました。テレビ報道によって「としょかん」の知名度と信用度はアップ。団地住民の人たちから「テレビで見たよ」と声をかけられる機会も増え、幼稚園のお父さんグループからお花見に誘われるように。団地コミュニティの一員として受け入れられていったのです。

次々に生まれた「としょかん」の名物企画

2016年4月、東さんと恭子さんは結婚。「としょかん」の運営は夫婦で行うようになりました。また、「としょかん」のFacebookページでの交流がきっかけで、茶山台団地への引っ越しを決めた白石千帆さんもボランティアに参加。運営スタッフに厚みができたことで、新しいイベントにも挑戦しはじめました。

「0円マーケット」は、「まだ使えるのに捨てるのはもったいない」という潜在的な住民ニーズに応えたことで人気イベントになりました

旧住民と新住民や、世代が違う人同士が出会う場をつくることを目的にはじめたのが「0円マーケット」。たとえば、「子ども用の髪梳きあるかしら」と探す人の隣に、「うちにあるから取ってきてあげる」という人が現れたり。自然と知らない人同士の間に会話が生まれていきました。

恭子さん モノをやりとりするだけでなく、一定時間を滞留してもらえるように、お茶を出して座って話せるようなしかけもつくっていきました。転居してきた人は、困っていることも多いだろうから、「0円マーケット」みたいに来やすい場所があるといいかな、と。

白石千帆さん。としょ係・東さんとメッセージをやりとりして「こんな人がいるなら大丈夫」と茶山台に引っ越し。2017年度より「としょかん」第二期スタッフに

茶山台エリアには、団地以外にも住宅地が広がっています。茶山台コミュニティを団地の外に広げる方法を模索するなかで、生まれたのが「ちゃやミーツ」という公開ミーティングの場。最初は、地域密着型の特別養護老人ホーム「グランドオーク百寿」と住宅供給公社、「としょかん」の3者が連携する定期ミーティングでしたが、ゆるやかに住民を巻き込んでいきました。

東さん 「としょかん」が茶山台団地のなかに生まれた点だったとしたら、「ちゃやミーツ」が目指したのは“面”としての茶山台コミュニティでした。実際に「ちゃやミーツ」によってコミュニティに広がりと厚みが育まれたと思います。

「ちゃやミーツ」のメンバー、「グランドオーク百寿」地域交流課リーダーの大辻佑介さん。併設のOAK Cafeにて

ちゃやミーツ主催でおこなった「巨大紙相撲大会」。「団地ウェディング」では、新郎新婦対決バージョンが登場していました(ちなみに、勝ったのは新婦のおすもうさん)

自分が住民として楽しいと思えることをやろう!

「としょかん」を開いたばかりのころは、「団地の課題を見つけて解決しなければ!」という使命感にとらわれていたという東さん。でも、時間が経つにつれて、もっと自然な気持ちで「としょかん」や茶山台のコミュニティづくりに関わることができるようになったそうです。

東さん だんだん「そんなことより、自分が住民としてこの場所を面白いと思えることが大事やな」と自分が変わっていった。楽しそうなようすを見て「なんか面白いことやってるよね」と、人が集まってくるんやなと思いました。

2016年秋、「茶山台としょかん1周年のご近所フェスティバル」を開催。「としょかん」の常連さんやご近所の人たちが集まる盛大なパーティになりました

1周年記念イベントで子どもたちが企画したファッションショーのようす。本格的!

団地のおかあさんたちはお料理をつくってくれました。おいしそう!

2016年秋に、「茶山台としょかん1周年のご近所フェスティバル」を開いたときには、多くの人たちがお祝いにかけつけてくれました。その勢いに乗って、新たに2名のボランティアさんが見つかり、いろんな大人たちが「としょかん」に関わる状況ができあがってきました。

「もう少し時間があれば、住民主体のコミュニティができる」と感じた東さんは、住宅供給公社と話し合って1年間の任期を延長。2017年3月末まで、「としょ係」を続けることにしました。

東さん 「何をやってきたんですか?」と聞かれたら、明確に言えるのは安全の担保だけです。怪我だけじゃなく、ここに来て嫌な気持ちになったり、居づらくなったりしないように安全を担保することだけが、僕のミッションだと思っていました。

東さんは、「としょかん」のような場づくりは、「誰にでもできると思う」と言います。自分が関心あることで、まず自分が楽しめる場にすること。それさえできれば、人が集まる場は生まれていくのだ、と。

地域のハブになる“新しい公共”のかたち

2017年4月1日、任期を終えた東さん夫婦は茶山台団地を離れることになりました。第二期「としょ係」を引き継ぐのは、NPO法人SEINの湯川まゆみさん。もともと茶山台が地元で、泉北に貢献したいと考えていたときに、としょかんの活動を知り、団地に引っ越すことを決めたそう。茶山台に生まれた新しい団地コミュニティの存在は、「茶山台団地に住みたい」という人を引きつける熱源になりはじめています。

「団地de ウェディング」では、「としょかふぇ屋台」前にて「としょ係」引き継ぎ式も行われました

二代目「としょ係」に東さんが期待するのは、これまでの動きに加えて、新しく「地域のハブ」としての役割と自己資金をつくる仕組みづくりです。

東さん 「としょかん」は、茶山台で何かやりたい人たちをつなぐハブになっていて。僕はそういう役割を持ちはじめたことにも可能性を感じています。やり残したこととしては、小商いをして自己資金を稼いで必要なものを買うような、お金が回る仕組みづくり。これは次の課題として、引き継いでいこうと思っています。

恭子さん 「としょかん」は“余白”をつなぐコミュニティ。イベントごとがなくても常に場が開いていること。出入りは自由で、しつこく勧誘はせずに適度に距離を保つこと。個人の選択権を尊重し、利用者はしぼりこまない。そういうことを心がけていました。

実は、もともと「団地ウェディング」は、東さん夫婦が「としょ係」の任期を終えるときに、“卒業式”を兼ねて団地の人たちが企画してくれたものでした。ところが、その直前に団地内で火災が発生。亡くなられた方もあり、住民の間に大きな動揺が広がりました。もちろんパーティは自粛、「としょかん」スタッフは集まって話し合いを持ちました。

東さん こんなときこそ、誰でも立ち寄れて、いつも通りの日常をちょっとだけ取り戻せる場が必要だと思いました。へんな言い方をすると、このために「としょかん」の活動を続けてきたのではないか? と、思いました。

恭子さん 茶山台団地を出る4月1日まで、毎日臨時開館しました。みなさん、話をするだけでも、いくぶん気持ちが楽になったようでした。消火活動の影響で、火元の上下の家は水浸しで着る服もないという話を聞いて、「0円マーケット」で集まっていた冬服を持ち出して、間に合う服を自由に持ち帰っていただけるようにもしました。

最後の日も、東さん夫婦はいつも通りの「としょかん」の時間を過ごしました。ところが、閉館30分前になると、「それでは、今からとしょ係卒業証書授与式を行います!」の声があがります。式台は、あの「としょかふぇ屋台」。東さん夫妻に授与されたのは、「茶山台としょかんを愛する者より」と記された卒業証書。住民さんたちによるあまりにも完璧なサプライズでした。


としょ係卒業式で、卒業証書を授与されたふたり。涙のち、笑顔です!


そして、2ヶ月後にあらためて行われた「団地deウェディング」は、記事冒頭にてご紹介したとおり

思わず熱くなって「僕、団地に住みますわ」と言ってしまったとき、東さんは「団地のコミュニティを支援する」という立ち位置で、団地に関わろうとしていたのかもしれません。

ところが、「としょかん」が人の集まる場となり自律的に動き始めたのは、東さん夫妻が「自らが住民として楽しむ」という足場を得たときでした。それは、まるで船が自ら帆を張って大海原に漕ぎ出したような瞬間だったと思います。

実際に、取材で訪れたときの「としょかん」でも、「団地ウェディング」のときにも、そこにいる人たちはみんな「自ら楽しんで」いました。そして、「自ら楽しんでいる」人たちの輪に入ると、外からやってきた私たちもまた「自ら楽しむ」ひとりになれました。「してあげる」と自他を分けるのではなく、「自ら楽しむ」ことからはじめること。そこに、隔てのない場づくりの極意があるように思います。

それがどういうことなのか、自分で感じてみたいと思ったら、ぜひ「としょかん」をふらりと訪ねてみてください。きっと、言葉にならない何かがダイレクトに伝わってくると思います。